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すいません、SWOT分析についてレポートしろって言われたらなんて書きますか?
SWOTの意味はもう書いたので他になにかかける人いたらお願いします

A 回答 (3件)

テーマが決まられていないのなら、SWOT分析について、SWOTしてみたら。


SWOT分析のどこが強みで、どこが弱みか。どうすりゃ使えるツールになるのか
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SWOTの意味はもう書けたようなので…SWOT分析はどのような場合にどう活用すれば、どう事業などに役に立つかを例を上げて書いてみてください。

すなわち、事業を成功させるために、SWOT分析が戦略的にどう役立つかを説明することです。SWOT分析の実践論を書くわけです。

SWOT分析の意味を知っているだけでは何の役にも立たず、具体的に活用できて役に立てられないとダメだからです。ネットでSWOT分析の活用事例を幾つか調べることですね。

事業よりももっと身近な事例でSWOT分析の役立てかたを理解したければ、あなたが野球の名門校の監督になったつもりで、野球大会で優勝に導くためにSWOT分析をどう使えばよいかを具体的に考えることです。レポートにはそれを書きなさい。
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他の分析方法と比較しての特徴や優れている点、劣っている点


SWOT分析の具体的な活用例とその成功例、失敗例
SWOT分析を活用する際の注意点
以上を踏まえた上でのSWOT分析に対する客観的な評価

とか?
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このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q観覧注意。 怖いの苦手な人は読まないでください。 自己責任でお願いします。すみません。 似たような質

観覧注意。
怖いの苦手な人は読まないでください。
自己責任でお願いします。すみません。

似たような質問何回かしてます。
でも釣りじゃなくて本当に困ってます。

あと、広めることもやめてください
私みたいに怖がる人がいるといけないので...
すみませんお願いします。







































ネットの記事で、人間は死んだら脳の意識が苦しいままとまり永遠に死んだ時の苦痛を味わうというのを見てしまいました。それに合わせて色々考えていたらなんだか辻褄が合うような気がしてきてしまい信じてしまっています。
だって、無になれる保証も天国へ行ける保証もなくないですか...?
苦しみ→機能が止まる→無ってなれるでしょうか、脳がなくなっても、苦しみのところに意識が置いてかれるようなきがしてとても怖いです。
神様は人間に超えられない試練は与えないと言いますが、神様はいると信じたいですが、もしいなかったと仮定した場合、苦しみに歯止めをかけてくれる人がいないじゃないですか?
って考えてるんですけどどう思いますか?


ほんとに怖くて
こんなことばっかり考えて本当に辛いです。
高校生なのになんでこんな事考えてるのかもわかりません。

あと、怖くて何回か質問してるんですけど、
これを見た人に私の死の見解を広めて怖がらせていたら死後罪に問われるかとかも考えていて、今回は上に注意を沢山書きました。
今まで質問したぶん、罪に問われると思いますか?

正直な意見を聞かせてください。お願いします。

観覧注意。
怖いの苦手な人は読まないでください。
自己責任でお願いします。すみません。

似たような質問何回かしてます。
でも釣りじゃなくて本当に困ってます。

あと、広めることもやめてください
私みたいに怖がる人がいるといけないので...
すみませんお願いします。







































ネットの記事で、人間は死んだら脳の意識が苦しいままとまり永遠に死んだ時の苦痛を味わうというのを見てしまいました。それに合わせて色々考えていたらなんだか辻褄が合うような気がしてきてしま...続きを読む

Aベストアンサー

喜怒哀楽

人間の五感は、人間が生きるためにあります。
苦痛や恐怖は、人間が生きている証拠なのですよ。
苦痛は、そこを治療してね。の信号ですし、恐怖は、危ないよ。です。
死んだら、それらは必要なくなくなります。

Q日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 
5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意
味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
 
6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまる
と いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。

7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうと
ばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っ
ている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろう
と最後まで奔走する。


いまは:
8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。
 
9. 相手の粗さがしを考えている。
 
10. 道は相手がゆづるものと思っている。
 
11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。
 
12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないこ
とをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。
 
13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・

14. (11)と(12)の《誘導作戦》についてパタンが決まっている。能
書きをしゃべくりからかす。これが マジックである。しかもすでに 思考回路
が 人びとのあたまには刷り込まれている。条件反射のごとく右へ倣えに従う。

