アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

以前、別の方の質問で曲がCメジャーの時、CM7に設定するモードはファがアボイドになるので、Cイオニアンは使えない、Cミクソリディアンならファ♯なので使えると回答したら、別の方からCイオニアンでいいという回答があったのですが、鍵盤上でCM7とFを同時に弾いたら明らかに不協和です。

いくらポップスだからどういう音を使っても問題ないといっても、原則はあるはずです。現代音楽を作曲するわけではないので、どう考えてもCイオニアンスケールが使えるというのはおかしいのではないでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 現代音楽をやっていると、協和音と不協和音の区別がつかなくなると思うんですね。

      補足日時:2017/04/06 10:19

A 回答 (5件)

こういうことがあるので、このサイトの回答をだんだんしなくなっているのです。


これはあんまりでしょう。批判スレッドを立てるなら、もう少し調べてからになさったらどうですか。
補足コメントを見ると、現代音楽をやっている者は耳が悪くなっており、
協和音も不協和音も区別がつかなくなっている、と言わんばかりですが。

そもそも、現代音楽だけやっているなどということはありえないのです。
クラシックをやっていれば、古典とは一生の付き合い。
古典のスタイルで音楽を書く要求はいつでもありますし。
そして、古典的な不協和→協和の原則は、基礎の段階で何年にも渡って叩き込まれるので、
不協和な音の扱いをするようになったからと言って消えてなくなる感覚ではありません。
そういうものは、音楽の様式によって使い分けるものです。

それに、協和音、不協和音の定義自体がそれほど明確なものではないです。
あなたはいわゆる「属七」の和音を聞いたとき、「汚い不協和音」と感じますか?
楽典的には、属七の和音には短7度という不協和音程が含まれているので、
単純な分類でいけば「不協和音」です。

私はここで回答するとき、その時点での自分の知識だけとか思い込みでは絶対に書きません。
必ずしかるべき文献、資料に当たります。
特にポピュラーは本来の専門ではないので、
うっかりするといつ間違うかわからないという前提で書いています。

アヴォイド・ノートの件に関して、あなたは不協和音なのにわからないのかという書き方ですが、
こういうことはそもそもクラシックもポピュラーもなく、原理は同じです。
クラシックの古典的な和声でも、「ドミソ」の和音が鳴っているときに「ファ」を長い間同時に鳴らしたり、
「ド」「ミ」「ソ」のいずれかに順次進行による解決をせずに跳躍したりすることは禁止です。
音楽のジャンルに関係なく、基礎中の基礎です。
しかし、モーツァルトでもベートーヴェンでもいいから聞いてみてください。
ハ長調の曲で「ドミソ」の和音が使われているとき、旋律音は必ずファ#になっていますか?
私は先日の回答で、アヴォイド・ノートは、
「絶対に使えないということではなく、経過的に使う分には問題ない」と書いたはずですよ。
下のサイトはジャズのプロのミュージシャンが書いているサイトですが、
そこにも同じことが書いてあります。

(以下、引用)
『アヴォイド・ノート』は『避けるべき音』というような意味になりますが、この言い方には少し語弊があります。
実際には『取扱いに注意すべき音』と言ったところで、この『アヴォイド・ノート』をうまくサウンドさせる方法も存在します。
手元に鍵盤がある方は、それぞれのスケールに対応したコードを左手で鳴らしながら、右手でアヴォイドノートを鳴らしてみてください。
どうでしょうか、かなり濁った不協和音に感じませんか?
確かにロングトーンや、フレーズの最後に着地する音としてはアヴォイドノートは不適切です。
しかし、経過音的に使用する分には問題ありませんし、メロディの流れやテンポ、曲のジャンルやアレンジによっては多少長めに鳴らしても不協和に感じない場合も多々あります。
http://www.88notes.net/?p=437

