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shikanneiko20170418


「ヒト絶滅、全人類滅亡消失、無人化、へ…の説得・提言(・勧誘引導(導引))」


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閑話休題で御座います。
私がこのような事(自分の生きる意義、ヒト・全人類の存在意義云々)を考えるようになったそもそものいきさつは、日常的に普通に行われている「動物食」について疑念を抱くようになった事が、恐らくその端緒、きっかけ、契機だと思います。

身近な例として、例えばですが動物一般の中でも取り分けて脊椎動物系全般を食するという事の思想について当惑・苦悩・念慮致す様になって来たのであります…。
「動物食」概念が、もはや何ら疑う余地の無い「常識」とされ「当然」化「当たり前」となっている事自体が不正でおかしいような、そして喫緊に再考・熟慮検討すべき重要課題・人類の絶対的責務だと思うのですが…。
そして他の動物に対しての殺戮・奴隷化・隷属・使役・搾取・奪取(例えば牛乳・(鶏)卵など(←これらのような直接的殺傷・殺害過程を経ないものについてもです!))は、果たして本当に正道なのかと。
これは集団妄想?或いは、新種の、新手の、新趣向の壮大な不文律的ジョーク?或いは暗黙の了解的な人生作法?
何かのトリックかと見まごうばかりの狂態ぶりに思えるのです。
かの有名な寓話「裸の王様」を連想起せずにはおれません…。
そして少なくとも現実に私はその渦中に生きている、真っ只中に存在している…。
根本的に考えて、信じられません…。
しかしこれは驚愕の現実そのものなのです…。
この問題を、今さら敢えて取り沙汰すのも野暮ったい、「ダサい」とでもいうのでしょうか…?
現代に於いては当然周知の事ながら、世界各地、全国津々浦々、どこででも動物(の死体)が平然と「普通常識」として、「展示」され、販売・交易されています。
尚、実験台として供される動物にしてみてもそうです。
「一将功なりて万骨枯る」という言葉がありますが、その万骨とは何か?
この場合に於いては言うまでもなく人間(功なりた「一将」)の何らかの諸々の利得目的(安全性確認、研究目的、人間の身代わり、等々)の為に「犠牲」「いけにえ」とされた実験台動物たちに他なりません!
もしこの状況が逆の立場であったらと考えた事はありませんか?
即ち、自身、家族、親類、友人、…等々が同じようにされたら、と自分たちの身になって考えてみたらどうでしょうか?
当然の事ながら、嫌でしょう、悲しい・哀しいでしょう、恐い・怖いでしょう、泣くでしょう、怒るでしょう、痛いでしょう、苦しいでしょう、辛いでしょう、不平不満不快不幸を感じるでしょう、危害殺傷を受ける恐ろしさに怯え慄くでしょう、憎悪するでしょう、怨恨の念を抱くでしょう!
そして果ては、復讐・報復・仕返しをしてやる、殺意(「ブッ殺してやる」)を抱く、までに発展するでしょう!
いざ自分(或いは自身に関与度の高い諸関係者)が同じことをされたらイヤなくせに…。
身勝手極まりますね。
私は少数派(1人だけ?)なれど自信・確信をもって言えます。
斯様な事が「平常」となっている世の中(膨大多数派)の方が、イカレている、狂っている、まるで狂気の沙汰そのものである、と。
殺害感・殺戮感・残虐感を味わいたくない、実感したくないが為に、残虐場面・グロテスクシーンは巧妙に(編集?)カット、シーリング、意識外への駆逐駆除、や「オブラートに包む」行為をされています。
消費者に「殺し」の生々しさを感じさせぬよう、感じにくくさせるよう、あの手この手を駆使して免罪的方略が案出され続けています。
例えば、丸々全体では無しの、切り身・「ミンチ」化・部分化・形状をとどめなく加工、…等々。
秘匿・秘密化・隠匿のテクニックの練熟練達は更なる増進長をし続けております。


現状実態(劣悪な環境に拘束収容監禁囲い込み、殺傷、殺害、等々)を直視しようとはせずに、目を背ける事を志向する卑怯劣な人間の術法策…。
汚い仕事には手を付けない或いはつけたがらず例えば屠畜、屠殺などを一部の人々に代行さす…。
そして、自己を悪玉・悪役・悪人化させたくない(戦略的、戦術的、打算的)意から修羅場を見たがらない、見ようとしない、見たくない、…を決め込む。
社会的分担の名のもとに屠殺業務を一部の人達だけに請け負わせています。
もし屠殺の執行者が自分本人だったら対象動物を目の前にして、まさにまのあたりにして、自らの手で以てして殺害を、果たして敢行出来ますでしょうか?
殺害の「現場」を「実際に」「見て」いないから、野放図な事(悪逆非道の実態の判りにくさ、認識の難しさより生ずる、際限の無い浅薄的・浅慮的・無計画的・ゲーム感覚的・「非情、無情、無機」的・仮想的大量殺戮など)になるのではありませんか?
(そこには現実感が存在していない…。)
これは明らかに間接的にせよ全員が全員、殺害幇助・殺害を「実行」している事は決定的だと思います(全人類が共犯者・かたわれ、→実質的殺害犯人。共犯犯罪の咎で)。
少なくとも生活上の基本且つ重要分野「食」に於いては「きれいごと」だけが独り歩きしている観があります。
他には、健康栄養の向上、増進や健康・長寿の礼讃・奨励(健康且つ長寿、両方共兼備しよう!とは何と贅沢、欲張りな…)を「大義名分」「錦の御旗」として掲げ、その為なら何をやっても良いのである、という(口に出しては言えない、言い辛い)パターン・図式。
「健康」も「長寿」も、きこえはマイルド、ソフトですがその実、立派な自己愛的独善的恣意的「強欲」に他なりません。
私、最近では「しあわせ」「幸福感」「福祉」といった概念でさえも「強欲」の一種に思えて来ました…。
例えば「魚を食べよう(IPA、DHA、良質タンパク質、等の摂取の目的)」とか「牛乳、乳製品を積極的に取ろう(目的は良質蛋白質源やカルシウムや乳酸菌等)」とかよく見かけますね…。


さて、逆に実質的な蜜月関係にある他生物の卑近な例としては、ゴキブリ、ハエ、カ、その他害虫類、カビ、感染源・病原細菌ウイルス関連、(少々躊躇しますが、カラスも?)、…等々凡そロクなものは無い…。
仲が良いのは皮肉な事に人間たちが唾棄・軽蔑・侮辱・逃避忌憚してやまぬいわゆるところの「害悪生物」関連系統ばかり。
ところで、昨今動物愛護の兆し機運がようやくにして生まれて来始めているようですが、その対象動物を何らかに特定する傾向が顕著。
蓋し恣意的で偏向性のあるまがいものですね。
こんなものは「まことの博愛主義」とは断じて程遠い。


(6ページ目に続きます)

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