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三国志等で強くて有名な将軍はたくさんいますが、その将軍が有名なのは、単純にその人自身だけが強いのでしょうか?それとも、軍そのものが強いのでしょうか?軍そのものが強いとすれば、どのような過程で強くなるのでしょうか。

兵卒などは突然招集したり、相手の軍から再編入したりするから、みんながみんな強いわけでもなさそうだなあとか、兵卒全体でまとまって動くこともできなさそうだなあと思います。それに、最初は少ない人数の軍でスタートしているところもあるなあと考えました。

しかし、呂布が曹操に「貴殿が歩兵を率い、私が騎兵を率いれば天下の平定はたやすいことです。」といっているように、個人の能力だけでなく、指揮の仕方の能力、もともともっている軍の力などあるのでしょうか?

よかったらご教授下さい。

A 回答 (5件)

三国時代で、中華の戦い方が、転機を迎えた様に感じますよ。



軍,武将の強さに関して言いますと、主に3つくらの要素かと。
① 武将の能力 
  1. 一騎打ち的な剛勇
2. 用兵や統率力
② 軍略,策略
③ 兵士の練度
特に①-2.と②,③を重視したのが、「孫氏の兵法」などに精通している曹操と言えそうです。

「官渡の戦い」が転機の前と後の戦いで、袁紹軍が前時代的であるのに対し、兵力,国力に劣る曹操軍が新たな戦を試み勝利したと言えそうです。

袁紹軍は緒戦から、二枚看板の顔良,文醜をぶつけてきましたが、それまでの中華の戦いでは極めて正攻法。
楽毅,伍子胥,白起に廉頗,王翦,項羽に韓信など、中国史に残る名立たる剛将,智将や王までもが、①~③までを一手に担って先頭に立ち、軍を率いていたのだから。
二枚看板が先頭でも、何の不思議もありません。
当時、中華最強であった袁紹軍の二枚看板が、凡庸な武将であろうはずも無く、練度なども最高水準だったでしょうし、軍師の陣容も曹操軍に勝るとも劣りません。

一方の曹操陣営は、軍師を前面に立てて、顔良は策略+関羽の武勇、文醜は策略で、あっさり討ち取っています。
呉や劉備陣営も、この後に軍師や智将の重用に転じ、赤壁の戦いで曹操に勝利しています。

実際、曹操陣営って、張遼を除くと、①-1.的な武将って、余り居ないんですよね・・。
許褚とか典偉なども居るんですが、これらは曹操の身近に置いてます。
軍の指揮官は、機動力がズバ抜けてる夏侯淵とか、事態の収拾能力が高い徐晃,張郃、技術者肌の李典など、文武両道の武将と・・軍師です。

呉は、孫策,孫権と若手がリーダーでしたから、割と柔軟に曹操型にシフトして、周瑜,魯粛,呂蒙,陸遜と、智将タイプを軍のトップに据えています。

蜀がやや遅れ気味で、劉備が死去するまでは、①-1.タイプが目立ちます。
従い、蜀のビッグネームが、一騎打ちで勝つことはあっても、敗れた事例はほとんどありません。
また諸葛孔明や法正のもと、馬超や晩年の張飛までも、かなり優れた用兵や統率もしているものの・・。

蜀から離れ、猛将 関羽が率いた荊州のみが、最後の前時代的。
一時はかなり魏を脅かしましたが、最終的に呉の策略に敗れてます。

三国時代の関羽を最後に、武将の勇猛と言う戦いは、終ったと言えるんじゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

そのように分類できるのですね!しかも、各武将の特色まで書いて下さり、三国志ファンとしてとても楽しく読ませて頂きました。また、官渡の戦いにそのような意味があったとは気づきもしりませんでした。曹操は正攻法でなく、策略家とは思っていましたが、その後の戦い方にまで影響を与えていたのですね。

