印象派の巨匠・モネについて知りたいのですが、
「モネは第7回印象派展への出品を最後に、印象派グループから離れた」
と聞きました。印象派をリードしてきたモネが、なぜ、印象派グループから離れたのでしょうか。ご存じの方、教えて下さい。

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A 回答 (2件)

初めに断っておきますと、hiiragi24さんの「モネは第7回印象派展への出品を最後に、印象派グループから離れた」という表現は少し事実とは異なります。


いわゆる「印象派」展は、全部で計8回行われており、もちろんモネはその中心人物ではありましたが、その時々の画家の都合、或いは画家同士の間の軋轢によって、出品画家の顔ぶれは展覧会毎に異なっています。

モネは、第1回展(1874年)、第2回展(1876年)、第3回展(1877年)、第4回展(1879年)、第7回展(1882年)、の計5回のみ出品しており、第5回展(1880年)と第6回展(1881年)は出品をキャンセルしています。
モネが第5回展をキャンセルした理由は、一般的に展覧会名の意見の不一致であったと言われています。この時の展覧会の名前は、ポスターには「アンデパンダンの画家グループ」と記され、カタログには「(出品画家名)による第5回絵画」展と異なった表記がなされていました。また、この展覧会には、セザンヌ、ルノワール、シスレーなどの代表的な画家もモネ同様作品を出品せず、出品者はドガ、ピサロ、ゴーギャン(初期作品です)などレアリスム的傾向の強い画家で占められており、いわゆる「印象派」展とは趣を異にしていました。
この時期は、「印象派」分裂の最大の危機であり、同時に「印象派」展もまた消滅の事態に瀕していたわけです。
第6回展は、ドガの強硬な姿勢によって開催されましたが、第5回展の名称「アンデパンダンの画家グループ」を考案したドガと、他の画家との軋轢がさらに表面化し、第5回展をキャンセルした画家たちがまたもや出品を見送っています。
「印象派」の画家たちが再び顔を揃えるのは第7回展の時ですが、第8回展(1886年)には、新印象主義を標榜するスーラとシニャックを加えるかどうかで意見が分かれ、結果的にこれが最後の「印象派」展になってしまったのです。

つまり、「印象派」は一般的に一つのグループとして捉えられていますが、実際は強固な主義主張を持った堅固な団体ではなく、非常に緩やかな個人の集まりであったわけです。
そして「印象派」展も個々の画家にとって見れば、新しい美術を発表する一つの機会であったにすぎず、悪く言ってしまえば、サロンに出品できない画家たちがお互いに資金を出し合い、作品の発表の会場を共有する場でしかなかったのです。(もちろん、個々の画家同士、例えばモネとピサロ、モネとルノワールなどは個人的に非常に仲が良かったですし、一緒にスケッチ旅行などに出かけたりもしています)

したがって、モネが第7回展以降に出品しなかったのは、上記のような「印象派」或いは「印象派」展特有の性格が背景にあったと言えると思います。さらに、印象派の画家たちには、デュラン・リュエルという画商の強力なバックアップがあったことも付け加えておかなければなりません。
事実、モネを初め多くの「印象派」の画家が、第7回展後の1883年にこの画廊で個展を開催しており、もはや「印象派」展として共同して展覧会を行う意義が薄れてきてしまったことも、モネの離脱の理由の一つとして考えられます。

こうした様々な原因が複合した結果、モネは「印象派」という集まりから離れていったのだと思います。
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この回答へのお礼

kunstさん。ご丁寧な回答をいただき、恐縮しています。大変、参考になりました。これから、モネや印象派のことを少しずつ、勉強していきたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/03 22:06

現在日経新聞日曜版がモネの特集を連載しており、次回当たりに(7月8日)、ご質問の回答が載るはずです。



またテレビ東京系で土曜日に「美の巨匠たち」として放映しています。
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この回答へのお礼

orimotoさん、こんにちは。日経の日曜版、楽しく読んでいます。次回も楽しみですね。ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/03 22:08

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Q川村美術館の「睡蓮」(モネ)

現在、川村美術館にモネの「睡蓮」が展示されているようですが、何年作の「睡蓮」かご存じの方、教えてくださいませんでしょうか?
また、はなはだ失礼な質問かもしれませんが、真作でしょうか?