15. 能書きは かしこまるような有り難い言葉でなければならないが 内容
はないものでなければならない。中身があっては 聞いている人たちが 優越感
に浸れない。

16. すなわち 人びとのあたまの中に 互いに地続きの《観念の運河》が築
かれている。ここに 《パタンとなったマジック》ではない言葉でしゃべる分子
が現われる。その独自のゴンドラを漕いでいると 寄ってたかって恒例の足引っ
張りなるイヴェントを始める。・・・のではないか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りに...続きを読む

Aベストアンサー

難しい質問を多くしておられますね。
物事を追求する姿勢は尊敬に値します。
あなたの質問は日本人の昔と今の比較でしょうか?
鎖国で築き上げた文化と明治以降の外国からの情報、モラル等の流入、
戦後の混乱、超高度発展を遂げた結果・・・
日本人の多くの豊かなこころが失われていったと思っています。
賢い人は難しい言葉を使いたがる。 悩む人は行動しない。
自己中の人は他人を傷つける。
人とのふれ合いは同じ目線でわかりやすくしないと反感を持たれます。
日本の良さは更に失われていくでしょう。

Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Qわれらが日本社会は 対話型か? なら話し合いを!

1. 社会形態は いやしくも国家と称するようになるならば 市民たちの
第一階とそして公民圏としての第二階とから成ると考えられ この一階と二
階との社会力学的な関係のあり方によって 市民一般の生活のありさまや生
活態度としての思想がかなりの程度において規定される。こう考えます。

 市民圏= 第一階: S 圏: 市民 S(スサノヲ)
 公民圏= 第二階: A 圏: 公民 A(アマテラス)

 これら互いの社会力学的な関係: A ‐ S 連関制・・・(α)

こういう用語で話をすすめます。

2. 日本における国家は 《国ゆづり》型であるゆえ 市民 S らは おと
なしい。もともとおとなしく けんかをするほどに仲良しであった。その中
から出た公民 A らは 特に優秀であったゆえ 人びとは社会というヤシロに
も特別な神棚をこしらえてやりもっぱらその空中庭園に住まわせた。この第
二階となる神棚にアマテラス族をまつりあげたことになる。

3. A なる人びとは 優秀であるうえに品行方正で申し分のないほど人間
的な人間たちであったが ただひとつ玉にきずなのは つねに人びとから注
目を浴びていなければ落ち着かない。お山の大将型であったことだ。
 
4. 市民らは かれらに根負けして それならと言うので神棚をわざわざ
こしらえて そこを棲み処とさせた。檻に住まわせたとも言えるのだけれど 
これが のちのち或る意味でわざわいともなった。

5. 市民 S らの中には この第二階への出世志向が流行り病いのごとく起
こり ひとつには とうとう A 者公民たちにこびへつらうようになり ひと
つには ゆすり・たかりをはたらき甘い汁を吸おうとするようになる者が出
た。
 
6. このお二階さん志向――そして 別様に言えば お上意識 そしてそ
のクウキ化――が絡んでくると 仲間どうしのあいだでも いざこざが絶え
なくなる。
 
7. こういうわけで 市民 S 者らのあいだには まっすぐな心持ちにもと
づく行動と どこか歪んだところのある振る舞いと 両面が見られることに
なる。



8. ちなみに西欧の市民は そして公民も 誰もがおのれの中にお二階さ
ん志向(つまり アマアガリ症候群)を持つ。すなわち A = S としての
市民 S であり この市民がおそらく誰もが同じく A = S としての公民 A
となる傾向を有する。と推し測られる。

 (ω) 欧米型(または遊牧民型): A ( A=S ) ∽ S ( A=S ) 連関制

9. 相似形の記号( ∽ )の意味は つねに転覆(回転=レヲ゛リューシ
ョン)が起こり得るということを表わす。
 
10. 言いかえるとその社会では 第一階においてすでに 《人は人に対
して狼なり。Homo homini lupus. 》あるいは《万人の万人に対するたたか
い  bellum omnium contra omnes. 》という市民( A = S なる市民 S )
どうしの意識の流れが関係し合っている。

11. 意識の対立とそのテーゼ アンチテーゼを互いに高いところにみち
びく弁証法的展開が ふつうに見通されているのではないか?