お礼日時:2017/06/03 13:20

雑兵と雑兵の闘い。


ネットゲームで私は自軍のものに私たちは勝てる、私たちは優れている、必ずや勝てる。
と、英文で戦闘中に打ったものである。
100戦100敗の自軍が連勝に至った。私は戦術で優れている。kill数で貢献した。
雑兵と雑兵の闘い。
見抜けるか。
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この回答へのお礼

そうなのですか。まだまだ見抜けないです。深いですね。

お礼日時:2017/06/03 13:24

軍そのものが強い場合ももちろんありますが、その際、部隊を率いる将軍は有名になりにくいです。

有名ということは、やはり将軍個人の武名が際立っているということです。
軍隊の強さというのは、すなわち戦闘に勝てるかどうかです。ある部隊が敵を退けたなら、それを率いていた将軍がガリガリに痩せた青白い病人でも「強い将軍」なわけです。
筋肉ムキムキ見た目がごっつくケンカ負けなしという、個人的武勇の強さも「将軍の強さ」ではあります。そういう人には無条件で頼もしさを感じられますから兵士たちもよく従うでしょう。「この人についていけば大丈夫」という迷いのなさは、突撃の際などより効果を倍増させます。事実、少人数でスタートする勢力などは、集まった中から見た目で隊長を割り振ることもよくありました。

強い勢力は、常日頃から兵士を訓練しています。こういう相手だと将軍個人の武勇では限界があります。たとえば二人一組が絶えず色んな方向から攻撃してきたりすれば、いくら将軍個人が強くてもどうしようもありません。
訓練度が高くなればなるほど、それを率いる将軍の統率力が重要になります。訓練の積み重ねというのは動作の複雑化でもありますから、どの場面でどの行動をとるか的確に指示できる存在が必要になるわけです。これも「将軍の強さ」です。この面に関して言えば、肉体的な頑強さというのは関係ありません。

個人的にケンカが強いわけでもなく、訓練された兵を率いているわけでもないのに、戦闘に負けない将軍もいます。
こういう人は、人の扱い方がうまかったりします。傭兵なら傭兵向けの、寄せ集めなら寄せ集め向けの言い方やり方をこころえていて、指示の出し方、褒美の分け方、逆境時の励まし方、逃げ方に兵士が不満を覚えません。この手のタイプの将軍は、どんな不利な状況でも、勝ちはしなくても大負けはしません。武将同士はやはり同業ですからそういうところもちゃんと見ていて、こういう「将軍の強さ」も有名になりえます。

長くなりました。
つまり、将軍の強さというのは様々な要素が複合していて、質問文でも書かれている通り、個人の能力、指揮の仕方の能力、もともともっている軍の力などのすべて、あるいはどれかを指すことになりますが、結局「強い」と有名になる将軍は「率いた部隊で戦闘に勝つ将軍」です。
そしてそのためには率いる兵士たち(強いのも弱いのもいますが)をよく統率しなくてはなりません。個人的にはその「統率力」(それが肉体的武勇によるものでも、人間的魅力によるものでも)こそが「将軍の強さ」といえるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

人の扱いが上手く負けない将軍というのも存在するのですね。興味深いです。その本人の能力だけでなく、率いた部隊。ということ、わかりやすかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2017/06/03 13:23

えーーと、中国はあまり詳しくないので、ほかの例ですいません。



たとえば、ローマは第二次ポエニ戦争時のハンニバルの侵攻に対して連戦連敗でした。ローマ軍は徴兵制ですので、やたらに質の高い軍団もなければ、恐ろしく弱い軍団もない、というものです。

しかし、そこに若いスキピオ・アフリカヌスという将軍が現れると、ハンニバルに勝てるようになります。ハンニバルはそれまでのローマ軍が経験したことのない戦法や戦力(アルプスを超えて象を運んできて使った)で勝ち進んできたのですが、まだ若いスキピオは柔軟な発想とそれまでのハンニバルの戦い方を学んで、対抗策を作り、軍団に命令してハンニバルに勝てるようになったのです。