Aベストアンサー

http://www.dic.co.jp/museum/collection/collection.html
ついでにホームページもじっくりご覧下さい。初めていきますか?
遠方でなければドライブがてらでいくのもオススメ(特に平日)です。土日祝日ですと、来る方向によってはそばを通るR51,そこまでのアクセスではまる可能性は高いです。
あと、JR佐倉・京成佐倉駅から無料の送迎バスがでています(HP参照)
それと、土日祝だと、中で食事しようとするとレストランでハマル(キャパが小さい)はずです。では。

Qグループ展で質問ですが・・・。

来年あたりにグループ展をやりたいのですが、今のところ2人でやろうかと思います。20号サイズを各人、3点程展示したいのです。
まずは、安く上げたいのと広告費と来展してもらうのに知人等々、あります。グループ展のテーマとか統一したほうが、良いですよね。公共施設などを利用したら安く上がるでしょうか?後、広告などは、地方新聞とかに載せようと考えてるのですが、安くしたいので他にも方法があると思うので宜しければ、アドバイスをお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。丁寧に教えていただきありがとうございました。
住所を見せていただきましたが、あまりギャラリーとかはないところなのですよね。(よくわからないのですが)
近隣市町村の方が来られるということから、やはり地元の新聞に取材をお願いするのが一番だと思います。もちろんそのためには、しっかりと2人展の魅力などをアピールされないと駄目ですが。(取材に来られても、紙面の関係で載らない場合もあります)
相手の方が、商工会議所の青年部ということですが、そういう関係で使えそうな場所などがありますでしょうか。公共施設の利用でも申請をすると使用料が免除になることがあります。
お2人が具象と抽象でわかれているのは、見に来られる方にはいいと思いました。
大学等で勉強されたことはないとの事ですが、先生に師事して中央で活躍していく作家になる人たちもたくさんいますので、あまり気にされることはないのでしょうか。
しかし、書かれている通り、この世界もまったくの実力かというと難しいところがあります。先生同士の力関係もありますし、先生に上手にできる人はやはり進むのが早かったり…。このような事をいうと夢がなくなってしまう気がしますが、もともと美術作品を見ての感想というのは人それぞれ故ですね。
中央の団体展に出品されたり、たくさんの作家の作品の横にあるご自身の作品を見ることは大変勉強になります。しかし、大きな団体の中には、作家の独自性を否定したり、動きを縛るところもあります。(団体に評価されたいと思う故に、自分のスタイルを捨てて、評価される絵を描くようになってしまったり)
何を書いているのか、わからなくなってしまいごめんなさい。
絵を描くのが好きというのが一番大事ですよね。
初めての2人展ということで頑張ってください。お2人でいろいろと準備されるのは大変でしょうが、充実感が得られると思います。

こんにちは。丁寧に教えていただきありがとうございました。
住所を見せていただきましたが、あまりギャラリーとかはないところなのですよね。(よくわからないのですが)
近隣市町村の方が来られるということから、やはり地元の新聞に取材をお願いするのが一番だと思います。もちろんそのためには、しっかりと2人展の魅力などをアピールされないと駄目ですが。(取材に来られても、紙面の関係で載らない場合もあります)
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Qモネの「睡蓮」の構成について

印象派の画家の一人であるモネの、「睡蓮」の構成を調べていて、図書館やインターネットで資料を探しているのですが、どうしても見つける事ができません。もし、インターネットや本でご存知の方がいらっしゃったら、教えてくださいませんか?
よろしくお願いします!!

Aベストアンサー

クロード・モネは「睡蓮」というタイトルで何種類も描いているので、画集を探してみてはどうでしょうか?

クロード・モネの日本語wikipediaにも2枚あります
http://ja.wikipedia.org/wiki/クロード・モネ

国立西洋美術館の常設展示にある「睡蓮」
http://www.nmwa.go.jp/jp/pictures/1959-0151.html

the WebMuseum, Pariより3枚
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/monet/waterlilies/

Q印象派って・・・

音楽における印象派の特徴って何でしょうか?
音楽の印象派はもともと美術の印象派が元になっていると聞いたのですが音楽の印象派と美術の印象派の関係についても教えて下さい。

