実存主義に興味をもち、勉強したいとおもうのですが、何からはじめたらよいでしょうか。実存主義者に限らずその理解に必要ならかまいません。おすすめの本があれば教えてください。

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A 回答 (5件)

実存主義と言う場合、その『実存』とは『命その者の働き』と言う意味に解釈出来ます。

その者を『仏性』とお釈迦様は名をつけられました。キリスト教では『神』に当たります。

今の医学では『精神を病む』『神経症』『自律神経失調症』の原因は未だ解明されていないと云う事を、フランクルの著作したものの中で呼んだ事が在ります。

ですが、もう昔に神や仏の証明をした人が存在します。その研究結果でノーベル賞が授与されています。ウイキペデアから紹介したいと思います。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が『それぞれ独立した意識』を持っていることを実証した。”


この『二つの脳半球が『それぞれ独立した意識』を持っていることを実証した。”』と言うところがみそになっています。

今の医学では『精神を病む』『神経症』『自律神経失調症』の原因は未だ解明されていないと云う事を、この二つの意識の研究をする中で、解明していただきたいと思います。

そうしてその『実存』を昔から弟子に教えてきたものが在ります。今ではインドでも中国でも廃れてしまって、無くなってしまったと『鈴木大拙博士』は書いています。

『禅』の中の、悟ると言う現実の中に右脳の意識『仏性』が隠されています。言葉のない意識からの言葉が『禅問答』です。鈴木大拙博士の書いたものを読んで下さい、博士は若い時に見性しています。

博士の言葉には、急所を付いた、分った人からのことばを読む事が出来ます。人間の心と身体と精神の在り方を、広く学んで頂きたいと思います。

フランクル博士も、それらの原因は『識られざる神』と言う風に書いています。フランクル博士の著書も読む事をお勧めしたいと思います。読後感は二人とも同じような感じになってしまう事です。
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こんにちは。



 実存主義とは関係が無いのですが、医師が書いた、生と死について深く考えさせてくれる本をご紹介します。ちなにみ数名の医学部の学生さんに原書を紹介し、興味をもって読んでくれたようでした。

  Love, Medicine & Miracles, by Dr. Bernie S. Siegel

 翻訳もたしか出ているのではないかと思いますので、あたってみてください。簡単に言えば、病気だけに注意をそそいできたあるエリート米国医師が、あるとき病気ではなく病気にかかった人間に目を向けるべきだと気づき、開眼していく話(実話)です。生死についても考えさせられることが多い本でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。一年以上も前のことでしたので非常に驚いています。私は今年医学部二年生になりました。そして解剖実習をはじめとする本格的な医学教育の中、医学生として、将来医師になるのだなぁと実感しています。今は夏休みなのでせっかくだから原著で読んでみようかとおもいます。本当にありがとうございました。

他にもおすすめの著書がありましたらおしえてください。
 

お礼日時:2002/08/09 15:14

 実存主義の基本的な考えは、個人の偶然の死に対する不条理への反抗、といった趣があります。

私がここに今たった一人で存在し、そして、不意に死ぬ、といった青春の慟哭と極めて似通った雰囲気の中で愛されるべき思想ででもあるかのようです。事実、そのような雰囲気の中で、近代化を急ぐ日本人に愛されてきた考え方です。
 勿論、多くの方が名前をあげる、キェルケゴールとかサルトルとかハイデガーとか、そういった人たちは、こういった解釈を退けますが、背景には、やがて訪れることが予想される<自己の死>とどのように直面すべきか、といった問題から入り込めば理解の幅が広がるような気がします。
 そういった意味でお勧めは、近代における自我の確立が、この思想の背景で、その上で、個は社会とどのように対立していくのか、という問題に変化していく、と考え、私は、夏目漱石の小説、江藤淳の評論(成熟と喪失、作家は行動するなど)
そして、岩波新書の松波信三郎の「実存主義」あたりへ広げていっては、と思います。
 実存主義の中でも、私はサルトルが好きで良く読んだのですが、その理由は、ハイデガーが<自分の死>から推理小説のように<良心>を呼び出して意外にもろい
面を見せたのに反し、サルトルは<私の死>は単なる即物化(即時存在)現象で、何も意味はない、と論破したからです。ああ、これで「私が死んでも、何の問題もない」と安心したのを覚えています。
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たしかに何も考えてない状態から実存主義ってなんだろうとはじめるならカミユもいいですね。