上の説明は、マーク・レヴィンの『ジャズ・セオリー』の説明をもとにしたものと思います。
英語版しか持っていないので、当該個所の原文と譜例(添付画像)を引用しておきます。

“Avoid” Notes
Good question. Go to a piano and play a root position C△ chord with your left hand while playing the C major scale with your right hand, as shown in figure 3-8. There is a note in the scale that is mach more dissonant than the other six notes. Play the same chord again with your left hand while you play the 4th, F, with your right hand. Hear the dissonance? This is a so-called “avoid” note. Play the chord again, this time playing a short run in the right hand with F in the middle of it, as shown in figure 3-9. The dissonance is hardly noticeable this time, because F is now a passing note, and is not struck or held against the chord. “Avoid note” is not a very good term, because it implies that you should’t play the note at all. A better name would be a “handle with care” note.

コードスケールに関しては、これとは別の専門書、
Barrie Nettles、Richard Graf共著の『The Chord Scale Theory & Jazz Harmony』が手元にあります。
これにも、CM7のコードスケールとしてはまずCイオニアンが挙げられてあり、
もう一つの選択肢としてCリディアンが挙げられています。
そもそもアヴォイド・ノートは、スケールの選択だけでは避けられません。
上の書物では、Cm7のコードスケールとしてCドリアン、エオリアン、フリジアンが使用可能となっていますが、
いずれを使用する場合にもアヴォイド・ノートはあります。
(こういう定義も、音楽のスタイルや理論書によって異なります。)

>いくらポップスだからどういう音を使っても問題ないといっても

そんなことはありませんし、言ったつもりもありません。
「合わない音は合わない」という大原則の部分は同じです。
もちろん、クラシックの古典の厳格な規則から見ると、
アヴォイド・ノートだけでなく、ほかにも不協和で不自然に感じる音はいくらでもあります。
しかしそれは、音楽のスタイルの相異であり、美学が違うのであって、
それをクラシックの尺度で価値判断するのはまちがいでしょう。

先日来、ジョン・ケージに関する質問とモードジャズに関する質問に回答するつもりで、
書いている途中で締切になったので投稿できずに終わっていますが、
どうも拝見していると、十分な知識がないまま、先入観や思い込みを強く持ちすぎているようです。

ここにはもう長くは書きませんが、ケージのいろいろなエピソードはある種の「トリビア」となって誤解されている部分も多いのです。
また、偶然性を打ち出してからは、作品そのものより行為が問題になるので、
曲だけを見てどうこうというより、思想的な影響の方が大きかったのです。
しかし、偶然性を打ち出す以前の作品は非常に音楽的でもあり、
技法的にもほかの作曲家を先取りする試みがたくさんありました。

それから、モードジャズに関しては、最初から誤解があると思います。
「モードジャズ」というのは、教会旋法を使って書いたジャズというだけの意味ではありません。
ここでいう「モード」は、「コード」の対義語としての意味が込められています。
つまり、先ほどのアヴォイド・ノートの話とつながる部分がありますが、
クラシックや初期のジャズでは、音楽の構造は和声を土台としており、
メロディーを書く場合やアドリブをする場合、
音階上の音は、そのときに鳴っている和音の構成音かそうでないかで扱いが違います。
クラシックで言う「和声音」と「非和声音」の関係です。
しかし、ジャズで使うコードがだんだん複雑になり、
アドリブをするときにコードの構成音だけを分散させているだけだとワンパターンになってしまうことから、
伴奏(バッキング)のコードと音階を切り離し、
コード理論に縛られずにスケール上のすべての音を平等かつ自由に扱うという考えが生まれたのです。
したがって、「モードジャズ」という語は、単に「モードを使っている」というだけの意味ではありません。

回答が字数オーバーしてしまったので、続きは回答番号を改めて投稿します。
「CM7に設定するモードについて」の回答画像2
    • good
    • 0
この回答へのお礼

