インドを2番目に統一したのは?
クシャーナ朝?

A 回答 (1件)

1番目がマウリヤ朝 これは南端を除く全インドを統一しました。


これ以後、北インドと南インドでは王朝が入り乱れます。
クシャーナ朝は北インドだけを統一しました。ですから、北インドだけを見れば、クシャーナ朝が2番目に統一したと言えます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧に教えてくれてありがとうございます。

お礼日時:2017/05/12 09:22

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qインドを2番目に統一したのがクシャーナ朝ですよね。なのになぜデカン高原のほうにさーたぶぁーはな朝があ

インドを2番目に統一したのがクシャーナ朝ですよね。なのになぜデカン高原のほうにさーたぶぁーはな朝があるの?
デカン高原もインドだよね?なら、統一じゃなくて一部統一じゃないの?
意味わかんない。
誰か教えて!

Aベストアンサー

”2番目に統一したのがクシャーナ朝”
これがおかしいだけ

Q東インド会社の名前の由来 何故東インド?

先日、東インド会社の東インドとは「インドの東」という意味ではなく……というようなことを
聞いたのですが、肝心の本来の意味が思い出せません。
今すぐ知る必要があるというわけでもないのですが気になって仕方ありません。
どなたか教えてください。

ちなみにその時にとったメモでは
西インド諸島⇔東インド(インドの東という意味ではない)
とあったのですが、ここまで書いてあってもさっぱり思い出せません。

Aベストアンサー

大航海時代以前、ヨーロッパ人が憧れたインディアス(インド)とは、現在の南、東南、東アジア全域を含む地域を指しました。当然、アメリカ大陸は知られていませんでした。

15世紀末にコロンブスが新大陸に到達した時、そこをインディアスと勘違いし、16世紀になってヨーロッパ人による探検がすすんで、未知の大陸と判明しました。アメリゴ・ヴェスプッチの名前が付けられたのは有名な話ですね。

そのような事情から、本来のインディアスと新大陸を区別する必要が生じました。その結果、南、東南、東アジア全域は東インド、新大陸が西インドと呼び慣わされることになりました。

英・蘭・仏の東インド会社、蘭・仏の西インド会社の活動範囲は、喜望峰とマゼラン海峡が境目になります。つまり、喜望峰の西側(アフリカ大陸西岸含む)から新大陸の西岸は西インド。新大陸東岸から喜望峰東側(アフリカ大陸東岸を含む)までが東インドと名付けられました。

Q(日本、インド、西欧)階級制度を維持した方法は?

――日本とインドには西欧に匹敵した階級制度があった。――
こういう記述に出合いました。これで見ると、三つの地域の身分制度は甲乙付けがたく厳格だったようです。身分の階級付けといっても、市民が自然発生的に崇敬の念や差別意識をもつだけで権力の裏づけのない場合と、権力の名の下に格付けするのとでは大きな違いがあります。この観点でお聞きします。
知りたいことを列記しますが、ご回答の形式は項目別であろうとなかろうとお任せします。この方面に特別な関心が有る訳ではありません。誰でも知っておいて悪くない程度の知識で十分です。

1 江戸時代には士、農、工、商などの6つの身分は町村役場と寺院で二重に記録し管理していたと思います。言わば階級の国家権力による維持です。それでよいですか。
2 明治になっても華族、士族、平民の言葉があったと思います。これは役所が戸籍簿の上で公的に記録していたのですか、それとも文書としての記録はなかったのですか。

3 インドのカースト制度が除々に崩れていかない、あるいは崩れつつあるにしても緩慢過ぎるのが不思議です。今日では職業の世襲など社会の根強い因習のみによって維持されているのだと想像しますが、いけませんか。そうではなく、ヒンドゥー教徒の場合、寺院が戸籍に記載し管理しているなど何らかの強制力が作用しているのですか。
この制度を嫌う者は改宗出来ることと、この制度を憲法が全面否定しているのは承知しています。また、階級制度が一度完成すると被差別階級であっても一定の自治や互助の仕組み、既得権などが発生して、今日明日の短期で言えば暮らし易くなる面があるらしいことも薄々承知しています。

4イギリスを例にとります。今日でも貴族へ取り立てられる人が時々現れるそうです。これを発議、審議、議決、承認する仕組みはどのようなものですか。国家が法律として定めた手順があるのですか。それとも貴族達の任意団体みたいなものが私的機関として取り仕切っているのですか。

よろしくお願いします。

――日本とインドには西欧に匹敵した階級制度があった。――
こういう記述に出合いました。これで見ると、三つの地域の身分制度は甲乙付けがたく厳格だったようです。身分の階級付けといっても、市民が自然発生的に崇敬の念や差別意識をもつだけで権力の裏づけのない場合と、権力の名の下に格付けするのとでは大きな違いがあります。この観点でお聞きします。
知りたいことを列記しますが、ご回答の形式は項目別であろうとなかろうとお任せします。この方面に特別な関心が有る訳ではありません。誰でも知っておいて...続きを読む

Aベストアンサー

2)戸籍に記載されていました。廃止は昭和23年です(戸籍法改正による)。

4)英国の場合、政府の助言により女王が一代貴族(世襲されないが、本人は貴族として遇される)に叙します。男爵位です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E4%BB%A3%E8%B2%B4%E6%97%8F
ごらんの通り、ちゃんと根拠法があります。
ま、ざっくりいえば本邦における叙勲と同様なんではないでしょうか。
世襲貴族位の新設は近年あまり聞いたことがありません・・・

Qインドで仏教が廃れてしまったのはどうしてでしょうか?

