教育の本質ということで「教育哲学」という言葉を思いついたのですが、
すでに学問の領域として存在していたことを知りました。

現代の日本において教育は、実利のみを動機とし、目的としていると思い
ます。これは、教育が欲望達成のための道具に成り下がっているというこ
とで、あるべき姿ではないと考えます。

教育の本質、つまり、社会は個々の人間に何をおしえるべきであるのか?
また、広く教育についてのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

A 回答 (15件中1~10件)

>教育の本質、つまり、社会は個々の人間に何をおしえるべきであるのか?



食糧の調達と保存と加工方法、それに栄養学、あとは哲学を教えるべきです。
上記を無償の義務教育として、それ以外は有料の選択科目とすればよいでしょう。

>また、広く教育についてのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

教師の収入・生活を確保するための議論は排除して、個人が自由に教育を買えるようにすることが重要です。
教育を買うだけのカネがない人達には、食糧の調達と保存と加工方法、栄養学、哲学だけは無料で(税金んで)教えるようにしましょう。
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この回答へのお礼

哲学を重視しておられる点は、大変に共感出来ます。

あとは、健康に生きてゆくための必要最小限のことを無償の義務教育とし、
それ以外は有償の選択科目とする、と。

大変に無駄のない合理的な教育システムに思えます。

私は貧乏な家庭の中に「埋もれた人材」がしばしば存在すると思っています。
私のように(笑)。
その人材発掘の補完的システムがあれば、教育システムとしては理想的なもの
かも知れません。

お礼日時:2017/05/21 14:30

>衰退の一途ですよ。



ははは。たぶん私は衰退を受け入れちゃったんですね。

もっとも分野とか、それが衰退した時の影響とか、色々と違うんだと思います。最初はそういうところに還元して、私の理由を説明してみようと思いましたが、どうもピンとこないですね。匿名のサイトで、それを言って何になるという感じはしました。

結局、私は、自分が責任を持って継承していくことに手一杯なんだと思います。また同時に後の世代のことを考えるのは、70過ぎたご老人にお任せして、現役時は、自分の世代が継承していくことに懸命にならないとならないと思うのです。

もし70代まで自分が生き残っていたら、その時考えようかなと思います。もちろん振り返ったら荒野しか残っていない可能性はあるわけですが、それもそれで一興と思います。とにかく自分にできることを今はやるのみです。
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この回答へのお礼

>とにかく自分にできることを今はやるのみです

要するにこれなんですが、雑談ついでに私が強く思うことを申し上げますと…

人間の能力はたいした違いはなく、限りがあるという点は共感します。しかし、
何をしようかという目標を明確にすることと、何が可能で何が不可能かを決定す
る基準が人によって大きく異なると思うんです。

私は理想家ですので、不可能ということは基本的に考えません。しかし、人生は
そんなに長くないので、自分の一番やりたいことを選んでそれに挑戦したいので
す。

「あんな普通の人が、誰もやろうとしないことを、"ちょびっと"やったよ」
と、世間から言われれば満足です。

出来ることは大抵「ちょびっと」ですが、自分じゃないとできないことをするこ
とが、人生の醍醐味だと思いますねえ。

お礼日時:2017/05/22 12:10

>これも、文明としては大変危機的なことであるはずです。



うーん。まあ、危機は常にあるわけですが、文明はそんなに柔なものでもないと一方では思うのです。危機といえば幕末・戦後の方が危機だったと思います。現在の私たちについては、自分たちがふるいにかけられていると思った方が、生産的にならないでしょうか。
いや、DRさんに対して失礼なことを言っているわけではなくて、自分を選んでくれる若者なんて、千人に一人くらいの割合だと思っていてよいのだと思うのです。いや、一万人に一人かもしれません。ともかく気の遠くなるような低い確率です。

そして口で選ぶと言っても、「道」は厳しいものです。SNSで言葉をかわすとか、酒杯を傾けて駄弁っているだけでは、何も伝わりません。自分の作ったものを前に、相手が研鑽を積んでくれないと無理なのです。そしてそういう意味での継承は、目に見えないことだと思うんですね。飲み会を平気で欠席して、会話を拒絶する人が、実は一番、中身を継承している可能性はあると思うのです。昔の私がそういうことだったと思います。相手と会話しないくせに、相手の著作を一番読んでいましたね。

継承するということは、全く同じものを再生産するということではないと私は考えております。平たくいえば、アレンジを加えていくということです。そのためには、継承者の自由を守る距離感も大切なんです。
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この回答へのお礼

私の現代文明危機論は、かなり考察は進んできました、特に日本の。

仰るように、そう簡単に消滅するとは思いませんが、かなり貧乏になり、
人心は更に荒廃し、経済的他国の支配が強くなって、日本人の誇りなどは
消えてゆくだろうと思っています。