12. 日本市民スサノヲが このアマアガリ志向に対して《くにゆづり》
をしたと言う時 それは非戦論であり そうだとすれば それに対して欧米
市民は 主戦論に立つものと考えられる。

13. 土地に縄を張って ここはおれのものだと宣言したとき 言葉たく
みににしろ力づくでにしろ その土地を獲ってしまえば 自分のものになる
と考える傾向なのだろうか。(お隣りの東洋人もやっているけれど)。

14. われらが市民スサノヲは これこれはおれのものだと主張するとき
に どういうかたちにしろ 争うことは人間の弱さから来ると考え それな
らと言って争わない弱さでいいぢゃないかと 非戦論を採った。

15. いちどゆづったら 社会というヤシロの神棚に挙げてしまったのだ
から おいそれとは降りて来いとは言えない。言わない。おとなしい。ただ 
それだけのことだと考えられる。
 
16. ただしそのアマアガリ・シンドローム(末は博士か大臣かの出世症
候群 または それに絡む支配欲に支配された人間性)の感染具合いに応じ
て 波風が立つこともある。



17. ちなみに 社会のかたちとして別様の A - S 連関制がありうる。
《アフリカ的段階》と呼ばれるもので 市民らに絶対(?)主権があるよう
なかたちである。

 (κ) アフリカ型:S (=じつは A ) ∽ A 連関制

18. 資料です。
◆ (『アフリカ的段階について』ヘーゲルを解剖学した世界観?)~~~
http://y-bat.txt-nifty.com/doyo/2009/01/post-8de9.html

マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉
本〔隆明〕はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。

( a ) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王(* A )がいる。

( b ) しかし、民衆(* ――《〈じつは A 〉なる S 》――)は豊穣と生
活の保障と引き換えに王(* A 権力)を認知しているのであって、不作や疫
病があれば王は民に殺されてしまう。

( c ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた
頃の世界がそこにはある。

( d ) 民衆(個人 S とその共同性)と王( A 権力と象徴= amaterasity
アマテラシテ)は等価なのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

19. このアフリカ型(κ)は 民衆暴君型である。現代においても 例の
《ファビョン型》とよばれる《 S (=じつは A ) ∽ A 連関制》が見られ
る。日本は対話型(α) 西欧は競争型(ω)であろうか。


   *     *     *


20. あなた方よ 対話型なら もっと話し合いをすすめることが出来るは
ずではないか? 

21. あなた方よ 口を開けば 相手への悪口が飛び出し 権力者へののの
しりに到る。ぼろくそに言うのもよいが 中身がどうなのか? 

22. それともわれわれは 例のアマアガリ・シンドロームからのとばっち
りが それほど酷く醜くわれらがこころを腐らせていようか。

23. あなた方よ 仲間どうし・同等の相手どうしとして 対等に自由に話
し合える間柄であったはずが 何かと顔を合わせば 互いのあらさがしである。

24. 足の引っ張り合いが絶えないというのは やはり お上意識なるアマ
テラス予備軍症候群にひどく手足を縛られてしまっていようか。気がついてい
るのか いないのか。

25. あなた方よ スサノヲ市民の心意気は いったいどこへ行ったのか。
欧米型の革命志向はそのかけらも――たぶんさいわいなことに――見られない
とすれば ひょっとしてアフリカ型の破れかぶれ症候群が 隠然と深く静かに
潜行しているのか。お隣りに感化されたか。

26. まさか そんなことはないと信じるけれど とにもかくにも ひとび
とは もはや互いに話し合いが出来なくなっているのか?

27. それとも あなたは もとから――《対話型》は 理念の上だけであ
って――隠微なけんかと互いを不幸のどん底へ落としやるという生活日常が消
えることはなかったと考えるのか?

