Thomas Malory とDeborah Tempest の略歴を知りたいのですが、参考になる、ホームページを教えていただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

検索してみたら Thomas Malory については、参考URLのページがありましたよ。



参考URL:http://www.luminarium.org/medlit/malory.htm
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Qみなさんよろしくお願いいたいます。

下記の漢詩なのですが
何となくわかるのですが、今いち意味が取れません。
嬉しい詩なのか、悲しい詩なのか?
教えてください!


春望詞(一) 薛 涛(唐)
花開不同賞     花開き 同に賞せず     
花落不同悲     花落ち 同に悲しまず
欲問相思処     問わんと欲す相思の処
花開花落時     花開き 花落つる時

Aベストアンサー

>作者は何が言いたいのでしょう・・・
作者はままならぬ恋の苦しみ待ち人をせつなく詠っています。以下の如く、楽しい喜びの頌ではありませんネ。
この作者は有名な女性です。悲恋の物語で、恋する人を'春'に例えて詠っております。非常に高尚な詩です。私が通釈は雰囲気を壊さぬように細心の注意をしたつもりですが・・・

通解;
花が開いたときにも私たち二人は一緒に楽しむことができない。
よって花が落ちるときにも私たち二人は共に悲しむことも出来ない。
私は問いたいです貴方に私たちの逢えるところをときを。
そこは花が開くところですかそれとも花が落ちるとき。

草花をとりて二人を結び逢わせたい。
そして愛する知己のひとに遺したい。
春の愁いはたったいま過ぎ去っって行った。
そして春の哀しい声はまたやって来るだろう。

ときはゆっくりと過ぎ去った。
しかしそれでも佳境はやはり遥か遠くにある。
愛する人と結ばれることは難しいだろう。
私はただただ同心草を結び逢わせるだけです。

花が開いて枝に満つるとき。
ただただ思いを巡らすのみ。
鏡に向かえばおおなんとわが身の痩せ細ったこの姿。
まだ判らないがこれはもしかして春風が吹き込んで来たのかしら。(良い知らせが春風と共にやって来たのかしら)

*同心草:こういう草が向こう様にはあるようです。

相思:想いあう、恋しあう
攬/檻:自分のほうへ引っ張る、掌中に納める
同心:心を合わせる、相思相愛の仲
(同心結):紐を二つの心臓形に結んだ物-男女間に授受して愛情の誓いを表す
将:まさに~せんとす、きっと~だろう
遺:残す、送る
知音:親友、知己
複:ふたたび、また
猶:まるで~のようだ、なおまだ
渺渺:はるかで遠いさま

>作者は何が言いたいのでしょう・・・
作者はままならぬ恋の苦しみ待ち人をせつなく詠っています。以下の如く、楽しい喜びの頌ではありませんネ。
この作者は有名な女性です。悲恋の物語で、恋する人を'春'に例えて詠っております。非常に高尚な詩です。私が通釈は雰囲気を壊さぬように細心の注意をしたつもりですが・・・

通解;
花が開いたときにも私たち二人は一緒に楽しむことができない。
よって花が落ちるときにも私たち二人は共に悲しむことも出来ない。
私は問いたいです貴方に私たちの逢えると...続きを読む

Q直していただけませんか。よろしくお願いいたします。

日本語を勉強している学生です。今論文を書いています。次は私が自分で書いたものですが日本語として間違えたところがあったら直していただきたいと思いますけどよろしくおねがいいたします。
論文要旨

樋口一葉(1872~1896)は、明冶時期の有名な女流作家であった。一葉は東京府下級官吏の家庭で生まれて、家族が中途で没落して、24歳という若さで亡くなりました。彼女は幼時から、文学がすきであったが生活の重圧に追い詰められて、生活と文学、現実と夢の矛盾に陥っていた。
本論文ではまず「未熟な作家」「生活第一という現実的な生活意識の芽生え」「立身出世の夢」という三つの方面から一葉の生活経歴及び現実的な生活意識の形成と成熟の過程を描きたいと思う。それから一葉の後期の代表作品「たけくらべ」「にごりえ」の分析を通じて彼女の生活第一という現実的な生活意識を述べてみようと思う。この二つの作品は前期の作品と比較すると大きな変化があったのである。それらが現実生活の問題を題材とし、社会意識をひらめかせた作風となっていって、明治文学を代表する傑作として日本文壇で確実な位置を占めている。ここで「たけくらべ」、「にごりえ」という二作を分析して、作家の現実的な表現手法、作品の内容を通じて、一葉の生活意識の変化と風格に注目する。

日本語を勉強している学生です。今論文を書いています。次は私が自分で書いたものですが日本語として間違えたところがあったら直していただきたいと思いますけどよろしくおねがいいたします。
論文要旨