ただ、ひとそれぞれですが...なぜ実存主義に興味があるのかで変わってくるでしょう。すでに認識とはなんだろうあたりから始まるならブーバー、ハイデッガーもいいし、ひとはなぜこんなに孤独なんだろうという疑問からならやはりキルケゴールとニーチェです。キルケゴールが神にのみ絶対の愛を求められると願ってついに信じられず「神よあなたを信じさせて下さい」と祈りに綴っているのは非常に興味深いし、逆にニーチェは神は死んだと言い切れる強い人間が必要だと言いながら結局自分もいわゆる超人になりきれず孤独に死んでいったところが興味深い。(ふたたび)まったくひとそれぞれなんですが、太宰とかサルトルとかは実存主義というよりニヒリストというほうが合っているような気がします。...というようなことも含めて自分の価値観を醸成していくことがすなわち哲学だと思います。そして、多分その本質のほとんどはアリストテレスがすでに問題提起して、かつそれなりにみずから回答していると思われます。ちなみに study philosophy と philosophize は根本的に異なっていて、実存主義の基本は後者だと考えています。
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カミュの作品あたりから、入っていっては、いかがでしょうか?「異邦人」あたりを先に読んで、その後に、実存主義でまとめた本を読むと分かりやすいです。


日本の作家では、太宰治も(人間失格)いいですね~。
私個人は、キルケゴールが好きなんですけど、宗教色が強いので、最初からは、厳しいですね・・。

つきつめて勉強でないのなら、作品からで、いいと思います。
実存主義は、自分の在り方についての哲学です。いろいろ読んでも、最後は、自分の意見ですので・・・。
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この回答へのお礼

非常に具体的なお答えありがとうございました。私もキルケゴールの「死に至る病」を高校3年の時読もうとして宗教色の強さから挫折しました。実は私は医学生(一年生)でありまして、死について深く考えるとともに生の実感について深く考えてきました。そして、これからも学びつづけたいのです。ついでですが、もしそんな私におすすめの本がありましたら御手数ですがおしえてくださいまし。いろいろありがとうございました。

お礼日時:2001/06/28 23:31

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Q実存主義について

授業で実存主義=現象学+マルクス主義と習った(もしかしたら聞き違いかもしれませんが)のですが、マルクス主義というのがよく分かりません。

結局のところ、実存主義とは何なのでしょうか。

また、実存主義の観点から「私の実存の可能性」を考えよといわれたのですが、さっぱり分かりません。

どなたかアドバイスをお願いします。

Aベストアンサー

誤解を恐れず、超カンタンに説明します。
実存主義の代表はサルトルですが
この頃の思想はフッサールであろうがマルクスであろうが
基本的に実存主義的なモノの考え方が前提となっています。
では、実存主義とは何か?

今ここに「人間とは何であるか?」という質問があるとします。
どうやって答えますか?

実存主義以前の思想では
人間とは何であるか?を
存在の本質に立ち戻って、あるいは原点に還って
還元的に考えてきました。
曰く「考える葦である」とかね。

ただね、実際は人間だって、ただ存在するだけじゃあ
単なる物体なんだよね。
つまり、合コンとかに参加するとして
参加しても居るだけじゃあ、存在を認めてもらえない
っていうか、何にもならないじゃないですか。
結局、喋ったり、自己アピールをしたり、一発芸をしたりすることで
その人の存在が認められる訳で。

ということで実存主義というのは
基本的に「行動が人間を規定する」という立場をとります。
存在が人間を規定するのではない、行動が人間を規定するのだ
と、いうことです。

マルクスはこのときの「行動」を「労働」に置き換えます。
労働が人間を規定する。
で、当時、労働を規定していたのは「階級」だったわけです。

現象学=フッサールは「行動」を意識レベルで考えます。
意識がどう立ち上がるか?です。

最後に、実存主義で大事なことは「行動」が全て
つまり、常に行動していないと人間ではない。
つまり「止まらない」「留まらない」「常に変化する」
ことが大事であると考えます。

蛇足ですが、実存主義=サルトルは
1960年代にメルロ=ポンティによって過去のモノとして
葬り去られます。

誤解を恐れず、超カンタンに説明します。
実存主義の代表はサルトルですが
この頃の思想はフッサールであろうがマルクスであろうが
基本的に実存主義的なモノの考え方が前提となっています。
では、実存主義とは何か?