28. あるいは このような歴史と社会についての分析が おかしいか。

1. 社会形態は いやしくも国家と称するようになるならば 市民たちの
第一階とそして公民圏としての第二階とから成ると考えられ この一階と二
階との社会力学的な関係のあり方によって 市民一般の生活のありさまや生
活態度としての思想がかなりの程度において規定される。こう考えます。

 市民圏= 第一階: S 圏: 市民 S(スサノヲ)
 公民圏= 第二階: A 圏: 公民 A(アマテラス)

 これら互いの社会力学的な関係: A ‐ S 連関制・・・(α)

こういう用語で話をすすめます。

2....続きを読む

Aベストアンサー

「そうではなく 《いえ いえ。それは陛下のご意向に反することですよ》
と:
★ 同じ立ち位置でフェアに対話することができる
☆ でしょうか?」

普通の市民には政治の話などはほとんどできません。ですが、政治家を一職業人として見ることは可能です。どの職業の人もその道においては専門家であり、ある意味で二階の人ですから、総理大臣に物申すときは、彼が一職業人としての大臣であることを念頭に置けば、不自然にへりくだる必要はなくなると思います。大臣の職能だけは残し、威光だけを削ぐこともできると思います。むしろそのほうが大臣も仕事はやりやすくなるはずです。地位によって権限というものがありますが、あくまでそれは職務を遂行するためだけに必要なものであるという認識を、市井が持つべきだと思うのです。

ヒエラルキーが崩れることはなかなか難しいでしょうが、市井の認識が変わることで、意識上での転換が起こることは十分に有り得る話ですね。権力者や金持ちにあぐらをかかすことがなくなれば、よりよい社会になると思います。

Q哲学では、何が正解なのですか? どうやって、正解を求めるのですか? そもそも、正解はないのですか?

自然科学では、言い分が対立した場合、“実験をやろう”、“予測をしよう”、“論理の精密な積み上げをやろう”ということになり、正解が独りでに決まってしまいます。
哲学では、何が正解なのか分りません。各人が、勝手に言っていうだけ、と感じます。
百家繚乱とは言えず、百家争鳴のような気がします。

以下質問です。
哲学では、何が正解なのですか?
どうやって、正解を求めるのですか?
声が大きい(多い)方が正解なのですか?
そもそも、正解はないのですか?

Aベストアンサー

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
 (4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
   める。
 (5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
 (5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
   のかもしれない。
 ということですが、(0)(1)(2)(3)までで終わればまだ「科学」の
 体をなしていない。
 (0)(1)(2)(3)(4)まででもまだ中途半端。
 (0)(1)(2)(4)(5b)というのは、しばしば勘違いの誤謬を含む。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5a)となれば、これは立派な「科学」で、失敗報
 告という論文が書けます。既にある理論に対立する理論を構築
 し、検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5b)の場合、形而上学的に(1)を認めちゃうという
 短絡をやらかすと「科学」ではなくなるし、哲学としてもお遊
 びレベル。この場合(1)は「一応の仮説」として提言されるべき
 で、何度も(2)~(5b)のサイクルを回った上でようやく「一応最
 もらしい学説」に昇格する。でも反例が一つ出たら瓦解します
 。だから、哲学としては(0)を追加するなり、(1)を精密化するな
 り、(2)のバリエーションを作るなりして一層深い研究を進める
 べきです。
 かくて、(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間と
 コストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築すると
 ころまでは間違いなく哲学で、ことに(5a)(5b)の次のサイクルを
 方向付ける、(0)(1)(2)(3)こそ哲学の仕事です。その指針として(
 検証不可能であるところの)形而上学があったって、それは構わ
 ない。どの仮説から手を付けようかサイコロ振って決めるというの
 よりも、人間の洞察力を信じたいですね。(しかし何度か旨く行
 った形而上学が、だからといって信仰に化けてしまうのは感心いた
 しません。)

まとめ。科学は哲学の一分野である。テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べる。
(0)観察をする。
(1)仮説を立てる。
(2)仮説から演繹される予想を立てる。
(3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
(4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
  める。
(5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
(5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
  のかもしれない。
科学は(0)(1)(2)(3)(4)(5a)と(0)(1)(2)(3)(4)(5b)をたくさん集める。(5a)のとき失敗報告という論文が書ける。既にある理論に対立する理論を構築し検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。(5b)のとき、類似したたくさんの(5a)とあわせて科学。でも反例が一つ出たら瓦解する。
哲学は(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間とコストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築するところまで。次のサイクルを方向付ける。指針として検証不可能である部分を持つ。

