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江戸時代の下級武士のことです。
彼らの勤務は、おおむね2日出勤し、1日休む、だった、ということを聞きました。
現在の我々には、羨ましいことです。
ところで、なぜこのように勤務日が少なかったのでしょうか?
(私は、戦闘要員を確保しておくため、少ない仕事に沢山の下級武士を当てておいた、のかな、と思っていますが)

A 回答 (5件)

大名には、格式があって、石高に応じて大名行列の規模などが決まっていること、大名としての見栄などで、必要以上の家来を抱えていました。

また雇用される権利も子に相続されますから、なかなか減らせません。仕事量に対し、武士が多すぎました。
 幕府の小普請組なんか、仕事そのものはほとんどないのに、俸禄だけは支給されるという形でした。反面、有能な人に仕事が集中し、幕末には過労死っぽく短命だった人も何人かいます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
1.<石高に応じて大名行列の規模などが決まっている>
2.<雇用される権利も子に相続されます>
なのですね。
3.<俸禄だけは支給>
もあるのですね。
4.以上は、下級武士だけの話ですね。

お礼日時:2017/06/13 08:56

幕府も藩も、出勤されてその分の給料を払う余裕が無いのが実情です。

何とか飢えない分を出勤日数として、あとは自力でなんとかしろという状態でした。鎌倉時代に徳政令、江戸時代に棄捐令というのがありましたよね。今で言うなら、ローンや借金の総チャラ命令でした。

http://www.edojidai.info/category1/samurai-kyuuk …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%84%E6%8D%90 …
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この回答へのお礼

他カテでもお世話になっております。
<あとは自力でなんとかしろ>
だったのですね。非番には、下級武士は内職に精を出していた(出さざるをえなかった)ようですね。このため、江戸時代の工芸が発展した、ことの要因の一つだ、ということを読んだ記憶があります。

お礼日時:2017/06/15 20:01

今の警備の夜勤の勤務体制と同じだった。

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この回答へのお礼

お礼日時:2017/06/24 20:24

家康が天下を取り、徳川幕府が二百うん十年続きました。


氾濫らしきものも無く、天下泰平が、続いて居ます。
武家社会なので、戦争が無ければ、仕事はヒマで、幕府側は、諸国の大名が、謀反を図らぬ様、監視する位でした。
一方、諸国は、大変でした。
戦いが無い分、隣の国を切り取る訳にも行かず、仕方無く、産業を育成し、
国の財政支援に役立てました。
質問者さんの、1勤2休は、江戸幕府丈の話しでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<戦争が無ければ、仕事はヒマ>
なのですね。
<1勤2休は、江戸幕府丈>
なのですね。諸国の方は、産業振興で忙しいのですね。

お礼日時:2017/06/13 08:50

仕事の量に対して、人数が多かったからです。






私は、戦闘要員を確保しておくため、少ない仕事に沢山の
下級武士を当てておいた、のかな、と思っていますが
    ↑
その通りです。
各大名は石高に応じた戦闘員を、常に準備して
おくよう、幕府から命じられていました。

だから、天下太平の平和の世ですから
人手が余っていたのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<各大名は石高に応じた戦闘員を、常に準備して
おくよう、幕府から命じられ>
なのですね。平時は、戦闘員は余っていたのですね、

お礼日時:2017/06/13 08:46

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