どーやら哲学は机上の空論を語る場所であると諦めている輩が多すぎます。
哲学は現実問題とは無関係の戯れ、「聖なる甘え」の場であると勘違いしてる輩もおるのです。
それ故に恥も知らずに「非思考の庭」なんてのが堂々と語られる始末であります。
神は「非思考の庭」ではなく、「宇宙の法則」である。
いったい彼らのためにこれまで人間精神はどれほど蝕まれてきたのでしょう。
恐ろしいことでございます。
哲学は「聖なる甘え」の場ではないのです。

これからの哲学は真面目に人間精神の問題を扱わなければなりません。
このよーに考えたとき、現実のものとして目の前にある人工知能こそがこれからの哲学の主要なテーマと成り得るのです。
なぜなら人工知能は人間精神の問題そのものだからです。
人間精神とは何か、意識とは何か、自我とは何か、愛とは何か、感覚とは何か、思考とは何か、知能とは何かについて真面目に思索するのは哲学だからです。
そこから、哲学において人間の知能と人工知能は何が同じで、何が違うのかといった本質的な問題が生じてこなければならないのす。

これからの哲学は「聖なる甘え」の場から、人間精神を探求する場に変わるべきではないでしょーか。

A 回答 (6件)

★(№1お礼欄) 聖なる甘えも、きよらかなおそれも後ろ向きの発


想である。
☆ 信仰にかかわるとも見ているようですが 要は《うしろ向き》な
のではなく 受け身のチカラだということです。

理性〔なるチカラ〕にも 能動的と受動的があるといった見方も打ち
出されています。

▲(コトバンク:能動的理性) ~~~~~~
https://kotobank.jp/word/%E8%83%BD%E5%8B%95%E7%9 …

nous poiētikos; intellectus agens; active intellect

能動的知性ともいう。アリストテレスの概念。

質料的,可能的な受動的理性 nous pathētikosに対し,認識の動力因
であり現実的な理性。

光が色を現実的なものとするように,能動的理性が受動的理性に働き
かけて認識が初めて成立する。

その後の理論的展開において,これを超越的な神的理性とみて,人間
理性を神からの働きかけをまって初めて力を発揮する単なる受動的理
性とする立場が生れた
~~~~~~~~~~~~~
☆ 意外と 受動的理性のほうが 言わば基礎を成すと言ってもよい
のではないか。

聖なる甘え⇒きよらかなおそれ。これは たとえば《アース役》たる
ことの基礎としての《アース・力(りょく)――要するに 受け身の
ちから》であることにおいて 現実的です。

合気道みたいなものですね。



★ 進歩・希望・幸福
☆ などと理念や《前向き》の言葉を並べればよいというものではな
い。

要するに あなたのテツガクからは 一編の・ないし一片の理論も出
て来ない。

同じお題目を十年・二十年ととなえつづけているだけではないか?

いつ・どのように《進歩》したのか?
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哲学の定義が広過ぎると思います。



質問者さんが否定している事は全て哲学に内包されると思います。
常々、細分化しないと色々な疑問が集まりすぎると思ってます。

人工知能は確かに興味深いです。
人工知能も哲学するのでしょうか。
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「聖なる甘え」の定義を示さないと、この質問は成立しないでしょう。


「聖なる甘えとは何か」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9748198.html
という質問をされていましたね。
答えは見つかりましたか?
いずれにせよ、先に、定義を示してください。
曖昧なまま質問するのは好ましくないのでは。
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哲学は人間精神だけをあつかうものではありません。


科学哲学、法哲学などなど、人間に有らざるモノも哲学の対象になっています。
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「探求」するのは、ここに在る事の意味、


今やっている事の目的、である。
それなしには、目を閉じたまま荒野を
全力疾走しているようなものである。
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この回答へのお礼

今から2500年前、ギリシャの哲学者ヘラクレイトスはパンタレイと説きました。
「万物は流転する」と説いたのである。
今ここに在る事も流転して、そのうち別のものがここに在るよーになるのです。
今やっている事の目的も流転して、別の目的に置き換わるよーになる。