すみませんが、こちらはスマホで入力しておりますので、あまり長文では書けません。

私は基本的には言葉というものを信用していなくて、不完全なものだと思っています。
なので、よかれと思って質問したことがその言葉尻を取られ、回答者から集団リンチ的な扱いをつい最近受けました。

私は素人なので、回答も間違っていて思い込みもありますが、コストをかけもしないでここで聞いていることから、回答に責任はありません。

専門家ではないので参照出来る書籍は限られていますが、音大作曲家卒の方が書かれた書籍を参照しています。もちろんCM7のシからファは減5度なのでそういう進行はしなくて、間にレが入ればファでもファ♯でも聴感上違和感はありません。

また、ジョン・ケージの質問に関しては回答者が思い込みで回答してきたので締め切らざるを得ませんでした。質問者の立場を理解出来ないようなので、これ以上意味がないと思ったからです。

私は専門家とか評論家に成りたいと思ったことは1ミリもないので、ただ良い聴きてになれるよう知識を吸収しているだけです。

お礼日時:2017/04/06 18:47

コメントを見て、これ以上話をしても無駄だと思いましたが、


未だに締め切らないようですし、この質問で迷惑しているのは私の方なので、
もう一度だけ書かせてもらいます。

その前に、あなたのスレッドのあちこちに、
スマホだから長文は読めない、書けない、とあります。
おそらく私の回答も、本気で読んではいないでしょう。
このサイトがスマホに対応して以来、
本来のこのサイトの趣旨を理解せず、
ツイッターやラインと同じようなものとみなす人が増えたのがこの結果です。
何年も前から投稿している人は、
そういう前提ではやっていません。

>回答に責任は存在しないし、間違っていても誰も困りません。

こういうのを「俺様ルール」と言います。
このサイトには設立の趣旨も規約もあります。
あなたが、音楽などについて自分の「思い込み」をするのは自由ですが、
ここは大勢の人が利用している場所であり、
投稿態度について、あなた個人の思い込みによるルールを押し付けるのは見当違いでしょう。

あなたには論理性が全く欠如しており、
その場の思いつきだけで行動、発言するので、
言っていることとやっていることがちぐはぐです。
「間違っていても誰も困らない」なら、
仮に私のほかの質問者への回答が間違っていたとしても
放置しておけばよいではないですか。
それにもかかわらず、「間違っていたらどなたか訂正してください」などと書き、
いざ私が回答したら、「ポップスだから原則も何も必要ないと言っているような回答」だとして、
わざわざスレッドを立てて指摘したのがこれでしょう?
いかにも「責任感のある人」のような印象を与える行動ですが、
自分の回答には責任を負うつもりはないが、他人には責任を求めるということですか?

>私にとって「思い込み」=「仮説」なんですね。それを検証するために現代音楽のような質問をするわけですが、一部の自然科学系のカテゴリでは大変優秀な某回答者に毎回潰されてきました。

そうですか。ところで、「検証」とは何ですか?
これまでのスレッドを拝見している限り、
検証しようとする姿勢はうかがえません。
この質問だってそうですよ。
「CM7のコードでは、Cイオニアンは使えない」というのが、
あなたの思い込み=仮説ということでしょう?
私はすでに具体的に回答済みですし、
複数の資料も具体的に挙げています。
私の個人的な見解でも何でもなく、
複数の専門家の解説に共通して出ていることを紹介しただけの客観的なものです。
「検証」と言うのなら、私が書いたことに正面から向き合い、
具体的、論理的な「反証」を提示しなければ検証はできません。
しかし、未だに具体的な反証はうかがっていません。
答えに窮して行き詰まり、にもかかわらずそれを認めたくない人に限って、
必ず突然「ここは交流の場だ」というようなきれいごとを言って話をすり替えます。