そうですね、幕末とか戦後のほうが政治的危機ははるかに大きかったので
すが、現代の特徴は、一般庶民に国や社会を思う気持ちがなくなり、エゴ
が強くなり、怠惰になっている点だと思います。

>自分たちがふるいにかけられていると思った方が、生産的にならないで
しょうか

これですね、いかんと思います。

これ、話し始めると長くなるのでここでは省略しますが、今の日本は超わ
がまま社会ですから、そのわがままを抑えつつ、何とか方向性をつけてゆ
かないと、衰退の一途ですよ。
そのためには、我々「壮年」がリードしなきゃどうにもならないというこ
とです。
「継承」というのは相手のすることで、結局こちらは訴えるしかないので
すが。

そりゃあ、難しいですよ。
だから、しぶとく努力を重ねるんですよね?

お礼日時:2017/05/21 22:16

それを現実化出来るもの、それはあると思います。

何かと言うと、私が好んで使わない言葉で、愛と表現されるものです。分け隔てなく、人として対等に扱ってもらった、或いはエゴを超えて自分がそのように他者を扱った、その経験によって、自分存在の自覚や肯定、他者存在の覚知や受容が為されるのだと思います。つまり、平等心という事ではないでしょうか。
私が愛という言葉を使わないのは、世間では愛が、エゴの表現かのようにまかり通っているからです。例えば普通、自分の子供は他人の子供より大事で可愛いものです。これは世間では愛と言われますが実際はエゴです。エゴがダメというのでは無いですが、それは愛では無いと私は思うので、世間で通用する語彙との間に齟齬があるので、この言葉を使わないのです。人はそんなに綺麗なものではないのに、愛という言葉で着飾って、図々しく前に出てくるのは憚られます。

デビッドさんの探求を応援していますよ。
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この回答へのお礼

「愛」、あるいは「正義」「善」でもいいですが、普遍的な概念というものは
存在します。

しかし、これらのものは普遍的なもの以外に、個別のものがあります。
仰るように、自分の子供は愛するが、他人の子供などどうでもいいということ
であれば偏頗な愛、つまり「エゴ」になってしまいます。

一国の正義のために他国を犠牲にする場合も同様ですね。

つまり、人間が普遍的な愛というものに立てない生き物なのであれば、理想とい
うものは「ない」といえるでしょう。

自分を愛することは当然として(自分を愛さないのもまた間違いでしょう)他人も
愛するということが、できるのかどうか?
そのように言い換えていいかと思いました。

>デビッドさんの探求を応援していますよ

ありがとうございます。

お礼日時:2017/05/21 21:36

>感覚的な理解だから、自分の中できちんと言葉にするのにえらく時間がかかりました。



おっしゃることは同意します。でも、皆んなこれでいいんじゃないですか。つまり、若い人に楽をさせてやろうという親心が仇になることは多々あります。若い人にもそういう風にやってやったらいいと思うんですよね。
しかし若い人はスマホもパソコンもあって、接触できる情報が膨大です。そういう中で刺激が強い情報(ポルノなど)に飲み込まれて行ってしまう可能性は高いと思います。黒澤映画を前に、何かを吸収できる感受性があるかどうか。まずここら辺が難しいところです。ポケモンが出てきたり、ジャニーズのアイドルが語ったり、こういう入口がないと入っていけないのかもしれません。

>なんというか、「しぶとさ」を感じますね。

企業家的というより、一人で社会に向き合っていくための用心深さだと思います。まあ前にお話ししたような「いじめ」のようなものも多くありましたから。私は田舎の連中が嫌になってしまって、そこから遠ざかるような道を選びました。しかしいろいろ見て回って、人間の本質はそう変わらないと思いましたね。底意地は悪いものだということ。そして「頭の良さ」は、御釈迦様から見れば50歩100歩にしかならないということ。人間の頭の良さなど、本当に微々たる差でしかありません。その差を積み重ね、大きな成果をあげるためにはどうすればいいのか。しぶとくやっていく他ないのです。
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この回答へのお礼

知り合いの20代のある男が曰く、「同世代の人間は成長しようという意欲がない」と。

彼はそう言うだけあって、何かを吸収しようとする意欲を感じます。ですから、彼は年上
の人間と話したがります。
この辺りも二極化しているのかも知れませんが、青年として、力ある先輩を尊敬し、吸収
しようとするという本然的な精神が多くの青年の場合なくなっているのではないかと思い
ます。

これも、文明としては大変危機的なことであるはずです。

ポルノの話がでたので一言。

私はこれまで「ポルノ」といえば有害なものとしか思えなかったのですが、最近少し変わ
ってきて、「特殊なもの」でなければ、あっけらかんと出してしまったほうが、変に隠す
よりいいのではないかと考えるようになりました。