Aベストアンサー

美術の「印象派」は、♯2さんのとおりです。マネに始まり、モネなど主にフランスの「外光派画家」によって展開されました。時代は1860~80年代です。

音楽はというと、常に美術に遅れをとってきました。バロックも、ロココも、古典派も、ロマン派も、印象派も、シュールレアリスムも・・・です。

音楽でも、美術と同じく、1887年、アカデミーからドビュッシーの『春』が「音彩を気にかけるあまり、デッサンと形態の明確さが大切であることを忘れた」と非難されています。
あまつさえ、「芸術作品における真実を害する最も危険な敵のひとつである、茫漠とした「印象主義」を警戒するように」注意されています。

これは、明らかに、音楽上の印象派を美術のそれと同類に見ていますし、その特色を「色彩の偏重」「形式の欠如」とし、また、それをアカデミーは「芸術に害毒のあるものとみなして」います。

そういう点では、音楽と美術の印象派は、性格としても似ており、アカデミーは明らかに美術の「印象派」を意識して非難していますね。

音楽の「印象派」は、今では「印象主義」と呼ぶことが多いですが、大体19世紀末~20世紀初頭に、フランスで興り、主にドビュッシーによって展開されました。

特徴は、わかりやすくいえば「象徴主義」的です。ほとんどが、文芸的表題を持ち、それを描写する音型を持っているけれども、それらは決して直接に出てくることはなく、暗示的で、感覚的な純粋さを持っています。
ドビュッシーの場合だとより明らかで、その世界は、光と影、繊細なきらめき、匂い、漂い、それらが醸し出す繊細な雰囲気などへの陶酔であり、量的・力的な造形性ではないのです。

硬い文章でごめんなさい。
こんなもんでよろしかったでしょうか。

美術の「印象派」は、♯2さんのとおりです。マネに始まり、モネなど主にフランスの「外光派画家」によって展開されました。時代は1860~80年代です。

音楽はというと、常に美術に遅れをとってきました。バロックも、ロココも、古典派も、ロマン派も、印象派も、シュールレアリスムも・・・です。

音楽でも、美術と同じく、1887年、アカデミーからドビュッシーの『春』が「音彩を気にかけるあまり、デッサンと形態の明確さが大切であることを忘れた」と非難されています。
あまつさえ、「芸術作品...続きを読む

Q国立西洋美術館のモネの睡蓮

この作品は晩年の作らしいのですが、睡蓮の葉が連作の初期のころに比べて異常に朝兄の彩りが強く、補色の限度を超えているように、素人の感覚では覚えます。晩年白内障を患ったそうですが、そのせいか、または光をより強く表現したのでしょうか、それとも象徴主義の影響が彼にも出始めていたのでしょうか。この作の名画たる所以をご教示下さい

Aベストアンサー

 私は「名画たる所以」などを論じられる通ではないので、素人のつぶやきです。

 モネは、同じモチーフを連作として創作することが多く、「睡蓮」もその一つですね。
 パリのマルモッタン美術館で、睡蓮の連作を何十点か見て圧倒されました。おそらく、季節、天候や時間で同じものが時々刻々違って見えることに対して、その瞬間をどう表現するか、できるか、ということに挑戦し続けた、ということなのだと思います。「名画」とか、高い芸術性を追い求めたというよりは、「職人」の意地・執念のようなものを感じました。単なる素人の思い込みですが。

 一連の連作を見ていると、確かに最晩年の1920年ごろ以降の「睡蓮」は、ボーっとして、「へたくそ」「手抜き」のように見えました。それが視力の低下、ほとんど見えなくなっても描き続けたせい、と知って、逆に胸を締め付けられる思いがしました。「職人」と感じたのは、そんな理由もあります。(解説書などには、「抽象画に近づいた」などと肯定的・芸術論的な書き方がされていますが、そんなものではないような気がしています)

 同じパリのオランジュリー美術館には、巨大な360°の「睡蓮」に囲まれるモネの部屋があります。最晩年の睡蓮のようです。モネは、この絵を死の年まで描き続け、死後に寄贈する条件として、自然光のもとに展示することを要求したそうです。そんなところにも「光」や「色」にこだわる「職人」を感じます。

 私は「名画たる所以」などを論じられる通ではないので、素人のつぶやきです。

 モネは、同じモチーフを連作として創作することが多く、「睡蓮」もその一つですね。
 パリのマルモッタン美術館で、睡蓮の連作を何十点か見て圧倒されました。おそらく、季節、天候や時間で同じものが時々刻々違って見えることに対して、その瞬間をどう表現するか、できるか、ということに挑戦し続けた、ということなのだと思います。「名画」とか、高い芸術性を追い求めたというよりは、「職人」の意地・執念のようなものを感じ...続きを読む

Q浮世絵と印象派画家で卒論?

