プロが教えるわが家の防犯対策術!

戦争に秀でた人物を探そうと思えば、その舞台が第二次大戦でも古代ローマでも戦国時代でも、ネットで膨大に見つけられます。
しかし、これが外交に秀でた人物になると「小村寿太郎」など数人くらいしか見つけられません。
なので、いつの時代場所でも良いので、外交に秀でた人物をできるだけ教えてください。
また、具体的な人物だけでなく、国や組織単位でも外交や交渉が上手くいった事例などがあれば教えてください。

A 回答 (4件)

タレーラン



フランスが戦争に負けたにも関わらず、有利に話を進めた。

http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archiv …

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
タレーランですか。これはただの秀でた外交官ではなく、かなり癖がありそうですね。
正統主義のあたりもより調べていきたいですが、このタレーラン個人のエピソードもちょっと調べてみることにします。

お礼日時:2017/06/02 19:37

藺相如なんて、どうでしょう。

「完璧」の言葉の語源になった故事を成し遂げた人です。

璧とは、ドーナツ状の宝玉のことですが、中国の戦国時代、趙の国にあった「和氏の璧(かしのへき)」という宝玉を、秦の昭王が欲しがり、「秦の15の城と交換したい」と趙に申し出ました。秦は大国だったので、取引しないわけにもいかなったのですが、趙の王は本当に15の城を渡してくれるかいぶかしみました。
 
藺相如は、一計を案じて、秦と趙の国境で昭王と会談し、昭王の話の真偽を確かめた後、璧を取り戻しました。その時に藺相如が言った言葉が「昭王陛下、実はこの璧には傷があります。場所を示しますので、こちらにお貸ください」という言葉で、取り戻し、趙に「完璧而帰(璧を完うして帰る)」と称えられたのが「完璧」の語源になっています。

また、璧を全うした藺相如は趙国内で名声があがります。面白くないのは軍人で、特に趙国最強の将軍と呼ばれた廉頗は「口先だけの儒学者が、命を懸けて戦う軍人よりも上なのはおかしい」と思い「遭ったらコテンパンにしてやる」と豪語していました。
 そのため藺相如は、廉頗と往来で遭うことをさけていたのですが、藺相如の門人たちは逃げ回る藺相如を快く思っておらず、ある日ついに「あなたのような恥ずかしい人の下では働けません」と言いだしました。

それを聞いた藺相如は門人たちに問います。
「廉頗と秦の昭王のどちらが実力が上だ?」
「もちろん、秦王です。」
「その秦王を罵倒し、一矢報いたのは誰か?」
「藺相如、あなたです」
「そんな私が、廉頗を恐れると思うか?私はただ、廉頗将軍と私がこの国にいるから秦が攻めてこないのだと知っているのだ。私と廉頗将軍が争ったら、たちまち秦は攻めてくるだろう」
「私がここまでするのは、私情ではない、ただ国のためだ」
と門人たちを諫めたのです。

これを聞いた廉頗は私情で私憤を抱いた自分を恥ずかしく思い、藺相如の元に行き、茨のムチを差し出し裸になって
「藺相如閣下、この愚かな一兵卒に罰を御与えください」
といいました。
藺相如は廉頗将軍の手を取り「将軍がおられるから、私が無茶をしても秦が攻めてくることはないのです。むしろお礼を言いたいぐらいです」と許しました。

それを聞いた廉頗は「私は藺相如のためなら頸(クビ)を刎ねられても悔いはない」といい、その心意気に撃たれた藺相如もまた「私も廉頗将軍のためなら喜んで頸を討たれましょう」といったのです。

二人は友情の儀式を行い、ともに趙のために働いた故事をとって「刎頸の交わり」といいます。

藺相如がすごいのは、外国との交渉だけでなく、内政的な問題も処理する能力をもっていたことです。古今東西を見ても、内外の問題に一人で対処できた文人はそう多くはないでしょう。
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この回答へのお礼

細かく具体的なエピソードも付けていただき、ありがとうございます。
これはまた口がよく回る人ですね。
それに、完璧の璧が壁ではないというのは定番ですが、こんな人物が由来だったとは。

お礼日時:2017/06/03 16:43

そりゃ日本人なら”大黒屋光太夫”だろう。


 なにせ当時のロシア政府と交渉して、仲間を救い、最後には帰国までしたんだから。

 それと外国なら、英国王室による王室外交は外せない。特に”ビクトリア女王”。
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この回答へのお礼

大黒屋光太夫は少しだけ見聞きしたことありますが、改めて見れば、確かに秀でた外交官ですね。
ビクトリア女王は、名前しか知らなかったのですが、これもまたかなりの偉業が並んでいるみたいですね。じっくりと調べる必要がありそうです。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/06/03 11:05

東では蘇秦、張儀。


合従連衡ですね。

西ではビスマルク。
ヨーロッパでドイツ中心の体制を作りました。
三国同盟、三帝同盟、ベルリン会議などなど。
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この回答へのお礼

中国史は三国志くらいしか知らなかったのですが、やっぱりいるものですね。
ビスマルクは高校で習ったものの、鉄血宰相という異名しか覚えていませんが、改めてとりあえずWikipediaを見てみましたが、ものすごい人だったみたいですね。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/06/03 10:56

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