ご存知の方もおられるかもしれません。
ドラゴンボールと言う漫画があります。
孫悟空が、なんでも願いを一つ叶えてくれるという龍を呼び出す七つの玉を集めるために、世界を旅するという冒険譚です。
この物語に登場する悪の親玉に、ピッコロ大魔王というのがおりまして、この悪人の願いが、「永遠の若さを手に入れる」と言うものでした。
私は、この、生存に固く執着する欲望、願いを悪人の親玉が抱くことについて、とても合点が行くのですが、これ系の願いを自分がかつてまったく抱かなかったか?と言われると、素直にうなづけません。
さすがに永遠に生きたいとまでは思いませんが、長く若くいたいくらいには思います。
この、生存の執著は誰しも持っているであろうものですが、これが昂じて悪人の願うところの様になってしまった時、彼は何かを見失っている様にも思えます。生にかじりつくあまり、人として大切な何かを見失ってるのではないか?
逆に言えば、老いや死がもたらす大切なものは何か?
と言う事でもあります。

この悪人の願いとその盲点について、思うところがあればどうぞよろしくお願いします。
お気軽にどうぞ。

質問者からの補足コメント

  • 今回のベストアンサーは、選ぶのが難しかったので私の好みで選ぶことにしましたが、多くの興味深い回答をいただけて満足しております。皆さまありがとうございました。

      補足日時:2017/06/26 02:11

A 回答 (20件中11~20件)

老いや死がもたらすもの? 動物としての人間は動物の進化、世代交代に必要だった死を免れません



だから老いや死は無ければなくてもいいのです。怪我も再生し脳も衰えないならせっかく得た経験を

無に帰するのは惜しい。また赤ちゃんからやり直すのは大変です。

脳が柔軟なままならば人間は死ぬ必要はないのです。人口爆発でこれ以上増えると困るようになりましたから

今になって若返りの薬とか出て来たら 滅茶苦茶高いかトップシークレとでしょうね。

病気や障害でなければ誰だって死にたくはないですよ。欲望の象徴ということかもしれませんが。
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この回答へのお礼

なかなか想像するのは難しかったでしょうか。
老いや死、病や生きることの諸々の苦しみがあることは、思いやりややさしさ、そして壮絶ならざる覚悟をもたらすのではないでしょうか。
我々は病気や障害にかかって絶望し、世の中を悲観して、あるいは人から無視されて、こんなつまらないところはもういらない、死んでもいいな、そのように思うこともあります。
逆に、病気や障害が酷いほど、それでも生きたい、あがきたいと思うものでもあります。

人事をつくしてもそれを止めることができないときに、つまり為す術が尽きたときに、人は心でもってその苦境を超えて、心で老死を超克するのではないでしょうか。久遠の時を生きながらえることが老死の超克なのではなく、現に老死があったとしても、安んじていられる、これが人の力であると思うのです。もっと言い切れば、老死は厳然としたゆるぎ難い問題であり、しかしそれゆえに問題ではないのです。
泥に釘を差しても地が緩すぎて釘は意味をなしません。硬い木材や岩盤に打ち込むゆえに、釘はしっかり機能します。
老死という堅い岩盤がしっかりあるゆえに、それを踏み台にして人間は人間の本領を発揮し飛躍できるのではないでしょうか。

お礼日時:2017/06/17 11:43

今のあなたは、本当に死ぬのでしょうか。


生まれたばかりのあなたが今のあなたとは、肉体的にも精神的にも別人であるように、死するあなたは、今のあなたではないと思うんです。

そこで、主題ですが、時間経過の結果は変化ですね。永遠に変化しないなら時間に意味はありません。変化があるから時間に意味がある。つまり、あなたは時間経過に伴って変化しあなたでは無くなってゆくのですから、永遠の命などというものとなると、今のあなたにとって逆に意味は無くなると思いますね。

永遠の命や永遠の若さを望むのは、単に今のあなたの継続を願望しているだけで、変化を拒んでいるという矛盾をはらんでいることになります。

したがって、永遠の命の願望は、今を懸命に生きようとする姿勢に欠ける怠惰な精神性の表れであると考えられます。
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この回答へのお礼

