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日本人は「言葉は言霊」と言い、言葉を口に出すことの大切さを説きます。
しかし、その一方で、「言葉は事の端であり、ものごとの本質は言葉で語り尽くせるものではない」と言い、それが論理的な思考を妨げる要因にもなっています。

これらの考え方は、一見すると間逆のようにも見えます。
しかし、本質の部分で共通する面があるから、このような考え方が生じるのだろうとも思います。

ではその本質とはなんでしょうか?

A 回答 (5件)

「言霊」とは、それほど他者に対して重大な影響を及ぼすことが可能であるということの証明でもあるのでしょう。


一方、「言葉は事の端であり」というのは、カントの「物自体」ではありませんが、言葉で表現することによって、その対象の本質そのものを正確に認識できるわけではない。
つまり、強力な効果を発揮するツールであると同時に、視点を変えれば、儚いツールである、ということなのだと思います。
たしかに、このことは、『論理的な思考』の限界を意味しているかもしれません。
しかし、それが唯一のツールであり、それを使いこなしていくのが重要な伝達手段のひとつである以上、また、実際そのように我々は振舞っているわけですし、『論理的な思考を妨げる要因に』なっているとは言えないでしょう。
言葉に限らずモノゴト・事象は、基本的にこうした「真逆」の要素、つまり矛盾のバランスによって成り立っています。
本質とは何かーーー、もうひとつの答えがあるとするなら、ここかもしれません。
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単純に真逆でしょう。

一つの文化の中に、まったく相反する思想が
あることは、全然不思議なことではありませんよ。

イスラム圏のエジプトには、女性が肌を露出することを厳しく咎め
る伝統と、露出度の高いベリーダンスの伝統が共存しています。

あるいは、しばしば画一的なもののように誤解されがちな日本の武
士道にも、忠義・礼節の主流もあれば、大義・覚悟の『葉隠』武士
道もあります。
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言語の本質は「コミュニケーション・ツール」に尽きるかと。



言語によるコミュニケーションが、重要であることは言うまでもなく。
しかし、言語によるコミュニケーションで、全てが伝わるワケではないことも確か。

真逆でもなければ、何ら齟齬もなさそうですが・・。
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本質ですよね。


何を言ったとしてもその通りになるとは限らず、論理も現実の海に沈むしかない、という気候(気象ではない)条件です。
温帯モンスーンは予測不能ですが、ある程度人間の論理を許してもくれます。その微妙さが本質です。
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「言葉(ことば)」と「言霊」を直設比較するには無理があります。

「ことのは」の「は」は一つの語源説として「端」を考えることもありますが、必ずしも定説とは言えません。したがって「言葉」の存在を軽く見たとは言えません。
 一方、「言霊」は一種の信仰に近い意味があり、それを信じるべきか否かは、時代や人によるわけで、全ての人が信じる考えとは言えません。以下「言霊」についての説明です。
 
 以下引用………………
言霊
 言語に宿ると信じられた霊妙な力。言語に霊的な力があると信ずる傾向は、未開の民族に普遍のことであるが、古代日本人は「かみこと(神言・神語)」(日本書紀、万葉集)の霊力を信ずるだけでなく、人間のことばにも善いことばは吉事を招き、不吉なことばは凶事をもたらす力があり、「こと(言)」は「こと(事)」であると考え、「敷島の大和(やまと)の国は言霊の幸(さき)はふ国」(万葉集)と信じていた。この言霊信仰ないし言霊思想は、祝詞(のりと)・祝言や呪詞(じゅし)を生み、忌みことば(アシ〈葦〉は、縁起が悪いとしてヨシと呼び換える類)の風習を生んだほか、学問上にも江戸時代の賀茂真淵(かもまぶち)の五十音図神聖視や、本居宣長(もとおりのりなが)の係り結びの法則への賛美や、一つ一つの音節がすべてそれぞれ意味をもっているとする音義説を導いた。音義説に基づく江戸後期の国語研究家たちを言霊学派といっている。

 「日本大百科全書」による。
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