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1. 神は 《神は有る》なる表現も《神は無い》なる表現も いづれ
をも 許容する。

2. 人間の見て知っている・また考えている《有無や善悪や因果関係》
を超えているのだから。

3. どちらか一つだけに定まったとしたらそれは どちらにしても人
間が勝手にそのように 神を規定し創ったに過ぎない。

4. あるいはつまり その人間たる人が 神は何であるかが分かった
と言っていることになる。

5. つまりは その人は神になったか もしくは神と同等の存在になっ
たことを意味する。 ――あり得ない。





6. あり得るのは 神をその人自身のいだく人間という位置と見方に引
きずり下ろして来たというだけである。

7. 《かみ》は 言葉でもあるから 言葉を並べるだけなら いかよう
にも想像し作文することが出来る。

8. 《神は存在する。これを信じないのはバカだ》派も 《神などはい
ない。いるというのは阿呆だ》派もいづれも ひとしくアホバカ教である。

9. 人間が神になったつもりでいる。

10. なんで神の心が人間に分かるのか。

11. ちっとはへりくだったら どうなのか。

――という問いです。

質問者からの補足コメント

  • つづき。

    ★ 肉体は動かすか動かさないかで物的に均衡した状態にあります。
    ☆ 均衡した状態ですか。つまり 臓器や神経細胞ははたらいていますが。
    精神(意志)のハタラキに関係なく 不随意の動きをもしています。

    ★ 心の外に、宇宙があるのかどうかも分りません。
    ☆ 《身と心》は 世界に属しています。そして《プラス・アルファ》は
    ――非思考の庭として・霊なるナゾゆえに――むしろ世界と一体だとも捉
    えられます。

    ★ 心が1+1=2に制約されている
    ☆ そうとも言えません。同じ自由意志を持つ《ほかのわれ alter ego 》
    との社会的な関係にあっては 思うように成らず 互いにその意志をとう
    とび合意に到るという手続きを大事にしています。

    そして 《1》と捉えているものごとは 時間的な過程の中に捉える必要
    があります。消えたり〔中身が充実して〕増えたりし得ます。

    お説は 質問してみて。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/05/14 10:23

A 回答 (3件)

人智を超えた存在を何故貴方は「知っている」のですか?


貴方はご自身が神だと仰りたいのでしょうか??
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

《永遠・無限・絶対》をそれなりに知っているほどに 神について
も 知っている部分があります。

無限は 二で割っても三で割っても 出て来た答えは もとのまま。
つまり 無限です。半分になったり三分の一になったりするわけで
はないですね。

それと同じように 神は この経験世界を超えている。というとこ
ろまでは 分かっているということでしょう。

お礼日時:2017/05/15 23:16

もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。



力はあるが意思が無いなら邪神である。

力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。

力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろうか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろうか?
☆ 神について 誤解があると考えます。

神は 経験世界を超えています。(そういう想定です)。

《力・意思》は この世の経験事象です。

ですから ふたつの別の世界のことを くらべたり一致させようとしたり
しているのではないでしょうか?

★ もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。
☆ 悪も 経験事象です。チカラもそうでしたが 全能も 同じくです。

つまり 人間の考える《全能》なんです。神は 人知を超えています。

★ 力はあるが意思が無いなら邪神である。
☆ これも あくまで経験世界における経験事象として ものごとを捉え
そこで どれほどのチカラか? とか 善悪・正邪がどうだこうだと人間
が考えているというものです。

神は その思考や想像やあるいは人間のその他の能力を 超えています。
そうでなければ 神とは言いません。同じ神という言葉をつかっていても
それは 人間のおもちゃとしての神であり 思考や想像の産物としての神
でしかありません。

★ 力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。
☆ という疑問や思考を 神は超えているわけです。

でも 同じ目線で考えるなら 悪は もちろん人間がその自由意志で――
つまりは おのれの主観がよいと思うことでも その心にさからってでも
ぎゃくのこと(つまり悪しきこと)をおこなおうとする自由度をも持つ自
由意志で―― やらかしてしまったのです。

