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今の子供たち小学生から高校生までに何という言葉を贈りますか?

温暖化 人口爆発 国際情勢 人間意識 情報革命等など先の見えない時代です

今の子供たちに言葉を贈るとしたら何と言う言葉を贈りますか?

短い言葉で力になってやって下さい。

A 回答 (10件)

十五の君に



苦しかったら、つらかったら逃げてもいいんだよ。
逃げていけないことなんてひとつもないんだよ。

「神がわれわれに与えた最大の贈り物は、望む時にそこから出ていくことができる鍵だ」
ーアンドレ・ブルトン
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どんどん時代は変わっていくけれど、人はそれぞれの時代に適応してしまえるものです。


変わっていくこと自体に良いも悪いもないけど、ついていかない人は取り残されるだけです。
よく見てよく聞いてよく考えてよく動いて、仲間達と一緒に自分の時代を生きていってください。
頭も体もよく使うことで、人は色々なことを見つけて幸せになる方法が分かってきます。
そして周囲にいる人々が自分と同じ人間だということを忘れずに、みんなで幸せになってください。
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この回答へのお礼

Thank you

六根清浄 体も心もよく動かして仲間と一緒に生きてほしい

周りの人も同じ人間なのだと気付いてほしい という事ですね

確かに若い人たちに分かってほしい事ですね

頷けます。

お礼日時:2017/06/04 12:36

兄弟たちよ。

物の考えかたでは、子どもとなってはいけない。

悪事については幼な子となるのはよいが、

考えかたでは、おとなとなりなさい。

☆ ぎゃくが 多い。

考え方では 幼な子のようなお花畑志向であり 

世の中の悪事については それが大人なのだと言い 自分も一枚かんでおり 

そうでなくても 物分かりのよいおとなになってしまっている。
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この回答へのお礼

Thank you

成程そうですねえ。悪い事をするのが大人の当たり前だと思いたくはないですねえ

考え方は放棄してしまう人が多い。

哲学が廃れるのはよくないですねえ。うん。

お礼日時:2017/06/03 21:44

お礼ありがとうございます。


そうですね、私もできるなら戦わずに生きたいのですが、いかんせんそれは許されてないようです。
ただ私は、人生が戦いだと言いたいのではなく、生きることは(人間に限らず)戦いであるが、人間はそれでも「人生を歩める」と言いたかったのです。

「タフでなくては生きてはいけない、優しくなくては生きてる価値がない。」
この言葉の言わんとしていることと、私の言っていることは似ているようです。いい表現ですね。

「現実に資本主義は戦いですが 戦いでなくても仕事に夢中で生き甲斐ならばそれでいいのではないでしょうか?」
私の言う戦いというのは、生命の存亡を賭けているという意味です。人間は生きている限りこの深刻なプレッシャーにさらされ続けているのであり、それを濃く感じるか、薄く感じるかは人や職、境遇によって違いはあれど、本質的には同じだと思っています。お仕事が楽しい人も、辛い人も、基本的に同じと思います。ところで、被支配層を操るのに、彼らを適度に不足した状態に置いておくというのがあります。空腹だと飯を探すでしょう?そのようにして不足感でもって大衆を動かすのです。金が無い地位がない力がない知識がない時間がない縁がない、という具合に、大衆にある程度のプレッシャーを与え続けるのが支配の基本であり常套手段だと思います。満腹にはさせたくないのです。人間は、ただ生きるだけ以上の能力を蓄えてきましたが、それに安住して平和に暮らしていると文明は停滞します。ですので、安住させないように、欠乏を与えておくのだと思います。

