「信仰のみ、聖書のみ」の言葉の意味が知りたいのですが、どんな本を調べたら良いのかさえもさっぱり分かりません。
何か知っている方がいらっしゃれば教えて下さい。お願いします。

A 回答 (2件)

ルーテル教団の教えですね。



マルチン・ルターの宗教改革によりできた教会で「聖書のみ」「キリストのみ」「恵みのみ」「信仰のみ」を主張。信仰の基本をあらわすものとしてルター「大小教理問答」メランヒトン「アウグスブルグ信仰告白」等を重視しています。

ルターの本を読んでみるか
日本福音ルーテル教会か、日本ルーテル教団のページを見てみてはどうでしょう。

参考URL:http://www.jelc.or.jp/,http://www.jlc.or.jp/
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この回答へのお礼

返事が遅くなってすみません。回答ありがとうございます!
早速図書館に行ってルターの本を探して来ます!

お礼日時:2001/07/05 00:51

無教会でもよく「信仰のみ、聖書のみ」と言ってますよ。


信仰告白で、この世的な事柄に価値を置かず、神様に向き合う姿勢を表すとき等に、そう表現することがよくありますが。
万人祭司の考え方の元になっていると思います。
よろしければ、ご質問の背景をお知らせいただけると、もう少し詳しくお答えできるかも知れません。

検索サイトで調べたら、プロテスタントの基本的な主張とありました。
宗教改革関連の文献がよいようですね。
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この回答へのお礼

遅くなってすいません。回答ありがとうございました。
質問の背景をお知らせしたいんですが、ただ「信仰のみ、聖書のみ」の言葉を
解説しなさい!と言われただけなんで私もよく分かんないですー。
でも、これから図書館に行くつもりなので宗教改革関連の文献探してみますね!
ありがとうございました!!

お礼日時:2001/07/05 00:57

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世界史の時間に習ったことをふと思い出したのですが、ルターが破門されたとき、ザクセン選帝侯がルターのことを保護して、そこでルターは聖書の翻訳に没頭したということでしたが、なぜ、ザクセン選帝侯は、そういう立場のルターを保護しようと思ったのでしょうか?ただかわいそうだったから?それとも、何か理由が?調べても分かりませんでしたので、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 神聖ローマ帝国皇帝カール5世に対する牽制策の一貫として、ザクセン選定候は、ルタ-を庇護したのが第一の目的でしょう。諸侯の皇帝に対する独立性の主張です。
 2番目に、当時ローマ教皇&カトリックが腐敗しており、貧しく、純朴で、統一がとれていないドイツにつけこんで、免罪符だけでなくなんのかんのと献金を毟り取るイタリアに対する反感も根底にあったと考えられます。この気持ちは、他の国にも共通し、イギリスのヘンリー8世等もローマ教会への献金等が中央集権の阻害になると判断し英国国教会が出来た要因となっております。
 質問者の指摘のとおり、単なる同情心でルタ-を庇護したわけではありません。
 

Q聖書の示す神とその信仰は 無条件に成り立つもの

 ・・・でなくてはならない。ということを キリスト・イエスが指し示した。
 そこから 《神および信仰ならびに〔信仰の成れの果てたる〕宗教にかんする一般理論》が成った。


 世界における神とその信仰は 神の名が違うだけであって みな同じひとつの神であるということ そしてその神とわれとの関係たる信仰も基本としては 同じかたちである。こう成ります。

 《すべての神》という言い方もヘンですが そのあらゆる《神は 無根拠であり 信仰は無根拠にて成り立つ》という意味にもなると考えますが その理由を地図のごとき説明にて示します。

  ○ (神とは《非知》のことである) ~~~~~~~

  経験事象
     可知
      既知
      未知
     不可知(知り得ないと人間が知り得た)
  非経験の場(因果関係を超えていると想定)
     非知(知り得るか知り得ないかが知り得ない)

 ○ (非経験の場=非知 なる神を受け容れる《非思考の庭》)~~~

  信じる:《非思考の庭》:ヒラメキ直観
  ---------------------- 
  考える:《思考の緑野》:理性←→オシエとしての宗教
  感じる:《感性の原野》:知覚;直感