つまり、軍隊の質は変わっていないけど、それを指揮する将軍の能力が違うと勝利ができる、ということの証左になります。
指揮官の能力は同じ軍隊の質なら、勝敗に大きく作用する、ということです。

・次に軍隊の質をどのように上げるか、ということについてです。

古今東西、兵の質を高める方法は全く同じです。それは「将の指示に直ちに従い、団体で乱れず行動すること」です。
もっとも騎馬兵はちょっと違っていて、馬を飼い、調教し、自分の技量を高めるにはそうとうな手間とコストがかかったことから貴族が担うのが一般的でした。中国だと騎馬兵は漢人ではなく近隣の騎馬民族出身だったりしたのです。

古代の戦争は、結局白兵戦が主なものになるので、人数が多ければ勝ち、1万人以上の軍隊になれば、基本的に軍事力としての差はほとんどなく「訓練が行き届いているかどうか」だけだったといえます。

ですから、一定の質を保っている軍隊、もしくは対抗する相手の軍隊の質と同等のレベルの軍隊ならば「貴殿が歩兵を率い、私が騎兵を率いれば天下の平定はたやすいことです。」というのは大いにありえたでしょう。

・兵卒のモチベーションについて

とはいっても、兵卒ひとりひとりは人間なので、彼らのモチベーションにも影響します。三国志には黄巾族というか、太平道信徒が一大勢力になりますが、彼らは「太平道を実現するために死ぬ」と考えてるのでやたらに強いわけです。

今でいえばイスラムテロと同じ、実をいえば日本の特攻隊も同じ「何かを守るために死ねる」と考えている集団は恐ろしく強いというか、犠牲が出ても引かないので相手はものすごく恐怖します。
もっともこういう集団は素人の集まりなので、優秀な将がいなければ烏合の衆でもあり、単なる自殺願望者にもなりかねません。

逆に能力は高いけど、裏切ることも辞さないのは「傭兵」です。傭兵というのは、お金で雇われた兵たちで、百戦錬磨の強者の集まりですが「金と自分の命が大切。大義名分なんて関係ない」という人たちですから、戦況が悪くなればすぐに離脱してしまうわけです。

これらを含めて人心掌握も含めて総合的に統括できる「将」であれば、強い軍隊をつくることができます。兵士の質は訓練さえちゃんとできれば、それほど変わらないのです。

兵がどのように成長し、軍隊の質が高くなるか、という点について参考になるものとすれば、現代の映画ですが
・フルメタル・ジャケット
・ハートブレイク・リッジ
の2つをお勧めします。
フルメタル・ジャケットは「新兵が自分を捨てて、将の命令を聞くマシーンになるための訓練方法」を良く表していて、古今東西こういう方法で「兵士」は作られたであろうことがわかるものですし、逆にハートブレイク・リッジは優秀な指揮官(ただし軍曹)が人心掌握をして、軍隊(部隊)として有能になるようにする物語です。
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この回答へのお礼

具体的に書いて下さりありがとうございます。そのように指揮する方が変わるだけで勝てるようになることがあるのですね。また、兵の質について、現代でも一糸乱れぬ動きをする軍をみることがありますが、そういうものが質に関わっているのかと考えさせられました。
また、兵のモチベーションについても、大義があるほうが強いということなんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2017/06/03 08:03

孫子兵法書の読んだのだと思います。



根回し、情報作戦
専門軍隊の育成、
能力がそなわるまで出来るまで戦わない。
仲間を増やすまで戦わない。
食料確保するまで戦わない。 
都合が悪い所で戦わない。
準備が出来ても時期を見てた。

結局、兵士なれば失業しないとか、
農業にも力を入れていたとかが落ちかもね
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この回答へのお礼

タイミングをはかったり、勝てる時期を見極めていたということですね。ありがとうございました。

お礼日時:2017/06/03 07:48

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