「我思う故に我在り」と言う言葉がありますが 互換で何かを捉え頭で何か感じ考える
「我」って訳じゃなく 何かがあるとしか言えなのでは?
ここでこうして書いてるから 何かがあるんだろうけど私が居るのか世界があるのか
どっちか分からなくないでしょうか?
完全な客観なんて有り得ないでしょ 全ては飽くまで主観でしょ?
いろんな情報で考えてるだけでしょ。
他者が居たとして 他者は自分じゃないから他者も居るだろうと考えると相対的なだけでしょ
裏も表もありません厚さのない紙なんて無いしどっちが裏でどっちが表とか言えないですよねえ
線を引いていけばグルリと回って帰ってくるだけですよねえ。
在るのは精神と世界だろうし 性質とエネルギーだけでしょ? その確からしさだけ。
求む感想 病状悪くお礼遅れるかも 出来れば短文でよろしくお願いしますm(_ _)m
A 回答 (14件中1~10件)
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No.14
- 回答日時:
>「我」って訳じゃなく 何かがあるとしか言えなのでは?
フランス語では主語を省略する習慣がないから、「我」が出ているだけでしょ。
日本語荷役するときには、「我」を使わない訳し方も可能かと思いいますので、挑戦してみてはいかが?
No.13
- 回答日時:
この場をお借りして。
あまがっぱさん 学者のあいだでもデカルト観に事実誤認がある
ようなんです。
《われ考える》のわれは 形而上学における存在――けっきょく
霊としてのわれ――を言っているようなんです。
不案内ですが 次を参照してみてください。
【Q:デカルトの「我思う故に我あり」は間違ってないと肯定出
来る方はいますか?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9157259.html?pg=1&i …
☆ その回答№5です。
No.12
- 回答日時:
おこたえをいただきました。
ありがとうございます。いくつか論点が出ましたが 次の一点にいまは しぼります。
★(№9お礼欄) ~~~~~~
つまり厳密に言えば誰も主観の域を出ない訳です。
[・・・]
真の客観を求めて確からしさで考えていくしかないのではない
だろうか。
~~~~~~~~~~
☆ 《主観の域を出》るのですか? 出ないのですか?
★ 真の客観
☆ とは何か? なぜそういう言い方をするのか?
人はそれぞれ 世界を認識します。その中の或る一つの(また
は いくつかの)主観のその内容を ほかの主観もが共有する。
このような主観の共同化――《共同主観》―― これが ふつ
う客観と見なされて一般に用いられるのでは?
★ 確からしさ
☆ を言うだけでは 不確かでしょう。
No.11
- 回答日時:
デカルトの図式で大事なのは、経験なんですけれども、
客観や他者については言及しないですね。
誠実な神が創った世界を経験する者として、
わたしは在り、わたしである根拠は、わたしが考えるからだというのです。
カントが、これを批判しますね。カントは、
「わたしが考える」という認識自体をあやしんで、
それは物自体が不可知なように、じつは不可知なのに対象化していて、
デカルトが実体扱いしているけれどただのイメージだろうとみなします。
イメージというのは一様な同一性を保持していることからも、
認識しえないものとは一線を画すはずだとカントは考えました。
存在としてのわたしも、考えるわたしも、仮象とするほかないのです。
カントは、不可知の対象のうえに、認識にしたがう対象としての客観を打ち出しはしましたが、ま、認識にしたがっちゃっていますから、たいした意味はないですね。
周囲の皆の共通理解によるところの対象といったところです。
でも、キリスト教文化では、倫理観といいますか、概念や理解の共通というのは大事なのです。
それを客観と言い、それ以上の意味は特にないのです。
ですから、フッサールにいたると、間主観というかたちで取り上げられ、
より精緻に、わたしは〈どのように〉世界や他者を知り受け入れるのか、ということを掘り下げるのです。
おかげでもはや、〈何たる〉世界を知るか、という疑義が俎上に上がることは無くなりました。
No.10
- 回答日時:
確かに、宇宙は自己の内に在るとするのが量子論的世界像
ではあるが、この場合の「自分」とは、その自分の意識と
しての宇宙の部分の肉体的自己ではない。
真の自分を知らない無知の短絡的感情を以て、「全ては
我なり」というのであれば、それは自分の怠惰や衝動を
押し通すだけの赤ん坊であり、その行動は環境と衝突する
=真の自己としての宇宙(物理)との自己矛盾として。
No.9
- 回答日時:
★(№3お礼欄) 無我の境地です
☆ と言う場合には:
★★(趣旨説明欄) 在るのは精神と世界だろうし 性質とエネル
ギーだけでしょ? その確からしさだけ。
☆ といった世界観については言わないわけです。
言ってもよいし そのことが間違っているわけでもないのでしょう
が もし自己表現をするというのなら:
★ 実存主義
☆ という行き方とおおかた重なります。
★ 実存主義では限界があります。
☆ と言いますが ひとりの人間としての《限界》を知らない実存
思想はないわけです。
つまるところ はるさんは いったい何が言いたいか? になると
思います。
つまり厳密に言えば誰も主観の域を出ない訳です。唯物論は客観なのでしょうか?