お礼日時:2017/05/15 21:19

この世は物質と精神で構成されています。

もし、この世は物質のみで構成されているとしたら、私は何も感じないでしょう。

熱いとか赤いと感じている主体が私です。熱いとか赤いと言う感じは、幾ら高性能な顕微鏡で脳の中を覗いても見えません。物質が、熱いや赤いに対応する動きをしているのが見えるだけです。
その動きの刺激を受けて、精神である私が熱いとか赤いと感じているのです。
熱いや赤いは物質ではないので、それを感じている私も物質ではありません。私は、無限の感受性である精神です。

物質の全体を宇宙と言います。質問者さん、それでは「精神の全体」を何と呼んだら良いでしょうか。

そして、この世の始まりを物質のみで説明することは出来ません。物質の因果関係は、原因が結果を生じ、その結果が原因となり更に結果を生じると言う形になります。
従って、宇宙の始まりは原因なくして結果を生じなければなりません。つまり、無から有を生じなければなりません。しかし、それは不可能です。

一方、精神は物質を動かすことが出来ます。精神である私は物質である手を動かすことが出来ます。ですから、宇宙の始まりにおいて最初に動いたものは、「原因から自由な精神」以外にはありません。

質問者さん、この「宇宙を創造した精神」を何と呼んだら良いでしょうか?

 ユダヤ教・キリスト教では、外界は神が創造したと信じます。
 ここに物が落ちたのは、ここに落ちるように、宇宙が作られているからであると考えます。そして、どうしてここに落ちたのかを追求し、 物体は外から力が加わらなければ、そのまま飛び出した方向へ等速運動を続けるが、落下距離は時間の2乗に比例する為、 放物線を描いて地上に落下し、ここに落ちたことを発見します。
 宇宙で起る全てのことは、必然であり意図されたものであると考えます。ですから、一見偶然に思える事柄に対しても、 必然であると確信し、その仕組みを解明しようとします。
 ある天才は、「神はサイコロを振らない。」と言いました。 これは、現象を確率で説明しようとする態度に対して、必然な説明をしなければならないと批判したものです。
 この様に、西洋では神が宇宙を創造したと言う確信により、自然科学は発達して来ました。

 それに比べて、東洋では仏が宇宙を作ったとは考えません。精神の中に仏が存在していると考え、内心の仏を追求します。
 宇宙は偶然出来たと考えます。物は色んな所に落ちます。物がここに落ちたのは偶然だと考えては、 落下の法則や万有引力の法則は思いつかないでしょう。
 無神論も同様です。ハッキリと必然と分ること意外は偶然であると考えたのでは、人に先駆けて新しいものを発見することは出来ません。


 神を持ち出すと、単純に非科学的であると非難する方が居られます。しかし、科学で全ての現象を説明出来るでしょうか。
 第一、物質の因果関係のみでは、宇宙の始まりを説明することは出来ません。 物質の因果関係は、原因→結果=原因→結果=原因→結果・・・と続きます。原因があり、その為に結果が生じ、 その結果が原因となり次の結果が生じると言う順番となります。
 しかし、これでは最初の原因が存在出来ません。その最初の原因は、何らかの原因により生じなければなりませんが、それがありません。 物質のみでは、宇宙の始まりを説明できないのは自明のことです。

 また、コインのゲームを考えて見ます。コインを縦に立て、倒れて表が出れば私が勝ち、裏が出れば貴方が勝ちます。 科学では、このゲームで私が勝つ確率は50%、負ける確率も50%としか言えません。 しかし、現実にはどちらかが勝ち、掛け金を全て手に入れます。それを決めるのは何でしょうか。
 これと同じことは、素粒子レベルでは無数に起っています。完全に均衡している状態で、僅かな力が加わり少しの不均衡が生じると、 不均衡が不均衡を呼び次第に大きくなり、終にはコインは倒れます。

 確率は50%ですが、ほんの僅かな力が加わることで、表が出たり裏が出たりする。その為に、ある者は人生で成功し、ある者は失敗する。 その僅かな力が精神である可能性はあります。

 精神である私は、物質である手を動かすことが出来ます。肉体は動かすか動かさないかで物的に均衡した状態にあります。 ほんの僅かな精神の力を、物的に均衡した物質(脳)に加えることにより、手は動いたり動かなかったりします。 この様に、精神は物質を動かすことが出来ます。

