アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

学校の授業で英語のスピーチをすることになりました。覚えるに当たって日本語訳をしようと思ったのですが、いざやろうとしたら1文目からどう訳していいのか分からなくなってしまいました。
その英語のスピーチ文章を日本語訳して欲しいです!

"The last time I saw Diana was on July 1, her birthday in London, when typically she was not taking time to celebrate her special day with friends but was guest of honour at a special charity fundraising evening. She sparkled of course, but I would rather cherish the days I spent with her in March when she came to visit me and my children in our home in South Africa. I am proud of the fact apart from when she was on display meeting President Mandela we managed to contrive to stop the ever-present paparazzi from getting a single picture of her - that meant a lot to her.

"These were days I will always treasure. It was as if we had been transported back to our childhood when we spent such an enormous amount of time together - the two youngest in the family.

"Fundamentally she had not changed at all from the big sister who mothered me as a baby, fought with me at school and endured those long train journeys between our parents' homes with me at weekends.

"It is a tribute to her level-headedness and strength that despite the most bizarre-like life imaginable after her childhood, she remained intact, true to herself.

よろしくお願いいたしますm(__)m

A 回答 (2件)

私がダイアナと最後に合ったのは、普通なら友達とその日を祝ったりせず特別なチャリティー支援の夕べの主賓になったロンドンでの彼女の誕生日、7月1日でした。

勿論彼女は光輝いていました。でも私はむしろ、3月に彼女が南アフリカの自宅まで私や私の子供たちに会いに来てくれて一緒に過ごした日々を大事に胸にしまっておきたいと思います。彼女がマンデラ大統領と会った時を除いて、常に彼女のそばにいるパパラッチがたった1枚の彼女の写真を撮るのを阻止するための(それがダイアナにとって大事なことでした)算段をしたということが私の自慢です。

私がいつも心に刻むのはきっと過ぎ去りし日々のことです。家族の中で一番幼い2人がものすごい量の時間を一緒に過ごしたあの子供時代に戻っていくかのようなものです。

基本的に彼女は、赤ん坊の私の面倒をみてくれて、学校では私と一緒にケンカをし、週末、一緒に両親の住む家に行くための長い列車の旅に耐えた大きなお姉ちゃんの時からまったく変わっていませんでした。

子ども時代以後、想像しうるものすごく奇妙奇天烈に思える人生にもかかわらず、彼女の冷静さと強さには賛辞を送ります。彼女は自分自身を損なわず、自分に忠実であり続けたのです。
    • good
    • 0

「ダイアナは7月1日にロンドンで誕生日を迎えたのを知りました。

通常、彼女は友人と特別な日を祝うのではなく、特別な慈善資金募金の夕べで名誉のゲストでした。私が3月に彼女と一緒に南アフリカの私の家で私と私の子供たちを訪ねたときに彼女と一緒に過ごした日々を大切にしたいと思います。私は彼女がマンデラ大統領と出会った時から離れて事実を誇りに思っています。今まで存在していたパパラッチが彼女の一枚の写真を撮ることを妨げてしまった。

「私はいつも宝を払う日だったのですが、私たちが子供の頃に一緒に過ごしたときのようなものでした。

「基本的に、私は赤ん坊のように私を動かし、学校で私と戦って、週末に私の両親の家の間で長い列車の旅に耐えた妹から、まったく変わっていませんでした。

「彼女の幼い頃から想像できる最も奇妙な人生にもかかわらず、彼女は元気で、自分自身に忠実であった。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!