アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

1. 社会形態は いやしくも国家と称するようになるならば 市民たちの
第一階とそして公民圏としての第二階とから成ると考えられ この一階と二
階との社会力学的な関係のあり方によって 市民一般の生活のありさまや生
活態度としての思想がかなりの程度において規定される。こう考えます。

 市民圏= 第一階: S 圏: 市民 S(スサノヲ)
 公民圏= 第二階: A 圏: 公民 A(アマテラス)

 これら互いの社会力学的な関係: A ‐ S 連関制・・・(α)

こういう用語で話をすすめます。

2. 日本における国家は 《国ゆづり》型であるゆえ 市民 S らは おと
なしい。もともとおとなしく けんかをするほどに仲良しであった。その中
から出た公民 A らは 特に優秀であったゆえ 人びとは社会というヤシロに
も特別な神棚をこしらえてやりもっぱらその空中庭園に住まわせた。この第
二階となる神棚にアマテラス族をまつりあげたことになる。

3. A なる人びとは 優秀であるうえに品行方正で申し分のないほど人間
的な人間たちであったが ただひとつ玉にきずなのは つねに人びとから注
目を浴びていなければ落ち着かない。お山の大将型であったことだ。
 
4. 市民らは かれらに根負けして それならと言うので神棚をわざわざ
こしらえて そこを棲み処とさせた。檻に住まわせたとも言えるのだけれど 
これが のちのち或る意味でわざわいともなった。

5. 市民 S らの中には この第二階への出世志向が流行り病いのごとく起
こり ひとつには とうとう A 者公民たちにこびへつらうようになり ひと
つには ゆすり・たかりをはたらき甘い汁を吸おうとするようになる者が出
た。
 
6. このお二階さん志向――そして 別様に言えば お上意識 そしてそ
のクウキ化――が絡んでくると 仲間どうしのあいだでも いざこざが絶え
なくなる。
 
7. こういうわけで 市民 S 者らのあいだには まっすぐな心持ちにもと
づく行動と どこか歪んだところのある振る舞いと 両面が見られることに
なる。



8. ちなみに西欧の市民は そして公民も 誰もがおのれの中にお二階さ
ん志向(つまり アマアガリ症候群)を持つ。すなわち A = S としての
市民 S であり この市民がおそらく誰もが同じく A = S としての公民 A
となる傾向を有する。と推し測られる。

 (ω) 欧米型(または遊牧民型): A ( A=S ) ∽ S ( A=S ) 連関制

9. 相似形の記号( ∽ )の意味は つねに転覆(回転=レヲ゛リューシ
ョン)が起こり得るということを表わす。
 
10. 言いかえるとその社会では 第一階においてすでに 《人は人に対
して狼なり。Homo homini lupus. 》あるいは《万人の万人に対するたたか
い  bellum omnium contra omnes. 》という市民( A = S なる市民 S )
どうしの意識の流れが関係し合っている。

11. 意識の対立とそのテーゼ アンチテーゼを互いに高いところにみち
びく弁証法的展開が ふつうに見通されているのではないか?


12. 日本市民スサノヲが このアマアガリ志向に対して《くにゆづり》
をしたと言う時 それは非戦論であり そうだとすれば それに対して欧米
市民は 主戦論に立つものと考えられる。

13. 土地に縄を張って ここはおれのものだと宣言したとき 言葉たく
みににしろ力づくでにしろ その土地を獲ってしまえば 自分のものになる
と考える傾向なのだろうか。(お隣りの東洋人もやっているけれど)。

14. われらが市民スサノヲは これこれはおれのものだと主張するとき
に どういうかたちにしろ 争うことは人間の弱さから来ると考え それな
らと言って争わない弱さでいいぢゃないかと 非戦論を採った。

15. いちどゆづったら 社会というヤシロの神棚に挙げてしまったのだ
から おいそれとは降りて来いとは言えない。言わない。おとなしい。ただ 
それだけのことだと考えられる。
 
16. ただしそのアマアガリ・シンドローム(末は博士か大臣かの出世症
候群 または それに絡む支配欲に支配された人間性)の感染具合いに応じ
て 波風が立つこともある。