卒論を書くのはまだ先の話なのですが…
日本文化で卒論を書こうと思っているのですが私は印象派画家が好きなのでその印象派画家に影響を与えたという浮世絵を絡めて卒論を書けないかな、と思いました

そもそも卒論のことをあまり詳しく知らなくて…
このような題材でも卒論は書けるでしょうか?

Aベストアンサー

ええっ?それはその大学のあなたがいる学部の教授に聞かないとわかんないのでは?
そりゃ書けることは書けるでしょうけど・・・。それを卒論として認めてくれるかは教授の判断ですからね。

浮世絵と印象派絵画なら、共通する部分や時代や文化の影響を検証して、自分の考えなども織り込めばおもしろい論文は書けると思います。

Qクロード・モネ

印象派の巨匠,クロード・モネは晩年「睡蓮」の名作を多く残していますが,

彼をして,なぜ睡蓮を魅了にさせたのでしょうか。睡蓮だけで200点以上とも聞きますが,

実際には何点有るのでしょうか。

Aベストアンサー

私見です。

彼はなぜ睡蓮に魅了されたのか。

先ほどネット上を眺めてみたところ、こんな文章にたどり着きました。参考URLをご覧下さい。
……ここに書いてあることにちゃんとした根拠があると見なすのであれば、モネにとって睡蓮はそもそもジヴェルニーの庭の、いわばガーデニングの一翼を担うだけの存在だったようですね。睡蓮は水生植物としてはポピュラーなものだったと思いますから、池に睡蓮が用いられたこと自体はそれほど特筆すべきことでもなかったでしょう。

なぜ睡蓮を描き続けたのか。

睡蓮が「水生植物であること」は理由の一つにあげられると思いますね。
モネは印象派、彼の残された作品からして「水」が好きですよね。水はまさに一瞬の光の素材です。晴天の時には空を映して青いし、雲も映るし、曇天の時は澱むし、風が吹けば漣も立ちます。千変万化のモデルです。飽きずに取り組むことが出来る理由でしょう。

そこに睡蓮。睡蓮自体は「好きだから」以上に理由をつけにくいとは思うのですが、あえてこじつけて何点か。わたしは園芸の方面をよく知らないのですけれど、水生植物の中では睡蓮て華やかですよね。一番華やかと言ってもいいくらい?他に蓮とホテイアオイくらいしか思いつかないのですが、まあ華やかな方であることは間違いないでしょう。=色のポイントとして良い役どころ。

色合いも、まあ言うたらモネ的だと思いますね。当時のフランスにどんな品種の睡蓮が流通していたのかはわかりませんが、白やピンクが主だと思います。べったり原色!というような絵はあまり描かない画家でしたし、ニュアンスのある淡い色あいはお好みに合ったのではないでしょうか。

そして、睡蓮の絵が多いことについて、

晩年に取り組んだ画題だということもあるでしょう。えー、最初の「睡蓮」を発表したのが御年60才前後だったようです。若い頃のように、遠くに行って写生をしよう!とはあまり思わなくなっていたでしょうね。わざわざ行かずとも自分の庭をピクチャレスクに作っていたわけですし。=探究心は睡蓮に向かう。

実際には何点あるのでしょうか。

「200点以上」「236点」というのがネットで拾った数字でした。#1の方の挙げられたURLでは250点ですか。
モネの研究者なら正確に掴んでいる、という可能性はありますが、何点と言い切りにくい側面はあるのではないかと思います。未完の作品や習作もないとは言えないと思うし……。250点内外程度でオマケしておいて下さい。

今回ネット上で睡蓮(植物の方)の画像を沢山見ましたが、きれいな花ですねえ。清々しい気分になりました。何だか得したような。
質問者さまも、これを機会に睡蓮の写真を渉猟してみてください(^o^)。きっと良い気分。