 単なる偶然の連続で、この宇宙は進行しているのでしょうか。それとも、何らかの意図があり、僅かな精神の力が加えられているのでしょうか。

正しい知識を得るには、全てのものを疑うことの出来ない自明なものなのか否か問いかけることが必要です。 デカルトは、この方法的懐疑により、全ての知識を自明なものか否か検証して見ました。
 その結果、自明なことは唯一つしかないことが判明しました。それは、全てのものを疑っている自分が存在することだけは 疑うことが出来ないと言うことでした。 「我思う故に我あり。」です。それ以外は、正しいと思ってはいたが、そう思っていただけであることが分りました。 これが「無知の知」です。

 しかし、自明なものしか信じないのであれば、そこまでです。そこから先は、何を信じるかによります。
 心は、その中に宇宙を作り出しています。私たちが感じている宇宙は、心の外の宇宙ではありません。心が作り出した宇宙です。 心の外を覗くことは不可能です。心の外に、宇宙があるのかどうかも分りません。
 しかし、心は外界に似せて、心の中に世界を作り出しているのです。心の中では、1+1=0でも、1でも3でも何でも構いません。 心の中に在るものは、消えたり生じたりします。従って1つと1つ在ったものが消え去り0となっても良いし、 新しく生じて3になっても良いのです。決して増えもせず減りもしないと前提して、1+1=2としなければならない必要はありません。

 しかし、外界では、無から有は生じませんし、有が消滅して無となることもありません。エネルギー保存の法則が成立します。 従って、1+1=2でなくてはなりません。
 心が1+1=2に制約されている事実は、心の中の世界は、外界に出来る限り似せて作られていることを証明しています。 外界に1+1=3を適用すると、その行動は誤りであり、失敗するからです。
 従って、外界には、心で感じている様な世界が存在することを前提とせざるを得ません。

 宇宙の仕組みを完全に解明した時、物質だけでは説明出来ないことが残されたら、神の存在を証明したことになります。  この様に、宗教は全く科学的な態度であると言えます。

「神の存在」について、私のホームページに纏めました。是非ご参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/syuukyouhahikagakut …
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

(あ)★ その(=物質=神経組織の)動きの刺激を受けて、精神であ
る(=精神と身体とから成る)私が熱いとか赤いと感じているのです。

(い)★ 熱いや赤いは物質ではないので、それを感じている私も物質
ではありません。

☆ (あ)でもすでに 《精神のみ もしくは 精神優位かつ身体の劣
等視》に片寄りがちですが (い)になると余計に極端に走って行こう
としています。――ダメ!

★ つまり、無から有を生じなければなりません。しかし、それは不可
能です。
☆ かつて西欧で《無からの創造 creatio ex nihilo 》と呼ばれた世界
の起源説は――神が あくまで経験事象としての《有る無しや因果関係》
を超えていると想定されるからには―― その《無》というのは やは
りあくまで《相対的な有る無しを超えた何ものかなるナゾ》のことを言
います。

《無》と言ったから ややこしい。ということです。

でも そのことによって分かるのは 《神は 人間世界が物質と精神と
から成るのに対して その両者を超えている。つまりは 絶対的なナゾ
の何ものかであり 昔からこれを霊と呼んでいる》ということです。

つまり:
★ 宇宙の始まりにおいて最初に動いたものは、「原因から自由な精神」
以外にはありません。
☆ というのは この場合の《精神》とは 相対的な身と心というとき
の心つまり精神であるのではなく 身と心とを超えたナゾとしての精神
つまり 霊のことだとことわらなくてはならないのです。

けれども 霊なるナゾ〔としての《無 あるいは 精神》〕が その絶
対の場から 相対なる経験世界をどのようにつくったか? これは人間
には分からないでしょう。

つくったのではないかも知れない。霊なるナゾは 《無い》かも知れな
い。つまり 《有る神》説だけではなく《無い神》説も 同等にあり得
る。――これが 神であり 普遍神です。

★ 精神の中に仏が存在していると考え、内心の仏を追求します。
☆ 身と心とさらに +α なる非思考の庭を想定するのがよいでしょ
う。

【信じる】(+α):非思考の庭:アートマン(霊我);ブッダター(仏性)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【考える】(心):思考の緑野
【感じる】(身):感性の原野

つづく

お礼日時:2017/05/14 10:05

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