17. ちなみに 社会のかたちとして別様の A - S 連関制がありうる。
《アフリカ的段階》と呼ばれるもので 市民らに絶対(?)主権があるよう
なかたちである。

 (κ) アフリカ型:S (=じつは A ) ∽ A 連関制

18. 資料です。
◆ (『アフリカ的段階について』ヘーゲルを解剖学した世界観?)~~~
http://y-bat.txt-nifty.com/doyo/2009/01/post-8de …

マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉
本〔隆明〕はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。

( a ) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王(* A )がいる。

( b ) しかし、民衆(* ――《〈じつは A 〉なる S 》――)は豊穣と生
活の保障と引き換えに王(* A 権力)を認知しているのであって、不作や疫
病があれば王は民に殺されてしまう。

( c ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた
頃の世界がそこにはある。

( d ) 民衆(個人 S とその共同性)と王( A 権力と象徴= amaterasity
アマテラシテ)は等価なのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

19. このアフリカ型(κ)は 民衆暴君型である。現代においても 例の
《ファビョン型》とよばれる《 S (=じつは A ) ∽ A 連関制》が見られ
る。日本は対話型(α) 西欧は競争型(ω)であろうか。


   *     *     *


20. あなた方よ 対話型なら もっと話し合いをすすめることが出来るは
ずではないか? 

21. あなた方よ 口を開けば 相手への悪口が飛び出し 権力者へののの
しりに到る。ぼろくそに言うのもよいが 中身がどうなのか? 

22. それともわれわれは 例のアマアガリ・シンドロームからのとばっち
りが それほど酷く醜くわれらがこころを腐らせていようか。

23. あなた方よ 仲間どうし・同等の相手どうしとして 対等に自由に話
し合える間柄であったはずが 何かと顔を合わせば 互いのあらさがしである。

24. 足の引っ張り合いが絶えないというのは やはり お上意識なるアマ
テラス予備軍症候群にひどく手足を縛られてしまっていようか。気がついてい
るのか いないのか。

25. あなた方よ スサノヲ市民の心意気は いったいどこへ行ったのか。
欧米型の革命志向はそのかけらも――たぶんさいわいなことに――見られない
とすれば ひょっとしてアフリカ型の破れかぶれ症候群が 隠然と深く静かに
潜行しているのか。お隣りに感化されたか。

26. まさか そんなことはないと信じるけれど とにもかくにも ひとび
とは もはや互いに話し合いが出来なくなっているのか?

27. それとも あなたは もとから――《対話型》は 理念の上だけであ
って――隠微なけんかと互いを不幸のどん底へ落としやるという生活日常が消
えることはなかったと考えるのか?

28. あるいは このような歴史と社会についての分析が おかしいか。

A 回答 (3件)

「そうではなく 《いえ いえ。

それは陛下のご意向に反することですよ》
と:
★ 同じ立ち位置でフェアに対話することができる
☆ でしょうか?」

普通の市民には政治の話などはほとんどできません。ですが、政治家を一職業人として見ることは可能です。どの職業の人もその道においては専門家であり、ある意味で二階の人ですから、総理大臣に物申すときは、彼が一職業人としての大臣であることを念頭に置けば、不自然にへりくだる必要はなくなると思います。大臣の職能だけは残し、威光だけを削ぐこともできると思います。むしろそのほうが大臣も仕事はやりやすくなるはずです。地位によって権限というものがありますが、あくまでそれは職務を遂行するためだけに必要なものであるという認識を、市井が持つべきだと思うのです。

ヒエラルキーが崩れることはなかなか難しいでしょうが、市井の認識が変わることで、意識上での転換が起こることは十分に有り得る話ですね。権力者や金持ちにあぐらをかかすことがなくなれば、よりよい社会になると思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 大臣の職能だけは残し、威光だけを削ぐこともできると思います。
☆ これが 真髄でしょうね。みづからもその一人である市民スサノヲ
の生活基礎に立って 職責を果たす。ふるい言い方では 《公僕》とも
言います。

つまり:
★ むしろそのほうが大臣も仕事はやりやすくなるはずです。地位によ
って権限というものがありますが、あくまでそれは職務を遂行するため
だけに必要なものであるという認識を、市井が持つべきだと思うのです。
☆ これですね。真髄は。

