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人生がつまらない。


保育園児は自分の人生がつまらないとは言わない。

幼稚園児は自分の人生はつまらないとは言わない。

小学生は自分の人生はつまらないとは言わない。

中学生は自分の人生はつまらないと言う。

高校生は自分の人生はつまらないと言う。

大学生はつまらないことを楽しむ。

社会人になると人生はつまらないと言う。

老後に老人は人はつまらないとは言わない。

人生のつまらないって何なんでしょう?

保育園児、幼稚園児、大学生、老人は人生はつまらないとは言わない。

人生がつまらないと言うのは中学生と高校生と社会人だけです。

この2つをヒントにすると人生がつまらないのは何が原因か分かるのではないでしょうか。

そうです。勉強が人生をつまらなくしているのでは?

A 回答 (6件)

「この2つをヒントにすると人生がつまらないのは何が原因か分かるのではないでしょうか」


⇒そうですね。
もちろん、原因はあります。

「そうです。勉強が人生をつまらなくしているのでは?」
⇒そうではありませんね。
原因は自分なのです。

人間社会には様々な世界そして生き方があるのですが、その中で自分がどのように生きるかが重要なのです。
自分に合わない生き方をしていれば”つまらない”のです。
自分に合った生き方をすれば”つまらなくない”のです。
学校の勉強が合っていれば楽しいでしょう。
逆に、合っていなければつまらないのです。
つまり、親や先生が言ってることが正しい生き方とは限らないのです。

さあ、あなたはどのような生き方が自分に合っているんでしょうか。
よく考えてみましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/07 08:34

ふふふ。


楽しい質問ですね。
人生なんて、言って仕舞えば大概つまらないものですよ。
そんなドラマみたいに色んな事があったら疲れるじゃないですか。

子供時代は別格ですね。
新しい物や事に次々と出会って、それだけで楽しい。
新鮮さが楽しさの原点なのかもね。つまり刺激かな。
中学生でも高校生でも社会人でも、何事にも新鮮味を感じて刺激を得てる人は、人生いつも楽しいんです。
人生の味わい方かなぁ。

人生が見えた気になった時に色んな新鮮さを見失うのかも。

そして老人になったら、大切な自分の人生、つまらなかったって言いたくないじゃないですか。
人生残り僅かなのにね。
その時それなりに幸せなら、遠い昔の色んな事を思い出して、人生色々あったな、でもなかなか良い人生だったじゃないかって思うものじゃないかな。

送り出した私の大切な人たちはみんなそんな風に言いながら人生を締め括っていかれましたよ。

どんな時も味わい方次第で楽しい人生にもつまらない人生にもなるのかもね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/07 08:34

他律的に生かされるから。



自己の生きる意志の発露として、自律的に生きるの
ではなく、社会的必要が、そうした自己中心的な
意識と一致しなくなるから。

自己の命が社会によって成る=社会生命的自覚に
よって、助け合いとしての社会=愛による自律的
社会行動を可能にする時、そうした矛盾は解消する。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/07 08:34

いや、勉強を楽しむ学生もいますよ。

学ぶことを楽しむ、知識が増えることを楽しむ、頑張った分テストの結果を楽しむなど。
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人生がつまらない=思い通りにならない、理想と違う…では?



他者と比べて、一番になれない、自分より幸せそう、そんな気持ちが、自分の人生を矮小なものだと感じさせるのでは?

幼い頃は自分と他者を比べることができなかっただけなように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/07 08:34

これはあくまで私の考えなので屁理屈としてさらっと


聞いてくださいね

小学生以上は「人生つまらない」と言うと思います

保育園、幼稚園児はそこまで人生経験がないことと
知的水準が追いついていないと思います
仮に言ってもただ「つまらない」でしょう

小学生で感受性の強い子、大人びた子は言う

中学生、特に高校生、大学生は自分と人との違いに
心を揺さぶられて言う。恋愛に行き詰まると言う

青年は仕事や恋愛で行き詰まると言う

中年は子育て、親の介護、恋愛で行き詰まると言う

老人は「自分の人生がこれで良かったのか」と思い言う

学生の方が勉強など自分の問題だけ解決すればいいので
一時的なつまらないで終わると思います

逆に社会人以降は自分はそれなりに頑張っても周り
から足を引っ張られることになるので永続的な
つまらないになる可能性はあります

でも「つまらない」の中から「つまらなくする」ことも
できると思います
そこからはその人の人生観や性格だと思いますね
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/07 08:35

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Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Qこの世は人間が認識するまでは存在しない