樋口一葉(1872~1896)は、明冶時期の有名な女流作家であった。一葉は東京府下級官吏の家庭で生まれて、家族が中途で没落して、24歳という若さで亡くなりました。彼女は幼時から、文学がすきであったが生活の重圧に追い詰められて、生活と文学、現実と夢の矛盾に陥っていた。
本論文ではまず「未熟な作...続きを読む

Aベストアンサー

私が読んでいて引っかかるところ。
>家族が中途で没落して


>幼時
幼少のころから

>矛盾に陥っていた
何が矛盾なのか不明

>描きたいと思う。
述べる。

>大きな変化があったのである。
大きな変化がある。


>~思う
このような書き方はよくないと思う(^^

ちょっと目についたところを書いて見ました。

Qまた校正していただけませんか。よろしくお願いいたします。

日本語を勉強している学生です。今論文をかいています。次の文を日本語として校正してほしいと思います。よろしくお願いいたします。
樋口一葉は、日本の女流作家の中で紫式部と並んで最も高い名声を確保しているといっても過言ではない。一葉は東京府下級官吏の家庭で生まれた。もともと士族の娘の誇りを持っていたが、家庭が中途で没落して、母と妹の三人で24歳という若さで死ぬまで貧困と戦っていた。
彼女は文学がすぎであって、作家になりたがりながら、生活の重圧に追い詰められた。生活と文学、現実と夢の矛盾に陥っていた。一葉は作家としての文芸の高雅性を認めつつも、つねに生活意識が先立っていた人だと私は思う。特に家庭が没落して窮困の境遇に置かれた後期、<生活第一、文学第二>の傾向が強くなったのである。
つぎに生活意識の変化と「たけくらべ」「にごりえ」という二つの作品からうかがえる一葉の生活意識という二つの方面から彼女の<一切が生存を前提に>という生活意識と理想にかじりつつけて、放棄しないという堅持を論述してみようと思う。

Aベストアンサー

先の質問にもアドバイスした者です。
重なる部分もありますが、あえて書かせてもらいます。

>下級官吏の家庭で生まれた
 →下級官吏の家庭に生まれた

>もともと士族の娘の誇りを持っていたが
 →士族の娘の誇りを持っていたが

>家庭が中途で没落して
 →家が没落して

>母と妹の三人で24歳という若さで死ぬまで貧困と戦っていた。
 →24歳という若さで死ぬまで母と妹の三人で貧困と戦っていた。

>文学がすぎであって
 →文学に傾倒し

>作家になりたがりながら
 →作家を目指していたが

>現実と夢の矛盾に陥っていた。
 →現実と夢の差異に苦しんでいた。

>作家としての
 →作家として

>家庭が没落して窮困の境遇に置かれた後期
 →家が没落して経済的に困窮していた後期

>理想にかじりつつけて
 →理想にこだわり続けて

Qおしえていただけませんか。よろしくお願いいたします。

この文章はh荒垣秀雄が書いた文章です。私は今読んでいます。分からないところがあります。ご存知の方教えてくださいませんか。よろしくおねがいいたします。

三月の声を聞くと、自然は正直なもので、目に見えて春めいてくる。秋枯れの草花を、いくらかでも冬の間の保温にと、そのままにしておいたのが、急にむさくるしくなった。取りのけると、その下に新しい芽がニョキニョキと土の中から出ている。あるべき所に、あるべき生命が、約束をたがえず登場してくれるのは、やはりうれしい。ふまないように、目じるしのふだを立てておいたが、約束どおりふたばが出てきた。その家の主人がわすれていたところにも、自然の公約をわすれず春の芽がふいて出た。
うめの開花は、所により、はやい・おそいの差は大きいが、北の国でもそろそろ咲き始めた。

質問(1)秋枯れの草花を、いくらかでも冬の間の保温に    と、そのままにしておいたのが
 このセンテンスの中の「に と」は ここでの働きは何ですか。こういうふんに理解したらいいですか。
   「秋枯れの草花を、いくらかでも冬の間の保温にしようと思って、そのままにしておいたのが」

質問(2)所により、はやい・おそいの差は大きいが、
   「はやい」と「おそい」という二つの単語は形容   詞ですね。名詞を修飾するときは直接に修飾する   がなぜ、「の」がついているのですか。
  
これは有名な日本の作家が書いた文章です。間違いがないと思いますけど、りかいできないのです。ご存知の方教えてくださいませんか。

この文章はh荒垣秀雄が書いた文章です。私は今読んでいます。分からないところがあります。ご存知の方教えてくださいませんか。よろしくおねがいいたします。

三月の声を聞くと、自然は正直なもので、目に見えて春めいてくる。秋枯れの草花を、いくらかでも冬の間の保温にと、そのままにしておいたのが、急にむさくるしくなった。取りのけると、その下に新しい芽がニョキニョキと土の中から出ている。あるべき所に、あるべき生命が、約束をたがえず登場してくれるのは、やはりうれしい。ふまないように、目じる...続きを読む

