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シリアってなんであんな国になったの?

A 回答 (4件)

4-5年前に 「アラブの春」っていう、市民革命的な動きが、アラブ諸国(アフリカ地中海側から、それこそ、チグリスユーフラテスって地域)にはやった。


うまくいったところもあるし、失敗したところもある。
その失敗がシリア。政権アサド対 反体派 の内戦的構図ですが、反体制派が一つにまとまって無くて(市民運動っちゃそうだから)、そこに付け入って、過激派のイスラム原理主義が割り込んだ。
さらに、トルコの反体制派(クルド人)が地続きだからってんで、割り込んだ(敵の敵は味方ぐらいの感覚?)
で、勢力的に4分割になった・・・・で、どれがどれか、ぐちゃくぐちゃ。 
ところが、とりあえず、イスラム過激派は時間の問題・・・位まで、抑え込んだけど、すると、元の政権対反体制派の対立がクローズアップ・・・・。
で、嘘か誠か アサドがあせって、反体制派に化学兵器使った。って言われてる。

どっちに転んでも、どの勢力も統治能力は無い。これが、問題。
で、政権側は、ロシアの後ろ盾(地中海の港の権益(軍港)が欲しい)。反体制派はアメリカ他が後ろ盾。
また、南北に分かれて、手打ちじゃない・・・・
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何であんな国になった。

と言う意図が、「何故、内戦になったのか。何故、内戦が泥沼になったのか。」なのか、「シリアと言う国は、何故ああなのだ」と言う意図で答えが変わると思います。


前者の場合は、

アラブの春と、アラブの春を許してしまった原因。その対処法の誤りかと思います。
アラブの春を許してしまった原因は、インターネットの普及ですが、何故インターネットを普及させてしまったかと言うと、アサド一族のおいしい利権が携帯電話やインターネットでした。アラブの春が起きる前から、通信システムの一般人の普及によって、それらのリスクが起こる事は、想像していました。それの抜本的対策は、北朝鮮のようにそもそも普及させないと言う事です。

しかし、利権がおいしいので、「普及させない」というその対策をしませんでした。


アラブの春以降の対処の誤りは、アサド政権は、ロシアのチェチェン問題の解決方法を参考にしました。しかし、大きな点に気づいていなかったのかもしれません。


ロシアとチェチェンは、ロシアが多数派なのに対し、アサド政権と反アサド勢力は、アサド政権は少数派です。敵対する勢力を徹底的に焦土化する事で、反旗を翻す能力と意思を挫くと言う対策は、多数派が少数派に行う事で効果が出ます。ロシアの成功例は、このような背景があるにも関わらず、アサド政権は、その背景を考慮しなかったのか、少数派が多数派を焦土化するという方法を取ってしまいました。


現在の内戦の泥沼は、それが大きいでしょう。
(原因は沢山あります。私の言ったものは側面の一つです。)







後者の場合は、シリアの歴史を見る事で答えが出せるかもしれません。
良いサイトを紹介します。


https://www.youtube.com/playlist?list=PLRaNqHpjz …

*
内藤陽介氏は、郵便学者ですが、中東にも精通する方です。

シリア問題に関しては、池内恵氏の本も参考になります。
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以前は独裁国家として、それなりに


安定していたのです。

そこへ「アラブの春」が押し寄せました。

欧米みたいに民主化すれば、欧米のように豊かに
なれるだろう、とアラブ全土に民主化の嵐が吹き荒れ
独裁者を倒す、という運動が発生しました。

この運動はチュジニアから始まり、エジプト、リビア、
イエメン、そしてシリアに広がりました。

それでシリアでは、政府軍と反政府軍が争うことに
なりました。

そこへ、イラク崩壊で誕生したイスラム国が
介入し、永年独立運動をしてきたクルドも加わり
4つ巴の争いになったわけです。

この紛争が長期間にわたり、難民が大量発生して
現在に至ります。

紛争が長引いているのは、ロシアが政府軍を
欧米が反政府軍を支援しているからです。
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アサドは英国留学経験者、頭が良いが冷酷

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