長文ご容赦。

参考URL:http://meigakan.fc2web.com/mone.htm

私見です。

彼はなぜ睡蓮に魅了されたのか。

先ほどネット上を眺めてみたところ、こんな文章にたどり着きました。参考URLをご覧下さい。
……ここに書いてあることにちゃんとした根拠があると見なすのであれば、モネにとって睡蓮はそもそもジヴェルニーの庭の、いわばガーデニングの一翼を担うだけの存在だったようですね。睡蓮は水生植物としてはポピュラーなものだったと思いますから、池に睡蓮が用いられたこと自体はそれほど特筆すべきことでもなかったでしょう。

なぜ睡蓮を描き続けたのか。

...続きを読む

Q印象派、、、

私の弟は
友達の事を、「彼は印象派だから、、、」
と冗談をいっていました。


小中学生の頃、教科書でよく、「印象派」だとか、~派だとか
出てきていましたが、
印象派とはどの分野の言葉でしょうか。
そして、どんなものをいうのでしょうか?

他にも~派の種類を知っていたら、どんなのがあるか
教えてもらえませんか?

Aベストアンサー

おちゃめな弟さんですね。そんな風に言われるお友達、ただものでは
ないかもしれません。
印象派という言い方自体は、美術界から出ているものだ。と思われます
ただ文芸や音楽と美術の関わりは深いので、同じように印象主義である
音楽家(ドビュッシー...絵画にインスピレーションを受けたというけど
どっちが先か?覚えてません)というのも存在しますです。

なんとか派ってそもそも、流派とか派閥の派と考えていただいて、そうすると
基本が何かしらあって枝葉がわかれるはずですよね。(家元ね...)
その基本ってのがアカデミズム(伝統)写実的絵画。印象派以前も、ぼちぼち
と革新的な絵画は出ておりましたが、写実的絵画が主流で、それが
絵描きの仕事よ腕よみたいな節がございました。ルネッサンスからもう、趣味は
可愛くなったりファンタジックだったり色々でしたが、根本は常に写実。

でも19世紀前半、日本でも有名なイギリスの水彩画家ターナーたちの
(自然主義ってよばれます)風景画、朝焼けに真っ赤に燃える水面だったり
月の光だったり...そこから絵画の楽しい時期が始まります。
印象派の派たる所以は中心人物モネの存在でしょう。
睡蓮のシリーズ、いちどはご覧になった事があるでしょう?
自然を観察し、その印象を素早く画面に写し取る。
それは森(はじまりはフォンテーヌブローという森だって。)
の木漏れ日を捕らえる事、風を感じることから始まります。
さらにその動きに拍車をかけたのが、絵具の進化。
いつもはえっちらおっちら粉から練って、室内でしか描けなかった
油絵を、携帯できるようになってきたのです!
はじめは袋のようなものに入れてたようですが、やがて
チューブも出てきます!!もう、そりゃ外に出て描きたいわ!!

そんな衝動を持って自由にそとの空気にふれた絵描きは、
その清清しい空気や太陽のあったかさや、目に飛び込む激しい色の衝撃を
キャンバスに表現したくなるのです。
形より感覚...印象をそのまま描く...それだけではなく、そのプロセスを
科学的にも分析して、色や構図が人の視覚にどう訴えるかまでを考え
実践した一派、それが印象派です。革新的絵画。とても書き切れない...。
(いっぱい出てるモネに関する本を読んでみてください。ぜひ。)

他のナニ派を知りたいということでしたら、
バルビゾン派(ロマン主義的なぁ)ラファエル前派(象徴主義)ナビ派あたり
ちょっと頭の片隅においといていただくと、印象主義→後期印象主義までの
ぐちゃっとした感じが理解できると思います。そのあとはもう、ぐちゃぐちゃに
現代美術に突入なのですから。ま、という事は印象派がなかったら現代美術
は今みたいに自由じゃなかった!のかもって。(と私は解釈してます。)

おちゃめな弟さんですね。そんな風に言われるお友達、ただものでは
ないかもしれません。
印象派という言い方自体は、美術界から出ているものだ。と思われます
ただ文芸や音楽と美術の関わりは深いので、同じように印象主義である
音楽家(ドビュッシー...絵画にインスピレーションを受けたというけど
どっちが先か?覚えてません)というのも存在しますです。

なんとか派ってそもそも、流派とか派閥の派と考えていただいて、そうすると
基本が何かしらあって枝葉がわかれるはずですよね。(家元ね...)
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Q道庁の池はモネのパクリでしょうか

へんな質問ですがよろしくおねがいします。

道庁赤煉瓦庁舎の前の庭の池は夏になると睡蓮の花が見事です。よく見ると池に架かる橋のかたち、その下に咲く睡蓮の花、長い枝を垂らした柳の風情など、クロード・モネの描いた睡蓮の池にそっくりです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Claude_Monet-Waterlilies.jpg

モネは睡蓮の池の絵を、ジヴェルニーの自宅の庭で描いたのだそうですが、道庁の池はモネの庭を意図的にコピーして造られたものなのでしょうか?