>正解がある質問には大変優秀なのに、「答えのない質問」では、なぜかその回答者はご自身の思い込みで回答して、結果間違っていることが何度もありました。

その「某回答者」さんの回答はみな見ていますが、
ごく当たり前のことをおっしゃっているだけで、別に間違ってはいませんよ。
あなたは、「潰された」とか「リンチを受けた」とか再三書いていますが、
「仮説の検証」と言うからには、それと全く対立する考え方をぶつけてみて、
それに耐えられるだけの説得性のある説明ができるかどうかを試すべきでしょう。
そうしなければ、「思い込み」は「思い込み」のままで終わり、
仮説が定説に発展することもありません。
ですので、「検証」と言いながら、自分の考えと違う回答がついただけで「潰された」と言うのは、
論理的矛盾であり、意志が弱い証拠です。

それにしても、御自分の書いていることにどれだけ論理的矛盾があるかわかりませんか?
あなたにとって「思い込み=仮説」なんでしょう?
それなのに、ほかの回答者が「思い込みで回答」した場合は「別の仮説」ではなく、
単なる「質問者の立場を理解できない迷惑回答」ですか?
「質問者の立場」とは何ですか?
拝見している限り、自分の意見表明が主目的であり、
それに理解、賛同を示す回答だけを待っているように見えます。
そういうことなら、一種の釣り質問とみなされても仕方がありません。
「中高の音楽の授業」の質問でも、回答者たちへの対応は、
「交流」と言えるような態度ではないようです。
また、「答えのない質問」と書き出しておきながら、
「結果間違っている」と書いているのもつじつまが合いません。
あなた自身が「答えがない」と判断している質問なら、
寄せられた回答を「間違っている」と判断する基準はなかったということになります。

「言葉は不完全なもの」だとおっしゃいましたが、
不完全なのは言葉そのものではなく、
あなたの言語表現能力と論理的思考力です。
それに気が付かない限り、良い回答は得られませんし、交流もできません。
    • good
    • 0

コメントを拝見しましたが、私はあなたの質問の回答者としてはふさわしくないと思うので、これで最後にします。


ただこの質問は、あなた自身が、私のほかの質問者への回答を「間違っている」としてわざわざ立てたスレッドであることを忘れないでください。

>私は基本的には言葉というものを信用していなくて、不完全なものだと思っています。
>なので、よかれと思って質問したことがその言葉尻を取られ、回答者から集団リンチ的な扱いをつい最近受けました。

人の考えを言葉のみで完全に伝えることはできません。それはごく当たり前のことです。
だからこそ言葉と真摯に向き合い、できるだけ誤解のない表現をするように努力するものでしょう。
言葉による誤解は、最悪の場合は戦争の原因にさえなりかねないくらい深刻なものであることはお分かりのはずです。
直接会って話す場合と比べると、今やっているような文字だけによるやり取りの方がはるかに誤解の危険が大きいのです。
このようなサイトでトラブルが起きるとき、たいていは言葉の使い方の不適切さが原因になっています。
「信用していない」「不完全だ」ということを根拠に、熟考せずに言葉を使うことを正当化することはできません。
あなたが「言葉尻を取られた」としている質問の見当はついていますが、
あの質問文の表現では、そういう回答がついても仕方がないと思いました。
しかし、それが不愉快だったのならば、なぜ今回、私の回答を誤解した上で、
「間違っている」と指摘するような質問を立てたのでしょうか。
矛盾ではありませんか?
この質問文にも疑問を持たざるを得ないところがずいぶんあります。

>Cミクソリディアンならファ♯なので使えると回答したら

とありますが、先日のあなたの回答は、「Cリディアンだとファ♯になるので使えます」というものです。
「単純なミス」と言うかもしれませんが、自分で書いたことを確認していないということでもあり、
これを指摘することを「言葉尻を取った」とは言えないでしょう。
(ちなみに、「言葉尻を取る」ではなく、「言葉尻をとらえる」という表現が正しいです。)
そして、私の回答を特定した上での質問の中に、