 ○ (信仰は すべて《梵我一如》類型で捉えられる) ~~~~~

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)(*)
   無梵:空・シューニャター・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)(*)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:如来蔵・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

  * 無神論と有神論:《非知》を――なぜなら 因果関係を超えているゆえ それが有るとも無いとも人間には規定できないので 好きにどちらかをえらべばよいから――《無い神》としてえらんだ結果の信仰が 無神論である。《有る神》として非知を受け取る有神論と それはまったく対等で同じ信仰である。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 真理は シンプルです。シンプル・イズ・ベスト。

 このたたき台を 言わばコミュニティーに対して かさねて問います。

 ・・・でなくてはならない。ということを キリスト・イエスが指し示した。
 そこから 《神および信仰ならびに〔信仰の成れの果てたる〕宗教にかんする一般理論》が成った。


 世界における神とその信仰は 神の名が違うだけであって みな同じひとつの神であるということ そしてその神とわれとの関係たる信仰も基本としては 同じかたちである。こう成ります。

 《すべての神》という言い方もヘンですが そのあらゆる《神は 無根拠であり 信仰は無根拠にて成り立つ》という意味にもなると考えますが...続きを読む

Aベストアンサー

No3です

>要するに 多神教や汎神論というときの多神や汎神は すべて分身としての神々です

それだと多神教の神はひとつの神の依り代であるという意味になります
つまり山そのものが神本体でないように多神教の神々は神本体ではないということになります
その理屈で言えばたしかに全ての神はひとつの神であると言えますね
ただ、その理屈を言うための根拠がないですから、あくまで仮説としてひとつの神を
想定すればという括弧をつけなければならないでしょう

Qマルティン ルターが神聖ローマ帝国諸侯に匿われた理由を教えて下さい。 諸侯側にルターを匿うメリットは

マルティン ルターが神聖ローマ帝国諸侯に匿われた理由を教えて下さい。
諸侯側にルターを匿うメリットはあったのですか?

Aベストアンサー

宗教改革とは何ぞや、背景を勉強してないからこういう質問になる。
神聖ローマ帝国は帝国とは名ばかり、現在のドイツを中心としたエリアを呼称するものです。
さらに、その中身は地方政権の連合体でした。
皇帝はフランスのように、中央集権を目指していました・・・①
ただローマ帝国と言うからにはイタリアエリアの覇権は不可欠です。
皇帝はイタリアを屈服させるため、イタリアへ軍隊を何度も派遣しますが、それにはドイツ諸侯の協力を得る必要があり、
懐柔策を連発します。徴税権等々を諸侯に認めていきましたから、益々諸侯が独立国家の様相を呈していきました。
諸侯にとって、優秀な皇帝が現れると、苦労して得た自らの権利が皇帝に取り返されますので、皇帝との間はつかず離れずでした。
その皇帝の中央集権に対抗したのがローマ教皇でした。
ドイツ諸侯は政争のテーマによって、皇帝与党になり、逆に教皇派に組みしました。
昨日の皇帝は、明日は教皇派になっていることが日常茶飯事だったと言ってよいでしょう。
自らの独立を尊び干渉を拒否するドイツ諸侯は、教皇に抵抗する手段として皇帝派に属することと、ルター派に属することを使い分けています。
ルター派がドイツ諸侯に浸透していくのにそれほど時間はかかりませんでした。
尚、皇帝(ハプスブルグ家)はキリスト教に関してはアンチルター派でした。

宗教改革とは何ぞや、背景を勉強してないからこういう質問になる。
神聖ローマ帝国は帝国とは名ばかり、現在のドイツを中心としたエリアを呼称するものです。
さらに、その中身は地方政権の連合体でした。
皇帝はフランスのように、中央集権を目指していました・・・①
ただローマ帝国と言うからにはイタリアエリアの覇権は不可欠です。
皇帝はイタリアを屈服させるため、イタリアへ軍隊を何度も派遣しますが、それにはドイツ諸侯の協力を得る必要があり、
懐柔策を連発します。徴税権等々を諸侯に認めていきました...続きを読む