《特報》「人間によって観測」されるまでは「この世の現実は存在しない」ことを、オーストラリアの量子学研究チームが実験で確認

したそうです。
http://oka-jp.seesaa.net/article/420222661.html
画像には複雑そうな機器が見えますが、人間、あるいは認識が、この実験にどのように関わっていたのかご存知の方おられましたら、お願いします。
どんな実験だったのか?
興味が尽きません。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、観測者が見るまで不確定と言うのも、おかしいような気がしますよね?
ただし、記録内容は、観測者が見るまで、誰も見ていないわけです。
そういう意味では、それが、確定した記録と信ずる証拠も無い事になります。
もちろん、マクロの範囲ではそういう事はありませんし、一般的に記録媒体の記録が、見るまで不確定と考える人もいません。
量子力学が、「因果性」、「局在性」、「実在性」に対して、確率的な法則しか与えられない以上、理論が述べられるのは、そのような事でしか無いと言う事です。
今、仮に、観測者自身も、量子力学の範囲の観測系として、その不確定性の影響を受けるとすると、観測者自身も一定の確率で、その収束結果を見る存在として、存在すると考える事も可能になります。
そうならば、未来にAと言う結果と、Bと言う結果を見る観測者は、観測するまでに、同等の確率で存在しえた事になります。
そう考えれば、観測の直前までは、観測者自身も未来の可能性において、確率的存在だと言える事になります。
もちろん、その事によって、観測者自身が変わるわけではなく、その未来の可能性が不確定なだけです。
これが、いわゆる量子力学の「多世界解釈」という解釈の方法です。
多世界と言う言葉は、同時に複数の世界があると言う意味ではありません。
未来の分岐可能な世界が複数存在すると言う意味であり、SFなどのパラレルワールドと言う意味では無い事に注意してください。
観測者は、量子力学の実験において、波動関数が示す確率によって、違う観測結果を見る可能性を持つ存在として、観測前は存在していると言う事です。
そして、観測によって、ある観測結果を見る存在として、収束すると言う事です。
これは、ある可能性が捨て去られたと言う事ですから、ある意味、観測者自身も、その結果の影響を受けていると言えなくもないです。
ただ、これは、実験がある確率で測定結果を与える不確定性を持っていると言う事だけであり、未来は不確定と言うのは、ある意味、当たり前の事です。
表れない未来として、違う観測結果の未来は存在しえたが、観測によってそれが収束したと言う事は、観測するまで、未来が確定しない事は言えますが、人間が観測するまで、物理的存在が、存在しないと言う事まで言及しているとは言えないと思います。

お礼ありがとうございます。
量子力学における観測問題については、どこまでが、観測装置としての系に入るかは、物理学者の間でも、かなり議論されている内容でしょう。
実験結果としては、最後の選択(と思われる行為)が、波動関数の収束をおこしていると言う事は確かなわけですが、どこまでが、観測装置なのかと言われれば、確かに難しい問題です。
結果を見た、観測者まで含めれば、観測者が結果を見るまで、波動関数の収束は起きていないと言う事も言えなくはないです。
ただし、記録装置の記録内容自体が、...続きを読む

Q物は、鏡に映った自分を、自分とは認識できません。どういう能力が無いため、できないのでしょう

人は(乳児を除いて)、鏡に映った自分の姿を、自分と認識できます。
しかし、動物は(類人類を除いて)、鏡に映った自分を、自分とは認識できません。
動物は、どういう能力が無い(あるいは低い)ため、認識できないのでしょうか?

Aベストアンサー

自分と鏡の中の存在が同じ姿同じ動きをしていると認識するには、前提として自身を客観的に認識する能力が必要でしょう。なので、その能力の優劣だと思います。

Q日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 
5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意
味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
 
6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまる
と いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。

7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうと
ばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っ
ている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろう
と最後まで奔走する。


いまは:
8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。
 
9. 相手の粗さがしを考えている。
 
10. 道は相手がゆづるものと思っている。
 
11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。
 
12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないこ
とをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。
 
13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・

14. (11)と(12)の《誘導作戦》についてパタンが決まっている。能
書きをしゃべくりからかす。これが マジックである。しかもすでに 思考回路
が 人びとのあたまには刷り込まれている。条件反射のごとく右へ倣えに従う。

15. 能書きは かしこまるような有り難い言葉でなければならないが 内容
はないものでなければならない。中身があっては 聞いている人たちが 優越感
に浸れない。

16. すなわち 人びとのあたまの中に 互いに地続きの《観念の運河》が築
かれている。ここに 《パタンとなったマジック》ではない言葉でしゃべる分子
が現われる。その独自のゴンドラを漕いでいると 寄ってたかって恒例の足引っ
張りなるイヴェントを始める。・・・のではないか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りに...続きを読む