>現代音楽をやっていると、協和音と不協和音の区別がつかなくなると思うんですね。

という表現をすれば、当然私個人への批判ととらえざるを得ないというのは理解できますか?
ジョン・ケージの質問も同様です。私はあくまでも善意にとらえて、
ケージの各創作期の特徴を書いたり、影響された思想やほかの作曲家への影響などを書いたりしていました。
あの時の回答者は、多少早とちりをなさることはありますが、決して悪い回答者ではありません。
「思い込みで回答してきた」、「質問者の立場を理解出来ない」とお書きになっていますが、
あの質問文の表現では、あのような回答が寄せられても文句は言えないというのが私の意見。
「言葉は不完全、信用しない」との理由で、自分の考えが十分伝わるような文章を書く意思がないのならば、
回答もそれに見合ったレベルのものしかつかないということです。

>私は素人なので、回答も間違っていて思い込みもありますが、コストをかけもしないでここで聞いていることから、回答に責任はありません。

この文章も不正確で、後半が何を言いたいのかはっきりわかりませんが、
つまり、ただで何かを教えてもらおうとなどという料簡で質問してくるような人に対しては、
特に責任感も持たずに適当な回答をしてもよいという意味でしょうか。
最近はどこのQ&Aサイトも、こういう考え方が標準となってしまっているので今さらどうしようもないかもしれませんが、
数年前までは、もっと真摯な質問、回答がありました。
質問者の中には、個人的な事情から、かなり専門的で正確な回答を必要としていて困っている人もいます。
そういう場合は、責任のない回答をするわけにはいかないでしょう。
しかし、Q&Aサイトはおしゃべりの場でしかないので、専門的な質問は出すな、
専門的な回答を読むのが鬱陶しいし、一般回答者の邪魔になるから投稿するな、
という雰囲気になってずいぶん時がたちます。
専門的な質問はほかでしろ、と言う人も多いですが、それならそういうことを聞けるところがあるかというと、簡単にはないのが現実です。
今回のきっかけになった質問の投稿者は、基本的なところが理解できていないため、
あまり専門的な回答をしても混乱するだけだと思って、途中から回答を保留していたのです。
そこへあなたが回答し、混乱した挙句に「間違っていたらどなたか訂正して下さい」と御自身でお書きになったのでしょう?
だから回答したのですが、御自身でそういうことを書きながら、
実際に訂正の回答を加えられてみると愉快ではなかったということですか。
その他のコメントに書かれていることも意味が分かりません。

>もちろんCM7のシからファは減5度なのでそういう進行はしなくて、

何の話でしょうか。今している話題と「減5度」は関係がありませんが。
「ファ」が不協和になるのは、CM7に含まれる「ミ」の音と半音で衝突するからです。

>間にレが入ればファでもファ♯でも聴感上違和感はありません。

「レ」はCM7のコードの構成音ではないので、「間にレが入れば・・・」という前提は成り立ちませんが。

>私は専門家とか評論家に成りたいと思ったことは1ミリもないので、

こういう表現も、あまり考えずに何となく書いてしまっているのかもしれませんが、
文字だけでのやり取りの場合、読み手の受け取り方次第では嫌味にしか聞こえなくなるものです。
    • good
    • 0

