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実体二元論は現在ではほとんど支持者がいないようですが
やはり死後の世界や魂のようなものは存在しないのでしょうか

A 回答 (5件)

他の所で何度も書かれていると思うけど、実体二元論と死後の世界や魂の存在とは、関係ないですよ。



唯物論の量子脳理論でも、脳から離れた意識は説明できます。
また、多くの宗教は、唯心論で死後の世界や魂の存在を説いています。
実体二元論でなくても、死後の世界や魂の存在を説明できるというわけです。

もうひとつ注意すべきなのは、ほとんどの世界観は反証性をもたないので、世界観の正誤を説うこと自体意味がないことです。

また、「実体」かどうかって知りうることなの?これは物質だ、これは意識だ心だ、、といってもそもそも区別できる定義はあるの?  って考えれば、実体や物質・精神に関わる世界観自体を扱うことは実質無意味ということもわかってくるでしょう?
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この回答へのお礼

例えば意識のハードプロブレムを唯物論や物理主義の形で解決したとしたら死後は無と証明されるのでしょうか?
また人工的に意識を作り出し それを脳と直結しクオリアを感じればものから意識を作り出したことになりませんか?

お礼日時:2017/05/22 13:25

お金を稼ぐために命がけで頑張っている


のに、いくら祈っても、お布施しても、
出世するわけでもなければ、宝くじが
当たるわけでもない何の証拠も保証も
ない絵空事を信じられるか!
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Noi2 の後半、誤字訂正です



「死後・霊「の」事柄は、しっかりと現象にいどんでいくしかないでしょう。
足を使って、調査するんですよ。証明にはならずとも、ヒントが見つかるかもしれません。」

(削除機能か訂正機能があればいいのですが、、、、)
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世界観を扱う形而上学は、学問では死んでますから。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの思想あたりを契機として、ほとんど死にました。

死後・霊も事柄は、しっかりと現象にいどんでいくしかないでしょう。
足を使って、調査するんですよ。証明にはならずとも、ヒントが見つかるかもしれません。
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21世紀になってからそういう馬鹿なことを言う人は殆どいなくなったね。

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ひとに死後 魂 心は存在しないと証明できますか?

Aベストアンサー

(No13,16の誤字訂正です)

No.13です。

お礼ありがとうございます。

脳神経学者が輝かしい業績といっているのは、意識の性質と脳神経の関係であって、
意識の存在に関しててではありません。特に、脳神経の状態が、どう意識に影響するかという方向だけ取り上げて言っているだけでしょう。

近年の研究成果を見ると、逆に、意識のありかたが、脳の形まで変形せさるという、めざましい研究もありますけどね、、。こういう逆方向の研究業績は、無視するんでしょうね、そういう脳神経学者は。

世界観という反証不能なものに、科学でいどめるというのは、そのような認知の歪みのもとでしか行なわれないでしょう。

(削除機能か編集機能がなく、タイプの苦手な自分にはお手上げ状態です、、どうもすみません)

Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Q善悪の判断基準

私は、このような人間とか社会の基本的なことを、過去の哲人たちの思索を
手掛かりに、一般大衆がよくよく考えるべきであると思います。
もはや、我々一般大衆が、力を持っていることを自覚するようになった、そ
ういう時代になったと思うからです。

現代人にとっての「善悪」は、絶対的なものが存在するわけでなく、移り変
わる状況の中で、その都度おこってくる問題との関連で、一人一人がどう生
きるのが最も善の生き方であるかを選択する以外にないという「状況倫理」
の考え方でとらえているのが多数派であろうと思います。

しかし、私はこの「状況倫理」という考え方は、信念を持とうとして持てな
かった結果であり、一種の諦めであるように思えます。

その結果として、地に足のつかない、軽薄で自己中心の社会になり、相互不信
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今から思えば、倫理・道徳感の残っていた「昭和」と、昭和生まれの人間もそ
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さて、絶対的な「善悪」というものは何なのかという「観念論」とともに、善悪
の基準を持つべきなのか、また、いかなる基準を持つべきかという「現実論」に
ついて、ご意見をお聞きしたい。