Qイエス信仰とマリア信仰

高校の倫理のテストで、イエス信仰とマリア信仰の違いを書けという問題が出るのですが、さっぱりわかりません。

マリア信仰は経済が発展していない、比較的貧しい所の信仰が多いのが重要らしいんですが・・・

お分りの方、どうかよろしくお願いします。

Aベストアンサー

No.3です。

ここなんかどうでしょう。
  ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%8F%BE

『比較宗教学的見地からは、世界各地での聖母の出現は、土着の女神信仰とキリスト教のシンクレティズムの産物であり、それぞれの地域の人々は聖母マリアの形を借りて、自分たちが古くから受け継いできた女神を信仰しているという見方もある。これは特にキリスト教国家によって植民地化され、キリスト教への改宗を強制された地域に見られる特異なマリア崇拝を説明する(古くはローマに支配されたガリアの黒マリア、新しくはスペイン、ポルトガルに支配された中南米や東南アジアの聖母崇拝)。』

ローマ帝国は肥えた土地や、地下資源の豊富な土地を征服して、征服した先の作物や資源を都市部に供給したので、ローマ帝国の支配地域は広大になっていったんですね。

現在はキリスト教は、石油埋蔵量世界第二位のイラクを侵略しましたよね。

で、キリスト教は都市の人にとって経済的な豊かさをもたらし、征服先の都市部の人たちの吸い取られる側は、吸い取られるので、どれだけ働いても楽にならない というシステムになっているんです。


で、豊穣という概念があり、春になると何も無い大地に緑が芽生えるのを見て、豊穣の女神のせいだと思ったわけです。

秋になると女神は去っていき大地は死んだようになるが、春になると緑に大地は覆われるのので、視覚的にこれを女神の復活だとして、春になると女神の復活を祝っていた。

キリスト教の復活祭は春ですが、もともとはキリスト教がやってくる前からあった豊穣の女神の力の復活を祝う行事だったわけです。

キリスト教はもともとあった女神の復活を祝うお祭りを、イエスの復活を祝うお祭りに塗り替えたんです。


で、都市型キリスト教は、侵略した土地の作物やら地下資源をちゅーちゅー吸い上げる側ですが、そうやってチューチュー吸われることで、支配されている地域がとうとう作物が取れず枯渇するかというと、永遠に存在し続ける女神という概念があり、どれだけチューチュー吸われても、永遠に存在する女神は春になると力を復活させ、土地の人々を養う という考えがある。

だから豊穣をもたらす女神信仰はキリスト教だとイエスじゃなくてマリアなのでちゅーちゅー吸われる側の信者はマリアの方を信仰するわけです。

イエスには豊穣をもたらすという概念が無い。
男神なので、何も産まない。何も与えることができない。

裁判でいけば、検事の役割。
人の罪を重くする役割。

マリアは人の罪を軽くする役割。

だから、人々は厳しいイエスではなく、罪をおかさざるを得ない悲しい性の人間を見捨てず、イエスのように逃げ出さず、死の際までつきそって見守るマリアに、心を捧げるようになったわけです。


で、テストに書くときは、支配する側と支配される側があり、支配し搾取する立場の人はイエス信仰、支配され搾取される側はマリアを信仰するって風なことを書けばいいんじゃないかなぁ と思います。

No.3です。

ここなんかどうでしょう。
  ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%8F%BE

『比較宗教学的見地からは、世界各地での聖母の出現は、土着の女神信仰とキリスト教のシンクレティズムの産物であり、それぞれの地域の人々は聖母マリアの形を借りて、自分たちが古くから受け継いできた女神を信仰しているという見方もある。これは特にキリスト教国家によって植民地化され、キリスト教への改宗を強制された地域に見られる特異なマリア崇拝を説明する(古くはロー...続きを読む

Qマルティン・ルターと言えば…

今度、マルティン・ルターについてミニレポートを書くことになったのですが、書くスペースがあまりありません。
ので、「マルティン・ルターと言えばこれだ!」と思うものは何か?を皆様に考えて頂きたいです。
回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DE%A5%EB%A5%C6%A5%A3%A5%F3%A1%A6%A5%EB%A5%BF%A1%BC
こっちの方が短い。
http://spysee.jp/マルティン・ルター
この程度のものもある

Q旧約聖書・新訳聖書で「罰せられた人」

旧約聖書・新訳聖書で「罰せられた人」はどんな人がいるのでしょうか?