「自分との闘いならいいと思いますが 人同士が戦うのはあまり良くないような気がします。もっと調和した時代は来ないのでしょうか?」
私も戦いは好きではないですが、戦わなければ不戦敗で終わってしまいます。それに、健闘という言葉もあります。人と人の戦いのすべてが否定されるものではないですね。それは少ないですが。
勝てばいいんだとか、ずるい立ち回りをしても生き残ればいいんだとか、弱肉強食とか、そんな話ばかり耳に入りますが、本当の厳しさとは自らに課すものであって、現代社会は厳しい生存競争が、とか、そういうのとは捉え方が違うかなと思います。
調和した時代は、現代に入ってかえって遠のいたのではないでしょうか。人口はますます増えますし、格差の狭まる兆しもないです。環境破壊も進んでいます。調和した、新たな文明の形態を提示すべきときが来ているのではないかと思います。支配層、被支配層の多層構造を無くして、人々皆が賢くならなきゃいけない。昔は数少ない聖人なんかが人々を教導したのでしょうが、現代は自立した人々を育成すべき時代だと思います。それには生き方の飛躍が必要です。人は頼り頼られ、持ちつ持たれつで生きてきたのです。そこに新たな成長の1ページを加える時が来たのだと思います。個の独立性を掲げて、一人立つ事が今の人々の語られざる目標ではないかと私は思います。
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『笑う門には福来たる』


http://iinee-news.com/post-7515/2/
松竹景虎君(享年15才)の作文
http://terakoyant.exblog.jp/20782958
「ニッポン笑顔百景」


「上球物語 -Carpe diem-」
https://www.youtube.com/watch?v=HFMvkOWgvzk
Carpe diem(ラテン語)カルペ・ディエム
その日を摘め
memento mori(ラテン語)メメント・モリ
死を記憶せよ
alea iacta est(ラテン語)アーレア・ヤクタ・エスト
賽は投げられた
Que Será, Será ケセラセラ
なるようになるさ

高城れに
時間は絶対止まらないから、大丈夫じゃないことなんてないんです。
同じライブなんて、2度と来ないんだよ! 
1秒でも、過去なんだよ! 
1秒を後悔せず…今を生きろ!

『武士道とは死ぬ事と見つけたり』山本常朝『葉隠』
命を惜しんで判断を間違い、名を汚さないように、常に死人の覚悟を持つための毎朝の切腹の真似事が、すなわち武士道とは死ぬことと見つけたり。
命を惜しまず名を惜しめ。
生に果てはあれど、名に果ては無し。
不惜身命で精進せよという事。
大事事は事前に行動を決めて準備しておけ、小事は迷っても大事は迷うなという教えで、日ごろの準備を怠るなという、現代に通用する教えです。
例えば宮城県石巻市大川小学校の悲劇も、ちゃんと有事の際の行動シュミレーションをしっかりやっていれば、人災は起きなかったのです。
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この回答へのお礼

Thank you

メッセージ盛りだくさんですねえ

メメント・モリ って死を記憶せよ って意味だったんですか?

ケセラセラはよく聞きますねえ 成るように成る 先の事まで分からない その時はその時ですね

名に果てなしですか 不惜身命で精進 いいですねえ。

笑う門には福来る。笑える人生にして貰いたいですねえ。

日頃の準備を怠るな 学校出ても忘れないでほしいですねえ。

お礼日時:2017/06/03 21:40

なぜ、戦いとやさしさを掛けたかというと、それで、生きることが人生になるからです。

生きることは戦いです。狩りをするのも、栽培するのも、ものを作るのも、交易するのも、自分を成り立たせるためのサバイバルが複雑になったもので、本質的には戦いの域を出てていません。職種にかかわらず、政治システムにかかわらず、生きることは戦わずして可能なことではないのです。しかしそれだけでは人生にならないのです。それだけではその一生は、ただ生きて死ぬだけです。やさしくあることで、戦いには手を抜かない、しかし相手(人間に限らず)を打ちのめすことが目的じゃない、自分の精一杯を発揮するんだ、とか、他の生命への思いやりとか、慎みとか、貪らないとか、そういう人じみた生き方ができるようになります。人が自由に生きるということは国が治まるようなことで、羽根を伸ばして大空を駆けるようなことを言うのではないと思います。自分の欲望を暴走させず、相手をねじ伏せたいという闘争心に打ち勝ち、自分をよく修めていること、これが知恵ある人間の、自由というものだと思います。人の体は重く鳥のように軽く飛べませんし、脚は二本しかないので地上の獣のように早く走ることもできません。指先も歯も丸く云々・・・ですから、人のやさしさと言われるものは、大きな力なのだと思う。それは硬いものは柔らかく、頼りないものは堅く、そんな風に転化させる魔法のエッセンスのようなものなのだと思ってます。金をうならせるのも腕力をうならせるのも、頭キレキレなのも、それだけではやはり人間性を発揮して生きているとは言えないでしょう。
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この回答へのお礼