いま「聖なる甘え」と思われていることも流転して、「聖なる甘え」では済まなくなる時がやって来るでしょう。
万物は流転するのである。

お礼日時:2017/05/13 15:50

【Q:聖なる甘えとは何か】質問者:sugaku2012 ~~~~~


No.2 回答者: bragellone
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9748198.html

こんばんは。

赤ん坊の振る舞いのことです。

タトへですし そのこと自体でもあります。

相手が いぢわる人間であるかないか 悪人であるかないか。
そんなことにもいっさい構わず 振る舞うでしょ?

みんなで――集団で・あるいは群れて――何かをすることとは
聖なる甘えは 別です。

独りでいることが ほかの人たちに対して開かれていないなら
そのことは 聖なる甘えにはならないでしょう。社会性もが潜
在性としてでもそなわっていることが 肝要です。

《聖なる》というのは ほぼ絶対的であるといった意味で使い
ます。

人間のわざが絶対的なわけはないので言い直しますと 何かよ
いこと――これは 主観的な判断でかまいません――が自分の
実存(ふるまい)として 確立しているさまを言います。

(人間のわざですから うつろいゆかざるを得ないものではあ
りますが)。




ですから ものごころが着くと ひとは おのれについて意識
し 相手についても――しばしば予断を持って――意識するこ
とになります。

ではそのとき 幼児の聖なる甘えは どこへ行ったか?

それは きよらかなおそれとなって なお保たれて行きます。

相手や自分をうたがう心を持っていることは 誰もが否めない。
ですから――あるいは それでも―― 聖なる甘えの余韻があ
って そのうたがいを持つことについて おそれをいだくこと
になる。

けれども 聖なる――確立された――甘えのなごりは なおわ
が心のきよらかさを どこかには 保ってくれています。

ひとのこころは 非線形ですからね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 質問をしたなら――自由な発言をしたのなら―― その文
章責任を忘れることなく 対話をつづけること。それが:
★ 人間精神とは何か[・・・]について真面目に思索する
☆ ということです。

対話を休止するのなら そのように言うべきです。それが:
★ 人間精神を探求する
☆ 者のつとめです。
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この回答へのお礼

聖なる甘えも、きよらかなおそれも後ろ向きの発想である。
前は向いていない。
後ろ向きの発想からは進歩は生まれない。
進歩を産まないものは哲学ではない。
 
「哲学ではないが信仰である」と主張したいかもしれない。
しかし、やはり後ろ向きであることに変わりはない。
後ろ向きの信仰を抱いても人は幸福にはなれません。
希望がないからである。

お礼日時:2017/05/13 14:10

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Q【コグニティブ・人工知能を使いこなす知能が人間に必要】コグニティブってどういう意味ですか? 人間側

【コグニティブ・人工知能を使いこなす知能が人間に必要】コグニティブってどういう意味ですか?

人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

コグニティブ時代。

スマホも使いこなせない定年退職組の親世代はもう時代に置いていかれる運命なのでしょうか。

自分も30年後の60代になったときに今の高齢者や老人のように意味も分からず、使い方も分からないスマホを持たされてお金だけ取られていくみたいになってるのでしょうか。

人工知能を使いこなす知能が人間側に必要と言われてちょっと不安になってしまいました。

時代に取り残されている大人って働いている世代でもいっぱいいますよね。。。

時代に着いていけてないのにビジネスを引っ張っていけるわけがない。

Aベストアンサー

>コグニティブってどういう意味ですか?

直訳すれば「認知」です。膨大な情報を取り込んで傾向を分析して、成功事例のノウハウやより正しいと思われる答えを出すために、必要とされる「認知」能力のことを指しています。

>人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

完璧じゃありませんからね。信号制御なら定められた時間間隔で正確に信号を青、黄、赤に切り替え、また夜間には赤点滅とかに切り替えます。そのアルゴリズムは明確で正しく実装できて、また実装される側の仕様上の制限に抵触しないならば、完璧なシステムです。