重要文化財の赤煉瓦庁舎完成は明治21年、モネが自宅の庭に池を造ったのが明治26年。ほぼ同時なので、もし道庁の池が庁舎と同時に完成したものだとすれば、2つの池は他人のそら似ということになるんでしょうが。

Aベストアンサー

No1です。
モネのと関係についてとは別にして、昭和初期から第2次大戦後までグランドホテルの北隣りに住んでいた母の話では、大戦中は極端な食料不足であったため、道庁の庭は一面芋やにんじんなどの野菜畑となっていたそうです。大通り公園も一面野菜畑になって市民総出で畑を耕していたとのこと、本格的な造園開始は市内中心部から真駒内へ米軍が移動した昭和20年代半ばからではないか?と言っておりました。
当時、米軍進駐開始当初はグランドホテルや三越は高級将校の宿舎として徴用されていたとのことですよ。

私の個人的な感想としては、札幌の史跡としては明治時代の洋館が多い(道庁をはじめ豊平館、知事公館、旧伊藤低、現札幌史料館、北1条教会など)のでその庭園もどちらかというと洋風になりがちなのではないかとは解釈しております。

Qジャポニズムと印象派について

高校の卒業課題研究で、浮世絵などの日本の文化が印象派の画家に与えた影響について調べたいと思っています。
去年とある展覧会でルノワールの作品にはまったのがきっかけで印象派に興味を抱くようになり、印象派と浮世絵について知りたいと思ったからです。

1年間かけてまとめるものなのですが、浮世絵やや印象派の本を読んでもジャポニズムについての情報が少なくて、1年間調べ続けられるテーマなのか、不安になってきました。

こういうことを調べるといいなど、皆様の意見をお願いします。

分かりづらかったらすいません。

Aベストアンサー

 ゴッホやモネの作品には、浮世絵そのものを描いたものがたくさんあります。
 そういったものを取り上げて、「直接」の関係を論じたり、その影響が「間接的」にどんな作品に反映されているかなど、調べてみれば面白そうなことはたくさんあると思います。

 高校の卒業課題であれば、大学の卒業論文と違い、オリジナル性や新規性は要求されないと思いますので、すでにいろいろと論じられている事柄を、自分なりに調べて、解釈して、整理して、何らかの考察や評価をしてみることでよいのではないでしょうか。オリジナルの見解や着眼点があれば、さらに素晴らしいと思います。
 ご自分の目と感性で、想像力たくましく、いろいろと調べてみてください。

ゴッホ「タンギー爺さん」
http://matome.naver.jp/odai/2136535483369552501

ゴッホ「花魁(おいらん)」
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gogh_figure.html

ゴッホ「梅の花」
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gogh_prunier.html

ゴッホ「雨の大橋」
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/gogh_sluie.html

モネ「ラ・ジャポネーズ」
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/monet_japonaise.html

マネ「エミール・ゾラの肖像」(背景にある壁の絵に注目)
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/manet_zola.html


 ちょっと変わったところでは、「印象派」の作曲家ドビュッシーの作曲した「交響詩『海』」の楽譜の表紙:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7_(%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC)

 ゴッホやモネの作品には、浮世絵そのものを描いたものがたくさんあります。
 そういったものを取り上げて、「直接」の関係を論じたり、その影響が「間接的」にどんな作品に反映されているかなど、調べてみれば面白そうなことはたくさんあると思います。

 高校の卒業課題であれば、大学の卒業論文と違い、オリジナル性や新規性は要求されないと思いますので、すでにいろいろと論じられている事柄を、自分なりに調べて、解釈して、整理して、何らかの考察や評価をしてみることでよいのではないでしょうか。オリ...続きを読む


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