私は、このような人間とか社会の基本的なことを、過去の哲人たちの思索を
手掛かりに、一般大衆がよくよく考えるべきであると思います。
もはや、我々一般大衆が、力を持っていることを自覚するようになった、そ
ういう時代になったと思うからです。

現代人にとっての「善悪」は、絶対的なものが存在するわけでなく、移り変
わる状況の中で、その都度おこってくる問題との関連で、一人一人がどう生
きるのが最も善の生き方であるかを選択する以外にないという「状況倫理」
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Aベストアンサー

>また、いかなる基準を持つべきか

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平成の様々な失敗を前にすると、そう言わざるを得ないでしょう。
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人間は物質的な肉体以外に、霊体という体が重複的に存在していて、その霊体の方に心が存在しているそうです。

↓スピリチュアリズム入門
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ここの第2部のところを読んで下されば、人間の魂がどこにあるのか書かれてあります。

Q悪人の願い

ご存知の方もおられるかもしれません。
ドラゴンボールと言う漫画があります。
孫悟空が、なんでも願いを一つ叶えてくれるという龍を呼び出す七つの玉を集めるために、世界を旅するという冒険譚です。
この物語に登場する悪の親玉に、ピッコロ大魔王というのがおりまして、この悪人の願いが、「永遠の若さを手に入れる」と言うものでした。
私は、この、生存に固く執着する欲望、願いを悪人の親玉が抱くことについて、とても合点が行くのですが、これ系の願いを自分がかつてまったく抱かなかったか?と言われると、素直にうなづけません。
さすがに永遠に生きたいとまでは思いませんが、長く若くいたいくらいには思います。
この、生存の執著は誰しも持っているであろうものですが、これが昂じて悪人の願うところの様になってしまった時、彼は何かを見失っている様にも思えます。生にかじりつくあまり、人として大切な何かを見失ってるのではないか?
逆に言えば、老いや死がもたらす大切なものは何か?
と言う事でもあります。

この悪人の願いとその盲点について、思うところがあればどうぞよろしくお願いします。
お気軽にどうぞ。

ご存知の方もおられるかもしれません。
ドラゴンボールと言う漫画があります。
孫悟空が、なんでも願いを一つ叶えてくれるという龍を呼び出す七つの玉を集めるために、世界を旅するという冒険譚です。
この物語に登場する悪の親玉に、ピッコロ大魔王というのがおりまして、この悪人の願いが、「永遠の若さを手に入れる」と言うものでした。
私は、この、生存に固く執着する欲望、願いを悪人の親玉が抱くことについて、とても合点が行くのですが、これ系の願いを自分がかつてまったく抱かなかったか?と言われ...続きを読む

Aベストアンサー

永遠の命をさずかったら
たぶんだれも勉強をしないだろう
恋愛というものもなくなるだろう
食料もいらなくなり、地には木も植えなくなるだろう
貿易もする必要もなくなり、海の外への興味もなくなるだろう
現在のような世界ではなくなるだろう
なにもない世界になるだろう

永遠の命のなかで
人は今、なにかをしようとは思わないだろう
なにかをしなければとは思わないだろう

今日が終わるという感覚もなくなるだろう

Q例外のない法則はあるか? これは真理と言い切れるものはあるか?

例外のない法則はない とよく言われますが 本当に例外のない法則はないのでしょうか?

例外のない法則 真理と言い切れるものはあるでしょうか?