Aベストアンサー

難しい質問を多くしておられますね。
物事を追求する姿勢は尊敬に値します。
あなたの質問は日本人の昔と今の比較でしょうか?
鎖国で築き上げた文化と明治以降の外国からの情報、モラル等の流入、
戦後の混乱、超高度発展を遂げた結果・・・
日本人の多くの豊かなこころが失われていったと思っています。
賢い人は難しい言葉を使いたがる。 悩む人は行動しない。
自己中の人は他人を傷つける。
人とのふれ合いは同じ目線でわかりやすくしないと反感を持たれます。
日本の良さは更に失われていくでしょう。

Q同じような内容について、何回も執拗に質問される方は、どのような性格や心理なのでしょうか?

このカテを興味深く眺めています。
ところで、同じような内容について、何回も執拗に質問される方がいらっしゃいます。
その方は、どのような性格や心理なのでしょうか?

Aベストアンサー

>その方は、どのような性格や心理なのでしょうか?

回答を読む気が無い、あるいは回答を理解する能力を欠いているのでしょう。

その人は、回答から学ぶ姿勢は無く、自分の投稿および、回答へのお礼欄を使って自己主張を繰り返すのが目的だと思います。
きっと、実社会で相手にされないので、サイバー空間で憂さを晴らしているのだと解釈できます。

Q急にむなしくなる時ってありますか?どうやって気を紛らわせていますか?

最近少しだけむなしくなってきてしまいました。

新卒1年目、20代前半の女です。
現在実家の東京を離れ、関東の片田舎で一人暮らしをしています。恋人はいません。
大学4年間で一人暮らしをしていたこともあり、最初は新しい環境を楽しんでいたのですが、
ここ最近急に寂しくなってきてしまいました。
大学ではバイト先の友達や学校の友達と休日遊んだりしていたので寂しいと感じたことはほとんどなかったのですが…。

職場の先輩たちは皆さん優しいですが、おじさん、おばさんたちばかりでプライベートな付き合いはほとんどありません。
新卒は自分含め2人(他の地域含めると20人以上いるのですが今は地域が別のため交流がありません…)。
同期は高卒の男の子、実家暮らし、地元出身。仲はとても良く遊びにいったりもしますが、
同期は地元の友人、恋人との付き合いなどもあり、まぁ色々楽しそうです。

関東の片田舎なので、遊びにいくようなところも大してないし、そもそも一緒に遊びにいく恋人や友人もいなくて、なんだか金曜の夜に急に寂しくなってきてしまいました…(笑)。
大学の友達や高校の友達とも長期休みは遊んだりしています。が、こういった何気ない週末、
自分は一緒に過ごす友人も家族も恋人もなく、なーにやってんだ…って。
趣味はありますが、場所が必要なものなので手軽にはできません。

他人と比較しても仕方のないことだし、寂しいからって急に男つくったって後で何やってるんだって後悔するだけだともわかっているんですが、こう、とにかく急激に寂しくなってしまいました。

一人暮らし、独身、彼氏なし、近くに頼れる家族、友人なし、な女性の方。
こういったむなしい時どう過ごされてますか?

最近少しだけむなしくなってきてしまいました。

新卒1年目、20代前半の女です。
現在実家の東京を離れ、関東の片田舎で一人暮らしをしています。恋人はいません。
大学4年間で一人暮らしをしていたこともあり、最初は新しい環境を楽しんでいたのですが、
ここ最近急に寂しくなってきてしまいました。
大学ではバイト先の友達や学校の友達と休日遊んだりしていたので寂しいと感じたことはほとんどなかったのですが…。

職場の先輩たちは皆さん優しいですが、おじさん、おばさんたちばかりでプライベートな...続きを読む

Aベストアンサー

趣味というのは、その人の生活の余暇から始まります

あなたが初めは新しい環境で楽しくすごし
いっぱいいっぱいだった時期が終わり
生活にあたらしい余暇ができた証拠なのでしょう

いいことではないでしょうか

趣味をお持ちのようですが場所が必要で手軽には出来ないとのこと

今までとは生活も時間の使い方も違ってきたのですから
またあなたが変化をする時期にきたのではないですか

生き物でいえば
もう今までの生活では変化しなければならない
羽化する時期がきたのでしょう

人の時間の使い方ですから
あれが良いとかあれをすればいいとかは言えませんが
とにかく
今までの生活を続けるだけではなく
違った新しい余暇の使い方をかんがえる時期なのではないですか

Qもし和を以って貴しと為せと言われなかったなら わたしは 和を乱すことを知らなかった。

(α) もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・
・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。 