リンク先の質問とno.1~no.83を読んでみると、哲学で意見が対立する場合、範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名、現象から推測される予測が異なってくるのだと思う。予測が否定されると、自身の信条が否定されたと強く感じてしまうと、自身の予測に矛盾があるのが自身で認められなかったり、自身の予測の反例となる現象が認められなかったりする。範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名が同意できなくなる。論争になる。正解が見つからない感じになる。

声が大きい(多い)方が正解というのは誤り。リンク先のno.2の説明が良い説明だというのはno.20の直感。どうして良いのかは説明できない。✕百家繚乱〇百花繚乱。

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。...続きを読む

Q悪人の願い

ご存知の方もおられるかもしれません。
ドラゴンボールと言う漫画があります。
孫悟空が、なんでも願いを一つ叶えてくれるという龍を呼び出す七つの玉を集めるために、世界を旅するという冒険譚です。
この物語に登場する悪の親玉に、ピッコロ大魔王というのがおりまして、この悪人の願いが、「永遠の若さを手に入れる」と言うものでした。
私は、この、生存に固く執着する欲望、願いを悪人の親玉が抱くことについて、とても合点が行くのですが、これ系の願いを自分がかつてまったく抱かなかったか?と言われると、素直にうなづけません。
さすがに永遠に生きたいとまでは思いませんが、長く若くいたいくらいには思います。
この、生存の執著は誰しも持っているであろうものですが、これが昂じて悪人の願うところの様になってしまった時、彼は何かを見失っている様にも思えます。生にかじりつくあまり、人として大切な何かを見失ってるのではないか?
逆に言えば、老いや死がもたらす大切なものは何か?
と言う事でもあります。

この悪人の願いとその盲点について、思うところがあればどうぞよろしくお願いします。
お気軽にどうぞ。

ご存知の方もおられるかもしれません。
ドラゴンボールと言う漫画があります。
孫悟空が、なんでも願いを一つ叶えてくれるという龍を呼び出す七つの玉を集めるために、世界を旅するという冒険譚です。
この物語に登場する悪の親玉に、ピッコロ大魔王というのがおりまして、この悪人の願いが、「永遠の若さを手に入れる」と言うものでした。
私は、この、生存に固く執着する欲望、願いを悪人の親玉が抱くことについて、とても合点が行くのですが、これ系の願いを自分がかつてまったく抱かなかったか?と言われ...続きを読む

Aベストアンサー

永遠の命をさずかったら
たぶんだれも勉強をしないだろう
恋愛というものもなくなるだろう
食料もいらなくなり、地には木も植えなくなるだろう
貿易もする必要もなくなり、海の外への興味もなくなるだろう
現在のような世界ではなくなるだろう
なにもない世界になるだろう

永遠の命のなかで
人は今、なにかをしようとは思わないだろう
なにかをしなければとは思わないだろう

今日が終わるという感覚もなくなるだろう

Qきのう、友人から、借りて 読んだ本があります。 この文章の意味がさっぱり、わかりません。わかる方いら

きのう、友人から、借りて
読んだ本があります。

この文章の意味がさっぱり、わかりません。わかる方いらっしゃいますか?

『文章を書き慣れた人は、いまわたしがもっともらしく述べたようなこころの中での手続きを、文字化する以前に頭の中である程度はすませておくものだ。
その場合にしたって、書けば、かわる、
のである。』


「考える力」をつける本、より。

Aベストアンサー

その文章は、多くの方が簡単に理解できそうですよ。
繰り返し、何度も本の頭から読み直すことで、分からない本も分かるようになりますよ。

Qみづからに立ち帰る・世間との和解

1. 自己との和解そして世の中との和解 これが――さまざまなきっかけを
とおして いかなるかたちにおいて起きるにせよ―― 個人にとっての《前史
の終了 すなわち 後史への突入》だと考えられます。

2. では和解は どうすれば生まれるのか? いかにしてわが心におとづれ
るか?

3. ひとつには どうもつらつら考えるに 《悪は存在しない》という命題
に心から同意することと同時なのではないか?