もしあれば一つでもいいから教えて頂けないでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

普遍的な宇宙の大法則(摂理)を想像すると、例外というものは存在しないように
思えますが、変化・成長があるということを考えますと、完全ではなく、「例外」
と呼べるものがあるはずだと思います。

またそれは、現在の人間の認識方法によるもので、宇宙の普遍性から見たときに
「正しい」とは全く限らないわけです。
そのあたりを、現代物理学が解明しつつあるように思えます。

もう少し言えば、なぜ変化・成長があるかと言えば、それは個別化された生命に
自由があり、その自由な能動的な創造という行為が変化・成長を産む、と。
その全体から見ればわずかな「歪み」が「例外的存在」となり、それを因として
全体が変化をする、と。

まあ、こんなことを考えて楽しんでいる私です。(^^♪

Qこの世は人間が認識するまでは存在しない

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認

したそうです。
http://oka-jp.seesaa.net/article/420222661.html
画像には複雑そうな機器が見えますが、人間、あるいは認識が、この実験にどのように関わっていたのかご存知の方おられましたら、お願いします。
どんな実験だったのか?
興味が尽きません。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、観測者が見るまで不確定と言うのも、おかしいような気がしますよね?
ただし、記録内容は、観測者が見るまで、誰も見ていないわけです。
そういう意味では、それが、確定した記録と信ずる証拠も無い事になります。
もちろん、マクロの範囲ではそういう事はありませんし、一般的に記録媒体の記録が、見るまで不確定と考える人もいません。
量子力学が、「因果性」、「局在性」、「実在性」に対して、確率的な法則しか与えられない以上、理論が述べられるのは、そのような事でしか無いと言う事です。
今、仮に、観測者自身も、量子力学の範囲の観測系として、その不確定性の影響を受けるとすると、観測者自身も一定の確率で、その収束結果を見る存在として、存在すると考える事も可能になります。
そうならば、未来にAと言う結果と、Bと言う結果を見る観測者は、観測するまでに、同等の確率で存在しえた事になります。
そう考えれば、観測の直前までは、観測者自身も未来の可能性において、確率的存在だと言える事になります。
もちろん、その事によって、観測者自身が変わるわけではなく、その未来の可能性が不確定なだけです。
これが、いわゆる量子力学の「多世界解釈」という解釈の方法です。
多世界と言う言葉は、同時に複数の世界があると言う意味ではありません。
未来の分岐可能な世界が複数存在すると言う意味であり、SFなどのパラレルワールドと言う意味では無い事に注意してください。
観測者は、量子力学の実験において、波動関数が示す確率によって、違う観測結果を見る可能性を持つ存在として、観測前は存在していると言う事です。
そして、観測によって、ある観測結果を見る存在として、収束すると言う事です。
これは、ある可能性が捨て去られたと言う事ですから、ある意味、観測者自身も、その結果の影響を受けていると言えなくもないです。
ただ、これは、実験がある確率で測定結果を与える不確定性を持っていると言う事だけであり、未来は不確定と言うのは、ある意味、当たり前の事です。
表れない未来として、違う観測結果の未来は存在しえたが、観測によってそれが収束したと言う事は、観測するまで、未来が確定しない事は言えますが、人間が観測するまで、物理的存在が、存在しないと言う事まで言及しているとは言えないと思います。

お礼ありがとうございます。
量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、...続きを読む

Q日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 
5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意
味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
 
6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまる
と いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。

7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうと
ばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っ
ている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろう
と最後まで奔走する。


いまは:
8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。
 
9. 相手の粗さがしを考えている。
 
10. 道は相手がゆづるものと思っている。
 
11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。
 
12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないこ
とをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。
 
13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・

14. (11)と(12)の《誘導作戦》についてパタンが決まっている。能
書きをしゃべくりからかす。これが マジックである。しかもすでに 思考回路
が 人びとのあたまには刷り込まれている。条件反射のごとく右へ倣えに従う。

