創価学会の御書を勉強したいのですが、

昔の言葉なのでそのままではなかなかわかりません。

現代語にした本ががどこかに売っていないでしょうか?

宜しくお願い致します。

A 回答 (1件)

仮に現代語訳で読んだとしても、大聖人の御書を独学で理解することは不可能です。


仏教とは須らく相伝にあり、然も開会の法門でありますので、
字面を読むだけでは理解出来ないようになっています。
どんな時代であれ、正しい通解が無ければ意味がないのです。
ましてや師を勝手に在家の身分の池田代作に準えるような、邪義にすり替えている創価の解釈など、何の意味を持たないどころか、大罰必至となってしまいます。
大聖人の分身であられる御法主上人猊下を筆頭とする、御僧侶方に教わる以外の勉強法はありません。
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創価の良いところを、一般の人に分かるように具体的に教えて下さい。
書籍で言えば「人間革命」の何が良いか?
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宜しくお願いします。

Aベストアンサー

宗教は「ここが良い」「ここが悪い」という性質のものではないはずです。
もちろん、人により馴染みやすい、難いとか、師の話が面白い(興味深い)、聞いていてもどうも面白みがない、などはあるでしょう。

学会員の方がよく、「学会員は皆、良い人だ」「仲間に助けられた」「孤独から救われた」などと、コミュニティとして教団を評価するようですが、そのことと宗教(信仰)が混同されているようなのです。

宗教団体がコミュニティとして、二次的な役割ともなることは、もちろん否定はしません。
しかし、創価学会の場合はそこが中心となってしまっているようで、信者の多くは信仰以外の面ばかりで「学会は素晴らしい」と評価しているようです。

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それをまるで真実かのように理解し、誰にでも通用する話だと思ってしまのです。

ですから、あくまでも「信じていることなんだ」「信じている人にしか通用しないことなんだ」ということを理解してもらう必要があります。

私は、信じることを否定するつもりはありません。
しかし、宗教団体が「この信仰が正しい」と価値観を信者に植え付けてしまうというのは、明らかに間違いです。それは創価学会に限りません。
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勧誘し組織を大きくすることと、信仰により心を学ぶことはイコールではありません。
師から心や精神を学ぶことと、勧誘は関係ないのです。

宗教は「ここが良い」「ここが悪い」という性質のものではないはずです。
もちろん、人により馴染みやすい、難いとか、師の話が面白い(興味深い)、聞いていてもどうも面白みがない、などはあるでしょう。

学会員の方がよく、「学会員は皆、良い人だ」「仲間に助けられた」「孤独から救われた」などと、コミュニティとして教団を評価するようですが、そのことと宗教(信仰)が混同されているようなのです。

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No.2です。
学会誌や会報の作成で一番大変なのは、編集作業です。もしこのような冊子の編集をやったことがないのならば、少しでもやったことがある会員さんを編集担当として抜擢したほうが良いでしょう。
きちんとした体裁の学会誌を作るならば、既にある学会誌をいくつかサンプルとして、地元の大学の機関誌や学会誌等、学術系の冊子をよく手がけている印刷所(既存の学会誌の奥付を見ると良いです)に相談すると良いでしょう。費用は少し掛かりますが、きちんとしたレイアウトや文字フォント、紙の質などを提案してくれます。
ひとくちに印刷所と言っても、普段手がけているジャンルの得手不得手があって、仕上がりは似たようなものでも料金が大きく違ったりします。印刷所の規模や知名度よりも、得意分野の違いが大きいです。数社で見積もりを取ったほうが良いです。
なお、費用を抑えたい場合は、校正なども全部、著者と編集者(学会運営)でやることです。これがかなり大変な作業で、経験者と一緒にノウハウを積み重ねていくしかありません。

いずれにせよ、どのレベルの学会誌を目指しているのかによって、掛ける手間とお金は違ってきます。
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学会と言ってもサークル的なもので、学会誌も論文を掲載するようなものではない、会報レベルならば、そこまで気にしなくて良いのですが。

No.2です。
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Aベストアンサー

多分排他的なところが一番嫌われる原因かと思います。
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Aベストアンサー

それを言ったら儲からない(信者が増えない)でしょう。
時代により、相手により信仰のスタイルは違うわけです。
鎌倉時代ですか?日蓮という人は当時の民衆に合った(または可能な)信仰として「南無妙法蓮華経」と唱えなさい、と言ったのでしょう。そもそも魔法ではないのですから、南無妙法蓮華経と唱えても功徳や効果はありません。成仏できる、幸せになれると「希望」を与えることが目的でしょうし、信仰へのきっかけでしょう。

創価学会や日蓮正宗などのカルト教団は、「入信すると幸せになれる」「こうしなければ幸せにはなれない」などというように非常に偏った考え方を信者に植え込み、信者を欲や恐怖で縛るわけです。(好んで縛られている人もいます)

本当はそのように偏ったり、拘ったりする「心」についての問いや学びが宗教(信仰)ですから、まとも宗教指導者は「この宗教でなくてはならない」などということは言いません。
ただし、他の教団の批判ばかりをしたり、排他的で偏った考えの信仰については、激しく否定します。それは「宗教」ではないからです。カルト教団というのは宗教ではありません。

インチキ宗教は「正しい」とか「間違い」とか、そのようなことばかりに拘るように信者の心をマインドコントロールのようなもので操るのです。そして信じる気持ちばかりが強くなり深く考えることを止めてしまいます。「すばらしい信仰に出会った!」「本当の信仰に出会った!」と感激し、ある意味それが「希望」となり生き生きと見えるわけですが、結局は信仰に「依存」する弱い人間を作っているのです。

それを言ったら儲からない(信者が増えない)でしょう。
時代により、相手により信仰のスタイルは違うわけです。
鎌倉時代ですか?日蓮という人は当時の民衆に合った(または可能な)信仰として「南無妙法蓮華経」と唱えなさい、と言ったのでしょう。そもそも魔法ではないのですから、南無妙法蓮華経と唱えても功徳や効果はありません。成仏できる、幸せになれると「希望」を与えることが目的でしょうし、信仰へのきっかけでしょう。

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