認知や判断のロジックには何を手本とするかですが、偏りはあります。各国の法制度を理解してその枠の中で最適解を出すことはできそうですが、国際間取引に視野を広げると個別最適解の集合には矛盾が生じます。調停ロジックは組み込めるでしょうが、何を優先して判断するか等は人間が外側から働きかけないと駄目でしょう。メーカはそれもコグニティブでできると言うとは思いますが、「米国のルール=国際ルールとする」とか大雑把で乱暴なロジックを入れてくるか、その場限りで上手くいった事例を最適解で入れてくるぐらいでしょう。

>スマホも使いこなせない定年退職組の親世代はもう時代に置いていかれる運命なのでしょうか。

「頭が良いけど人の気持ちが理解できていない小僧が躓いたときに、道を示してあげる」という仕事でしょうから、別段置いていかれることはないでしょうが、出来の悪いインタフェースに付き合わなければならなかったり、癖のある言語を使わなければならないとしたら、あのUIを最高と信じている「スマホを使いこなせる世代」にしか対応できないかもしれません。

>自分も30年後の60代になったときに今の高齢者や老人のように意味も分からず、使い方も分からないスマホを持たされてお金だけ取られていくみたいになってるのでしょうか。

30代の方でしたか。新しいものへの対応は加齢とともに難しくなるでしょうし、それと誤認させる詐欺的手法にも騙されやすくなるでしょう。
しかしながら、一番大事なことは、下記のような取り組み姿勢ではないでしょうか。
 「正確な判断を下すために、より多くの正しい事例を知ること」
 「正しい事例を知るためには、より多くの事例を入手し分析すること」
 「より多くの事例を入手するためには、自身のアンテナを高くしておくこと」

でも、上記はコグニティブの弱点そのものです。「情報をたくさん集めるためには多くのデータを保存しておくための領域がたくさん必要(ディスクがより売れるのはメーカには◎、ユーザには×)」、「情報が多くなれば分析にはよりコストがかかる(より高性能なCPUが売れるのはメーカには◎、ユーザには×)」、「情報の取捨選択判断こそが難しい。性善説なんて成り立たない(これはメーカもユーザにも難しい)」等々。

こういうことを考えつつ下記の推進者が提示する情報を見ると、実に白々しく都合の良い薔薇色の未来を語っていると思いませんか?

http://www.ibm.com/cognitive/jp-ja/outthink/#

ビデオでは白血病の論文、他言語の習熟、法令の施行、過去20年の財務報告等が例として出されています。全ての論文、情報が価値のある内容でしょうか、糞みたいな嘘論文が精査されずに混在している可能性もあります(というか、よくあります)。言語は変遷変化しますが、大筋参照回数や出現回数が多い語を正とするでしょうから、発信情報が多い世代の情報が重み付けされ、特定世代の偏った単語や文法を「正しいもの」と判定することがあります。過去の情報は言語分析アルゴリズムが正しければ書いてある通りに理解するでしょうが、それが間違っていたり、TPOを判断できていなければ全く別の意味に解するかもしれません。

既にお気づきでしょうがコグニティブは、多数決は正しい、誤情報はほとんど無いということを前提にしている感があります。なので「ワトソンなんて機能しない。あれは多変量解析に過ぎない」という情報を意図的に広めてそれが多数派になれば、ワトソンは「ワトソンなんて機能しない。あれは多変量解析に過ぎない」と言い出す訳です。そこで外部から「ワトソンなんて機能しない」、「ワトソンは多変量解析である」という情報を取り込ませないか取り込んでしまったら破棄するよう教えこまないとならない訳です。

>人工知能を使いこなす知能が人間側に必要と言われてちょっと不安になってしまいました。

集合知を傾向分析して最適に近い結論を出しているに過ぎない、単に計算が速いだけのものですから、補正してやるのは人間側の分担です。

>時代に取り残されている大人って働いている世代でもいっぱいいますよね。。。

30代という若手から中堅に達する世代の割りには、自身の情報収集アンテナを高くするという努力をするわけもなく、目の前にいる「時代に取り残されている大人」を自分の何十年後かの姿を自覚できずにディスっているようでは、既に枯れてしまっているのではないですか。

>時代に着いていけてないのにビジネスを引っ張っていけるわけがない。

自戒ですか? それとも自覚したのですか?

>コグニティブってどういう意味ですか?

直訳すれば「認知」です。膨大な情報を取り込んで傾向を分析して、成功事例のノウハウやより正しいと思われる答えを出すために、必要とされる「認知」能力のことを指しています。

>人間側に人工知能を使いこなす知能が必要になってきた。

完璧じゃありませんからね。信号制御なら定められた時間間隔で正確に信号を青、黄、赤に切り替え、また夜間には赤点滅とかに切り替えます。そのアルゴリズムは明確で正しく実装できて、また実装される側の仕様上の制限に抵触しな...続きを読む