インドでは仏教というのは廃れてしまったいるようです。
歴史上いつごろから廃れてしまったのでしょうか?
また廃れるようになった理由は何でしょうか?
諸外国に仏教は広がったので、逆輸入ということはなかったのでしょうか。
現在のヒンズー教徒が仏教を受け入れないのはどうしてでしょう。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

●インドで仏教が廃れた理由と時代
ご存知と思いますが、仏教はバラモン教のウパニシャド哲学を土台に、紀元前5世紀頃に、ジャイナ教と共に生まれたものです。
バラモン教は身分制度・いわゆるカースト制そのものであす。僧侶以下の身分や民衆の大部分を占めるアウトカーストの者にとっては大変な差別社会であり、これを否定して打ち壊してくれる宗教や思想として大々的に受け入れられました。
しかし、輪廻転生と多神教が基本のインドでは中庸という考え方は受けが悪かった上、カースト制の恩恵を受けていた権力者の巻き返しによって弾圧が5世紀頃に始まりました。(他のアジアの国に仏教を広げたのはこの時インドから脱出した仏教徒です)
そして13世紀初め教団根拠地であったビクラマシラー寺院というのがイスラム勢力に破壊されて結局インドでは消えてしまったのです。

●ヒンドゥー教
仏教やジャイナ教の流行で力を失いかけていた時代、カースト制の最上位にあったバラモン(僧侶)はバラモン教を中心にインド全域の宗教を取り入れて民衆化させました。これがヒンドゥー教です。現在のインドの8割近い人がこの信者です。
ヒンドゥー教の特徴は多神教であることと、カースト制を積極的に肯定していること。
上で述べたように、この方が民衆にとって元々の信仰を認めてもらえるものだったため、結局権力に巻かれる形で定着してしまいました。

●現在の仏教
弾圧で逃げ出さずインドに残った仏教徒はカーストの最下層「不可触民」スードラに強制的に入れられました。
その中から後にアンベードカルという不可触民解放の運動家が、結局カースト制がある限り差別はなくならないと考え、カースト制を否定するインドの思想を調べて仏教を復活させました。
ただ、それで改宗したのはヒンドゥー教でも疎外されてきたアンベードカルと同じ不可触民のカーストの人だけです。
その最下層民も、制度的に階級が存在しないイスラム教勢力がインドに侵攻しはじめると、そちらに支配されて流れてしまったため、仏教はあまり広がらなかったのでした。

●インドで仏教が廃れた理由と時代
ご存知と思いますが、仏教はバラモン教のウパニシャド哲学を土台に、紀元前5世紀頃に、ジャイナ教と共に生まれたものです。
バラモン教は身分制度・いわゆるカースト制そのものであす。僧侶以下の身分や民衆の大部分を占めるアウトカーストの者にとっては大変な差別社会であり、これを否定して打ち壊してくれる宗教や思想として大々的に受け入れられました。
しかし、輪廻転生と多神教が基本のインドでは中庸という考え方は受けが悪かった上、カースト制の恩恵を受けていた権...続きを読む

Qランカスター朝・ヨーク朝は王朝なのか王家なのか

世界史の学習をしなおしています。

ばら戦争において王位継承争いをした「ランカスター家」と「ヨーク家」について質問です。

私が高校の頃の教科書はたしかこれらを「ランカスター朝」、「ヨーク朝」としていました。
しかし今は「ランカスター家」と「ヨーク家」(山川出版の『詳説世界史B』など)。

そこで、質問その一。これらは王朝として認められなくなったのでしょうか。
また、もしそうであれば、このように王朝から王家に表記が格下げされたことには何か根拠が
あるのでしょうか。

しかし、以上のような教科書の記述に対して、wikipediaをみると、執筆された方の立場の違
いと思いますが、見出し語はそれぞれ「ランカスター朝」、「ヨーク朝」のままで、記事内で
は王朝として説明されています。またその本文では、ランカスターの場合を例にとると、「ラ
ンカスター朝」、「ランカスター家」というように、王朝と王家について使い分けているよう
です(ヨークの場合も同様です)。

そこで、質問その二。王朝と王家はどのような場合に使い分けるのでしょうか。

「王朝(おうちょう)とは、同じ王家に属する歴代君主の系列、あるいはその系列が支配する
時代を指す」や「西欧文化圏では、王朝が同一家名の君主の連続によるものと定義され、家名
が王朝名となる……」といったwikipediaの説明では、いまひとつピンとこないのです。この
説明で思い浮かぶのは、「王朝」=「家名が同じ君主の家系」(?)といった漠然としたイメ
ージです。仮にこの理解でよいとすると、今度はそれが王家とどう違うのかが気になります。

もし「王朝」に限らず歴史学の基本概念をきちんと理解するのに有用なリファレンスがあれば、
あわせてご教示いただけるとうれしいです。教科書のほかに、いま利用できるリファレンスは、
山川の『世界史B用語集』、『世界史小辞典』、『詳説世界史研究』や、平凡社の
『マイペディア 小百科事典』などです。

以上、長くなりましたが、どうぞよろしくお願いいたします。

「ランカスター朝」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%9C%9D
「ヨーク朝」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%9C%9D
「王朝」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%9C%9D

世界史の学習をしなおしています。

ばら戦争において王位継承争いをした「ランカスター家」と「ヨーク家」について質問です。

私が高校の頃の教科書はたしかこれらを「ランカスター朝」、「ヨーク朝」としていました。
しかし今は「ランカスター家」と「ヨーク家」(山川出版の『詳説世界史B』など)。

そこで、質問その一。これらは王朝として認められなくなったのでしょうか。
また、もしそうであれば、このように王朝から王家に表記が格下げされたことには何か根拠が
あるのでしょうか。

しかし...続きを読む

Aベストアンサー

ランカスター家もヨーク家も、プランタジネット朝の傍系になります。
そのため、一般的には、プランタジネット朝に含むのが一般的です。


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング

おすすめ情報