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「我思う故に我在り」と言う言葉がありますが 互換で何かを捉え頭で何か感じ考える 

「我」って訳じゃなく 何かがあるとしか言えなのでは?

ここでこうして書いてるから 何かがあるんだろうけど私が居るのか世界があるのか

どっちか分からなくないでしょうか?

完全な客観なんて有り得ないでしょ 全ては飽くまで主観でしょ?

いろんな情報で考えてるだけでしょ。

他者が居たとして 他者は自分じゃないから他者も居るだろうと考えると相対的なだけでしょ

裏も表もありません厚さのない紙なんて無いしどっちが裏でどっちが表とか言えないですよねえ

線を引いていけばグルリと回って帰ってくるだけですよねえ。

在るのは精神と世界だろうし 性質とエネルギーだけでしょ? その確からしさだけ。

求む感想 病状悪くお礼遅れるかも 出来れば短文でよろしくお願いしますm(_ _)m

A 回答 (14件中11~14件)

会社名 UUUM(ウーム)株式会社


設立 2013年6月
資本金 2億8100万円
代表取締役 鎌田和樹
社員数 150人
所在地
〒106-6134 東京都港区六本木 6-10-1
六本木ヒルズ森タワー 34階

http://www.uuum.co.jp/company

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UUUM 社長のまんがブログ
http://ceo.blog.uuum.jp

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はてなブログは、はてなのブログサービスである。キャッチコピーは「書き残そう、あなたの人生の物語」。


https://ja.wikipedia.org/wiki/はてなブログ

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こちらの表記では社員数だけれど
150人は多い気がするのですけれど
拡大しているから不思議ではないのかな。

あとブログははてなブログなのね。
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>客観なんて飽くまで主観の内でしょ。

(・・・・・・)確からしさしかない。

まあ、突き詰めて言えば、そういうことになりますね。
しかし他人に面と向かってそういうことを言うと、傲慢な人だなあって思われてしまうと思います。自分が存在していることは「事実」だが、あなたの存在は「確からしいもの」でしかない、と言っているわけですから。
ここから出発すると、自分中心の思想になってしまいがちです。これだと他人と仲良くやっていけなくなります。
だから上のテーマは、あまり深く考えられることがないんでしょうね。
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この回答へのお礼

Thank you

自分が存在するかどうかも分かりません。何かがあると考えられるだけです。

無我の境地です 唯心論で考えれば自分だけ確かですが、自分とは何かを考えると自分も変わりゆくものです。

私は傲慢な事を言おうと言うつもりではありません 自分と言うものが本当に在るのかから考えています。

私の方こそ 確からしいものでしかない とおもいます。

もし誰かが客観で見るなら 私は名もない一匹の猿かもしれません。

言えるのは色々考えた末に どうも自分も居るようだし、他人も居るようだ それは確からしさでしか

認識できない。自分も他人も同じ様なものだと言う事です。

ちなみに「自分しかいない」等と考えてたら世界はどうなるでしょうか?

実存主義では限界があります。我々は一人一人見かけよりずっと違う人間ですが

同じ人間として人間の合意ができる可能性はあるのではないでしょうか?

お礼日時:2017/03/29 14:44

認知する者(観察者)がいないと、世界は無いも有るも意味がありません。


そして、世界が有るとも無いともいえません。

観察結果は主観でも、いくつも主観を数多く並べて、論理的に正解なら、それは客観的な証拠にならないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとう

情報が集まって思索してるのが観測者だと言えるでしょうか?そう思うだけ。 

外界と内界の区別がつくでしょうか?取り敢えず唯心論から考えて下さい。

唯物論でも構いません。そこにその統一が見えてくるでしょうか?

主客融合です。100%確かなものがあるでしょうか? 全ては確からしさで考えるしかありません。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2017/03/28 21:07

え〜と、とりあえずもう少し文法や言葉の意味をきちんと理解して他人が理解できるように説明できるスキルを身につけた方がいいのではないでしょうか。



それこそ文字通りに「自分を客観視」する事ができれば、どのように見られるか想像がつくと思います。

自分日本語は日本語英語のようなもので、その流れを知らない人にはハテナでしかありません。

客観視が大切なのは、人と関わる上で思いやりや尊重するにあたり必要だと思います。

もちろん元は自分で考えるので主観にしか過ぎないでしょうけど。
それは相対ではなく自分の考えは自分の考えとして、他人の考えは他人の考えとして、これらを現実的に理解できてこそだと思います。

haruさんがしているのは予想の段階なので、哲学の手前、序章段階だと思います。

色んな人と向き合う事で、少しずつ答えに近づいていくと思います。
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この回答へのお礼

成る程 気をつけますね。

お礼日時:2017/03/28 20:58

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