☆ この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。



☆ 参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。
つるぎを投じることになるひとつの視点です。

     *

・ 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ

▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一に曰(い)わく、
(あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、
忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

(い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、
また隣里(りんり)に違(たが)う。

(う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、
事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
すなわち事理おのずから通ず。
何事か成らざらん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 これを 
基礎とすると言っています。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いまし
た。

▲ (五箇条の御誓文)  一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ

 
(2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが:

▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて

☆ これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で 
ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわ
れは次のような歴史を経て来ています:

◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~~~~~~~~~~
【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことの
り)に

   《このころ聞く 諸国の役民 造都に労れ 
   奔亡するものなほ多し。
   禁ずと雖も止まず》。

とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 
道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出
す者が多い。禁止しても止まない。・・・

【上田正昭】 その翌年の正月にも 

   《諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 
   食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。
   溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの 
   その類少なからず》。

というのが出ていますね。

【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけです
ね。
【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。

   《草枕旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 
    国忘れたる 家待たまくに》  (万葉集 巻三・426番)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(3) その(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣き
の歌を見てみれば分かります。

▲ (万葉集 三・415) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる
人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首

    家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ
    草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりな
さい ふるさとを思い出し 帰ってゆっくり休みなさいと声をかけていますが 
聖徳太子の歌では ああ かわいそうにとだけ言っています。

(4) たとえば:

▲ 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮ら
していた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》う
んぬんと言いだした。
 
口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人び
とよ自分たちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよ
いことだけを言っているとしか聞こえません。

(5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と
排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋らを亡きものにする
ことにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》
と言っちゃってもらってもねぇ。
 
権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっ
しゃいます。

(6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――あるいはつまり お二階
からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちと
ともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きた
と いまいちど起き上がって言って欲しい。

(7) しかも・しかも 聖徳太子の場合には そのウタに《旅人》として歌
われたみまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることにな
ります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。
――ちゃんちゃらおかしいわい。

(8) 人麻呂スサノヲの心意気なら 先の(α)の命題を飲みますか?


        *


 われらがふるさとを取り戻したい。
 なにが おおごとなのでしょう?
 どこが エラーなのでしょう?

(α) もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・
・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。 

☆ この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。



☆ 参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。
つるぎを投じることになるひとつの視点です。

     *

・ 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ

▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一に曰(い)わく、
(あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし...続きを読む

Aベストアンサー

水平ではなく、二階から、、ということか!

ありがとうございます。
成る程です。

Q教育哲学

教育の本質ということで「教育哲学」という言葉を思いついたのですが、
すでに学問の領域として存在していたことを知りました。

現代の日本において教育は、実利のみを動機とし、目的としていると思い
ます。これは、教育が欲望達成のための道具に成り下がっているというこ
とで、あるべき姿ではないと考えます。

教育の本質、つまり、社会は個々の人間に何をおしえるべきであるのか?
また、広く教育についてのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

Aベストアンサー

>教育の本質、つまり、社会は個々の人間に何をおしえるべきであるのか?

食糧の調達と保存と加工方法、それに栄養学、あとは哲学を教えるべきです。
上記を無償の義務教育として、それ以外は有料の選択科目とすればよいでしょう。

>また、広く教育についてのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

教師の収入・生活を確保するための議論は排除して、個人が自由に教育を買えるようにすることが重要です。
教育を買うだけのカネがない人達には、食糧の調達と保存と加工方法、栄養学、哲学だけは無料で(税金んで)教えるようにしましょう。

Qみづからに立ち帰る・世間との和解

1. 自己との和解そして世の中との和解 これが――さまざまなきっかけを
とおして いかなるかたちにおいて起きるにせよ―― 個人にとっての《前史
の終了 すなわち 後史への突入》だと考えられます。

2. では和解は どうすれば生まれるのか? いかにしてわが心におとづれ
るか?

3. ひとつには どうもつらつら考えるに 《悪は存在しない》という命題
に心から同意することと同時なのではないか?

4. 悪と呼ぶ行為ないし現象は実際に起きているが それは 善の損傷とし
てあるのであって 《悪》というイデアやモノが存在しているわけではないの
だ。この認識とそれに見合った身における感性的な秩序のようなものが成り立
つとき こころのわだかまりは解けて 《和解》が成る。こう考えました。




5. 人びとの中には 一生のあいだについぞこの和解を見ない場合もあるの
だろうか?

6. 死を前にした心境において 和解の境地は得られるものだろうか? つ
まり人は遅くとも死の直前には 自己に立ち帰り世の中とも解け合い 結ぼれ
たしがらみは無くなっていると言えるだろうか?