新約聖書で、寄進寄付を渋った人が「罰せられ」ましたが名前は忘れてしまいました。

Aベストアンサー

旧約聖書のアダム イブ カイン等が有名でしょう。
嘘を言ったために追放 そして真心を持って貢物をしなかったカイン
等いました。

後補足として神は罰しない 愛を持って見守っていますからね
日本人の考えるものとは違う そこからどこがいけないのかを考える
そこから這い上がるのが目的で「試練」を与えたという未来を考えていくほうがいいのでは?

新約の
1.アナニアという男は、妻のサフィラと相談して土地を売ったが、妻も承知で代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた。(使徒言行録.5.1-2)
2.するとペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。(略)あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(使徒言行録.5.3-4)
3.この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。
 (使徒言行録.5.5)


この箇所でしょうか?

QADSLから光に変更すると現在のルターなどは使えない?

ADSLから光に変更すると現在のルター、無線LANアダプターなどは変更する必要があるのでしょうか。
光も、ADSLのように電話回線モジュラーにルターなどを接続して使用するのでしょうか?
お願いします。

Aベストアンサー

ADSL内蔵ルーターのMN7530を光で使っています。
この機種の場合、背面のスイッチでルーター機能を切れます。
そうすると、無線のアクセスポイント兼有線のスイッチングハブとして使えますから、光になってもそのまま使い回しが可能でした。
但し、測度は理論値が11Mですから、私の環境では1.5~3M程度しか出ません。

私はNTTの「フレッツ光プレミアム」ですが、光に切り替えると専用のルーターが来ますから、それのLANポートに無線のアクセスポイントを挿して、IPアドレスを振るだけでした。

Q《夕陽の信仰》――山折哲雄による――とは何か

《夕陽の信仰》――山折哲雄による――とは何か



 ▲ 山折哲雄:夕焼け小焼け――日本人の生命観 死生観――
  http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10001841/0/index.html
 ☆ この中の次の箇所についてその内容を問います。

  ・ 韓国の仏教学者に教えられたこと
  ・ 『夕焼け小焼け』に表れた日本人の宗教観(一)
  ・ 『夕焼け小焼け』に表れた日本人の宗教観(二)
  ・ 『夕鶴』にみる夕陽信仰

  ☆ 文章は講演内容であり 読みやすいのですが かなりの長さがあります。要約しつつ疑問を述べて行きます。その前にすでに問いをかかげておきます。

 【α】 夕陽の信仰は どこまで日本人のこころにうったえているか。

 【β】 仮りにうったえていたとして どこまでそれが錯覚でないと言えるか。


 1. 《 ♪ 夕焼け小焼けのあかとんぼ》ともうたわれるわけだが ここでは童謡の《夕焼け小焼け》をとりあげよう。小節づつ。

 2. 《 ♪ 夕焼け小焼けで 日がくれて》

 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 日本人は昔から、あの落日のかなたに浄土をイメージしてきたのではないでしょうか。・・・
 沖縄に行きますとニライカナイという海上のかなたに存在する理想の国土が信じられております。

 その太陽がまた翌日になると、東から昇るわけであります。それは人生が必ずよみがえる、季節も繰り返しよみがえってくるという再生の考え方とも結びついている。それを象徴するのが落日ですよね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 3. 《 ♪ 山のお寺の 鐘がなる》

 ▲ “山のお寺の鐘が鳴る” その山のお寺が朝昼晩 鐘を鳴らす。鐘の響きを聞いて人々は起床し、食事を取り、労働をし、1日のリズムがそれで決められていく。
 ☆ 鐘は人為的なものだが すべては人びとの日々のくらしの世界に溶け込んでいる。自然とも一体であるということをも つづく箇所と合わせて言おうとしているようです。