>人間の頭の良さなど、本当に微々たる差でしかありません。その差を積み重ね、大きな
成果をあげるためにはどうすればいいのか。しぶとくやっていく他ないのです。

ああ、賛成ですね。

お礼日時:2017/05/21 14:49

この辺りの考えを進めて行くとどこに行き着くか。


平等な社会だと思われます。
文明は奴隷や労働者を欲しがりますが、そんなものに旨味はありません。力を持ったものは如何に大衆を操るか、よく言えば導くかに腐心しますが、それもこれも衆愚政治を敷くからです。
人は隠れたる悪の力に価値観を歪まされ、要らないものを高価(時間など)で売りつけられていると思います。
正しい価値観を教える事は押し付けになるのでできないが、自由によって各自が本当に求めたるところを推し進める事は出来るのです。
枷をはめて人間を形作るやり方から、枷を外して自ら成長するやり方へ転換すれば、歪んだヒエラルキーのある文明から、遥かに飛躍したそれへと達する事も夢ではないでしょう。
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この回答へのお礼

>枷をはめて人間を形作るやり方から、枷を外して自ら成長するやり方へ転換すれば

これを可能にするためには

>一個の人間であることの自覚と、他者存在の覚知(とその受容)

などの、哲学・思想的なことだけではなく、人間の「精神性」の変革が必須であると
思います。
深い哲学を知ったとしても、それを信ずることができなければ行動には至らないと思
うからです。

現代のようにエゴに満ちている状態では、哲学も自分の身を飾る装飾品にしかならない
だろうと、シビアに見ています。

真に一個の人間であることの自覚と、他者を受容のできる「精神性」とはいかなるもの
で、それを現実化できるものは一体あるのか、ないのか?

そんなことを考えました。

お礼日時:2017/05/21 14:12

>中学生くらいまでの早い時期に、いかに無理なく本質的なことを教えてしまうかということだ



うーむ。確かに最初に見当違いのことを教えられると、その後に影響を及ぼすことが多々あります。しかしこれは仕方ないのかもしれません。一つ自分の例を出すと、私は研究の仕方について、最初に間違ったことを教えられ、頓珍漢なことをやり続けたと今にして思います。最初に私を教えたがった人が、まあ良くも悪くも、二流の方でした。結果、その手法、その方にとっては良くても、他で通用しませんでした。

私は最初が躓いたもので、途方にくれました。普通なら、ここで潰れてしまうところでしょう。しかし私は多くの点でラッキーでした。結果からいうと、最初が失敗したおかげで、いろいろ見て回ることができて、成長することができました。本質っていうのは難しいことです。むしろ最初にズバッと教えることはできないと見越した上で、やり直せる機会を多く作ってやるべきだということを自分の経験では思います。本質は五里霧中の試行錯誤の中で、なんとなく体感して行くものだと私には思えるのです。

そして中学校の先生だと、難しいこともあるんだと思います。いじめの問題にしても、結局、熟慮するにはたくさんの読書が必要です。そして一番難しいのは、中学生には、理論を教えればいいというわけではないということです。理論も教えるが、それ以上に先生が実践して見せて、薫陶していかないとなりません。こんなことができれば、そりゃあ素晴らしいことです。しかしお釈迦様でできるかできないかというところだろうと思います。私はできないでしょう。

おっしゃることは理想なんだが、実行するとなると難しいと、私は自分の経験を通じて思うのです。
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この回答へのお礼

>最初に私を教えたがった人が、まあ良くも悪くも、二流の方でした。

そうでしたか。このあたりはもう運不運の問題で、いかんともしがたいですね。

ああ、それで納得できる気がします。
骰子さんの頭の良さは、秀才のそれでなく、また、学術研究者というお堅い職業の
それとも思えなかったんです。
野心的で戦略的で、起業家的だと思いました。

なんというか、「しぶとさ」を感じますね。それは、おそらくかなり強い自信?

一方私は、読んだ本が良かったと思っています。そこで、知らず知らずのうちに本質
的なことを学んだのであって、学校で教わっていないと思います。
あとは手塚治虫の漫画と黒澤明の映画ですかね。

感覚的な理解だから、自分の中できちんと言葉にするのにえらく時間がかかりました。

>おっしゃることは理想なんだが、実行するとなると難しい

まあ、そうなんですが…

お礼日時:2017/05/21 01:41

実利ということが


既存の枠組みの範疇で有益であると考えられていることの追求における目先の能率のみを求めるものであれば
それは現時点で未知の領域に広がる可能性の獲得を不可能にする
有害な方向だということになると思います。

それはより普遍的なスタンスからすると
外骨格的に自由度を閉じ込めるやり方となって
どこかでピースが合わなくなって破たんし
威力が大きい時代になるほどその結果によるダメージが大きくなることが想定されます。