もし、今、私が死ねば今の私が死にます。将来に私が死ねば、その時の私が死ぬのであり、常に私が死ぬことには変わりがありません。そういう意味では、私という実存は時の流れを超えていて、今という現在に縛られてはいないのであるといえます。
もし、私が過去の幼いころに死んでおれば、今の私は居りません。その意味で、私は過去から継続するものに縛られており、決して赤ちゃんの頃の私と今の私とが別人であるということはないでしょう。

老化とは変化の一つではありますが、老化は劣化です。体力は弱体化し気力も萎えてゆきます。変化を拒むのではなく劣化を拒んでいるのであり、それはかのピッコロ大魔王とて同じなのです。

永遠の命の願望とは、常に死せる今という時を超えられない弱い心の現れであると思うのです。

お礼日時:2017/06/17 11:25

★(№8お礼欄) その新しい天と地の世界の常識とは如何なるもので


しょうか?
★ その価値観の形を・・・メンタルの部分での変化を特に問いたいで
すね。精神生活の部分です。
☆ 抹香くさいかも知れませんが 聖書に解をもとめます。

次をえらびました。永遠のいのちにかかわってです。:

▲(パウロ:コリント前書 15:26-28 ) ~~~~~~~~~~~
http://bible.salterrae.net/kougo/html/1corintian …

26 最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
27 「神は万物を彼の足もとに従わせた」からである。・・・
28 ・・・それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためで
ある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ このくだりについては 哲学として――わたしの偏見が交じるかと
は思いますが――次のごとく解釈します。:

1. 実存のあり方としてですが 《さとり》といったふうに知性ない
し知恵の問題として捉えるとします。

2. さとりとは 真理がすべてにおいてすべてであることである。

3. 真理とは 変わらざる真実である。

4. よって 世界のすべてをめぐって真理が真理であることが わが
主観において成っていること これが わが実存としてのさとりである。

5. たとえばわたしは わが過去を振り返ってみて こう思う。:
あのときアイツは これこれのことを言った。けれども それは あれ
それの事情と広くそのときの情況とからひとつの判断をくだしてかれな
りの自己表現をしたものだった。・・・

6. ・・・というふうに すべての世界事情や情況を――必要なかぎ
りで――知ることが出来て その場の相手やまわりの関係者一人ひとり
について 事情やその心が分かるということ。分かり合うということ。

7. 真理を知ると 世界との・そしてなかんづく自己自身との 和解
が成る。――真理はきみたちを自由にする。

8. つまり 過去のことがらをめぐる問題の解消ないし和解だけでは
なく いま現在の情況にあっても 真理がすべてにおいてすべてである
という知性の状態が実現するなら わたしは・そしてわたしたちは 自
由である。誤解やシガラミから自由になる。 

9. おそらく・と言うより実際には わたし〔たち〕はつねになお未
完成であろう。人間にとっては 未完成なる実存の道を行くことが さ
とりの成就した状態である。はずだ。

10. ただし すべては――いまの知性にかんするかぎり―― ひと
りの人間における主観の問題である。そこにおさまるコトである。

11. よって主観は すでにつねにひらかれていなければならぬ。心
の明けとして 風通しがよくやわらかな知性の実現。

12. このさとりなる動態主観は 相手とのあいだに言わば肝胆相照
らす状態にあることが出来る。未熟なる状態をも互いに分かり合える。

13. そこでは いくら批判をし合いまたけんかをしても 心が傷つ
くことなく 民主的な関係(仲)がそこなわれることもない。――こう
いったさとり。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
仰るところのさとりなる動態主観とは、つまりは相手の心理やその背景を洞察する力、もっと言えば透視できる能力といったところでしょうか。そして同時に、10.において、それは一人の人間における主観に収まることであると。
少し複雑ですが、解釈はできたと思います。

二点あります。
このさとりは、不死とどう関係するのか。
印象としては、別に死ぬ身であってもこのさとりは得られるような気がします。また、不死になったからといって得られるとは言い切れないものであるような気がします。
もう一つは、
この、相手の心理を(必要な限りで)洞察し知り抜くことは、はたして相手や自分のためになるのかということです。
人には、他者に知られたくないという事がありますが、心理が筒抜けだと、この知られたくないことも知られてしまいます。たとえそれが必要なことであったとしてもです。
たとえ他者の心理を完全に推し量ることができないとしても、対立を超えられる、そのようなものが悟りに近いのではないか?とも思いました。つまり、人間には色々あるけれど、根本のところでは対等なのではないかと。人の心理をあれこれと詳細に知る必要はないのではないかと。理由はあるだろう、それを尋ねることはしないが、ということです。