4. 悪と呼ぶ行為ないし現象は実際に起きているが それは 善の損傷とし
てあるのであって 《悪》というイデアやモノが存在しているわけではないの
だ。この認識とそれに見合った身における感性的な秩序のようなものが成り立
つとき こころのわだかまりは解けて 《和解》が成る。こう考えました。




5. 人びとの中には 一生のあいだについぞこの和解を見ない場合もあるの
だろうか?

6. 死を前にした心境において 和解の境地は得られるものだろうか? つ
まり人は遅くとも死の直前には 自己に立ち帰り世の中とも解け合い 結ぼれ
たしがらみは無くなっていると言えるだろうか?

7. 言いかえると人びとの中には 死んでも その無明のうちに過ごす前史
が終わらないという場合もあるだろうか?

8. 死ぬまで 《悪》なる観念に悩まされつづける魂は 存在するだろうか?

1. 自己との和解そして世の中との和解 これが――さまざまなきっかけを
とおして いかなるかたちにおいて起きるにせよ―― 個人にとっての《前史
の終了 すなわち 後史への突入》だと考えられます。

2. では和解は どうすれば生まれるのか? いかにしてわが心におとづれ
るか?

3. ひとつには どうもつらつら考えるに 《悪は存在しない》という命題
に心から同意することと同時なのではないか?

4. 悪と呼ぶ行為ないし現象は実際に起きているが それは 善の損傷とし
てあるので...続きを読む

Aベストアンサー

私は興味深く読みました。
善の損傷という発想はありませんでした。
貴方の言う和解とは全てを受け入れるということでしょうか。
6にある柵はその時に無くなっていると思いたいですね。
それが旅立ちであるのなら。

Q問十二

問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい

この歌は、川北天華という方が高校生の時に詠んだそうで、時々ネット上で話題になっています。
この美しさ、若さが最高だなと思います。
因みに、夜空の写真を微分フィルターにかけると肉眼では見えないような星までも抽出されるそうで。
さて、この質問では皆様に短歌を詠んでいただきたいと思います。哲学を思わせるような深良い短歌、お待ちしております。
お気軽にどうぞ。

Aベストアンサー

てふてふと 目覚めぬ夢を繰り返し 自己の投影 我が心知る

Q道徳は正しいのでしょうか?

文化や思想が多様な現代でも子供のころからの道徳教育により現代人は親孝行や恩といった道徳的な理念に無意識又は意識的に反しないように行動し、同時に全ての人がそうであるように望んでいます。
これは本当に正しいことでしょうか?
この疑問を公衆の面前で口にしただけでも白い目で見られたり危険思想の持ち主だと批判されたりするかもしれません。ですが私は別に親を不幸にしたいとか恩を仇で返したいと考えているわけではなく、柔軟な発想をする上で道徳といった常識的な考えが枷になっていたり、自分の中にある道徳的な考えに反する意見や案があると明確な根拠をなしに、果ては道徳自体を理由にして圧倒的マジョリティである同じ思想をもつ人達と共にそれらをこぞって批判するような風潮になっている今の世の中を一度初心に戻って見つめなおして欲しいのです。
例えば、ある自殺者志願者Aが自殺をしようとしましたが迅速な救助で未遂になったとしましょう。その後、Aは病院で家族に説得されることで反省して自殺なんてことはもうやめようと決心し、新たな人生を歩み始めます。これが道徳的に”望ましく正しい”展開であるわけで多くの人がスッキリとした感覚を得ると思います。しかし道徳という理念を除外してもう一度この展開を考え見直してみると、また違った見え方がしてきます。
冒頭でAは体は健康ですが精神的に生きる能力を失くし、言ってみれば精神的に寿命を迎えているわけです。しかし現代の多くの人は肉体的な寿命を「その人の寿命」とみなす傾向にあり、肉体的な寿命を迎えた人への死には寛容でも肉体は健康でも精神的な寿命を迎えているAのような人の自死には先ほどの話のように否定的で、救助という名目で本人の意思は尊重されずに生かされ、次に自殺をされる前に反自殺主義者に囲まれて道徳的な理由にこの先きっといいことがある等の根拠のない希望的観測を付随させ、道徳を守ったからと言って魂が救われたりするわけでもないのにAはその意見に思考の根底にある道徳的な思想により納得し反省して自殺はやってはいけないという一種の洗脳状態に陥り生き続けるわけです。このとき死にたいというAの意見は全く尊重されず、むしろアンチテーゼに囲まれてAの望むようなことはしてはいけないという考えをAに植え付けてAを精神的に殺しているわけです。
たしかに道徳が蔓延したこのような社会は億を超える人間を管理する上で今までうまくいっていましたし、他人に害をなすような行為であれば報復を受けたり罰せられるのはあたりまえです。しかし道徳信仰者による道徳の布教を甘んじて受け、全ての人にその考えを強要する現代人の姿勢には疑問を感じます。
この考えには私の偏見が多々入っていると自覚していますし、さらに正しいや正しくないといったものはとても曖昧で移ろいやすく明確な答えはないと思いますが、それでも現代の個人は他者を害さない程度であれば自由に生きられるべきという理念に基づいて考えるならば道徳は間違っている部分があるのではないでしょうか。皆さんの意見を訊きたいです。