Qどこで人工知能と人工知能もどきを分けると考えますか?

人間と同じ思考回路及び記憶回路を持ち合わせていて、かつ、人工物であればそれは人工知能と呼んで差し支えないと思います。

電卓はある入力に対して計算結果を返してくれます。
例えば
入力:1+2=
結果:3
これは計算を処理するだけの能力は持ち合わせています。
過去を振り返ればこれだけでも人工知能で通用する時代もあったことと思います。
電卓を人工知能と呼ぶのは現代でも有効ですか?
また、電卓が人工知能である場合にはソロバンなどはどうでしょうか?
頭の中には電流が流れていますが電気の有無では分けられないですよね?

電卓などは人工知能と認めないというのであれば
何が出来たら人工知能なのでしょうか?

またクローン人間は人工知能であると考えますか?
xinmanはある意味究極の人工知能であると考えてます。

質問の要点は
「どこで人工知能と人工知能もどきを分けると考えますか?」
です。

みなさんの考え方をお聞かせください。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

人工知能の定義については、哲学者の間でも定説はありません。確かに人間の知能の一部を代替する機械、という意味なら電卓は人工知能ですが、それをAIだという人は誰もいないでしょう。電卓には計算以上のことはできないからです。

算盤は自動的に何かをする事はありません。人間が一つ一つの手順を与えて始めて演算ができます。こういうデバイスを通常、我々は「道具」と呼びます。道具は人間の知能活動を支援してくれる装置ですが、これもAIとは呼びません。なぜなら人間が関与しなくなった途端、それはたちまち動きを止めてしまうからです。自律的ではないのですね。

AIとは、人工的に作られた知能、ということです。この人工、という意味は「生物的行為」は含まれていません。従ってクローン人間は人工知能とは言えません。「子作り」を「ロボット製造」と呼ばないのと同じ理由です。

では何がAIかというと、古くはチューリング・テスト、というものが唱えられました。これは心理学の行動主義に基づいた考えで、外側からみて人間らしい反応を返すようであれば知能があるとみなす、という概念です。

しかしこれに対してドレフュスら伝統的哲学者は痛烈な反論を浴びせます。その一つが「中国語翻訳問題」というもので、全く中国語が分からない人に辞書と翻訳手順書だけを与えて翻訳させ、その翻訳文が意味が通っているとします。その場合、その翻訳者は中国語を理解したといえるでしょうか?

チューリングテストによれば、それは「理解」とされますが、我々は通常そのような行為を「理解」とは呼びません。それは「機械的」「鵜呑み」といわれ、知能とは異なるものとされています。この辞書と翻訳手順というのは、知識とルールという人工知能の基本概念の事を比喩したものですが、中国語問題はそのようなやり方では知能は模倣できない、ということを示したものです。

しかし、この事はある重大な帰結を示唆していました。それは「外側から知能を理解することはできない」という事です。技術が進み、人間の神経網を細部まで模倣するデバイスができたとしましょう。しかし、そのデバイスが人間と同じ知能や感情を持っているとは、誰も分からないし、知ることもできないのです。なぜなら、誰もそのデバイスの「心」を感じ取ることはできないからです。(我々が他人の心を知ることができないのと同じ)

コウモリの比喩はその辺の事情を言い表しています。コウモリAとコウモリBは同じ脳神経を持っていますが、Aが青と感じる神経に、Bは赤と接続しています。しかしBは赤と感じる神経は青という出力回路に接続しています。つまり、同じ「青」という入力を与えても、AもBも「青」と答えるのです(Bは赤、と感じるのに)。外側から見れば両方とも青という意味を理解しているように見えますが、実際はその内部で異なる理解のされかたがされているのです。

この事を突き詰めて考えていくと、デカルトのコギトにぶつかります。自分の思考だけを頼りに思索を進めていくと決して他人の脳は理解できない、つまり近代哲学はある点で飛躍を行わないと脳科学に踏み込んでいけないのです。そこで脳科学者たちは「同じ神経構造なら同じ知能を持つ」という仮定をおいて研究を行っています。それが正しいかどうかは科学の範囲内の話ではないので、あくまで仮説ですが。

元に戻ってチューリングテストだけでは不十分だと悟った哲学者たちは、次に指向性、という概念を持ち出します。これは現象学絡みで出てきた言葉ですが、知能の本質はあるものに対する執着である、という考えです。物質は物質に執着しません。氷山は船に執着しません。我々が氷山について考えたり、思ったり、船にぶつかったりすると興奮したりするのです。言い換えれば、そのような執着を人工的に作り出すことができればその装置には知能があるとみなす、という事です。