「・・・それは、神がすべての者にあって、すべてとなられるためで
ある。」
聖書のこの文言は、全てが神に染まり、人は人でなくなる、個人という実存が失われる事を言うのではないか、その代わりに完全に相通ずることを得る、とするなら、確かに関係性はシンプルにかつプレーンにはなりますが、個人という壁のあることの意味、分かり合えないからこその分かり合える感、以前何処かで回答者様がおっしゃっていた孤独関係というものが失われてしまう感じもします。

お礼日時:2017/06/17 11:16

★(№4お礼欄) 永遠の・・・と言うのは一種の極論です。

極論した
場合、その影に位置するものの輪郭が際立つかと思っての「永遠の若さ」
というモチーフを取ったのでした。
☆ ええ。つまり:
☆☆(回答№4) ~~~~~~~~~~
 ★ 長く若くいたい
 ☆ を:
 ★ 「永遠の若さを手に入れる」
 ☆  のだというふうにちょっと色をつけて言っただけではないか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ だと思いますから そこに問題や狙いは なおつかめ得ないでいま
す。

問題があるとするなら:
☆☆ もし目的のために手段をえらばないといった問題があるとすれば・
あるとしても そのことと寿命のこととは 切り離して考えてもよいの
ではないでしょうか。




★ 引用されたイザヤ書の内容のような、つまり天国を願ったり望んだ
りすることはよく分かることですが、
☆ ええっと。これは 実現可能かどうかを別として この世において
の・生身の人間としての生きる世界を言っています。《あたらしい天と
あたらしい地》ですから。

★ 果たしてそれが叶ったとき、人は何を失うのか?という問と受け取
っていただいてもよいかと思います。
☆ 《天の国》の問題ではないわけです。もし この今の経験世界にお
いて実現したとした場合 どうなるか?

どうもなりません。そのあたらしい世界にあっては 《幼な子が手で蝮
をつかんでも どうということは起きない》ともあります。

仮りにそうなったとしたら その状態がふつう一般のことになるのです
から・たとえ昔のことを覚えていたとしても だから昔の世界における
生活のあり方のことが なお優勢であり続けることはないわけです。そ
の考え方からは自由になっているわけです。

つまり:
★ 我々には寿命があります。これがあることで何を得ているでしょう
か?
☆ という状態にあるときに 《長寿を享受するようになるように》と
あたらしい世界をねがうことと そしてそれとは別にすでに:
★ もし、永遠の命や若さを得たならば
☆ というときの問題とは 質が違って来ていると言わねばなりません。

長寿が 健康年齢として ふつう一般のこととなっている世界にあるな
ら 《人生の短さを思って よき思慮を得たという生活のあり方》はも
う別の話になっているわけです。

★ もし、永遠の命や若さを得たならば
☆ これは――《永遠の命》といった表現の問題は別としてと確認しつ
つ その上で実現したときには―― どう考えるようになるか?

そのあたらしい寿命の世界にあって ふるい昔の世界の常識がそのまま
では通用しません。あたらしい別の常識が普及しているのですから そ
の情況に立って考える必要があります。




おまけとして こちらも言い過ぎの議論をしてみます。

★(趣旨説明欄) 生にかじりつくあまり、人として大切な何かを見失
ってるのではないか?
☆ という疑問または非難は 《長寿を享受するあたらしい世界》のこ
とを それはどうせ天国のことであり 夢まぼろしであるという視点に
立って言っていませんか?

人類とその世界が 言わば前史を終えてあたらしい後史に入るといった
展望を 経験合理的に描いてみようとする場合には 《生にかじりつく》
人びとも それは勇み足であったとしても その志向性が大きく間違っ
ているのだとは思わない。と思います。


★★(№6お礼欄) 案外、永遠の命を授かったなら、死んだように生
きるのかもしれません。
☆ という思考は 《永遠の命を授かった》と仮定しているのに 足は
なおいまの百年内外の寿命が常識の世界に根ざしたまま おこなってい
る。と言わねばならないわけです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
極論することを、ちょっと色を付けただけと受け取られたのであれば別にそれは構いません。質問の主旨は変わりませんので、特にそこにこだわる必要もないでしょう。ただ、私としては長く若く居たいというのは寿命の範疇でのことだったので、そこら辺が伝わってなかったのかなと思います。寿命の範疇である長い、と、永遠とでは質的な違いもありますからね。
むしろ、目的のためには手段を選ばないといった問題、と言われている事の意味を把握しかねています。例えば大魔王が、自らの願いを叶えるために悪逆非道の限りを尽くす、みたいなことでしょうか?もしそうなら、それは想定していないので心配なさらないでください。大魔王は悪いことをするものですが、今回はそこには目をつぶってください。寿命の話とは分けていただいて結構です。