Thank you

タフでなくては生きてはいけない、優しくなくては生きてる価値がない。という言葉が流行った時代がありました

その時でも今の様に人生は戦いだとは言ってなかった様な気が・・・

現実に資本主義は戦いですが 戦いでなくても仕事に夢中で生き甲斐ならばそれでいいのではないでしょうか?

ボクシングなど若い頃は面白かったですが 今は 何で相手をぶん殴らなきゃならないのか分かりません

自分との闘いならいいと思いますが 人同士が戦うのはあまり良くないような気がします。

もっと調和した時代は来ないのでしょうか?

お礼日時:2017/06/02 16:42

格差に目を向けること。

自分の立ち位置を理解すること。
社会の特権階級ではないことに腐らず、自棄にならず、自分にとっての楽しみを見つける態度を養うこと。
大人が懇望しても、やりたくないことは「やらない」と断ること。自分の好きなポジションどりをすること。

私の家は中流家庭だったのですが、良くも悪くも甘やかされて育った子供だったと思います。私の周りの方針は、寝ている子を起こすな、というものでした。また大人たちも実質的に「眠っていて」、わかっていなかったと思います。
漠然と上を目指せ、上を目指せと、流されていましたね。

特権階級ではないことをあまり意識しすぎると、ホリエモンみたいになります。つまり「持たざる者」と開き直って、野心的になりすぎます。あれでは自分のコンプレックスに振り回されていて、あんまり楽しそうではありません。
自分にとっての楽しみを見つけて、したたかにやっていくことが大切だと思うんです。

私は結局見つけたと思うんですが、時がかかりました。
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この回答へのお礼

Thank you

楽しみですか。楽しみがないと生きてる甲斐がないかもですね

僕は不条理を解くために生きて来ましたが 能力に限界があったようです

世の中問題だらけで普通の幸せを守るだけでも大変なことですね

昔の様に大志を抱くのは難しい時代かもしれませんが

生きる目的を知ってほしいですねえ。

実際に今を生きる子供たちは時間に追われて将来も分からずに苦闘しているのでしょうね

楽しみを持つことは必要でしょうね。

お礼日時:2017/06/02 16:02

やりたい事をやれ、ただし50年後に後悔しないような。

「手紙 十五の君に 何と言う言葉を贈ります」の回答画像3
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この回答へのお礼

Thank you

それはそうかもしれませんね 今はやりたくない事も多くやらされています

塾とか行くよりやりたいことはあるでしょうね

五十年後後悔しないかどうかは子供には分からないでしょうね

私も今後悔すべきかどうか自分でも分かりません

今は自然がなさ過ぎて 子供にとてどうなのか考えますねえ。

お礼日時:2017/06/01 16:39

生きることは戦いだ。

しかしだからこそ、やさしくあることを忘れないでほしい。

素晴らしい質問だと思いました。
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この回答へのお礼

Thank you

生きることは戦いだ 本当にそうなのでしょうか?

確かに野生の王国にいた頃は戦いでした。資本主義社会でも戦いです。

しかし人間の能力から言って もっと自由に生きることは可能なのではないでしょうか?

みんな汗水たらして働くのは嫌だから 背広を着てビジネスマンを気取ってますが

もっと効率よく仕事分担をやれば、共産主義の失敗はやり直せるんじゃないでしょうか?

優しく生きる事も出来るのではないでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2017/06/01 16:35

生きてください。



頑張りすぎないでください。
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この回答へのお礼

ありがとう

生きてください という言葉が必要な時代になりましたね

習い事や塾 スマホやゲームで時間が幾らあっても足りないでしょうね

就職も大変だし 少子高齢化だし 頑張りすぎ注意ですね。

お礼日時:2017/05/31 22:50

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