今ここに「人間とは何であるか?」という質問があるとします。
どうやって答えますか?

実存主義以前の思想では
人間とは何であるか?を
存在の本質に立ち戻って、あるいは原点に還って
還元的に考えてきました。
曰く「考える葦である」とかね。

ただね、実際は人間だって、...続きを読む

Q実存主義の理解を深めたい サルトル

こんばんは。
サルトルを読みたいのですが、哲学頭ではないので敷居が高く入り込めない状態です。今までサルトルで読んだのは「嘔吐」「水入らず」「実存主義とは何か」です。実存主義の理解を深めたいのですが、他に何から読むとよいでしょうか?なるべく、哲学用語だらけだったり、長すぎないものがよいのですが、わがままを言わず読みたいと思っています。初心者がおさえるべきサルトルの著作を勧めて頂けると幸いです。よろしくお願い致します

Aベストアンサー

サルトルの著作という事になると、
「嘔吐」「水入らず」「実存主義とは何か」は読んだのであれば、
次は戯曲を読んでみるのがよいと思います。
「蝿」「出口なし」「汚れた手」「悪魔と神」がさしあたりお勧めできます。
「悪魔と神」以外は新潮世界文学47「サルトル」の中に収録されています。
評論では岩波新書に収録されている「ユダヤ人」も読みやすいでしょう。

サルトルの実存主義は、彼自身の哲学理論から来ています。
実存主義とは何かは存在と無のある種の通俗化と取ることができます。
ですから、実存主義を深く理解しようとすると、サルトルの哲学的著作に
どこかでぶつからなければならないでしょう。
存在と無は哲学書の中ではかなり読みやすいほうだと私は思いますが、
それでも予備知識がない状態で読みこなすのはかなり困難です。
初期の哲学論文である自我の超越などは量的にも少なく、
論旨もわかりやすいのですが、やはり一定の哲学的予備知識
(以前の哲学理論をどうサルトルは受け止め、そしてどういう立場から
それを批判し、どう乗り越えようとしたのか)を知らないと辛いと思います。
ですので、哲学的分野に関しては、今回はサルトルの著作ではなく、
サルトル哲学の解説書としてよいと思うものを挙げます。

手に入れやすいものの中でまず挙げるとすれば、
「サルトル―失われた直接性をもとめて 」梅木 達郎著です。
NHK出版のシリーズ・哲学のエッセンスの一冊ですが、
存在と無の内容をコンパクトながら丁寧にまとめてあり、
まずお勧めできると思います。

清水書院人と思想シリーズの中の
「サルトル」村上 嘉隆著も、紙数の都合か若干駆け足ですが、
サルトルの著作を解説しながら生涯を伝記的に追っており、
読む価値はあると思います。

「同時代人サルトル」長谷川 宏著は、サルトルの解説もさることながら、
著者がサルトルをどう読み、どう時代と向き合ったかについても多く書かれています。
純粋な解説書とは言えませんが、全体を通して著者のサルトルに対する
共感があふれており、好著だと思います。講談社学芸文庫に収録されています。

「図解雑学 サルトル」永野 潤著はわかりやすいのですが、
簡潔にしすぎていて、内容的に物足りなさが残ります。
「90分でわかるサルトル」ポール ストラザーン著、
「サルトル」ドナルド・D. パルマー著も単純化しすぎに思います。

岩波新書の「サルトル―「人間」の思想の可能性」海老坂 武著と、
クセジュ文庫の「サルトル」アニー コーエン=ソラル著は、
サルトルが生きた時代状況と絡めての解説という趣が強く、
読む価値はじゅうぶんにあるのですが、
著作の詳細な解説という側面は薄くなっています。

