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名古屋城の鬼門と裏鬼門を教えてください。

A 回答 (1件)

愛知県名古屋市中川区荒子町の荒子観音


愛知県あま市甚目寺の甚目寺観音
愛知県名古屋市守山区竜泉寺の龍泉寺観音
愛知県名古屋市南区笠寺町の笠寺観音
この四観音を名古屋城の鬼門に有るとして徳川家康が鎮護として定めたそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%BC%B5 …

http://network2010.org/article/38
裏鬼門は「東輪寺」だそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/04 06:41

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一方で、日本で奴隷が差し出されたという記録は邪馬台国の時代くらいです。
あとは戦国時代のゴタゴタに乗じてポルトガル人が日本人を奴隷にして連れ去ったという記録がありますが、それに激怒した豊臣秀吉がキリスト教を禁教にして以降、日本人が奴隷になったという記録が(信憑性が低いものを除いて)ありません。

このように他国と比べ、日本人が奴隷になることがほとんどなかった理由は何でしょうか。

Aベストアンサー

締めきっていないようですので、もうひとつのほうに書かなかったことを書きます。

日本の農民の位置づけなのですが、農民は平安時代から「国の主役」という位置づけでした。もちろん天皇や公家などの貴族がいたのですが、彼らは元々は「各地のリーダーが中央に集められて官僚になった」というものでしたから、地元に残る人々との血縁関係もありました。

諸外国での「奴隷制」を考えるときに非常に重要なのは「血縁関係がまったくないから、非人間的に扱える」ということがあります。現代の人種差別も原則的に「血がまじりあっていないし、宗教も価値観も違うから、同じ人間とは思わない」という根幹的な価値観があります。
 それでもDNA解析などから「すべての人類は一人の母に行きつくので、すべての人類が親類」という意識が広がり始めていて、だから差別はよくない、ということになってきているわけですが、まだまだ古い価値観も大いに残っているわけです。

日本人は異民族戦争をしていません。少なくとも大和朝廷が日本を統一した後は、異民族ではなくなっているわけです。この時代の融和は「各豪族の神々はそれぞれ立派で敬うに値するから、天皇が代表して神々に祈ろう。だから、みんな認め合って、仲良くしよう」ということです。

聖徳太子のいう「和の精神」の裏付けには「すべての地域の神々を同等に扱う」ということがあり、それが今日まで続いている日本国のあり方ですし、武士であっても天皇を滅ぼさなかった一番の理由になります。もし信長などが、天皇を廃止したら「オラッちの神よりも、お前のクニの神のほうが上ってことか!!」ともっと戦国時代は長引いたでしょう。
 どれほど内戦があっても、誰がリーダーになっても「その地域の神(=文化や歴史)には敬意を払う」から各地域の人々は安心して暮らすことができたのです。

この安心感というか、神々に裏打ちされた「平等」感が、日本で大陸型の奴隷制が発展しなかった大きな要因になっています。

また、日本の主役は常に農民だったというのは、税制からも見て取れます。
日本史ばかりみていると不思議に思わないのですが、世界史の常識からすれば「城を明け渡す」というのはありえないことです。
 世界のというかユーラシア大陸の城は都市でもあり、支配者である王とその国の国民(本来は臣民)が住んで居たからです。城を明け渡す、ということは別の支配者がそこに住むということであり、当然、その支配者の臣民たちもそこに住み着くことになります。

日本のように、城は明け渡して、新しい領主がくるけど、農民は殺されもせず、追い出されることもなく、そのまま住んで農業で生活できる、というのは世界史の常識からすればありえない、ことになります。

なぜ、日本では領主が交代しても農民の生活は保障されていたかというと、これが墾田永年私財法に基づいていたからです。そもそも武士自体が、開墾した自分の土地を保障してもらうために平安貴族と戦い、鎌倉幕府という自治をかちとったわけですから、武士たちがこの根拠法をないがしろにするわけがない、ということです。

したがって、日本の領主は「租税権・行政権・警察権」などはあったものの、土地所有は「農民」にあったわけです。

これも大陸型の奴隷とは異なる姿を作り上げます。つまり戦争があって勝っても「租税権などをもらえる」だけで、農民から土地を収奪することはできなかった、ということです。

