本当に戦争放棄は人類の理想でしょうか?現在の人類が有るのは戦争のおかげとも言えるのではないでしょうか?

戦争が無ければ、人類は怠惰になり、ゴリラやチンパンジーとさして変わらない生活を送っていたのではないでしょうか?

確かに平和で良いかもしれませんが、それが、人類の理想でしょうか?

A 回答 (13件中11~13件)

動物は弱肉強食の世界で常に戦いを強いられて生きていますが


進化はしても進歩はしてません、
恐竜は一億年も戦争で最強でしたが全く進歩しませんでした。
地球上で人類だけが平和な世界で進歩できる唯一の
生物かもしれません、私はそれで十分だと思います。
戦争での進歩など必要ありません。
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戦争は必要悪です。


たまには戦争しないと社会は健全さを保てません。
だからといって戦争を賛美したり進んで戦争しようと
してはいけません。
戦争をなくそう、平和にしようとしていても、どうしても
世界のどこかで戦争が起きてしまう。それが健全な世界です(悲しいですが)
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戦争が無ければ、人類は怠惰になり、ゴリラやチンパンジーとさして変わらない生活を送っていたのではないでしょうか?

これ、質問者様の思いつきですよね。
こんな思いつきを根拠に「それが、人類の理想でしょうか?」と問われても
前提が無意味なので質問も無意味、回答しようがありません、ということになります。
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この回答へのお礼

ネアンデルタール人や北京原人は人類ではないのですか?彼らは火を使っていました。彼らがなぜ滅んだのか?現代の人類が滅ぼしたのです。

彼らを滅ぼす事で、現代の人類が有るのです。これは何も珍しい事ではありません。南北アメリカ大陸、オーストラリア大陸の原住民は絶滅寸前です。タスマニア島では絶滅しました。これらは人類の歴史では最近の事でです。

これらの事は人類の歴史にとっては、良かったと言わざるを得ません。例えば、南北アメリカ大陸に、アメリカ原住民が住んでたって、面白くもなんともないからです。

野球もバスケットボールも飛行機もコンピュータも生まれなかったでしょう。

これらが生まれたのはインディアン絶滅戦争の結果なのです。

お礼日時:2017/05/13 08:31

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>>太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか? 
 太平洋戦争の中心て的な位地には日蓮主義者の方が多くいたようです。代表的な方々を歴史的な流れを抑えてあげていきますと、太平洋戦争以前の明治34年田中智学は従来の怠惰に慣れた宗門を激しく批判するとともに、新しい日蓮主義というものを宣言します。田中智学の日蓮主義の核心は「侵略的態度」にあり、日蓮聖人を大元師となして、大日本帝国の力で「法華経」による世界統一を果たそうというものでした。その思想が与えた衝撃は当時の日本の意欲に燃える若者は田中智学の「国柱会」に次々と加わっていきました。
 その影響は昭和の超国家主義にまで及びます。満州事変の首謀者石原莞爾、2・26事件に連座した北一輝、要人暗殺を謀って血盟団の井上日召など、いずれも熱心な「法華経」の信者であり、日蓮聖人の崇拝者でありました。石原莞爾などは昭和15年、当時の戦争をまさしく日蓮聖人によって予言された世界統一のための大戦争につながるものと位置づけています。(『最終戦争論』)近代日蓮主義の特徴は、それが積極的な侵略のイデオロギーの一翼を担い、その先鋭と結びついたところがあります。
 だからといって他の宗派が無関係かといえばそうではありません。先のtaishi1さんのお答えにも出ていますが、浄土真宗本願寺派の門主・大谷光瑞は「王道の道は武備を整えること」といって当時の日本を肯定するようなことを言って、他の宗旨とともに侵略戦争に引き込まれています。ただ、禅や浄土の思想はいわば時代の後ろからついていったのに対し、当時の日蓮主義は先頭に立って時代を作り出していったといえるのです。
 こういったことに関しては『今のお寺に仏教はない既成仏教教団の宗派別問題点』遠藤誠 現代書館に詳しく取り上げられています。