古本屋へ行くこともいとわないのであれば、
「サルトル哲学序説」竹内 芳郎著がだんぜんお勧めです。
存在と無の解説として内容が充実しているのはもちろん、
叙述が生き生きとしかつ明快であり、
私が読んだ中ではこれを超える本はないと思います。
ぜひ入手してみてください。

以上、参考になれば幸いです。

サルトルの著作という事になると、
「嘔吐」「水入らず」「実存主義とは何か」は読んだのであれば、
次は戯曲を読んでみるのがよいと思います。
「蝿」「出口なし」「汚れた手」「悪魔と神」がさしあたりお勧めできます。
「悪魔と神」以外は新潮世界文学47「サルトル」の中に収録されています。
評論では岩波新書に収録されている「ユダヤ人」も読みやすいでしょう。

サルトルの実存主義は、彼自身の哲学理論から来ています。
実存主義とは何かは存在と無のある種の通俗化と取ることができます。
です...続きを読む

Q身体的実存とはどういう意味ですか? ネットで調べても実存主義しか出てきません。 実存主義では「我思う

身体的実存とはどういう意味ですか?
ネットで調べても実存主義しか出てきません。
実存主義では「我思う故に我あり」の言葉で意味はなんとなく分かりますが、身体的実存って何ですか?

Aベストアンサー

身体的実存、というのは肉体の生理的欲求の事を云うのではないでしょうか。初めて接する言葉なので、本来の意味がどういうものか知らず、だからこのように解釈しての回答?です。

心の欲求と身体の欲求は相反する事がよくあります。身近なことで言えば、もっと食べたいという身体の欲求と、それを自制したいと云う精神の欲求です。

実存主義と云うのが、精神性に於いて使われていることを思うと、身体的実存に主義を付けて身体的実存主義とした場合、これは肉体の生理的欲求を重視する主義、と云えるのではないでしょうか。

あえて進んで云えば、精神的向上を促す様な生理的欲求に気づき、それをおろそかにしない、重視する、と云う考えなのだろうと想像しました。

Qサルトルの「実存主義とは何か」について

サルトルの実存主義とは何かという本に、
度々出てくる「彼」とは
一体誰の事を指しているのでしょうか?

Aベストアンサー

「実存主義とは何か」において、サルトルは数名の「彼」を文中に表現しています。(サルトルが教えた或る生徒、一人の部隊長、サルトルが出会ったイエズス会士、ジイド、デカルト、人間自身を相対化した「彼」)
それらは、文脈において、明確に区別できると思いますが、それを特定の一人の人物と想定したのは、どのような理由でしょう?(可能性としては、「或る生徒」と「イエズス会士」、「一人の部隊長」が同一の人物と考えられると言う事でしょうか?)
文章としては、特に混乱するような様には書かれていませんし、人称代名詞をそのまま訳しただけだと思います。

Q超実存主義のススメ

実存主義は神を否定するという。
しかし私は神の存在を否定しません。
私は神は存在すると考えます。
その神とは宇宙の法則のことです。
宇宙の法則は間違いなく存在する、従って神は存在する。
しかしその神は宇宙を創造してはいない。
もとより宇宙は創造できるものではないのである。
何故なら宇宙は何時いかなる時点においても既に存在していたのであり、既に存在しているものを創造することは出来ないからである。
これは実存主義を超えた実存主義、言わば超実存主義です。
超実存主義を除いて真の神が存在できる余地は無いと考えます。
全ての既成宗教は神の存在を単に願っているだけであり、真に神が存在すると認めてはいないのです。
これらの既成宗教はいずれもまやかしであり、超実存主義の前にあっては脆くも崩壊する運命にあります。
神は存在すると考えるのであれば超実存主義に立つ以外ないのではないでしょうか。