わづかに――天邪鬼の眼としては―― アマテラス公民圏なるお二階さ
んたちは 世の中のあたまと成って・国の知性として スサノヲ市民社
会を主導すると思っているのでしょうね なおいまも。

つまり そのように逆立ちしているとすれば そこに一つの思考回路と
しての症候群がありますから 上手にメスを入れる必要があるかに思わ
れます。

★ ヒエラルキーが崩れることはなかなか難しいでしょうが、市井の認
識が変わることで、意識上での転換が起こることは十分に有り得る話で
すね。権力者や金持ちにあぐらをかかすことがなくなれば、よりよい社
会になると思います。
☆ 三分割の法則があります。

風通しのよい自然でふつうの《スサノヲ人間語なる基礎にもとづいたア
マテラス普遍語を用いる》という公民像とこれに同感する人びとが 社
会の三分の一を占める。

すなわち 《威光を削いだアマテラス公民 つまり 公僕》に同感する
三分の一。

これに共感する三分の一。

これに反感をいだく三分の一。

同感・共感そして反感での三分割です。

おそらく 中ほどの共感派は まだ浮動層でしょうね。揺れている。

お礼日時:2017/06/17 15:37

たしかに新たな二階を、つまり三階↑を作り出してしまう可能性はありますね。

そういう意味ではピロティにすることは意識が変わらなければ無意味ともいえます。
こういう場合はどうでしょう。ピロティは横においておくとして、一階と二階、人はいずれも自由に行き来できると。これは結構自然な成り行きです。二階そのものを否定してしまうと、文明の形や成り立ち、誕生自体の否定につながり兼ねないという点で、それは注意を要することかと思います。もし、人が個人の意識のうちに二階建て構造を持っているとして、しかもそれを自覚し、時には二階、時には一階において他の人と交流するなら、立場を整えるということがその都度可能であり、常にフラット、同じ立ち位置でフェアに対話することができるのではないかと考えました。もし相手が上から目線、つまり二階から掛かってきたならこちらも二階に行けば住むことですし、お互いに話題の内容によって、今日は二階でどうですか?あるいはこの話題は一階でどうですか?みたいな前確認も可能です。要するに、観念的な対話をする時と、体感的な対話をする時、あるいは両方を使う時、TPOを存在させるということです。
社会的な立場が固定的なものではなく流動性を持てば、もっと円滑な社会が生まれるのではないかと思います。
そのような、社会的な空白のポジションを用意することで、モノ言う市民とモノ聞く権力者というのが生まれ得る気がしました。
これはお互いにとって有益なことだと思います。二階の人は堅苦しさや責の重さに疲れていますし、一階の人も束縛と力の軽さに辟易しているだろうからです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ たしかに新たな二階を、つまり三階↑を作り出してしまう可能性は
ありますね。そういう意味ではピロティにすることは意識が変わらなけ
れば無意味ともいえます。
☆ 確かに問題は おっしゃるように《意識の変革》です。社会の現場
としての変革をともなったそれでしょうね。

★ 一階と二階、人はいずれも自由に行き来できると。
☆ これは おそらくまづ第一の施策なのでしょうね。リンカンや田中
角栄といったような事例として。


★ 二階そのものを否定してしまうと、文明の形や成り立ち、誕生自体
の否定につながり兼ねない
☆ わたしの考えでは 理論的には二階から一階への大政奉還が 基本
の道筋ではないかと思っています。

現実論としては――理論としても 司法-立法-行政の分業=協業は わ
れなる精神としての記憶(秩序作用)-知解-意志(愛)なる三つの能力
行為に対応していると見るからには―― 容易に公民圏としての二階の
ハタラキがなくなるとは思われません。

★ もし相手が上から目線、つまり二階から掛かってきたならこちらも
二階に行けば住むことですし、
☆ これは どうでしょう?

《総理のご意向なのです》と言えば それがほぼ通る現実ですよね?

そうではなく 《いえ いえ。それは陛下のご意向に反することですよ》
と:
★ 同じ立ち位置でフェアに対話することができる
☆ でしょうか?