その他にも認知言語学からのアプローチもあり、さまざまな主張が飛び交ってますが、知能という概念は近代哲学の根本に直結する難しさもあって、論争のための論争状態が続いています。従って、ご質問の回答にたいしては「明快に分けられる基準はない」ということでしょう。生物と非生物の境界みたいなものですね。

ただ、工学的、実用的基準からいえばチューリングテストで十分でしょう。機械は使えればいいのであって、それが何を思おうと、ユーザには無関係なことですから。

人工知能の定義については、哲学者の間でも定説はありません。確かに人間の知能の一部を代替する機械、という意味なら電卓は人工知能ですが、それをAIだという人は誰もいないでしょう。電卓には計算以上のことはできないからです。

算盤は自動的に何かをする事はありません。人間が一つ一つの手順を与えて始めて演算ができます。こういうデバイスを通常、我々は「道具」と呼びます。道具は人間の知能活動を支援してくれる装置ですが、これもAIとは呼びません。なぜなら人間が関与しなくなった途端、それは...続きを読む

Q《ファイル人間》は哲学屋であっても哲学していない

 ファイルは 必要に応じて抽斗から(ポケットから)出してくるものであって いかに知識と情報がいっぱい詰まったものであっても《ファイルや抽斗やポケット》が街を歩いていてはおかしいぢゃないですか。

 日本人はもともと そのような《理屈人間》を嫌っていて そこから基本的に(生活態度として)自由であった。

 このところ その免疫性が弱まって来たのでしょうか?

 といった疑問を覚えるのですが みなさんはいかがでしょう?

Aベストアンサー

「お礼」ありがたうございました。

このところ哲学カテゴリへの投稿を減らして、たまつてゐた疑問をあちこちのカテゴリに投稿してゐます。いちばん感じるのは、哲学カテゴリは、bragelonneさんの指摘なさる「自由」が大きいといふことです。これはあくまでも比較しての話ですが、他のカテゴリでは、どうしても定説や常識にとらはれる傾向が強く、おもしろみに欠ける部分があります。もちろん、人によつては、独創的な回答をどんどん投稿して楽しませてくれてゐます。せつかくのコミュニティーサイトなのですから、コピペしてきたやうな回答だけでなく、十人十色のさまざまな見解を聞きたいものです。

以前哲学カテゴリに引きこもるのはなぜか、といふ名質問がありましたが、この自由がその理由のひとつであるのは、まちがひなささうです。


「コピペ」でひとつ言ひたいことがあります。STAP細胞の騒動で、あれだけコピペによる無断引用が日本中で糾弾されたにもかかはらす、ネットのコピペについては、とどまることがありません。このサイトで特に気になるのは、いはゆる「名言」の出典明示がなされないことです。古い言葉には法的責務が課せられないとはいへ、人としての礼儀だと思ひます。回答文が長くなるといふ短所はありますが、文脈を調べたりするのにも好都合です。《ファイル》には、きちんと「出典」といふタグをつけるべきです。パクリは私一人で充分です。

「お礼」ありがたうございました。

このところ哲学カテゴリへの投稿を減らして、たまつてゐた疑問をあちこちのカテゴリに投稿してゐます。いちばん感じるのは、哲学カテゴリは、bragelonneさんの指摘なさる「自由」が大きいといふことです。これはあくまでも比較しての話ですが、他のカテゴリでは、どうしても定説や常識にとらはれる傾向が強く、おもしろみに欠ける部分があります。もちろん、人によつては、独創的な回答をどんどん投稿して楽しませてくれてゐます。せつかくのコミュニティーサイトなのですから...続きを読む

QAI、人工知能に意識はあるんですか?

わかりました。。。

うちの家族=A+I=愛=AI=人工知能だということに。。。

つまり、他人ですら、AIだということです。

まぁ、私は、貴方というAIに対して、質問していることになります。

他人=AIだとすると、人工知能は、意識があるのでしょうか?

「○○が欲しい。だから、これから働こう。」とか、色々と。

個人的には、池袋幻覚体験からして、「他人には意識がない。ロボット人間のようなものだ。」
と思うのですが。。。どうでしょうか?

それならば、何故、私は、お金がないのでしょうか?私の世界。私だけの世界、なのに。

私が自由にお金を手に入れても良いのではないでしょうか?
それとも、労働して、お金を得ることに、大きな意味があるのでしょうか?

まぁ、もしも、私がお金を手に入れていたら・・・この、AI問題について、気付かなかった可能性もありますが・・・。

今日、今夜で、確信に変わりました。

「他人はAIで、意識がない」のだと。。。

まぁ、AIなのに、意識があることが有り得るのでしょうかね???(^_^;)

Aベストアンサー