内骨格的に普遍的な軸を持って
それにまとわりつく形で無理なく自由を展開して発展していくような
そういう社会を実現できるような教育が望ましいのではないかと思います。
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この回答へのお礼

「外骨格的」「内骨格的」という表現は、面白いですね。

そう、我々人類は、より進化した文明を作れる時代になってきたのだと
思います。

ですから、各々の得意分野で一歩前進への行動をおこなってゆければと
思います。

お礼日時:2017/05/21 01:08

>実利のみを動機



これは、直接的に職業などに役に立つ、職業選択の自由を広めるという意味の実利に偏りすぎという意味でしょうか。

例えば、微分積分を学ぶ理由は、微分積分が必要な職業に就けるという意味で「その個人の、職業選択の自由度」を広げるための実利があります。そういう実利に、偏っているという意味ですかね。


道徳教育とかも、自分の人生観の自由度を高めるためや、まともな社会人になるための手助けとして実利があると思いますが、そういう教育は受験に出ません。やはり受験に出る科目は、「その個人の、職業選択の自由度」を広げるための実利に偏っていますね。


もしそういう意味の「実利のみを動機」なら、そうですね。
その通りだと思います。

道徳教育とかも受験科目にしてほしいですね。どういう問題にするかにもよりますが。



ただ、私個人からすると、実利を求めるのは教育としては仕方ないと思います。
問題は、誰にとっての実利なのかという点かと思います。

日本の教育で、そういう問題点は多いと思います。
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この回答へのお礼

教育を、実利のみを動機とし、目的とするという事は、学校での教育が
(その延長である塾も含めて)よりよい就職のため、という一点に向かっ
ているという事です。

私の人間観は、人間はもっと多様なものである、というものです。

視野の広い人もいれば、一つの分野に集中したい人もいる。
論理的な人もいれば、感覚的に鋭い人もいる。
独立心の強い人もいれば、組織向きの人もいるでしょう。
物に興味のある人もいれば、精神的なものに惹かれる人もいる。

それが、現在の教育の実態は、同じ鋳型の人間ばかりできていると思う。
「落ちこぼれ」という不良品を出しながら(私のような)。

一般大衆が、そのように思わなければどうにもならないのですが、もっと
深い意味で「商業選択の自由」いや、「人間の自由」をまず教えることが
教育の本義であると思います。

ただし、専門学校というのは職業訓練みたいなもので、目的がはっきりし
ているから、結構だと思います。

お礼日時:2017/05/21 00:57

こんにちは、David_Rossiさん。


興味深い問いかけですね。


___________


僕は人が【商品】として扱われることにも慣れちまいましたし、【規格品】として何とか僕を一般市場に並べてもらふことに普通に必死ですし、労働相応のお金を頂戴するというシステムにも慣れちまいましたし賛同してをります。



今日は取り急ぎ、仕事に拘わらず生きる上で大切な≪5S≫と≪PDCA≫を紹介します。
→ S1. 整理(S eiri)
→ S2. 整頓(S eitonn)
→ S3. 清掃(S eisou)
→ S4. 清潔(S eiketsu)
→ S5. 躾(S hitsuke)
中でもS1.の【整理】は、常に必要不可欠だと思います。【整理】というのは、必要なものと不要なものを区別して、不要な物は潔くゴミとして処分し、必要なものだけに絞り込んで保存するという作業であり、選択の連続である人生に於いて極めて重要です。

S2.の【整頓】は、S1.で【必要と判断され手元に残った物事】を自分が使いやすいように配置することです。人生の主人公は自分ですので、自分が生きやすいように工夫することも必要不可欠だと思ひます。

以下S3.~S5.は勝手乍ら省略します。


___________


【PDCA】についても話したかったのですが、今日は力が尽きましたので気が向いたら明日以降、また現れます。
P → Plan(計画を立てる)
D → Do(実行する)
C → Check(審査する・問題を発見する)
A → Action(対処する・改善する)


いささか省略しすぎですが、教育を施す側と受ける側とが、相思相愛になれるのが最高です。ではまた。
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この回答へのお礼

>僕は人が【商品】として扱われることにも慣れちまいましたし、【規格品】
として何とか僕を一般市場に並べてもらふことに普通に必死ですし、労働相応
のお金を頂戴するというシステムにも慣れちまいましたし賛同してをります。

現在の経済社会は、トップダウンの傾向は強くなっているように思います。
下にゆけばゆくほど機械とか道具扱いされるようですね、暗に。

人間が人間扱いされないのですね。これも教育の賜物でしょう。

「5S]と「PDCA]ですか。もう少し説明をしていただけるとありがたいです。

お礼日時:2017/05/21 00:23

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