★ 観念的な対話をする時と、体感的な対話をする時、・・・TPOを存
在させる
☆ これは 実行し得る側面があるかも知れません。ですが おそらく
ヒエラルキアの権限関係が 最後にはものを言うのではないか。とは思
います。


★ 社会的な立場が固定的なものではなく流動性を持てば、もっと円滑
な社会が生まれるのではないかと思います。
☆ ええ。初めに出た《世の中の風通しをよくすること》ですね。

★ モノ言う市民とモノ聞く権力者というのが生まれ得る気がしました。
☆ 《モノ聞く権力者》は 重要でしょうね。だから 首相も 市民の
当番制にすれば 風通しのよい権力の行使になるかも知れません。

★ これはお互いにとって有益なことだと思います。二階の人は堅苦し
さや責の重さに疲れていますし、一階の人も束縛と力の軽さに辟易して
いるだろう。
☆ たぶんそうなんでしょうね。

お礼日時:2017/06/12 19:55

時に人は相手を不当に見下しがちですね。


これが起こるのは意識が二階建てだからと言えるのかもしれません。
一方で、相手の悪いところを指摘してあげよう、という気持ちも持っています。これは、友人関係であり対等な関係です。意識の構造はプレーンですね。
健全な対立と不健全な対立があるとするならば、前者は平等であり後者は意識の上でのヒエラルキーとなりそうです。

正直に物申せば、私はどちらも持ってます。二階建ての意識もあれば、プレーンな意識もありますね。出来るだけプレーンでありたいと思っているのですが、なかなか簡単ではありません。
対話と言うのは関係が対等でなければなりませんね。二階建てでは対話は起こりません。

ところで、ピロティ構造というのも考えられえます。一階は空きとして利用し、人は二階に住むという建物の形です。市民全員が二階に住むのです。これは意外と人間的かもしれません。地上、形而下においては生命としての限界がどうしても意識に伴いますが、二階、即ち形而上においてはその制限を受けないからです。皆が対等に対話もでき、しかも文明もある。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ううーむ。いくつかの側面で反応を持ちました。

ご回答をありがとうございます。

国家なる社会形態とそこにおける人間生活の全般をめぐって ひと
りのわれなる:
★ 意識
☆ という現実の問題として捉えた。これは 分かりやすいですね。

《二階建て》という構造についても:
★ 意識が二階建てだ
☆ という――言わば我が実存の――問題として捉える。

これは いわゆる《まなざし》問題ですね。
★ プレーンな意識の構造〔としての眼差し〕と二階建ての〔二階
からそそぐような〕意識〔としての眼差し〕と
☆ ですね。

後者は ヒエラルキアなる権威や権限の関係が 一定の組織の内に
あってだけではなく その外にあっても或る程度いわゆる《身分》
として決まって来るというように思われます。

社会におけるおのれの立ち位置が 目に見えないクウキとしてのよ
うにすでに形成されて来ている或る種の身分関係の中におさまって
行くといったように。

眼差しの《そそぐ ‐ そそがれ》関係がすでに形成され構造化されて
いて その社会の中のいろんな部屋に ひとは入って行かざるを得
ないというような。

そこで:
★ ピロティ構造〔なる社会形態〕にあって市民全員が二階に住む
☆ というあたらしい設計図が提案されました。

★ 一階は空きとして利用し、人は二階に住むという建物の形です。

★ これは意外と人間的かもしれません。地上、形而下においては
生命としての限界がどうしても意識に伴いますが、二階、即ち形而
上においてはその制限を受けないからです。皆が対等に対話もでき、
しかも文明もある。

☆ さあ。どう考えたものでしょう。

分かっていることは:
★ 対話と言うのは関係が対等でなければなりませんね。二階建て
では対話は起こりません。
☆ こうだとわたしも同じく考えます。

まだ焦点が合わないでいますが 一階は きつい仕事をロボットに
させるといったことでしょうか?

取りあえずは 素朴な疑問を述べます。:
みなが住む二階において 眼差しの上下関係はなお新たな階層を成
して来ることはないか? 

いまの二階建てに成り勝ちな意識という現実が なおそのまま新た
な二階の中へと移行して行ってしまうことはないか?

ううーん。天邪鬼でしょうか どうでしょうか。

お礼日時:2017/06/12 05:10

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す