15. 能書きは かしこまるような有り難い言葉でなければならないが 内容
はないものでなければならない。中身があっては 聞いている人たちが 優越感
に浸れない。

16. すなわち 人びとのあたまの中に 互いに地続きの《観念の運河》が築
かれている。ここに 《パタンとなったマジック》ではない言葉でしゃべる分子
が現われる。その独自のゴンドラを漕いでいると 寄ってたかって恒例の足引っ
張りなるイヴェントを始める。・・・のではないか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りに...続きを読む

Aベストアンサー

難しい質問を多くしておられますね。
物事を追求する姿勢は尊敬に値します。
あなたの質問は日本人の昔と今の比較でしょうか?
鎖国で築き上げた文化と明治以降の外国からの情報、モラル等の流入、
戦後の混乱、超高度発展を遂げた結果・・・
日本人の多くの豊かなこころが失われていったと思っています。
賢い人は難しい言葉を使いたがる。 悩む人は行動しない。
自己中の人は他人を傷つける。
人とのふれ合いは同じ目線でわかりやすくしないと反感を持たれます。
日本の良さは更に失われていくでしょう。

Q道徳は正しいのでしょうか?

文化や思想が多様な現代でも子供のころからの道徳教育により現代人は親孝行や恩といった道徳的な理念に無意識又は意識的に反しないように行動し、同時に全ての人がそうであるように望んでいます。
これは本当に正しいことでしょうか?
この疑問を公衆の面前で口にしただけでも白い目で見られたり危険思想の持ち主だと批判されたりするかもしれません。ですが私は別に親を不幸にしたいとか恩を仇で返したいと考えているわけではなく、柔軟な発想をする上で道徳といった常識的な考えが枷になっていたり、自分の中にある道徳的な考えに反する意見や案があると明確な根拠をなしに、果ては道徳自体を理由にして圧倒的マジョリティである同じ思想をもつ人達と共にそれらをこぞって批判するような風潮になっている今の世の中を一度初心に戻って見つめなおして欲しいのです。
例えば、ある自殺者志願者Aが自殺をしようとしましたが迅速な救助で未遂になったとしましょう。その後、Aは病院で家族に説得されることで反省して自殺なんてことはもうやめようと決心し、新たな人生を歩み始めます。これが道徳的に”望ましく正しい”展開であるわけで多くの人がスッキリとした感覚を得ると思います。しかし道徳という理念を除外してもう一度この展開を考え見直してみると、また違った見え方がしてきます。
冒頭でAは体は健康ですが精神的に生きる能力を失くし、言ってみれば精神的に寿命を迎えているわけです。しかし現代の多くの人は肉体的な寿命を「その人の寿命」とみなす傾向にあり、肉体的な寿命を迎えた人への死には寛容でも肉体は健康でも精神的な寿命を迎えているAのような人の自死には先ほどの話のように否定的で、救助という名目で本人の意思は尊重されずに生かされ、次に自殺をされる前に反自殺主義者に囲まれて道徳的な理由にこの先きっといいことがある等の根拠のない希望的観測を付随させ、道徳を守ったからと言って魂が救われたりするわけでもないのにAはその意見に思考の根底にある道徳的な思想により納得し反省して自殺はやってはいけないという一種の洗脳状態に陥り生き続けるわけです。このとき死にたいというAの意見は全く尊重されず、むしろアンチテーゼに囲まれてAの望むようなことはしてはいけないという考えをAに植え付けてAを精神的に殺しているわけです。
たしかに道徳が蔓延したこのような社会は億を超える人間を管理する上で今までうまくいっていましたし、他人に害をなすような行為であれば報復を受けたり罰せられるのはあたりまえです。しかし道徳信仰者による道徳の布教を甘んじて受け、全ての人にその考えを強要する現代人の姿勢には疑問を感じます。
この考えには私の偏見が多々入っていると自覚していますし、さらに正しいや正しくないといったものはとても曖昧で移ろいやすく明確な答えはないと思いますが、それでも現代の個人は他者を害さない程度であれば自由に生きられるべきという理念に基づいて考えるならば道徳は間違っている部分があるのではないでしょうか。皆さんの意見を訊きたいです。

