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マイケル・コーバリス著の”意識と無意識のあいだ”を読んでいます。
次のような興味ある説明に出会いました。

<奇妙なことに、家畜化されると動物の脳は小さくなるらしい。イヌは同程度の大きさの体をもつオオカミより脳が小さく、ボノボはチンパンジーより脳が小さい。人類も、現在は絶滅してしまったが自分にいちばん近いネアンデルタール人よりわずかながら小さい脳をもつ。>

人生相談ばかりには飽いているであろう、哲学カテの常連様に、次の質問をさせてもらいます。
“人類は誰に・何に飼われている?”のでしょうか。

A 回答 (8件)

多細胞生物の細胞は、単細胞生物の細胞より単純です。


単細胞生物は、単体で環境を甘受し、運動して捕食、
消化、生殖する必要があるのに対し、多細胞生物の
細胞は、環境との相互作用を神経やホルモンによる
反射的なものに退化させ、それによりシングルアク
ションするだけになってしまっているからだ。
(大量生産の工場では、生産ラインの一か所で単純
労働するだけになるのと同じ)

人類は本来、脳の発達により環境と自律的に対応し、
単体で複雑な行動をとれるのが特長であったが、
分業化・組織化する中で、単一行動化し、お金や
出世といった“馬車馬の目の前のニンジン(社会的
二次情報)”に対して、反射的に行動するようになっ
た=本来助け合っている社会で競争し、他律的に
社会行動をとらされる(お金をもらうためにイヤ
イヤ働かされる)ようになってしまったのだ。
人を操っているのは、「誰か」ではなく社会常識
(法規や教育、常識といったミーム)、即ち単細胞
生物が集合して多細胞生物になったように、個体の
集合の上に、超個体的な生命体を形成しつつある。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
人類は、進化(良い結果なのか悪い結果なのかわかりませんが)の果てに、<シングルアクションするだけ>
で、ある程度の生存ができる境遇になった、のですね。おそらく、生存についての対応が容易になり、人類は小型化しても差し支えなくなった、のでしょうね。

お礼日時:2017/05/17 17:37

「快楽」に飼われている、と言っていいのでは。



しかも、できるだけ効率的に得ようとするようになったと思う。

努力している人もいるけど。

一番厄介なのは「自分がすごい、偉い」という快楽。
現代人はここに行き着いていると思う。

そのために他人を平気で使う。

私の中にも、時折顔を見せるが、私は必死に打ち消そうと努力している。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
<「自分がすごい、偉い」という快楽。>
が、目に余りますね。例えば犬も快楽を追いかけていますが、とりあえず満腹になれば、達成でしょう。しかし、人は、
<他人を平気で使>
ってどこまでも追いかけて行き、沢山の他人様を虐げても、気付きませんね。(自覚しているかもしれませんが、無視しているのでしょうね)

お礼日時:2017/05/23 19:39

普遍的ではないことに対する盲信という枠組みの奴隷。


みたいな言い方もできると思います。
そこから解き放たれることで発揮できる真の可能性に気づくことができない。

わがままな主観やいい加減な客観を押し付け合って
無駄な争いにエネルギーを費やすもったいない人生。

そうならないための深い模索にもっと市民権を持たせるべきだとは思います。
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この回答へのお礼

盲信という、大壮な・大袈裟なことではありません。
見方を変えてみると、別な切り口が見え、ものの実態がより深く理解できる、と思います。
例えば、この世にお金がなかったら、光の速度が毎秒3キロであったら、ミッドウェイ海戦で日本が負けなかったら、などと考えることにより、ものごとの実態がよく分る、と思います。
硬直ではなく・柔軟に考えることが必要でしょう。
今回も、1・3・4・5の回答者様から頂いた発想や思考に、考えるところが沢山あり、有意義でした。

お礼日時:2017/05/18 15:09

1589年、ドイツのペーター・ビンスフェルト(Peter Binsfeld)は、罪と悪魔の関係を記した著作を著したが、その中で、七つの大罪も特定の悪魔との関連付けている。

このような七つの大罪と悪魔との関連づけは、キリスト教の本質的な部分と無関係だが、通俗的なグリモワールにおいて引用されることとなった。
七つの大罪と悪魔の関連を最初に表現したのは、16世紀の版画家ハンス・ブルクマイアーである。これには、悪魔がそれぞれ自分の名の記されたリボンを手にしている姿が描かれていた。また、中世には悪魔でなく動物の姿で表しているものも見られる。

