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ナイーブな質問かと思いますが、ご了承ください。
私は中学の頃に摂食障害を患いました。
拒食と過食を繰り返しながらも、どうにか薬に頼らず、精神的にも一年程で和らぎました。
人によっては、それから精神疾患だけを引きずる方もおられるとお聞きしてます。
しかし、私も時たま人並み以上に気持ちに浮き沈みを感じたり、無性に食に走ったりします。
でも、仕事や友人、交際してる方にはそんな気持ちの面での苦痛は吐けない、吐きたくない…「普通」を装っているようにも思うんです。
この過去の障害は、気づかないだけで、完全治癒っていうのはないんでしょうか?
また、これから自分とどう向き合うべきか…教えてください。

A 回答 (4件)

>人並み以上に気持ちに浮き沈みを感じたり、無性に食に走ったりします。


誰でもあることです。
「ヤケ食い」「ヤケ酒」という言葉があるように。
気持ちの浮き沈みは季節や体調や環境などで引き起こされます。

>気持ちの面での苦痛は吐けない、吐きたくない
誰もがそうです。
がまんすることも大切です。

障害でも病気でもなく、人間として当たり前の感情です。
人への思いやりの気持ちを忘れずに、でも自分を大事に生きていけばOKですよ。
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ストレス解消法が食にいってしまいやすいのではないでしょうか?



他のストレス解消法を見つけると、食にだけ走ることは和らぐのではないかと思います。

食以外のてっとり早いストレス解消法は人に話すことです。
別に摂食障害だったことは、言いたくなければ言わなくて良いんです。
もっと言いやすい愚痴を人に聞いてもらって、こまめに毒を吐き出すと良いですよ。

そして自分も人の愚痴を聞いてあげるんです。
そうすると悩んでいるのは自分だけじゃないってことに気づけます。
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精神疾患に完治はない。

というのは1つの真実だと私は考えています。
それは私自身が日々感じていることでもあります。

まず、因子を排除できないこと。
遺伝子なのか、気質なのか、その辺の解明すらまだできていない世界ですから。
環境が変われば治る人は、おそらく遺伝や気質は無関係(ゆえに完治可能)だと思いますが、
そうでない場合は、完治ではなく寛解という解釈になると思います。

私自身も、十数年精神疾患を持っていますが、
病名がついたのが十数年前なだけで、実際は幼少期から因子(※)があったのではないかという結論に達しています。
※自分の気質を調べていくうちにそうなるであろう軌跡をたどっていたため。

ただ、私自身は、自分のことを不幸とおもったり、過度の心配(精神疾患であること)はしていません。
現在は、少量の投薬で安定し寛解状態(ここ5年ほどは)であることもその要因の一つですが、
廃人に近かった当時と比べれば、今の苦しみや悪化の程度など、たかが知れていると思うからです。
大きな苦しみであればあるほど、それを乗り越えたとき、次に来る苦しみに耐えることができるのだと思います。


>人によっては、それから精神疾患だけを引きずる方もおられるとお聞きしてます。
確かに存在はするでしょう。というか、おそらくほとんどの人がそうなる可能性を秘めています。
ここで問題は、精神疾患の有無ではなく、今後どうするかを考えられるかどうかです。
精神疾患であっても、寛解領域に入ればある程度の心の余裕が出てきます。
その時、この病を抱えながらいかにして生き抜くか(人生をまっとうするか)。
それを考えることが大切だと私は考えています。

例えば、
悪化したとき(再発したとき)にどうすれば最も心(精神)の負担を減らすことができるのか。
そもそも悪化の原因は何か。
どうすれば、悪化させないで済むか。
というようなことです。

参考になるかわかりませんが、
私の考え方、
・感性が自分を動かしていること。
感性に逆らえば、精神に負担がかかります。

・あるがままの自分でいること。
隠す、抑える、我慢するをしない。(主に勤務先でのこと。近い親類や友人等も当てはまります)
普通を装うこと自体、精神に負担がかかります。
つらいときはつらいと言う努力も必要です。

最後に、
>これから自分とどう向き合うべきか
精神疾患って、ネガティブなイメージがありますが、
精神疾患だからこそ、普通の人にはない鋭い感性を持っています。
私自身、幼少期(幼稚園くらい)から希死念慮が消えることがありませんでした。
それは、社会人になり、初めて精神科に行き病名がつくまでそうでした。
その頃は、ほぼ廃人でしたが、約10年後寛解に達したときに初めて、
幸せの本当の意味が解りました。
それは、ありふれた日常の中で感じることすべてなのです。
朝食をとること。
会社に行くこと。
通勤途中の街の風景。
それを心で感じ取れること自体が幸せだということです。

つまり精神疾患者は、心(感性)の領域が、そうでない人に比べてとても広く深いと考えています。
それは、マイナスに見れば、心が弱いということですが、
プラスに考えれば、通常の人には感じることのできない幸せの価値を持ち合わせているといえます。
だから、あなたも胸をはって生きればいいのです。
心の振れ幅は、感性の振れ幅と同じ。
だから、幸せを感じる振れ幅もものすごく大きいのです。
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新聞で摂食障害のかたは、満たされない何かが脳に記憶されていて、万引きを命令する脳が作られ、万引きした人で刑務所に入っている人が過去に摂食障害を経験した人が多い。

しかも30代の女性が多い。とありました。私は60代後半なのですが、孫が小5年で摂食障害です。離れてくらしているので詳しことはわかりませんが、母親が一週間入院したときにほとんど何も食べてくれなっかたです。感受性の強い頭のいい子なのですが、人から言われることにすぐ反応するよく気が付くいい子なので何とかしたいと焦っていますが何ともなっていません。今その人が抱えている最も深刻な問題をどう解決していくかのほうに焦点を当てて、問題を洗うよりも今その人が「大切」だと思える気持ちを強化することが何より大切だとあります。神経内科とかCRAのグループ治療ガイドが参考になるのではないでしょうか。(吉田精次の本)
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