Aベストアンサー

(No.3)の回答へのお礼に関する不可解

hitonomichi34さんの見解を整理してみます。

①ターレスは万物の根源をアルケーと命名
②万物の根源を問うことが人間精神にとって最も価値がある。
③全宇宙を支配する完全不変の絶対的真理とは何かについて知りたかった。
④だからアルケーが何であるか探求することは人間精神にとって根源的な問題である。
 これこそが真理の探求であり、人間精神にとって最も価値がある。
⑤あらゆる意味において永遠不変な存在とは宇宙の法則を除いて他には有り得ないと
 考えられることから、私は次の結論に立ち至った。
「アルケーは宇宙の法則である、宇宙の法則を除いてアルケー呼べるものは他に存在しない」
⑥それ故に万物の根源、宇宙の法則であるアルケーは同時に神であると言えるのです。

率直に言って、説明が循環していて何の説明にもなってないですね。
なぜ「万物の根源を問うことが人間精神にとって最も価値がある」と言えるのですか、単に知的関心を満たすためだけとは考えられないでしょうか、人によっては異性の気持ちを知ることの方が価値があると考えるかもしれません。
「宇宙の法則が永遠不変」と考える根拠は何でしょうか? 有限な人間の経験から永遠不変のものを見究められるというには、なにか論理的な根拠が必要です。

仮に宇宙の法則が永遠不変であるとして、それがあなたの生き方や欲望にどのように関わっているのでしょうか? それを「神」と呼ぶからにはそれなりの理由があるはずですよね。

(No.3)の回答へのお礼に関する不可解

hitonomichi34さんの見解を整理してみます。

①ターレスは万物の根源をアルケーと命名
②万物の根源を問うことが人間精神にとって最も価値がある。
③全宇宙を支配する完全不変の絶対的真理とは何かについて知りたかった。
④だからアルケーが何であるか探求することは人間精神にとって根源的な問題である。
 これこそが真理の探求であり、人間精神にとって最も価値がある。
⑤あらゆる意味において永遠不変な存在とは宇宙の法則を除いて他には有り得ないと
 考えられることか...続きを読む

Q実存主義・イギリス経験論・大陸合理論・批判哲学・ドイツ観念論

哲学のテストが今月にありまして、誰にしようかなと思いながら何冊か著作を読みましたがいざ書くとなると何と絡めて書けばいいのかわからず・・・(つまり理解できてない・・・)別のにしようかと思ったのですが、正直時間がありません。

実存主義・イギリス経験論・大陸合理論・批判哲学・ドイツ観念論(マルクス・キルケゴール・マルティン・サルトル・ニーチェ・ヘーゲル・ルソー・ロック・ヒューム・スピノザ・ライプニッツ・カント・パスカルなど等)
の中の哲学者から選ぶのですが、レポートの書きやすい人はいませんか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ヒューム

Q超実存主義とは何か

 
実存主義の中の実存主義、究極の実存主義とは何かと考え結果、超実存主義に行き着いた。
そして超実存主義とは以下のような諸概念に基づき、世界を認識するものであると捉えた。

1.宇宙は無条件かつ絶対的に存在する。
2.宇宙の法則は完全無欠であり、唯一絶対であり、永遠無限であり、永遠不変であり、永遠不滅である。
3.宇宙と宇宙の法則は一体である。
4.人間も宇宙の一部である。

するとこの超実存主義から同時に次のことが導かれことが分かった。
宇宙は創造されたものではないこと。
従って創造主は存在し得ないこと。
また宇宙には始まりも終わりもないこと。
また無は存在しないこと。
また人間の心も宇宙の法則に従う1つの現象に過ぎないこと。
そして宇宙の法則を除いて如何なる神も存在し得ないこと。

またこれによって我々は満たされ得るはずなのである。
何故ならこれによって我々は宇宙の起源が何か求める必要はなくなるからである。
何故ならこれによって我々は神が何であるか求める必要もなくなるからである。
またこれによって我々は無を求める必要もなくなるからである。
またこれによって我々は全てを受入れることが出来るようになるからである。

我々を救うものがあるとすればそれは超実存主義を除いて他にあるまい。
 

 
実存主義の中の実存主義、究極の実存主義とは何かと考え結果、超実存主義に行き着いた。
そして超実存主義とは以下のような諸概念に基づき、世界を認識するものであると捉えた。

1.宇宙は無条件かつ絶対的に存在する。
2.宇宙の法則は完全無欠であり、唯一絶対であり、永遠無限であり、永遠不変であり、永遠不滅である。
3.宇宙と宇宙の法則は一体である。
4.人間も宇宙の一部である。