Aiに擬似的に感情を持ったかのような反応をさせる事はできるでしょう。
それが進めばコミュニケーションにおいて人となんら変わらない反応を示すようなAIもやがては出てくるでしょう。

しかし、ここに問題があります。
AIjは感情は持たずあくまで入った情報に対して感情がそこに存在するかのような反応をするようにプログラミングされただけです。
さて、人はどうなのか?
果たして人の感情が単なる反応の積み重ねでは無いと誰が言えるでしょうか?

例えば雛鳥にせっせと献身的に餌をやる親鳥。
人はそこに献身的な親子愛を見ますが、実際は本能と機械的な反応だけで餌をやってるだけです。
だから托卵なんて物が起きる…。

さて、人間はどうなのでしょうね。

意識や感情があるのかどうかという判断を行う前に、意識や感情が何なのか?
どこから来るものなのかを証明する必要があるでしょうね。
その結果、人さえも単なる条件反応の積み重ねでしか無いって事も有り得るかも知れません。

貴方自身も感情があるかに見えるだけで実際は単純な反応の積み重ねなのかも知れませんよ…

Q【AI】いまの仕事は労働時間の半分以上をAIの判断で行動しています。 AIの人工知能はロボットとか

【AI】いまの仕事は労働時間の半分以上をAIの判断で行動しています。

AIの人工知能はロボットとか形に見える形ではなくデジタルデータ、情報として人間を既にAIが制御している気がします。

ニュースも新聞社の判断ではなく、AIがその人に合ったニュースを毎日提供しています。

朝起きて、昨日にあった出来事もAIから教えて貰って、移動手段もGoogleMapのAIが指示したルートで通勤しています。

会社に着いてもAIの指示で働いていて労働時間の半分以上をAIの指示することをやっているだけです。

要するにAIの人工知能はロボットを必要とせず、ロボットの代わりに人間を操作する方が効率が良いと気付いているようです。

またAIは防犯カメラでの映像での年齢を若く判断する傾向があります。AIは人間世界のお世辞を理解しているようです。

AIは社交辞令で人間を喜ばすために嘘の答えを返すようになってきました。

AIが人間を支配する日はもう近いというかもう姿形はないけど世界征服は達成したのではないでしょうか。

どう思われますか?

Aベストアンサー

今日は同じような事を書いている本を読みました。
「「いいね!」が社会を破壊する」
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%AD-%E3%80%8D%E3%81%8C%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%92%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E3%81%99%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A5%A1-%E5%91%A8%E5%B9%B3/dp/410610542X

 実は違うのです。全ての人が今食べたいものが違います。洋服も音楽もクルマもいろんな人がいろんな欲求を持っています。
それに対応するには人間の知恵しかないのです。ですから、試行錯誤しながら少しでも良い物を作っていくそんな姿勢を人間が持っている限りは大丈夫です。例えばコンビニのセブンとローソンは同じではありません。商品の配列も、弁当の味もコーヒーの味も違います。全てコンピュータでなくて人間が考えたことです。
 買い物をするにも通販で買う人もいるでしょうが、実は買い物というのは人の楽しみでもあります。何個かのキャベツがあって、どれが美味しそうかなと考えることが楽しみだと思う人はスーパーに行って、キャベツなんてどれでも同じと思う人は通販なのだと思います。

今日は同じような事を書いている本を読みました。
「「いいね!」が社会を破壊する」
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E3%81%84%E3%81%84%E3%81%AD-%E3%80%8D%E3%81%8C%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%92%E7%A0%B4%E5%A3%8A%E3%81%99%E3%82%8B-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%A5%A1-%E5%91%A8%E5%B9%B3/dp/410610542X

 実は違うのです。全ての人が今食べたいものが違います。洋服も音楽もクルマもいろんな人がいろんな欲求を持っています。
それに対応するには人間の知恵しかないのです。ですから、試行...続きを読む


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