回答No.2の続きです。



教会旋法や長・短調のシステムについても誤解がたくさん。
長・短調のシステムは古典派で確立したというような回答がありましたが、
これは古典派ではありませんし、上流階級とも関係はありません。
用語も間違っていて、「旋律+伴奏」は「ホモフォニー」ではなく「モノディー」と呼びます。
最初に和音を伴わない単旋律の音楽(モノフォニー)があり、
その後「オルガヌム」のような2声で並行する音楽が現れます。
そして、3声の音楽が登場すると、「フォーブルドン」と呼ばれる中世の音楽で三和音の並行が使われるようになります。
三和音が登場すると、やがて、今われわれが言うトニカやドミナントといった「機能」が求められるようになります。
しかし、各種教会旋法を使っていると、それぞれの旋法で音階構造が違うため、
各音度上の和音の形体がみな異なってしまいます。
それで、半音の導音を伴うドミナントが明確なイオニアンが長調として適切ということになります。
長・短調のシステムの確立は長調が先導したのであり、短調はそれに合わせる形で体系化されたのです。
短調はエオリアンそのものではなく、第7音が半音上げられます。
これは、長調と同様の、ポピュラーでいう「ドミナント・モーション」が可能になるからです。
長・短調のシステムはルネサンス後期には確立されており、
バロックはもうほとんど長・短調のシステムです。
「旋律+伴奏」を意味する「モノディー」の様式もイタリアのアルス・ノヴァあたりから試みが始まり、
イタリア・バロックの作曲家モンテヴェルディでその頂点に達します。
ちなみに、「ホモフォニー」という語は、メロディーからバスまですべての声部が同じリズムで動く和声体を意味します。
曲種でいえば、バッハのコラールのようなものです。
バッハの宗教音楽なら、対位法的に複雑な部分は「ポリフォニー」、
コラールの部分は「ホモフォニー」、アリアやレシタティーヴォは「モノディー」と、
各種の様式が混合しています。

長・短調の語法の拡大の大きなきっかけの一つはやはりワーグナーです。
近代和声の語法については、印象派以降のフランスの作曲家ばかりに目が行きがちですが、
ワーグナー以降の調性技法は、ドイツ語圏とフランス語圏では少し違う方向で発展してきます。
教会旋法を使った作品は、クラシックでも後期ロマン派以降ならいくらでも用例はあります。
ただし間違ってはいけないのは、古い教会旋法の用法を基礎にしているのではなく、
あくまでも近代的な長・短調のシステムに基づく調性体系や機能和声の体系の中で応用発展させたということです。

ジャズの作曲語法というのは非常に高度に発達、洗練されてきたもので、
「耳のいい(?)」クラシックの聞き手が耐えられないというようなレベルの低い音楽ではないでしょう。
クラシックの作曲の理論書でも、近、現代の語法まで扱っているものならジャズやロックに割かれている章はあります。
現代のクラシックの作曲家はみなジャズなどを勉強していますし、
ジャズの一流ミュージシャンもクラシックはちゃんと勉強しています。
モード・ジャズの考案者たちも、近代のクラシックを勉強し、影響を受けたのです。
また、クラシックの分野でドビュッシーが軽視されているという事実もありません。
どちらかを悪く言うのは、それぞれのマニアだけです。

話しが大きく脱線してしまいましたが、仕方ありません。
「教会旋法は廃れたもの」、「現代音楽をやっている人は協和音と不協和音の区別もつかなくなる」、
「ケージの作品は残りそうにないので聞く価値がなさそう」、「モード・ジャズは・・・」、
というような先入観は、音楽の理解の妨げになるだけだと思います。
なお、こういった音楽に関する知識、情報の収集は、ネット検索やQ&Aサイトに頼るのではなく、
信頼できる書物や本格的な音楽百科事典にあたるのが本道です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私にとって「思い込み」=「仮説」なんですね。それを検証するために現代音楽のような質問をするわけですが、一部の自然科学系のカテゴリでは大変優秀な某回答者に毎回潰されてきました。
正解がある質問には大変優秀なのに、「答えのない質問」では、なぜかその回答者はご自身の思い込みで回答して、結果間違っていることが何度もありました。
その人にとってはリアルではつまらないので、ここで日がな一日質問者に相手をしてもらっているのでしょう。
以上のことからここは利用者の交流の場であり、お金がかからない以上、回答に責任は存在しないし、間違っていても誰も困りません。

お礼日時:2017/04/07 07:37

同じCM7でも、Gメジャーで使われる場合はサブドミナントになるので11thのF♯は使うことができます。


Cメジャーのファは主音ドの下属音になるので使えません。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!