するとこの超実存主義から同時に次のことが導かれことが分かった。
宇宙は創造されたものではないこと。
従って創...続きを読む

Aベストアンサー

 数学的な証明と、物理的推測とを分けて書きます。


(数学的な証明)
 以下で時空間,宇宙と言ったら、物理的現実と無関係に論理的に成立し得る、数学的な宇宙と時空間です。


仮に宇宙が有限であったとします。
[仮定なので、数学でも物理でもOK]

すると宇宙は空間的時間的に閉じた閉空間になります。
[仮定からの帰結なので、数学でも物理でもOK]

その閉空間の直径をR[m]とします。
[仮定なので、数学でも物理でもOK]

その閉空間の直径より1メートル大きい直径を持つ閉空間R1は空間として存在します。
[数学的には可能]

なぜなら宇宙空間は連続した距離空間だからです。
[数学的には可能]

しかしこの空間R1は最初の仮定によると宇宙でないことになる。
[論理的に、正しい]

これは矛盾です。
[論理的に、その通り!]

何故なら宇宙とは全空間だからです。
[論理的に、その通り!。この証明は、恐らく正しい]


(物理的推測)
 以下で時空間,宇宙と言ったら、物理的現実とは無関係に成立し得ない、現実のものと推測されている宇宙と時空間です。


仮に宇宙が有限であったとします。
[仮定なので、数学でも物理でもOK]

すると宇宙は空間的時間的に閉じた閉空間になります。
[仮定からの帰結なので、数学でも物理でもOK]

その閉空間の直径をR[m]とします。
[仮定なので、数学でも物理でもOK]

その閉空間の直径より1メートル大きい直径を持つ閉空間R1は空間として存在します。
[数学的には可能でも、現実の空間として可能かは不明]

なぜなら宇宙空間は連続した距離空間だからです。
[数学的には可能でも、現実の空間として可能かは不明]

しかしこの空間R1は最初の仮定によると宇宙でないことになる。
[R1も有限なので、もしそれが見つかったとしても物理的には、たんに知らなかっただけの事になる]
[宇宙が、連続した距離空間であったとしても/なかったとしても]

これは矛盾です。
[論理的に言うと、矛盾であるはずがない]

何故なら宇宙とは全空間だからです。
[物理では、現在観測可能な全領域を、「仮に」全空間とか宇宙とか呼称するだけ]
[しかし物理では、宇宙がどこまでも無限に拡がっている事も、もちろん許容する]
[その意味では、数学的な無限の全宇宙や全空間も、常に可能性として想定している]


 ところであなたは、空間的な全空間や全時間が(全宇宙が)無限だと言っていますが、無限次元というのは考えた事がないのですか?。

 以前、任意次元の直交空間におjける球の体積を計算した事があるのですが、どうやら無限次元では、その超球の体積は0になりそうなのです。

 空間,時間の領域が無限であるのが本来なら、次元だって無限であるのが本来ですよね?。その辺りは、どうお考えですか?。


 ちなみに実存主義とは、あなたの超実存とは全然違うものです。誤解を招きかねないので、ほかの用語を考えだして下さい。

 数学的な証明と、物理的推測とを分けて書きます。


(数学的な証明)
 以下で時空間,宇宙と言ったら、物理的現実と無関係に論理的に成立し得る、数学的な宇宙と時空間です。


仮に宇宙が有限であったとします。
[仮定なので、数学でも物理でもOK]

すると宇宙は空間的時間的に閉じた閉空間になります。
[仮定からの帰結なので、数学でも物理でもOK]

その閉空間の直径をR[m]とします。
[仮定なので、数学でも物理でもOK]

その閉空間の直径より1メートル大きい直径を持つ閉空間R1は空間として存在...続きを読む

Q資本主義、共産主義、次は何主義?

資本主義も共産主義も問題が多いです。もっと良い主義はないのでしょうか?

考えたことありませんか?

資本主義も修正し共産主義も修正し人口爆発、資源の争奪戦をやてますが

何か・・・ボランティア主義?世界宗教?の様な 新しい思想はないものでしょうか?