文化や思想が多様な現代でも子供のころからの道徳教育により現代人は親孝行や恩といった道徳的な理念に無意識又は意識的に反しないように行動し、同時に全ての人がそうであるように望んでいます。
これは本当に正しいことでしょうか?
この疑問を公衆の面前で口にしただけでも白い目で見られたり危険思想の持ち主だと批判されたりするかもしれません。ですが私は別に親を不幸にしたいとか恩を仇で返したいと考えているわけではなく、柔軟な発想をする上で道徳といった常識的な考えが枷になっていたり、自分の中...続きを読む

Aベストアンサー

> この考えには私の偏見が多々入っていると自覚していますし

それに尽きると思います。
道徳律を批判する前に、道徳律と法律の関係性を考えるべきかと。

> 全ての人にその考えを強要する現代人の姿勢

むしろ正反対で、「道徳律」なんてのは廃れる一方では?
私自身、他人を自分の道徳や常識で縛る気もなけりゃ、他人のそれに縛られる気など、毛頭ありません。

では、何で縛ったり、何に縛られたりするか?と言えば「法律」です。
これに関しては、強要しても構わないし、強要されても受け入れざるを得ない。
言い換えれば、法律とは、その法律が及ぶ範囲においては、万人が共有すべき価値観です。

その法律に従えば、自分の考えを他人に強要などすれば・・それはそのまま強要罪ですがな。
自分の常識を他人に押し付ける様な行為は、極めて非常識。(いや、非常識どころか法律違反!)
あるいは、自殺者などを見殺しにするのも、保護義務(作為義務)違反などを問われ兼ねません。

アナタは自由に考え、自由に言葉を発するのは構わない。
それは法律が保障する自由(権利)だから。
しかしアナタは、道徳をないがしろにしている結果、少々、法律を逸脱した考え方を持っている様です。

道徳律(や常識など)と法律の関係性とは、道徳律は法律の内側で、人を律する概念です。
逆に言えば、道徳や常識などは、法律の外には存在できない概念と言うことです。

「クルマ通りの少ない交差点の信号は、無視するのが常識だ!」などと言う常識は、存在し得ません。
しかし、アナタの「Aを精神的に殺している」なんてのも、それと似ています。
アナタは嫌ってるけど、それがアナタなりの道徳観と言うところなので・・。

道徳や常識に縛られる必要はありません。
たとえば、法律のはるか内側に設定された道徳に従って生きるなど、生き辛くて仕方がないから。

しかし法律を超越したところに、自分なりの道徳を構築するのは、マジョリティー云々の話ではありませんよ。
もしアナタが、真に自殺を望んでいる人物の自殺に立会って、それを理解した場合、自殺を容認すると言う考え方であれば、少なくとも我が国においては、「法律的」にアナタの考え方は、受け入れられないと言うことです。

ぶっちゃけ、法律ギリギリとか、アナタの様に法律の外に、自分の道徳や常識を作る人がいるから、法律はどんどん厳しくなると言う側面もあります。
逆に、全ての人が適正な道徳律で自分を律する社会が出来れば、別に法律など無くても良いし。
むしろアナタの様な考え方は、法律が無い社会の方が、容認される可能性もあると思います。

> この考えには私の偏見が多々入っていると自覚していますし

それに尽きると思います。
道徳律を批判する前に、道徳律と法律の関係性を考えるべきかと。

> 全ての人にその考えを強要する現代人の姿勢

むしろ正反対で、「道徳律」なんてのは廃れる一方では?
私自身、他人を自分の道徳や常識で縛る気もなけりゃ、他人のそれに縛られる気など、毛頭ありません。

では、何で縛ったり、何に縛られたりするか?と言えば「法律」です。
これに関しては、強要しても構わないし、強要されても受け入れざるを得ない。
...続きを読む


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