世界も主観で事を運ぶものだから 子供でも分かる理屈が通らない
アメリカ・ファースト等と言って温暖化問題にも逆行 核兵器も増強するという
そういう主観がまかり通る。世界の客観はないのか?イエスの言う隣人という他者は
我々と同じ人間なのか?その割には差別感がありはしないか?
自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい というイエスの教えは平和をもたらすのか?
それとも偽善に終わるのか?真の客観を求めて確からしさで考えていくしかないのではないだろうか。
No.8
- 回答日時:
>ちなみに「自分しかいない」等と考えてたら世界はどうなるでしょうか?
そうですねえ。私の浅はかな予測だと、何事も自分の主観の世界で起きることでしかないから、自分の快楽のために世界を使い果たしていいと思うでしょうね。
仮になんでも自分の思い通りにできる強者を想定してみましょう。彼は世界を使い果たせるだけの力を持っていると考えてみましょう。案外、そういう人はいるんじゃないかなと思います。国家予算を超える財産を持っている億万長者とか。
しかし自分以外に他者というものがあって、後の世代に何かを残そうと思えばこそ、環境汚染を気にし、殺人などを避け、社会秩序を整備しようとするのではないでしょうか。
でも、これはここまで極端な強者じゃなくても、私たちにしてみても同じことだと思うんですよね。捨て身になれば、そりゃあ、いくらでも反社会的なことはできるわけです。そして自分が死んでしまえば、世界も一緒に全部終わりだと思えば、割り切りもいいことでしょう。
こういう設定って、SFの世界とか、ゲームの世界にありますね。私はやったことがないんだけれど、他人がやっているのを覗いたことがあります。私の場合は、特にわかっているわけでもないんですが、ジェームズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の設定などを思い浮かべます。全ては特殊な意識の中の断片でしかないという話だと思いますよ。
主観の世界は人それぞれ違うでしょうけど 客観的には似たような人間や生物、物質がある訳で
主観だけではなかなか世界平和とはいかないでしょうねえ
人による訳です。みんながイエスやブッダの様なら世界は良くなるでしょうけど
実際にはあくどい事をやれる限りやるような人もいる訳で
やはり客観的に法で裁いて教育をして、我慢も覚えないと共存していけません
それが和の精神、恥の精神がいいのか 愛の教えがいいのかはわかりませんが
主観も客観も両方認める主客調和の世界が実現しないものかと思っております
どうもありがとうございます。
No.7
- 回答日時:
こんばんは
主観と客観の定義というのは、人がどの主義を取るかによって、変わるので、
私の定義と違うからと言って、質問者の考えが間違っているとは言えない。
しかし、違う定義または考え方があると、言いたい。
質問者の例「我思う故に我あり」を使うと、この我が「主体」であり、この主体が思うことが「主観」であると言える。そのとき、客体と客観の定義は、二元論に基づいており、
主体でないものが客体
主観でない思いが客観
とされることがある(かなり一般的)。
すると、我以外の人、すなわち客体、が思っていること(客体の主観)は、
我が思っていることではないので、我にとっては客観となる。
つまり、質問者の主張「全ては飽くまで主観でしょ」は崩れることになる。
他にも言いたいことはあるが、長くなるので止める。
確かに主義によって違うわけですが 現実の認識が主義によって違うというのも如何なものか?
我というものが自分であり主体だろうと普通思いますが それに根拠はあるのだろうか
そう思うだけなのではないだろうか?
無我の境地というのは我がないのだろうか?
主体でないものって外界も主観で捉えてるだけだから主観のうちではないでしょうか?
客体が思っていることが確かかどうかも分からないし、客観って、客観的に見る事は出来ても
客観を知る事は出来ない。色即是空 という事ですね。
しかし勉強になりました。ありがとうございます。
No.5
- 回答日時:
言及するだけ無駄だと思うけれど
ボカロ関係者たちは生存している価値があるのだろうか?
You Tuberが窃盗犯だとすればボカロ業界はなんだろう?
騒音公害とか?
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