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若い頃の事故で後遺症を負ってしまったけど、長年かかっている病院の医者から気に入られるような人はよい人生は歩めるものでしょうかね?

A 回答 (4件)

そんな事と今後の人生には関わりが無いでしょう。

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年齢が40歳に近いとすると


https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9713150.html
1979年リリースのさだまさしの関白宣言という歌を知っておられると思います。
この歌の中で、"お前のおかげでいい人生だったと俺が言うから、必ず言うから"というフレーズがあります。この歌では、結婚を前に、嫁さんになる相手に、これからは苦労するけど、一緒に人生を歩もう、俺はお前に苦労を懸けるから覚悟はしておけ、とも言ってます。 愛しているけれども、長い人生だし、ちっとは他の女に気を惹かれる、浮気することもないとは今後絶対の保証まではできないともいってます。
人生で、怪我や大病、失業、自然災害、あるいは貧困、暴力沙汰、家庭内でのトラブル、介護などに関わる負担などに巻き込まれ、大変な苦労、苦痛、困窮、悲哀にくれるということがないとは、誰にも保証はできません。 『そうしたことがあったにして、"いい人生だった"と俺は絶対に思うから、"いい人生だった"と必ず言うから』というようなことも、大事じゃないかと思います。
医者に気に入られること、医者に見放されること、後遺症がいつまでも足枷手枷になって望みのことがなかなかできないこと、周囲にどうにもおかしなヒトや自己本位ヒト、障害者の就業支援の活動をする立場なのに障害者を馬鹿にするヒトなどに遭遇したことなどがあっても、おかしな民主主義政治の結果差別の強化や戦争の開始や戦災や攻撃などがあっても、自分が死ぬときに、恨み、憎しみ、無念の遺恨を抱えず、"いい人生だった"と思うことはできます。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9715551.html

しかし、いい人生だったというために効果がある10の習慣は、ちょっと違うような気がします。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784413038 …
習慣1「「今日が最後かもしれない」と思って暮らす」 
明日の約束もあったりするし、明日以降もあるという流れを基本にことの優先や手順、準備をすること、対人関係の計らいも大事です。今日が最後なとと思っては行動や思考がめちゃめちゃになります。
習慣2「生きる意味を無理に探さない」
それは、結構大事だと私も思います。意味を無理して探す、原因をとにかく探そうと懸命になるなどは、いい結果にはならないどころか、脇道に迷い込むばかりで、ろくなことにはなりません。
習慣3「負の感情にふりまわされない」
これも、まあ大事です。振り回された方がいいことなんて滅多にないです。
習慣4「身近な人こそ大切にする」
ときと場合によることなので、「身近なヒト"こそ"大切にして」を基本原則にしているような輩はロクでもないと思われるのが普通です。周囲の評価は別にして、「身近なヒト"こそ"大切にして」を基本原則にしては、社会活動の公平性、互換的立場で社会が順調に成立するという人間社会の基本原則を破壊します。その「身近なヒト"こそ"大切にして」を基本原則にしては結果として孤立に進むしかないです。自分で満足できるなら何でも良さそうですが、家族、姻族、友人知人、組織関係者、公務員、消防、警察がそういう行動原則で動き出したら、とても不幸な事態に陥ります。
習慣5「自分の幸せと大切な人の幸せをすり合わせる」
まあ、どうにでも言えます。相手の幸せを願ってと言っても、相手の幸せがなんなのかは、自分にはわからないのが根本です。自分勝手に相手の幸せを決めつけて、それと自分の幸せを擦り合わせるのは、ただの思い込みでしかないこともあります。
http://www3.wind.ne.jp/carol/christmas/comb.html
賢いとか、いい人生とかを、こうした行き違いの中で見つけるのは、おかしいです。それに、大切な人一人と自分の幸せだけ、自分の家族だけの幸せを考えるのも、おかしなことです。
習慣6「「長く」より「良く」生きることに注目する」
何とも言いようがないです。一般的なフレーズとして流布しているのはわかるんですが。「よく生きることに注目する」って具体的に、どんな場面でどんな注目の仕方をすることを推奨しているのでしょう。4歳児、18歳、36歳、72歳、96歳のヒト、大けがをして重度障害者として生きることになってしまったヒト、成人後難病が判明し入院生活を余儀なくされたもの、テロリストとして自爆決行を銘ぜられたもの、予見をしていなかった10億円の宝くじに当選したヒト、自死念慮で自殺を図ったが失敗し生き残っていたことに病床で気づいたヒトに、なんて勧めているのでしょう。
習慣7「健康や若さに必要以上にとらわれない」
まあ大事です。必要以上にとらわれた方がいいことなんて、滅多にないです。
習慣8「環境に流されず、本当にやりたいことをやる」
どんな人間も、動物も、環境に流されないことはないです。"環境に流されてしまわないように、時々は自分を省みよう"というなら、それはそれでいいです。しかし、「環境に流されず、本当にやりたいことをやる」は唯我独尊とかアスペルガーにみられる思考の異常という場合に似てます。そうした思考と行動をとっていて、自分では"いい人生だった"と思う可能性がないわけではないと思いますが、そうした思考や行動を取るヒトは、人生を終えるときに"懐古・温かい思いで人生を感じる"という機能そのものを欠いている可能性が高く、ただ単に死ぬとか、まだやりたいことがあるのに、、、とかと思う可能性の方が高そうです。
習慣9「どんな境遇でも自分を支えてくれる夢を見つける」
言葉の意味がうまく把握できません。「(~~の/~~する/~~くれる)夢を見つける」ってなんでしょう。 http://the5seconds.com/no-dream-10233.html
目標とかビジョンとかのことを夢と言っていて、夢を見つける=目標やビジョンを持つと言うことでしょうか。自分を支えてくれる夢を見つける=行動や思考のベースにする目標やビジョンを持つと言うことでしょうか。
それならそれで、悪いことじゃないです。ただ、そうした自分を支えてくれる夢を見つけ、持ち続け、環境境遇が変わるなどしてそれまでの夢を代えて、新しく自分を支えてくれる夢を見つけ、持ち続けるようにすることが、"いい人生だった"と感じることにつながるかはわかりません。環境境遇が変わっても変えることのない自分の夢を見つけそれに固執しても、それが"いい人生だった"と感じることにつながるかはわかりません。
たぶん、「どんな境遇でも自分を支えてくれる夢を見つけること」と「"いい人生だった"と感じること」とはあまり関係がないのです。
習慣10「「ありがとう」と伝える」
これは結構「"いい人生だった"と感じること」につながると思います。 感謝し、感謝の言葉をきちんと表現する習慣を持ち続けるならば、"いい人生だった"と感じるようになっていくと思います。