 4. 《 ♪ お手てつないで みなかえろ》

 ▲ しかしこれは大人に対するメッセージでもあると私は解釈しています。「帰るべきところに帰れよ。」 そういうメッセージですね。

 5. 《 ♪ からすといっしょに かえりましょう》

 ▲ 「共生」、動物たちや小鳥たちや自然といっしょに生きていこうという考え方は、もうこの『夕焼け小焼け』の歌の中にきちんと歌い込まれていたんです。

 6. 木下順二の『夕鶴』

 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ・・・〔* あるたけの羽根で織物を織らせられ〕鶴は人間どもの欲望の尽きないありさまに絶望して、天上に帰っていく。鶴が飛び立ったときに初めて与ひょうは大事なものを失ったと思う、という現代劇です。
  最後につうが天上に戻っていくその場面を、木下順二はどう表現していたか。これが夕焼け空なのです。つうは真っ赤に燃えた夕焼け空に向かって飛び立って行った。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 7. ☆ さてここで最初の【α】と【β】の問いになります。
 特に【β】については こうです。

  【β‐1】 日本人は――いくら自然と一体だと言っても――決して 夕陽の向こうのイデアの世界にふるさとを見るなどということはしないのではないか。――《世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば》(山上憶良)。その場この場にとどまるほうが 日本人の伝統ではないか。

  【β‐2】 同じような内容として:《人間のあさましさ・その欲望の深さにたとえ絶望した》としても 鳥ではないのだから 夕鶴のように夕焼け小焼けの赤く染まった西の空のかなたを目指して飛び去っていくことはないであろう。

  【β‐3】 この《夕鶴》および《夕陽の信仰》というしろものこそが 日本人のあいだに いぢめを無くさなくしておる共同の観念であり幻想であるのではないか。いぢめに遭ったとしても 夕陽の観念に逃れその栄光の観念の国にのぞみを見い出せと 周りの《観念の運河》からは声が聞こえて来る。――《和を以て貴しと為せ》と上から言われなかったなら わたしは和を乱すことを知らなかった。これが 日本人の信条ではなかったか。

 ☆ 思想として見た場合の山折哲雄および木下順二というそれぞれ内容について全否定を試みるものです。どうでしょう?
 
 * (おまけ) 夕鶴の《つう》は 羽根がなくなったのに どうして空を飛べたのでしょう?

《夕陽の信仰》――山折哲雄による――とは何か



 ▲ 山折哲雄:夕焼け小焼け――日本人の生命観 死生観――
  http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10001841/0/index.html
 ☆ この中の次の箇所についてその内容を問います。

  ・ 韓国の仏教学者に教えられたこと
  ・ 『夕焼け小焼け』に表れた日本人の宗教観(一)
  ・ 『夕焼け小焼け』に表れた日本人の宗教観(二)
  ・ 『夕鶴』にみる夕陽信仰

  ☆ 文章は講演内容であり 読みやすいのですが かなりの長さがあります。要約しつ...続きを読む

Aベストアンサー

>【α】 夕陽の信仰は どこまで日本人のこころにうったえているか。
日本人の宗教は、「仏教+神道」であり、輪廻を否定していないので
一神教系(=輪廻を否定)よりは日本人のこころに近いのは明らか。

なお、山折さんの論法は、
日本:落日とは再生を意味する。  ※西洋では、終焉を意味する。
日本:落日の光景の芸術がある。
西洋:落日の光景の芸術が少ない。
よって、日本のほうが夕陽の信仰が大きい。
という、客観判定可能な事項を基にした論法なので、
真っ向から否定するなら、
・落日とは再生を意味する。
or
・西洋にも落日の光景の芸術がてんこ盛り。なお、落日=終焉の意味の芸術は除外する。
の部分を爆撃するしかないです。そこをつぶさない限り、山折さんの論理はダメージを受けないのだけど、
bragelonneさんはそれと関係ない、どうでもいいところばかり攻撃しています。

>【β】 仮りにうったえていたとして どこまでそれが錯覚でないと言えるか。
科学では証明できないという意味では錯覚である。
ただし、「再生」を否定する思想系(たとえばキリスト教)も科学では証明できない。
つまり、思想の客観性からは、引き分け。つまり、言っても意味ない。
※ここでいう客観性とは、科学における証明のことであり、観測事実(=賛成派・反対派で意見が一致する事項)から片方だけ矛盾が生じるゆえに間違い、という論理が成立することを言う。

