パキスタン北部パシュン人のバラモン
ヒトラー関連みたいです。
解る方、詳しく お願いします。

A 回答 (1件)


なに言ってんの?
自分でも解らない事はもう少し詳しく
解らない事を解らないと書かないと他の人には解りませんよ

パシュトゥーン人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%B7 …
ほいでグーグルさんでパシュトン人と検索したら
ユダヤと付きます。
一部ではユダヤ人=パシュトン人の同祖論が有名ですが
学術的にでは無く陰謀論に近いロマン的な話題です
そういった陰謀論的エッセンスでヒトラーと結びつくのでしょう
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ググッてみます。

お礼日時:2017/04/18 12:22

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Q考古学に詳しい方お願いします

はじめまして。25歳の子持ちの主婦です。
昨日から受験に関する質問をさせていただいております。

 来月史学科考古学専攻を受験します。(ちなみに他大学の史学科日本史専攻既卒です) 志望書提出・面接にあたり下記のことで悩んでいます。。
 
●文献資料のある歴史分野と考古学分野の関係について、あなたがどうお考えなのか、ご教示ください。

 →私が今までやってきたことは『日本書紀』『続日本紀』と遺物を突き合わせた研究でした。考古よりの古代史とでもいうのでしょうか??それと純粋な考古学(?)の違いがイマイチよくわかりません。

●なぜ「フィールドワークを重視」することを重視するのか?

詳しい方がいましたら是非ご意見おねがいしたいです
 
 

Aベストアンサー

 何度か質問をされているようですが、社会人枠での受験の面接のようですね。
 この場合の面接というものがどのような目的で行われるかが、また受験における比重も定かではないので何とも言えないのですが、面接が受験生の人となりをみるものであるならば、他人からの借り物の言葉ではなくご本人自らの思いを伝える方がいいのかな、とも思います。
 その上で一般的なお話をさせていただきます。

●文献史学と考古学について
 「考古学は、歴史学の補助学」と言われたこともありましたが、現在では歴史学の一分野(手法)として考古学や文献史学、地質学、理化学などがあるというのが学界的な認識であると思っています。
 考古学の重要性としてよく取り上げられるのが「告朔」です。告朔とは毎月1日に朝廷で行われていた月例事務報告だと言われていますが、日本書紀での最古の記録が676年のこととされます。これはこの時に雨のために中止になったために記録されたのです。
 記録というは概して「その当時にはあたりまえのこと」は記録されにくく、「なにか異常・特異なこと」であった場合に記録に残りやすいのです。
 くわえて「絶対客観的な歴史書」というものは存在しません。編著者の歴史観や立場、思想、歴史書の編纂を命じた政体やその時の政情などにより歴史的事実にフィルターがかかってしまうのです。
 その点、考古学で発見される遺構・遺物についてはこうしたものが入り込みにくく生の資料として見つかることが多いことから重視されることもあります。
 奈良・長屋王邸の発掘調査でみつかった「長屋親王」の木簡なども正史からでは確定できなかったものでしょう。
 このように考古学と文献史学は対等な関係であり、双方の情報をつき合わせて歴史を解明していくものだと思います。
 『日本歴史考古学を学ぶ』という一般向けの図書がありますのでこれを読まれると私の説明よりもはるかによく理解していただけると思います。

●フィールドワーク重視について
 考古学が対象とする遺跡・遺物の多くが「生活痕跡」です。従って現地での地理が重要になります。
 むろん地形図を読めばわかりますし、開発されて地形が残っていない場合もありますが、現地に立ってみることが重要であることは間違いありません。
 例えば縄文時代中期の集落は、目立つ山が見えるところにあるとも言われます。これなどは現地に立たなければわからないことでしょう。
 また、古墳なども図面で見るよりも現地で見た時の感じとはかなり異なると思います。
 いずれにせよ遺跡とはなんらかの理由によりその場所を選んだ結果であり、その環境が選地の理由であること少なくありませんし、またその地形によって制約も受けるものです。
 このようなことからフィールドワークが重視されるということになります。
 言葉ではなかなか伝えにくいものですが、実際に遺跡のある場所に行ってみるとよく実感できると思います。