僕は存在性思想を掲げましたが 桜咲かず 梅咲かず

何か良い主義ありませんか?

ちなみに当方病人のため、要点を教えて下さると有難いですm(_ _)m

Aベストアンサー

共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。
あくまで控え目で謙虚に、そして、宿主さまへの感謝の念を忘れない。

実際の人間⇔サナダムシの関係は宿主⇔寄生虫の固定的な関係ですけれども、
人間社会においては、時に、宿主がサナダムシになり、サナダムシが宿主になったりと、その都度、その役割を変えますがね。宿主とサナダムシの役割は流動的であり、同時に流動的でなければならない。固定的になってはいけない。


ちなみに、西洋の海に住むサナダムシは凶暴で宿主から栄養を一方的に搾取して宿主を劇ヤセさせたり、宿主に様々な健康障害をもたらします。
西洋のものは、思想、原理・原則だけではなく、サナダムシまで凶暴なんですよ。
Win-Winの関係を目指したりしない。
そこにあるのは一方的な搾取であり、相手を根絶やしてまでも自身の利益や正義(?)のみを追求しようとする貪欲で非情な論理。

共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。...続きを読む

Q【ガンジー】ガンジーってどんな人だったんですか?ガンジーは実存主義者?構造主義者ですか?

【ガンジー】ガンジーってどんな人だったんですか?

ガンジーは実存主義者?構造主義者ですか?

Aベストアンサー

実存主義者と言えるでしょう。

ガンディーは自分の人生を何よりも真理(Satya)探究という目的のために捧げた。彼は、自分の失敗や自分自身を使った実験などから学ぶことを通して、この目的の達成を試みた。実際、彼は自叙伝に『真理を対象とした私の実験について(英語: The Story of My Experiments with Truth)』という題をつけている。
ガンディーは、非暴力運動において一番重要なことは自己の内の臆病や不安を乗り越えることであると主張する。ガンディーは、自分の理念を纏め、初めは「神は真理である」と述べていたが、後になると「真理は神である」という言葉に変えている。よって、ガンディー哲学における真理(Satya)とは「神」を意味する。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC

Q資本主義の次は○○主義、って当分資本主義でしょ!?

若手論客の方々の対談を聴く機会があって、頭の良い方々の議論を聴くのは刺激があってそれはそれですごく楽しいのですが、自分なりに色々疑問とか違和感も湧きました。

地域地域の共同体が崩れて、これから新しい共同体の形を模索できないだろうか、国家と個人の間に入る、理想的な中間共同体は無いだろうか…というような議論があって、1人の方は、ネット上で同じ趣味の人同士がつながって趣味共同体みたいなのができればそれでいいんじゃないか~みたいなことを言っていました。

またもう1人の方は、人間生活の元々の形態は農業だから、農業社会の再生を~みたいなことを言う人がいるが、難しいんじゃないか~とか、人間の歴史は○○年代まで農業社会で○○年代まで企業社会でそれもだんだん崩れてきて~みたいなことを言っていました。

やっぱり評論家みたいな人たちってこういう議論が好きなんだな~と思いながら聞いていたのですが、やっぱり違和感がありました。

ネット上で多くの人がつながれる、というイメージ自体は私も好きですが、それとは別の話で、現実の社会の大多数は、いまだに企業共同体、しかないと思うのです。

今までの時代は企業のつながり、お金のつながりを通してしか、人は徒党を組めなかったけど今からは違う~みたいなことを言っておられたのですが、実際そうかな…確かにネット等を通じて、新しいコミュニティみたいなものが少し芽生え始めているかもしれませんが、実際大多数の人は、学校を卒業したらもう企業の社会に絡めとられてしまっている、と思うんですね。

これは高度成長期、バブル前後、から、別に今もそんなに変わっていないと思うんです。

なんとなくバブルが崩壊してから何年もたって、ネットが登場して、リーマンショックでアメリカの凋落とか言われたり世の中が大変化しつつあるような印象がありますが、世の中の大多数の人は依然「資本主義」の論理の中で生きていて、組織の有無を言わさぬ圧力のもとで忙殺に近い生活を強いられている人が大半じゃないか、と思うんです。資本主義の次は○○主義だ、とか、農業社会、企業社会の次は○○社会だ、みたいな言い方をする人がいるようですが、資本主義も企業社会も全然終わっていないと思うんですね。

そういう感覚が、頭が良いはずの評論家、学者の方はもしかしたらちょっと分かっていないんじゃないかな~と思いました。

トヨタもそろそろ倒産するかもしれない、とか、日立の明日も危ないとか、そういう話、あり得ませんよね?