>――《和を以て貴しと為せ》と上から言われなかったなら わたしは和を乱すことを知らなかった。
>これが 日本人の信条ではなかったか。
当時の時代背景を無視した発言です。
聖徳太子が憲法1条に、「和を以~」と書いたのは、曽我氏と物部氏の戦争が終わった直後。
モロに、和を乱した状態の直後。
あと、「和を以~」は、悪用されていて、議論すべからず、という意味に使われています。
議論の時は、何を言ってもいいけど、決議後は決議に従うのが世界標準。「和を以~」??アホか~。
その意味で、「和を以~」は、単に「私は議論下手です」と言っているだけ。

> 思想として見た場合の山折哲雄および木下順二というそれぞれ内容について全否定を試みるものです。
>どうでしょう?
どうでしょうって...思想は各人の自由だから、
「私は山折哲雄および木下順二の思想に同意できない」以上の意味を見出せません。
全否定しようが部分否定であろうが、知ったこっちゃないです。ご自由にとしか言いようがありません。


>β‐1
>β‐2
人間のあさましさ・その欲望の深さに絶望したことを、「飛び去った」と表現しただけ。
比喩なので、字句どおりにとる必要はありません。

>夕鶴の《つう》は 羽根がなくなったのに どうして空を飛べたのでしょう?
比喩なのでいちゃもんをつけるのはどうかと思うが。
自然科学でも一応は説明可能。
「羽根がなくなった」わけではないため。
羽の一部を使っただけであり、羽根を全部むしったのではないため、当然、飛べます。
※《つう》は、自分で自分の羽を抜いています。他人により羽根をむしられたわけではありません。

> ☆ 鐘は人為的なものだが すべては人びとの日々のくらしの世界に溶け込んでいる。自然とも一体であるということをも つづく箇所と合わせて言おうとしているようです。
現代科学と重要な相違点があります。このため、鐘は人為的でなく自然現象と解釈せざるを得ません。

・なぜ、夕方(=日の入り)に鐘が鳴るのか?
  夏や冬には、現代なら鐘が鳴らない。午後6時に鳴る。

旧暦では、現代の時刻の定義と異なり、日の出・日の入りが六つ時と定義されます。
要するに、昼・夜で、1時間の長さが違った。
現代時刻なら、春分の日近辺・秋分の日付近しか、日の入り時刻に鐘が鳴らないところ、
年間を通じて、日の入り時刻に鐘が鳴ります。現代時刻のほうが、明らかに人為的です。

>【α】 夕陽の信仰は どこまで日本人のこころにうったえているか。
日本人の宗教は、「仏教+神道」であり、輪廻を否定していないので
一神教系(=輪廻を否定)よりは日本人のこころに近いのは明らか。

なお、山折さんの論法は、
日本:落日とは再生を意味する。  ※西洋では、終焉を意味する。
日本:落日の光景の芸術がある。
西洋:落日の光景の芸術が少ない。
よって、日本のほうが夕陽の信仰が大きい。
という、客観判定可能な事項を基にした論法なので、
真っ向から否定するなら、
・落日とは再生を意...続きを読む

Qルターが利潤追求を奨励している書は何という書でしょうか?

ルターが利潤追求を奨励している書は何という書でしょうか?

Aベストアンサー

なるほど、ようやく理解できました。彼は特に<利潤追求を奨励>は
していなかったと思っていましたので。

しかし、ルターは反ユダヤ主義の色彩が強く、当時多かったユダヤ人
金貸しの立場を認める「利息」はむしろ禁止しています。
使命→職業→報酬・利益(不浄とされた金を認める)から、
カルヴァン主義を経て、マックスウエーバーによる利息の積極的な認知に
繋がったと理解しています。

したがって、いろいろなHPに利息の認知がルターに始まるような記述が
見られますが、ルターから始まった流れの中での出来事で、どの書という
ことは無いと思います。

下記URLに経済学の観点からの纏めがあります。

参考URL:http://cruel.org/econthought/schools/first.html

Q(旧約聖書)聖書の配列順の意味は?

手元の聖書では39の文書が「創世記」に始まって「マラキ書」で終わっています。この序列は何によって決まったのですか。どんな意味がありますか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

モーセ5書
歴史書
詩歌
大予言書
小預言書

の順で、それぞれは成立順(旧約聖書が確立した4世紀当時に信じられていた順番ですが)です。


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