 余談ではありますが、少し私の意見をのべさせてただきます。こうしたことについて話し合うとき「ガンジーの非暴力の精神でなくてはいけない」というひとがいます。誰でも外から見ていれば非暴力、戦争反対をとなえる事はできます。しかし、そういっている人たちがどれほどの覚悟で言っているのでしょうか。日本がもし一億総動員の翼賛体制になったら、そのときもその信念が貫けるのでしょうか。特高に付けねらわれて「アカ」「非国民」とののしられ、逮捕され拷問させる。・・・自分ひとりが犠牲になるならそれも堪えられるかもしれません。でも、家族親戚にまでその手が伸びるかもしれない。それでもそれがつらぬけるか?? 私ははっきりいってそれが出来るほど強い人間ではありません。私は戦争には反対ですし、人も殺したくないと思っても、拷問に耐え、家族まで巻き込んで、自分の信念を貫けるほど強い人間ではない。多分そのような状態になったら裏では文句を言いながら、表では国家を賛美するでしょうね。自分の弱さは私自身が一番知っています。 
 そんなことを考えていたときに知ったのが仏教学者である田村芳郎氏のこんな話です。田村氏は『法華経』の信仰をもっておられた方ですが、学徒出陣の折に上官から「天皇陛下と法華経どちらが上か?」と問われて、「天皇陛下」と答えざるを得なかったそうです。心の中にある「法華経が上だ」というおもいを言葉に出していたならば、それこそ不敬罪で大変なことになっていたでしょう。田村氏は「そのことへの慙愧が学問の原点になった」としばしば語っておられたそうです。そのとき「天皇陛下」と答えざるをえなかったのを、誰も攻めることは出来ません。ただ、そのことを棚上げしておいて、戦後になって倫理道徳を振り回すことなく、たとえやむをえなかったとはいえ、そう答えてしまった自責の念一生持ち続け、それを内にこめて原点とされたところに田村芳郎という方の誠実さを感じます。そういった仏教界の戦争への関与の問題を考えるとき、私は他人事とは思えずにいます。

 なんだか余談が長くなってしまいました。申し訳ありません。支離滅裂な文章かとは思いますが、文意を読み取っていただきたく思います。
 合掌 南無阿弥陀佛

>>太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか? 
 太平洋戦争の中心て的な位地には日蓮主義者の方が多くいたようです。代表的な方々を歴史的な流れを抑えてあげていきますと、太平洋戦争以前の明治34年田中智学は従来の怠惰に慣れた宗門を激しく批判するとともに、新しい日蓮主義というものを宣言します。田中智学の日蓮主義の核心は「侵略的態度」にあり、日蓮聖人を...続きを読む

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Aベストアンサー

こんにちは。非常に重たい質問ですね。

核戦争とこれまでの戦争のちがいは、言うまでもなく一国対一国、あるいは
数カ国対数カ国の戦いではおさまらない、ということです。核の使用は全人類、
地球そのものに大打撃を与えます。そんなことは誰にでも容易に想像ができることです。
核戦争論を展開してきたバートランド・ラッセルは、「核は世界規模の伝染病である」と語りました。

現在、核は抑止力としてのみ機能しているように見えます。「われわれは核を持っているぞ」と。
それを使用してしまったとき、世界はどうなるのか、誰もが知っているのです。

しかし、どこかの独裁者が世界と心中するつもりで核を使用しないとは限りません。
もしもそうなった場合、どんな世界が待っているのか? 核戦争後、そこには
秩序のカケラもないアナーキーな世界が広がることでしょう。

リセット、という希望的な再建は望めません。なぜなら、今日まで人類が築いてきた
さまざまな社会システム、価値観、倫理観などが通用しなくなる世界だからです。
現在の秩序はそれらを前提として成立しているからです。

ですから、核戦争の可能性の中心は、あらゆる意味での「虚無世界」への突入、
ということになると思います。ですから、そのことに大して、全人類が自覚的に
なる必要があると思います。

……お答えになっているでしょうか?

参考までにバートランド・ラッセル関連サイトです。



参考URL:http://members15.cool.ne.jp/~russell/RV-HSEP2.HTM

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核戦争とこれまでの戦争のちがいは、言うまでもなく一国対一国、あるいは
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Q計画段階での怠惰

計画する段階での「思案はこれくらいでいいだろう」「飽きた」といった計画を頓挫させるような感情に対抗するにはどうしたらよいでしょうか?
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Aベストアンサー

私の経験では、やはり実体験にまさるものはないと思います。前例のない計画は細部まで詰めていけばきりがなく、当初計画を100%実行するにはどこまで計画を立てて準備すればいいのか理論的には分からない面がありますし、時間的にもコスト的にも限度がある場合はともかく、無限に近く計画を精緻に作るのは可能であっても無駄な場合もありうるでしょう。それで、このくらいでいいだろうというところで実施に踏み切り、その結果に基づいて次の計画の立案をするのです。プラン・ドウ・シイ・アクションという方法です(コンピューターがある現在では、それをヴァーチャルに行うことでコストも下げられます)。他にも様々な(実験的)計画法がありますが、そういったパターンを踏襲するというのも(先人の)経験によるということでしょう。きちんと体系付けられた計画法はそれを一度なり完遂するまではがんばろうという心理的な励みにもなると思います。ちなみに哲学者というのは思索(プラン)を立てる専門家であって、こういった行動的体験に長けていたわけではないと思います。

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