●蛇足
 No1の方の回答は、間違ってはいませんが正しくもありません。
 確かに日本の考古学は基本的には「物」と「遺構」から研究する学問です。それは日本では考古資料としての文字資料が7世紀以降にならないとほとんど出土しないためです。
 また、「発見されないこと」が「存在しないから発見されない」のか「遺物・遺構として残っていないから発見されない」のかということは日本考古学では一般的に認識されていることであると思います。
 それに「小さなモノ(単純なモノ)から大きなモノ(複雑なモノ)へ年代順に発展していく」という「発達主義史観」が考古学研究の妨げになっていると批判する研究者もいますから少なくともNo1の回答にあるような「ある偉大な文明がある日突然生まれたことになる」などとは考えられてはいません。
 考古学では「物」と「遺構」から歴史を研究する学問であるため、精神文化に関する部分には言及しにくいということは確かです。考古資料から精神文化を復原しようとすると「類推」が多くなりすぎ単なる「想像」になり、学問的でなくなってしまう可能性があるからです。

 何度か質問をされているようですが、社会人枠での受験の面接のようですね。
 この場合の面接というものがどのような目的で行われるかが、また受験における比重も定かではないので何とも言えないのですが、面接が受験生の人となりをみるものであるならば、他人からの借り物の言葉ではなくご本人自らの思いを伝える方がいいのかな、とも思います。
 その上で一般的なお話をさせていただきます。

●文献史学と考古学について
 「考古学は、歴史学の補助学」と言われたこともありましたが、現在では歴史学の...続きを読む

Qヒッタイト関連資料

ヒッタイトに関連する書籍、論文を探しています。
ほとんど趣味なので、お暇な方、ご存じな方お願いします。

出来れば、通史的なものか、
BC1000年前後について詳しいものだとありがたいですが、
手当たり次第に当たりたいと思っていますので、
どんな些細な情報でも構いません。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんなページが検索されました。
参考にして下さい。

○http://www1.kcn.ne.jp/~a7627/kod5.htm
○http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-30.html
○http://www.mmjp.or.jp/jst/index/jst03490.htm

以上、「ヒッタイト」と検索すると、た~くさんヒットします。

Q言葉の起源に関連して

言葉の起源は、難しいようです。
言語学の方では、あまり扱わないようで、
こちらで質問させていただきます。

昔、教科書に
原始人?が道具を使用してマンモスを集団で狩りする絵を見ましたが、
集団が機能するためには、
言葉(発話)は、必要不可欠だったのでしょうか?
また、道具を作るためには、言葉(発話以前?)は不要でしょうか?
洞窟の壁画が遺跡として残っていますが、
言葉(発話)と絵は、どちらが先でしょう?

私としては、道具→言葉(発話)→絵→文字の順かなと想像しますが。
言葉の定義がそもそも難しいですが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 質問から推測すると、fishbowl66さんは言葉を「コミュニケーション手段」と定義していらっしゃるようなので、これを前提にしてお答えします。なお言葉(言語)の歴史は手がかりが非常に少なく、どうしても未開人の言語や成長過程にある幼児の言葉から推測せざるをえないこと、そしてあくまでもこれは私個人の考えであることをあらかじめご理解ください。

 まず「集団が機能するために言葉(発話)は必要不可欠か?」という疑問ですが、必要不可欠ではないが集団行動によって言語は発達すると考えた方がよいでしょう。これは言語が未発達な幼児が簡単な集団行動をとることからも推測できます。つまりこの疑問には「集団行動に際して言葉は必要不可欠ではないが、集団行動は言葉の発達を促しそれによって集団行動も高度化するという相互関係である」と言えます。

 次に「道具を作るために言葉(発話以前?)は不要か?」という疑問について。単に道具を作るだけなら言葉は不要ですが、特別な工法や技術によって作り出される道具に関しては、その製法を伝え集団で普及させるためには他者とのコミュニケーションが重要です。ですから「道具を作るためには必ずしも言葉が必要とはいえないが、道具が発達するためには言葉が必要である」と考えられます。

 「言葉(発話)と絵はどちらが先か?」という疑問について考えると、絵を描くために言葉は必要ありませんから「言葉よりも絵が先に生まれたと推測される」といえます。しかし絵というのは単に線を引いて対象物を描けばいいというものではなく、例えばマンモスを描いても他人がそれをマンモスと理解しなければ単なる線にすぎません。古代の壁画には記号としての「動物」や「人」が描かれていることから、絵が発達する過程で記号を共有するために言葉が必要であったと考えられます。

 疑問への答えが「~だが、~と考えると~といえる」といったようにはっきりしないのは、「生まれた」という定義を「誕生した」とするのか、それとも「実用レベルになった」ことを指すのかによって考え方が変わるからです。また、言葉や道具、絵や集団活動が単独で発達したはずはなく、それぞれが影響し合っているだろうと推測されますから「必要かどうか」「どういった順番で生まれたか」というのは簡単に答えを出せないのです。