さて、永遠の寿命を持つ人の生きる世界と、限られた寿命を持つ人の生きる世界とでは常識が違うと言う指摘ですが、なるほど、おっしゃっていることは分かります。そういう立ち位置もあると思いました。

では、この質問に一石投じていただきたいのですが、その新しい天と地の世界の常識とは如何なるものでしょうか?
それは今の私たちに想像できるのでしょうか?
仮に想像できたとしても、想像したそれに、想像にすぎない、もっといえば夢幻にすぎないと言われないほどの説得性をもたせることは可能でしょうか?

たしかに今回の質問では、このピッコロ大魔王の願い、古代中国の皇帝らが抱いた願いを、批判的に見ています。ですから、その願いを肯定的に捉える方々にとってはちと首をひねりたくなる文面であることとは思います。しかし同時に、《人生の短さを思って よき思慮を得たという生活のあり方》とは別の価値観がその時には存在しているはずだとおっしゃるからには、その価値観の形を曲りなりとも示していただけると、質問者としては大変嬉しいのであります。そのあたらしい世界にあっては 《幼な子が手で蝮をつかんでも どうということは起きない》そうですが、こういう肉体的なことだけでなく、メンタルの部分での変化を特に問いたいですね。精神生活の部分です。

おまけとしていただいた言い過ぎ?の議論ですが、むしろありがたく思っております。自分のした質問について、より深く知りたいと思えました。

お礼日時:2017/06/15 00:13

歳をとると、老いや近づく死が気になります。

もう毎日、気にするようになりました。
若い頃はそんな事は無かったのに。

ピッコロ大魔王って歳は幾つですか。
「永遠の若さを手に入れる」
この表現からは壮年である様に感じます。

まだまだ元気一杯。やりたい事がいっぱいある中の一つであるかの様です。
死への拒否感からではない様に思えます。

この言葉から、こうした質問を思いつくキサラギさんは、結構な歳なんだろうなぁと推測します。

老いは死を迎えるための準備、なんでしょうね。
心しておきたいと思いました。
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この回答へのお礼

中学生の頃、夜、布団の中で、死についての恐怖感というのをずっと感じてたように思います。死んだら無になるのだと。青年の頃はそんなことは全くありませんでした。今は、特段何もなすことがないまま死ぬのかどうか、というのが気になっています。そして、気づけばおっさんになっている自分を見ては、無念のうちに死す可能性あるなと。

老いると、それだけで人に疎ましがられ、病気にもなりやすく、体力も容貌も衰えます。人によっては家族は増えるでしょうが、家族の中でさえ、邪険に扱われる場合もあるかもしれません。うらめしいのは老いそのものよりも、老いによって生じる嫌悪なのかもしれないと。

老いは死を迎えるための準備、そうかもしれません。

お礼日時:2017/06/14 23:42

悪人も善人も願(ねがい)に関しては平等で、差異はありません。

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この回答へのお礼

悪人が願うことと、善人が願うことは差異があると思います。
極論すると、悪人は肉親の死すら願いますが、善人は赤の他人の幸せすら願います。
しかし、悪人も善人も痛みを感じるという点では同じです。共通する願いもあるでしょうし、願う心は同じはずだと思う気持ちも分からないではないですが、そこら辺はよく見えないですね。悪人と善人で根本的に違うのかどうなのか。

お礼日時:2017/06/14 19:28

こんにちは。



ねらい――が つかめません。

★ 老いや死がもたらす大切なものは何か?
★ 長く若くいたい
☆ といった問答は成り立つと思います。それを:
★ 「永遠の若さを手に入れる」
☆  のだというふうにちょっと色をつけて言っただけではないのですか?