ですから、こういう言い方をすると共産主義の人ですね、と言われて終わりそうですが、言論で仕事をされる方に望みたいのは、いかに資本主義、企業の圧力から人々を解放するか、そしてそれ以外の共同体とか、BIなり、企業以外で生活を建てる方法がないか、そういうことを具体的に考えて欲しいんですね。

人間一人ひとり、ここの議論みたいにもっと社会はこうあるべき?とか、もっとこういうサービスを作るべきじゃない?とか、若い人でも本当は色々考えられるはずなのに、企業に入ったとたん、大抵の人は考える余裕を奪われていると思います。企業の価値観、あり方に全身染まることを要求されるのです。そういう意味でも、マルクスの時代から100何年たった今でも、資本主義、企業社会は依然問題を多く孕んでいると思います。

そういう議論、必要だと思いませんか?

若手論客の方々の対談を聴く機会があって、頭の良い方々の議論を聴くのは刺激があってそれはそれですごく楽しいのですが、自分なりに色々疑問とか違和感も湧きました。

地域地域の共同体が崩れて、これから新しい共同体の形を模索できないだろうか、国家と個人の間に入る、理想的な中間共同体は無いだろうか…というような議論があって、1人の方は、ネット上で同じ趣味の人同士がつながって趣味共同体みたいなのができればそれでいいんじゃないか~みたいなことを言っていました。

またもう1人の方は、人間生活...続きを読む

Aベストアンサー

僕が思想を始めた'70年代は、まだ学生運動の余熱が残っており、
それが次第に市民と遊離した過激派として追いやられ、消えて、
その後に三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれる波が
来ました。
それでは、その「三無主義の波」は去ったかというと、そのまま
時代の基調になって、今に至ります。

「いや無気力・無関心じゃない」と言われる人もいるでしょう。
しかしこの『無気力・無関心・無責任』というのは、自分の利益や
自分の仕事についての話ではなく、社会的な事についてなのだ。
要するにそれまでは、『社会は個人の意志で変えられる』という
通念があり、実際に学生に限らず社会人もデモやストライキで
大なり小なり世の中を動かした時代があったのだ。
しかし、次第に体制の締め付けと国民の軽薄化が功を奏し、
“親方日の丸”で国政は腹黒い政治家と官僚に任せっぱなしに
なりつつある中、その閉塞感への若い力の最後の抵抗が'70年
代の学生運動の騒乱であったのだ(そして敗れて三無主義)。

今、「哲学」ならまだしも、社会体制的なことに関わる「思想」的
だと思われる事を口にすれば、その内容の如何を問わず周りの
人から危険人物認定され、出版やネット発信が過ぎれば当局
のブラックリストに載る。
この、独裁者なきファシズム国家は、容易に変革できない(叩く
べき頭のない)粘着質の構造をつくり上げたのだ(抵抗できず
海外に逃げた派の私のような人間にも責任がある)。
これを動かすには、何か学術的な権威において証明するとか、
パブリックなブームに乗せるとかして、一気に数を集めないと、
隅っこで議論しても潰されるだけです。

僕が思想を始めた'70年代は、まだ学生運動の余熱が残っており、
それが次第に市民と遊離した過激派として追いやられ、消えて、
その後に三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれる波が
来ました。
それでは、その「三無主義の波」は去ったかというと、そのまま
時代の基調になって、今に至ります。

「いや無気力・無関心じゃない」と言われる人もいるでしょう。
しかしこの『無気力・無関心・無責任』というのは、自分の利益や
自分の仕事についての話ではなく、社会的な事についてなのだ。
要するにそれまで...続きを読む


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