大学の哲学の授業で質問がだされましたが、どう答えていいのかわかりません。助けてください。
1、真理のイメージとして鏡を用いる事がなぜ不都合なのか説明せよ。
2、宇宙は1つなのに宇宙論について複数の学説が存在している事態を知識論の立場からどう理解すべきか。

哲学に詳しい方にとっては簡単すぎる質題かもしれませんが大変困っています。教えてください。お願いします。

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A 回答 (3件)

歴史的に鏡は「真実を映すもの」の象徴でした。


これは、人間がセルフイメージを自分にとって都合よく美化(厳密には自己の精神が求めるものに合致しやすい)しがちなのに対し、その幻想を打ち砕く要素があったこと、
鏡が希少なものであり、神秘的なものと思われていたことが原因です。
しかし実際には、反転ベクトルの視覚情報を与えるだけです。
哲学上の真理とは「視覚情報の補助器具」ではなく、「存在に優先」したり「永劫不変」であったり、いろいろではありますが、基本的に「観念」の領域です。

ただ、教授の問題提起のレベルによっては「反映説」を否定して「構成説」や「想起説」の立場に立っているだけという可能性もありますんでその場合は「反映説」を教授の支持する哲学体系から論破する必要があります。入門的な哲学解説書でこと足りるでしょう。
「宇宙は1つなのに宇宙論について複数の学説が存在している」
という言説はかなり意味不明ですね。
宇宙論の立場では、多重宇宙説を始め、「無数の宇宙の中から我々、または認識主体はひとつの宇宙を認識あるいは相互作用している」というのが一般的でしょう。
教授が本当に現代宇宙論を知らないか、学生のレベルに合わせているのか、「宇宙」という言葉を比喩として用いているのか、文面ではわかりかねます。
「我々が相互作用している宇宙が単一と仮定できるるのに、宇宙論が複数存在する」
もっと簡単にいうならば、「議論の対象の宇宙間に差異はなく(ひとつの宇宙)であるのに宇宙論は複数存在する理由」ならば
宇宙論は「蓋然性が高いと想定され、実質的に真理とみなされている支配的な学説が存在しない」というのが理由でしょう。現代の宇宙論や量子力学は、世界認識の最先端にあり、廣末渉とかのそこそこ優秀な哲学者でも全く理解できず、高校生レベルの反論しかできていないのが現状です。
夜空はひとつなのに「女神様の体の斑点」だったり、「透明な球殻の模様」だったりするというレベルなら、それを認識する集団の世界観に合致する「宇宙像」が反映されているということです。
「宇宙はひとつ」と教授が本当に思っているレベルなら「認識主体の世界像が統一のものではなく複数存在するため」といったレベルが当りさわりがないものと思います。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2001/07/09 02:25

掲示板にあったテスト問題ですか。


授業でのディスカッションかと思いましたが、最近は哲学も難しくなってきたものですね。
どの様な性格の先生なのでしょうね。
もしかしたらまだお若いとか・・・。
結局この中から何を引き出すかアプローチの仕方を求めているのかなと言う気がしないでもなかったのですが、掲示板に張り出された試験問題と言うことになると、過去問を調べてみるのも一つの方法かも知れません。
残念ながらこれだけでは無難な回答は見つけられませんでした。
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1:”真理のイメージ”


と言うのが今ひとつ判りにくいのですが、イメージというので有れば、各個の自由領域に入りますから、鏡を用いることに何の不都合もないと考えますが、如何でしょう。
これが、真理を理解する手段として鏡を用いることには不都合を感じるがそう言う考え方についての意見を示せと言うので有れば答えようもあるかと思いますけど。

2:宇宙は、自然科学、社会科学各、その各分野によって考え方は違います。
各種各様の解釈があります。
すなわち一つではありません。
ですから宇宙論というか宇宙についての説明は複数存在します。
これを知識論の立場から理解しろと言うのは論点をどこに求めて良いのか判りかねます。
模範解答が出たら一度見せてください。

この回答への補足

お返事ありがとうございます。この質問はテスト問題で掲示板に貼ってあったものなので先生が何を求めているのか私もわかりかねるのですが、鏡の方は今だにわかりませんが、宇宙の方は、1つの対象に対して複数の学説が存在しているのは何故か?を聞いているだけなのかも?と考えたのですが・・・。その具体例として宇宙をだしているだけなのかも?もし、そうならカントのコペルニクス的転回を使って説明すればいいのでしょうか?ぜんぜん的外れなこと言ってたらごめんなさい。ホントにぜんぜん理解していないもので・・・。コペルニクス的転回って認識の対象は主観の先天的形式によって秩序づけられることにより成立するってやつですよね?と言う事は対象が1つでも見る人が複数であれば学説が複数存在してもおかしくないですよね・・・。もしかして全く意味不明な事言ってたらごめんなさい。

補足日時:2001/07/01 12:51
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論理哲学論考は超越論的哲学でしょうか?

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カントの使う「超越論的」という言葉には、幅があります。

まず、人間が、理性のうちにある「経験を可能にする条件」にもとづいて、空想や夢から「客観的な実在世界」を抽出する手続きが「超越論的統覚」や「超越論的構想力」として、「超越論的」と呼ばれます。

一方で、別の使い方をされている場合もあります。
カントが『純粋理性批判』でやろうとしたことは、人間の認識の限界を設定することでした。限界を設定することにおいて、可能なことを保証しようとしたのです。

ところがその限界を設定しようと思えば、その外側に位置する「超越的なもの」に対して、認識できなくても、何らかのかたちで関与することが必要になってきます。そうして、人間は、「超越的なもの」の仮象をもつ。この仮象を通じて「超越的なもの」をとらえようとします。
これらもまた「超越論的仮象」として「超越論的弁証論」の中で批判的にとらえられています。

従って、カントのいう「超越論的」には、つねに二重の意味がこめられています。
人間の認識の限界のこちらがわで、客観的な実在世界が構成される、ということ。
認識の限界の向こうがわをとらえようとすると、仮象に陥ってしまうこと。

このことを頭においておけば、『論考』の6.4以下が超越論的哲学に踏み込んでいることがよくわかります。
ここらへんのことは、野矢茂樹さんの『『論理哲学論考』を読む』で展開されていますから、ぜひご一読を(というか、読まれた上で出された質問のような気がしないではないのですが)。

『草稿1914-1916』を読むと、もっとそのことがはっきりと実感されます。この時期のウィトゲンシュタインは一貫して「幸福」ということを考えています。そうして、「幸福」の問題を解決するための論理哲学が模索されている。これを「超越論的」と呼ばずして、いったい何を「超越論的」と呼ぶことができるか、と、個人的には思います。

以上、参考まで。

カントの使う「超越論的」という言葉には、幅があります。

まず、人間が、理性のうちにある「経験を可能にする条件」にもとづいて、空想や夢から「客観的な実在世界」を抽出する手続きが「超越論的統覚」や「超越論的構想力」として、「超越論的」と呼ばれます。

一方で、別の使い方をされている場合もあります。
カントが『純粋理性批判』でやろうとしたことは、人間の認識の限界を設定することでした。限界を設定することにおいて、可能なことを保証しようとしたのです。

ところがその限界を設定しようと思え...続きを読む

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