▲(イザヤ書 65章) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://www.wordproject.org/bibles/jp/23/65.htm#0

17節  見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。・・・

18  ・・・見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。
19  ・・・泣く声と叫ぶ声は再びその中に聞えることはない。

20  わずか数日で死ぬみどりごと、おのが命の日を満たさない老人とは、もはや
その中にいない。百歳で死ぬ者も、なお若い者とせられ、百歳で死ぬ者は、のろわ
れた罪びととされる。
21  ・・・
22  ・・・わが民の命は、木の命のようになり、わが選んだ者は、その手のわざ
をながく楽しむからである。
23  彼らの勤労はむだでなく、その生むところの子らは災にかからない。・・・
24  ・・・
25  おおかみと小羊とは共に食らい、ししは牛のようにわらを食らい、へびはち
りを食物とする。彼らはわが聖なる山のどこでもそこなうことなく、やぶることは
ない」と主は言われる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ こういったねがいとのぞみ――があってもよいと思うのですが。

もし目的のために手段をえらばないといった問題があるとすれば・あるとしても 
そのことと寿命のこととは 切り離して考えてもよいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

永遠の・・・と言うのは一種の極論です。極論した場合、その影に位置するものの輪郭が際立つかと思っての「永遠の若さ」というモチーフを取ったのでした。
引用されたイザヤ書の内容のような、つまり天国を願ったり望んだりすることはよく分かることですが、果たしてそれが叶ったとき、人は何を失うのか?という問と受け取っていただいてもよいかと思います。
我々には寿命があります。これがあることで何を得ているでしょうか?
もし、永遠の命や若さを得たならば、何を失うでしょうか?
といったような質問内容となります。

お礼日時:2017/06/14 19:24

生にかじりつくあまり、人として大切な何かを見失ってるのではないか?


  ↑
生命は、手段なのか目的なのか、という問題が
あると思います。

生きること、そのこと自体が人生の目的なのか。
それとも、生命はよりよく生きる為の手段なのか。

動物が前者であることは疑い無いでしょう。
人間はどうなのか。

人生ですから、人それぞれが自分で決めるべきこと
だと考えています。





逆に言えば、老いや死がもたらす大切なものは何か?
  ↑
1,老いは安定、悟りをもたらすと思います。
 悟りなんて大げさですが、仏陀は、我欲を捨て去るのが
 悟り、と指摘しました。
 老いは悟りに近づくと思います。

 老年的超越という概念があり、近年、老人の精神状態の
 研究が進みまして、寝たきり老人でも、実に豊かな精神生活
 を送っている場合が多いことが判明しています。

 90歳を過ぎると、苦痛も恐怖もなく死に立ち向かえる。
 百歳を超えると、感謝の念に包まれて死を迎えることが
 できる。


2,死がもたらすモノですが、人類をリセットする意味が
 あります。
 人間が死なないとなれば、文化的に停滞するでしょう。

 個人レベルでは、死があるから一生懸命に生きる
 ということがあると思います。
 
 死があるから美が解るんだと考えています。
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この回答へのお礼

頂いた回答は、とても共感するところがありました。
同時に、私の持っていない視点(美について)もあり、参考になりました。
ここで言われる美しさとは一体なんだろうと思いました。

お礼日時:2017/06/14 19:12

「あなた」とは何ですか?


心だけでなく本能、遺伝子も「あなた」です。
そして、遺伝子には細胞分裂回数を制限して、
自ら老化する遺伝子が組み込まれています。
それにより世代交代して、交配により進化する
ためです。
「永遠の若さ」を望む事は、そうした自分の
遺伝子に反する、生物的な悪なのです。
人口爆発で餓死するにしても、世代交代せず
進化せず、交配もせず、生み育てる喜びのない
世界になるにしても、利己的な目的のために
世界に害をなす=悪人です。
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この回答へのお礼

あら、意外なお答えです。物理至上主義なのかなと思っていたので・・・
永遠の若さを望むことは、生物の原理に反しているゆえに悪ということですね。
生きることは善なのか?という疑問は残りますが、明快なお答えだと思いました。

お礼日時:2017/06/14 19:05

>人として大切な何か



そもそもピッコロは人ではないですし…さらに分離した存在である以上、ナメック成人としても1人分と考えるのは前提からして違うと思います。
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この回答へのお礼

問題の主旨からしてこの際地球人か宇宙人かは問題にならないと思うのですが・・・
元は神様と合わせて一人と言いましても、ピッコロ大魔王は明らかに一つの人格を持っていますし、前提に問題はないと思います。

お礼日時:2017/06/14 19:02

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