Aベストアンサー

こんばんは。春が待ち遠しくなる、いい文章ですね。

質問一
正解です。
秋が過ぎてもう枯れてしまっているけども、その後にやってくる寒い冬のことを考えて、枯れた草でも何もないよりはましだろう(つまり保温になる)ということで、刈り取らずそのままにおいておいたのですね。

質問二
あなたの言われるとおり、どちらも形容詞です。名詞を修飾する働きをもちます。
ですがこの場合、「はやい・おそい」と続けて書くことで、「早いのと遅いのと」(このばあいの「の」は、体言の代用)→「早い所と遅い所と」という意味を表し、文章全体として、梅の咲く時期は気候によって早い所があったり遅い所があったりするけれども・・・という意味になるのです。


これは、日本語ではよく使う技術で、例えば「大きい小さいの差に関わらず」とか、「軽い重い関係なく」などといいます。
どちらも、「大小」、「軽重」という風に、つなげて名詞と考えると分かりやすいかもしれません。


つまり、形容詞がこの場合は名詞に変化し、後ろにある「の」は、単純に名詞と名詞をつなぐ「の」だと考えればよいでしょう。

こんばんは。春が待ち遠しくなる、いい文章ですね。

質問一
正解です。
秋が過ぎてもう枯れてしまっているけども、その後にやってくる寒い冬のことを考えて、枯れた草でも何もないよりはましだろう(つまり保温になる)ということで、刈り取らずそのままにおいておいたのですね。

質問二
あなたの言われるとおり、どちらも形容詞です。名詞を修飾する働きをもちます。
ですがこの場合、「はやい・おそい」と続けて書くことで、「早いのと遅いのと」(このばあいの「の」は、体言の代用)→「早い所と遅い所と...続きを読む

Qおしえていただけませんか。よろしくお願いいたします。

二月四日ごろと言えば、まだ寒いさかりである。寒いさかりに立春だと言って、春の到来を感じ取るということは、これからの若い人たちには、もうすでに困難になってきたかもしれない。私たちでも、小学読本で「三月、四月、五月を春という」と習っていたし、温暖の季節を春というのだとすれば、それはそのとおりに違いないのである。はじめて歳時記を読んだとき、立春から春だという約束は、ずいぶん日本人らしい気の早さだと思ったものだ。だが寒いさなかを春だと言って気持ちをやすめることを、私は今では納得したい気持ちである。冬という季節が長すぎるのは、どうにもやりきれないのである
質問(1) 「立春から春だという約束は、ずいぶん日本人らしい気の早さだと思ったものだ。」このセンテンスの意味は私にとってちょっと難しくて理解しにくいです。ご存知の日本人に詳しく説明してほしいです。
質問(2) 「だが寒いさなかを春だと言って気持ちをやすめることを、私は今では納得したい気持ちである。」というセンテンスの意味は詳しく説明してくださいませんか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

外国の方でしょうか?

(1)
前後の文章に理由があるのかもしれませんが、この文の書き手はどうやら『日本人は気が早い』という認識を持っているようです
『気が早い』というのは、『物事を急いで実行しようとしがちな性格だ』という意味です
『立春から春だという約束』というのは日本の伝統的な定型詩の『俳句』のルールのひとつのことです
『歳時記』というのは俳句で使える季語のリストです
俳句では季節ごとに使える季語が決まっていて、それぞれの季節の始まる日が、立春、立夏、立秋、立冬と定められているのです
日本では130年ほど前までは太陰暦(旧暦)を採用していて、一年は立春から始まっていました
年の変わり目に季節も変わるわけですから、それなりに合理的だったわけですが、
太陽暦が採用された現代では欧米圏の慣習に合わせたのか、3月から5月を春と呼ぶのが日本でも一般化していますので、その視点から見ると『2月(旧暦の正月)から春』とする歳時記は『気が早い』ということになるわけです

(2)
書き手はどうやら冬が嫌いになったようです
当初は歳時記の『気の早さ』の理由を日本人の性質によるものだと思っていたのが、自分が冬嫌いになってみると、昔の人たちも言葉の上だけでも冬を早く終わらせたくて春を早く始めることにしたのではないかと思うようになった(そしてその昔の人たちの判断に自分も賛成したい)、ということだと思います

外国の方でしょうか?

(1)
前後の文章に理由があるのかもしれませんが、この文の書き手はどうやら『日本人は気が早い』という認識を持っているようです
『気が早い』というのは、『物事を急いで実行しようとしがちな性格だ』という意味です
『立春から春だという約束』というのは日本の伝統的な定型詩の『俳句』のルールのひとつのことです
『歳時記』というのは俳句で使える季語のリストです
俳句では季節ごとに使える季語が決まっていて、それぞれの季節の始まる日が、立春、立夏、立秋、立冬と定められ...続きを読む


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