七つの大罪とそれに比肩する悪魔と動物
大罪 対応悪魔 動物
傲慢(高慢) ルシファー[5] グリフォン、ライオン、孔雀、蝙蝠
憤怒(激情) サタン ユニコーン、ドラゴン、狼、猿
嫉妬(羨望) レヴィアタン マーメイド、蛇、犬、猫
怠惰(堕落) ベルフェゴール[6] フェニックス、熊、牛、驢馬
強欲(貪欲) マモン ゴブリン、狐、針鼠、烏
暴食(大食) ベルゼブブ ケルベロス、豚、虎、蝿
色欲(肉欲) アスモデウス サキュバス、山羊、蠍、兎


https://ja.wikipedia.org/wiki/七つの大罪

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


悪魔だとしてもどのような悪魔なのか想像もできないです。
なんらかの超越的存在など馬鹿げているとは思うのですが。
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この回答へのお礼

御尤もです

お礼日時:2017/05/30 20:14

ああ、こんな回答も思いつきましたよ。


文明の奴隷。
発達する言語、人間を乗り物にして言葉という霊的なものがどんどん発達してゆく。人間はその肥やしみたいなもの。

頭でっかちには、注意ですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
人が作り上げた言葉が発達してゆき
<人間はその肥やしみたいなもの>
になって、人間はかえって貧弱になってゆくのですね。

お礼日時:2017/05/17 10:28

悪魔にでも飼われてるんじゃないですか。


産めよ増えよ地に満ちよ、とは聖書の言葉ですが、あそこらへんの神と称する民族に飼われてるのかもしれません。
地上に空の星々の三分の一が落ち、随分と地球の夜は賑やかになりましたね。

私は、飼われる人生なんてのはまっぴらですね。何者かである人生なんて私はごめんです。
と思って今日もテレビで野球観戦してました。

人は、自らの創造性の虜、従僕となっているとも考えられます。
創り出すことは楽しいですが、創り出す事よりも楽しい事がある気がするのです。
人間は、考えることしか能がないとは思えないんですよね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<人は、自らの創造性の虜、従僕となっている>
ですね。自らが発展させた創造性に安住したり・隷属している、ということが考えられますね。創造性は素晴らしいものだけに、他を等閑しているのかもしれませんね。

お礼日時:2017/05/17 08:44

<奇妙なことに、家畜化されると動物の脳は小さくなるらしい。


イヌは同程度の大きさの体をもつオオカミより脳が小さく、ボノボはチンパンジーより脳が小さい。
人類も、現在は絶滅してしまったが自分にいちばん近いネアンデルタール人よりわずかながら小さい脳をもつ。>
 ↑
さて、上記の文章で、
「人類は、家畜化している。」⇒“人類は誰に・何に飼われている?”
は、乱暴では?

犬と狼の比較。ボノボ(?)とチンパンジーの比較。
これ自体にも、問題が有るとは、思いますが、
人類とネアンデルタール人との比較は、さすがに乱暴でしょう?

先に、この大先生の言う事が、正しいと、無条件で信じる事が、問題ですし、
大体ネアンデルタール人は、人類ではない。

また、この大先生も、「人類が家畜化している。」と言っている訳でもないのに、
文章上は、人類を、犬と狼、ボノボとチンパンジーと同列に扱っていて、
ネアンデルタール人と同類に扱っている。

その意味で、この文章は、支離滅裂で、意味不明になっている。

この程度の内容で、“人類は誰に・何に飼われている?”と
悩むほうが、時間の無駄、だと思います。

本に書いてあるから、それが正しい、と思うのは、
日本人の悪い癖、だと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<人類とネアンデルタール人との比較は、さすがに乱暴>
これはわかっております。ただし、他人様にはご迷惑をおかけしていますが、私は、無駄な楽しい妄想を愉しんでいますので、大目に見て下さい。

お礼日時:2017/05/16 19:40

人類は人類に飼われているのです。


自分で自分を家畜化している、という考えは社会学の中にもあります。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうごました。
<自分で自分を家畜化>
自縄自縛になるのですね。自分ではなかなか気付にくいですね、

お礼日時:2017/05/18 17:43

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