たぶん、いい人生というのは、誰かから気に入られたり、誰かから嫌われたりすることとはあまり関係がなくて、孤立し孤独でなくて誰かと関係し合って生きて、ヒトと関係し合って生きてこられたことを、"満足に感じられた"という思いが湧いてきたときに、"いい人生だった"と思うのだと、私は思います。
農家でも、農奴でも、奴隷でも、工場労働者でも、重度身体障害者でも、重度精神障害者でも、金や地位に恵まれていても、仕事などで大きな成果をだしても、まったく成果を出せずむしろ失敗の連続であっても、悲しみが6割の人生でも、いい人生だったと言えることは、結構多いです。
http://www.oricon.co.jp/prof/107725/lyrics/I0531 …
基本、死ぬ間際、死の若干前にどう感じるかが、いい人生だったという思いにつながるのだと思います。
イエスキリストが十字架刑で死ぬ直前に大声で叫んだのを、自分についての悔恨や神への不信、疑惑と思うか、それとも別に神への賛歌や詩編の一部と解釈するかでも、自分の人生への思いと自分が人々にやってきたことへの満足とそうしてやってきてここで刑死することに対する満足/充足感として解釈するならば、これを"ヒト・人"の最後の人生の見方とも言えるでしょう。

差別、迫害の中で生き、裏切りと逮捕、非難攻撃の声の中で刑死することになったヒトでも、イイ人生と自分で思えるし、家族に看取られて死ぬヒトも、高齢者施設や障害者施設で周囲に気づかれずに死ぬヒトも、イイ人生と思えることはあるのです。 

生き方の問題ではなく、死に対する,あるいは生に対する視点の問題です。

障害や周囲のヒトの行動、言葉、過去にあったこと、これからの困難やハンディに目を向け過ぎるなら、{習慣3「負の感情にふりまわされる」}となるだけです。
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歩める。

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