7. 言いかえると人びとの中には 死んでも その無明のうちに過ごす前史
が終わらないという場合もあるだろうか?

8. 死ぬまで 《悪》なる観念に悩まされつづける魂は 存在するだろうか?

1. 自己との和解そして世の中との和解 これが――さまざまなきっかけを
とおして いかなるかたちにおいて起きるにせよ―― 個人にとっての《前史
の終了 すなわち 後史への突入》だと考えられます。

2. では和解は どうすれば生まれるのか? いかにしてわが心におとづれ
るか?

3. ひとつには どうもつらつら考えるに 《悪は存在しない》という命題
に心から同意することと同時なのではないか?

4. 悪と呼ぶ行為ないし現象は実際に起きているが それは 善の損傷とし
てあるので...続きを読む

Aベストアンサー

私は興味深く読みました。
善の損傷という発想はありませんでした。
貴方の言う和解とは全てを受け入れるということでしょうか。
6にある柵はその時に無くなっていると思いたいですね。
それが旅立ちであるのなら。

Q哲学に オッカムの剃刀は 要らないか

1. 必要だ。格調高いケチの原則でよい。

2. クリスマスツリーのカザリは要らぬが 樅の木は生きている。香りを放つ。
格調高いと言うが その言い方ではあいまいだ。生きた香りが必要である。それ
までを剃り落とすと言うなら 間違っている。

3. ~~~~~~~~~~~~~~~~
いやいや 何ごとも かたちから入るのだ。郷に入れば その思考形式が成り立
っている。それこそ生きている。相手を思いやり相手に合わせると言うではない
か。これをないがしろにして 何を伝えんとするのか。

そりゃあ かたちだけではダメだろう。中身がともなわなくっちゃ。

だけれど 近ごろでは――ひょんなことで告別式に出る機会があったのだが―― 
坊主が 漢文のお経を詠んでから 日本語でも説教するではないか。中身が分か
るように努力している。

そういうもんだ。飾りは 伊達にあるもんぢゃない。ぶっきらぼうで成功する確
率は みみずが論文を書くようなものだ。

せいぜい これくらいの長さで 話は するもんだ。剃刀というような物騒なも
のは要らない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


☆ 哲学に オッカムの剃刀は 要らないか。

1. 必要だ。格調高いケチの原則でよい。

2. クリスマスツリーのカザリは要らぬが 樅の木は生きている。香りを放つ。
格調高いと言うが その言い方ではあいまいだ。生きた香りが必要である。それ
までを剃り落とすと言うなら 間違っている。

3. ~~~~~~~~~~~~~~~~
いやいや 何ごとも かたちから入るのだ。郷に入れば その思考形式が成り立
っている。それこそ生きている。相手を思いやり相手に合わせると言うではない
か。これをないがしろにして 何を伝えんとするのか...続きを読む

Aベストアンサー

#2です。

>☆ 取りあえずは 趣旨説明における(3)の文章例で考えてみて

まず、繰り返しになりますが確認するなら、
「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」
のですから、
『ある事柄を説明するために、必要な(と思う)範囲では多くを仮定すべきである』
と言ってることになる。
☆日本語でも説教
したのも、坊さんが必要だと思ったからこそであり、「オッカムの剃刀」の範疇だという理屈になる。
というわけでオッカムさんは別にして、という条件で申し上げざるを得ませんが、
少なくとも、闇雲に剃刀を旗印にするのは単なる自己満足でしょう。
「これ以上の説明が必要なのはお前であって俺ではないのだから、わざわざ答えてやる気はない」と言ってるわけでもあり、その意味では、愛に欠ける、とも言えそうです。
ただ、リビドーとしての愛を他者へ放出するのはエネルギーを消耗するところから、個々の裁量の範囲、と言わざるを得ず、「愛に欠ける」と目くじらを立ててもしかたない。
論議するなら当然の条件だろうとおっしゃるでしょうが、この場合もやはり、論議すること自体がリビドーの放出になりますので、不当な要求をされたと逆恨みされるのが関の山。
シンプルイズベストではあるのですが、そのこと自体がシンプルに成立するわけではない、という気もする次第。

#2です。

>☆ 取りあえずは 趣旨説明における(3)の文章例で考えてみて

まず、繰り返しになりますが確認するなら、
「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」
のですから、
『ある事柄を説明するために、必要な(と思う)範囲では多くを仮定すべきである』
と言ってることになる。
☆日本語でも説教
したのも、坊さんが必要だと思ったからこそであり、「オッカムの剃刀」の範疇だという理屈になる。
というわけでオッカムさんは別にして、という条件で申し上げざるを得ません...続きを読む


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