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鶴見俊輔著の「教育再定義への試み」を読みました。
以下の部分が興味を惹かれました。

<算術の時間のはじまりに先生が黒板に白墨でまるを書いた。紙がくばられて、みんながおなじものを書くように言われた。「できた人]ときくと40人のほとんどが手をあげたが、ひとり手を上げない子がいた。先生はそばに行ってだまって見ていて、感心していた。その子の仕事が終わるまで待って、「○○君はこういうまるを書きました」と言って彼の書いた紙をみんなに見せた。そこには黒のべたぬりの上に白いまるがぬいてあった。>

教育は、難しくて深い問題ですね。理論・実践・理想・現実・手段・・・・いろいろな内容がありますね。

ところで、上記で説明された子供や教師について、どのように評価しますか? 教えて下さい。なお、著者は、明確には表していませんが、2人に好意的なようです。

A 回答 (5件)

勉強としては評価できない。


みたものをみたまましか判断できないのであれば
特に数学的な置き換えをする代数的思考になっていないということ
例えば図形だって実際の縮尺でしかかけないとなると
紙にかけない大きなものや鉛筆でかけない小さなものは表現できなくなる

ただし研究としてはもっとも評価がたかい
検証というのはいかに命題にちかづけるかが重要
勝手な置き換えは正しい結果をもたらさないから
非効率なことも研究のうち

最近は総じてダイバシティとして個性を伸ばす傾向にあるので
むかしのように模範解答を求めることはしないと思います
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
1.<みたものをみたまましか判断できないのであれば>
思考が貧しいですね。
2.しかし<命題にちかづけるか>
が重要ばあいもありますね。
3.最近は<個性を伸ばす傾向にあるので>
<模範解答を求めることはしない>
こともありがちなのですね。
項目別に、分析して頂きました。

お礼日時:2017/06/19 12:55

「少数意見でも、正解はある」と言う事例かと思いますが、その正解は少数派であることも確かです。



すなわち、「少数派」と言う理由で、頭ごなしに否定しない点は評価できますが、一方では「珍しい正解」と言う稀少性などを、どこまで尊重,評価すべきか?は、ケース バイ ケースでしょうね。

言い換えれば、「一理ある」は「一理しかない」でもあって。
リーダーや指導者が、過度にその一理を尊重,評価した場合、それなりにリスクも負うことになります。
質問の例で言えば、生徒が全員「黒のべたぬりの上に白いまる」を書く恐れを生じます。

面白い視点に「感心」し、絶賛するだけでは、少々、片手落ちと言えるかも知れません。
ぶっちゃけ「バカ正直すぎる」部分などは、何らか指導することも必要と言いますか・・。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
考え方や視線が多数とは違う少数意見を否定することはよくないが、その寡少性をもとに称賛することも勧められない、というように理解しました。ただし、
<「バカ正直すぎる」部分などは、何らか指導>
も必要ですね。

お礼日時:2017/06/19 17:27

この子が他の子と同じ事をやっても良い事が判っているならば全く問題はないと思います。


しかし他の子の行動に疑問を持ってしまっていたら、時間をかけてでも疑問を解いてあげる必要はあると思います。
高校生の頃、現国のテストで漢字の読みを書けという問題が有って、時間が余ってしまって遊びでローマ字で回答したことがありました。「参った」とコメントをしてくれた先生には好意を持ちましたね。実はローマ字の綴り間違えで減点されたのはいい思い出です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
この子も大多数の子も、自分(達)のやり方以外にも他のそれがあるのだよ、と思えるようにしなければならない、ということとして、私は理解しました。(逸れていたら謝ります)

お礼日時:2017/06/19 17:18

「図画工作」や「道徳」の授業ならそれもありですが、


「算数」なので、そこは丁寧に訂正してあげる必要があるような気がします。

確かに感受性や可能性を制限していくことになりますが、
「国語」の授業なら「鏡文字は間違っている」と教えなければならないし、
「算数」の授業なら「ノートに書く(写す)」事の意味を教えなければならないと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
ご回答は、次のように理解しました。
大きく書いた1と、小さく書いた1とは、同じもの、と捕らえるのか
別なもの捕らえるのかは、科目により、また科目のなかの部分により、
異なるのですね。

お礼日時:2017/06/19 14:22

「同じもの」の定義に、忠実にする姿勢は評価していい。

また、「同じもの」の意味合いを、「こう捉えることは間違いではない」と教えられる教師も見事。発達障害の子どもにはままあること。もしくは、頭がいい生徒であるかだ。
教育は余裕が無いとダメ。これが待てる教育は、後の育ちに影響を与えると思う。3.5+5.5=9.0でないといけないという教育が意味が無いのと同じベクトルであると思う。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
1.子供が<「同じもの」の定義に、忠実にする姿勢は評価していい>
2.教師も、随一の答えのみを正解にしないことはよい。
3.子供は、発達障害や頭のよい子かもしれない。
各項目について分析して頂きました。

お礼日時:2017/06/19 14:13

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