 言語の起源について言語学で扱いかねているのも、これは文化人類学の領域であり、さまざまな要因が複雑にからみあっているからでしょう。こう考えると、まずは「言葉」「生まれる」「道具」「集団行動」「絵」というそれぞれの言葉をきちんと定義することが重要であり、それを基に推測を重ねるしかないと思います。そしてそれが古代について考えることの醍醐味ではないでしょうか。

 最後に某巨大掲示板で現在進行しているスレッドのまとめサイトを紹介します。これは突然現れた原始人にどうやって文明を教えるかというスレッドで、文化人類学や社会学、哲学や宗教などさまざまな学問を網羅する壮大な思考プロジェクトに変化しつつあります。ご参考にどうぞ。

参考URL:http://www2.atwiki.jp/rokurei60/

 質問から推測すると、fishbowl66さんは言葉を「コミュニケーション手段」と定義していらっしゃるようなので、これを前提にしてお答えします。なお言葉(言語)の歴史は手がかりが非常に少なく、どうしても未開人の言語や成長過程にある幼児の言葉から推測せざるをえないこと、そしてあくまでもこれは私個人の考えであることをあらかじめご理解ください。

 まず「集団が機能するために言葉(発話)は必要不可欠か?」という疑問ですが、必要不可欠ではないが集団行動によって言語は発達すると考えた方がよい...続きを読む

Q恵解山古墳について

京都府長岡京市に、恵解山古墳があります。
この「いげやま」と言う名前は、どこから来ているのでしょうか。
全国には、「えげやま」と言う古墳もあるらしいのですが、それらと何か関係があるのでしょうか。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

1.『丹後の地名』
 http://www.geocities.jp/k_saito_site/bunkn29.html
  この頁中断の、幻のエゲ寺=永源山徳雲寺(舞鶴市三浜) の項に続く鉛筆イラスト以下に、
    「エゲ」→エゲは会下→穢気→穢の土蜘蛛→…と「エ」の系譜。
    この「エゲ」の名の事例として、
     恵解山(えげのやま)古墳という700点にも及ぶ鉄器が出土した長岡京市の前方後円墳
     (120m・五世紀中)がある。綾部市金河内町エゲ、福知山市三和町岼エゲ、
     舞鶴市大丹生エゲ、福知山市天田エゲノ段。舞鶴市大波上エグリ谷、まだまだあるが…

2.勝龍寺は、山号は恵解山(えげさん)、恵解山(えげのやま)古墳は勝龍寺敷地内。
 http://www.geocities.jp/sisekiguide/63/63walk.htm
  大同元年(806)に帰朝された空海が青龍寺の名をとって創建、
  村上天皇のころ(946~967)勝龍寺と名乗れと勅命、
  いつの頃からかは不明だが、山号として「恵解山」を付す。

3.全体に目を通すとエビス・イビスなども分かります。

*"エ・穢"に好字を当て"恵"とした可能性が大と思います。
 上記1で言っている"エ・穢"は、職人集団やまつろわぬ者の意味でしょう。
 丹後から長岡、筒木(綴喜)は京の周りにあって京を支える生産地域でした。
 公家や僧籍者など特権階級から見てそのように区分されたにすぎません。

*ご存知かも知れませんが、
 恵解山古墳 第4次調査
  http://www.gensetsu.com/03igeyama/index.htm
 史跡 恵解山古墳 第8次調査
  http://www.gensetsu.com/080217igenoyama/index.htm

1.『丹後の地名』
 http://www.geocities.jp/k_saito_site/bunkn29.html
  この頁中断の、幻のエゲ寺=永源山徳雲寺(舞鶴市三浜) の項に続く鉛筆イラスト以下に、
    「エゲ」→エゲは会下→穢気→穢の土蜘蛛→…と「エ」の系譜。
    この「エゲ」の名の事例として、
     恵解山(えげのやま)古墳という700点にも及ぶ鉄器が出土した長岡京市の前方後円墳
     (120m・五世紀中)がある。綾部市金河内町エゲ、福知山市三和町岼エゲ、
     舞鶴市大丹生エゲ、福知山市天田エ...続きを読む

Q縄文人と弥生人の相克の有無は?

縄文人と弥生人の相克の有無は?

外国の例では遺跡(ゴミ捨て場)から食人や戦闘死を覗わせる人骨が出るそうです。日本の遺跡から、それらを覗わせる人骨は出ていますか、いませんか。縄文文化と弥生文化は平和裏に移行したと考えてよいですか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

土井ヶ浜遺跡
弥生前期の遺跡です。
戦死者と思われる遺体を埋葬した遺骨が発掘されています。
戦った相手が縄文人かどうかの確証は無いと思いますが。
敵の遺体を埋葬する可能性がどれぐらいあったかもわかりません。


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