大陸型の奴隷は「自分の住む国が負けて、支配者も殺され、土地も奪われる」ことがスタートになります。
つまり「生きていくすべを失う」ということで、農業の生産性が低い時代は殺さないと、奪った土地の収穫を無駄飯食いにとられることになっていたので、皆殺しがおきたわけです。

実は(誤解を招くかもしれませんが)、皆殺しの時代にくらべて「奴隷制」は古代では「よほど人道的」である、と考えられていました。なにせ、奴隷なら戦争に駆り出されて死ぬことはありません。所有者も死なれたら大損なので、少なくとも死なない程度には食事も与えるし、仕事もセーブしたからです。
 供給過剰な時期は、粗末に扱われることもあったでしょうが、自国が負けてその戦争で戦死する、ということはなかったのです。そのため、当時の奴隷は現代の底辺の労働者とほぼ同じ境遇である、という見解を述べる学者もいます。

日本では、先ほど書いたように「墾田」すれば自分の土地です。どこかに逃げて、墾田に成功し、そこの為政者にきちんと年貢を納めれば「本百姓」になれるのです。
 人力しかない時代はとても大変なことですが、このような気風も大陸型の奴隷制度をとる必要性を薄くしたといえます。

締めきっていないようですので、もうひとつのほうに書かなかったことを書きます。

日本の農民の位置づけなのですが、農民は平安時代から「国の主役」という位置づけでした。もちろん天皇や公家などの貴族がいたのですが、彼らは元々は「各地のリーダーが中央に集められて官僚になった」というものでしたから、地元に残る人々との血縁関係もありました。

諸外国での「奴隷制」を考えるときに非常に重要なのは「血縁関係がまったくないから、非人間的に扱える」ということがあります。現代の人種差別も原則的に「...続きを読む

Q戦国時代までの日本の漢文の文法は独自だったのですか?

宮城谷昌光の著書にて「武田信玄の書状でも漢文は文法的に間違ってる事が多い」のような事が書かれておりました。
勿論祐筆もいたでしょうし、祐筆が間違っていた可能性もあります。
秀吉のように祐筆がいるからこそ「自分に敬語を使う現象」という説も生まれます。

が、本人や受け取り手が読む事もありますよね。
それも信玄が読むくらいで文法がそうであれば、日本は独自の文法で漢文を使っていたのでしょうか?

Aベストアンサー

日本の漢文というのはもともと中国の先進文化を取り入れるため
中国語を習わずとも中国の文語文を読むために発達したものです。
つまり、書くことには重点を置いてなかったのです。
武田信玄の書状をここに示していただければアドバイスできると思いますが、
それが無いので、論語、郷党編の一節で説明します。

原文に「唯酒無量 不及亂」とありますが

「ただ酒は量なく乱に及ばず」と読むのか「ただ酒は量なし、及ばざれば乱す」とでは
全く意味が違ってきますが、中国語を解する方であれば後者はあり得ないと判ります。
これが漢文を読むだけの方ですと、どちらが正しいのかわかりません。

漢文もよく勉強すれば、正しい文章が否かがわかってきますが、そこまで達するのは至難の業です。
遣唐使で極めて立派な漢文をかけるのに、中国語は全くできない僧侶がいて、現地で驚かれたというエピソードも
ありますが、それは例外でしょう。

日本人相手の漢文の手紙ですと「俺は教養がある」というところを見せつけたくて書く場合も多かったようです。
当然、文法無視の漢文もザラにありました。
それでも、読む方も日本人ですので、前後の文脈から、言いたいことは判ったようです。

日本の漢文というのはもともと中国の先進文化を取り入れるため
中国語を習わずとも中国の文語文を読むために発達したものです。
つまり、書くことには重点を置いてなかったのです。
武田信玄の書状をここに示していただければアドバイスできると思いますが、
それが無いので、論語、郷党編の一節で説明します。

原文に「唯酒無量 不及亂」とありますが

「ただ酒は量なく乱に及ばず」と読むのか「ただ酒は量なし、及ばざれば乱す」とでは
全く意味が違ってきますが、中国語を解する方であれば後者はあり得ないと...続きを読む


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