文化や思想が多様な現代でも子供のころからの道徳教育により現代人は親孝行や恩といった道徳的な理念に無意識又は意識的に反しないように行動し、同時に全ての人がそうであるように望んでいます。
これは本当に正しいことでしょうか?
この疑問を公衆の面前で口にしただけでも白い目で見られたり危険思想の持ち主だと批判されたりするかもしれません。ですが私は別に親を不幸にしたいとか恩を仇で返したいと考えているわけではなく、柔軟な発想をする上で道徳といった常識的な考えが枷になっていたり、自分の中...続きを読む

Aベストアンサー

> この考えには私の偏見が多々入っていると自覚していますし

それに尽きると思います。
道徳律を批判する前に、道徳律と法律の関係性を考えるべきかと。

> 全ての人にその考えを強要する現代人の姿勢

むしろ正反対で、「道徳律」なんてのは廃れる一方では?
私自身、他人を自分の道徳や常識で縛る気もなけりゃ、他人のそれに縛られる気など、毛頭ありません。

では、何で縛ったり、何に縛られたりするか?と言えば「法律」です。
これに関しては、強要しても構わないし、強要されても受け入れざるを得ない。
言い換えれば、法律とは、その法律が及ぶ範囲においては、万人が共有すべき価値観です。

その法律に従えば、自分の考えを他人に強要などすれば・・それはそのまま強要罪ですがな。
自分の常識を他人に押し付ける様な行為は、極めて非常識。(いや、非常識どころか法律違反!)
あるいは、自殺者などを見殺しにするのも、保護義務(作為義務)違反などを問われ兼ねません。

アナタは自由に考え、自由に言葉を発するのは構わない。
それは法律が保障する自由(権利)だから。
しかしアナタは、道徳をないがしろにしている結果、少々、法律を逸脱した考え方を持っている様です。

道徳律(や常識など)と法律の関係性とは、道徳律は法律の内側で、人を律する概念です。
逆に言えば、道徳や常識などは、法律の外には存在できない概念と言うことです。

「クルマ通りの少ない交差点の信号は、無視するのが常識だ!」などと言う常識は、存在し得ません。
しかし、アナタの「Aを精神的に殺している」なんてのも、それと似ています。
アナタは嫌ってるけど、それがアナタなりの道徳観と言うところなので・・。

道徳や常識に縛られる必要はありません。
たとえば、法律のはるか内側に設定された道徳に従って生きるなど、生き辛くて仕方がないから。

しかし法律を超越したところに、自分なりの道徳を構築するのは、マジョリティー云々の話ではありませんよ。
もしアナタが、真に自殺を望んでいる人物の自殺に立会って、それを理解した場合、自殺を容認すると言う考え方であれば、少なくとも我が国においては、「法律的」にアナタの考え方は、受け入れられないと言うことです。

ぶっちゃけ、法律ギリギリとか、アナタの様に法律の外に、自分の道徳や常識を作る人がいるから、法律はどんどん厳しくなると言う側面もあります。
逆に、全ての人が適正な道徳律で自分を律する社会が出来れば、別に法律など無くても良いし。
むしろアナタの様な考え方は、法律が無い社会の方が、容認される可能性もあると思います。

> この考えには私の偏見が多々入っていると自覚していますし

それに尽きると思います。
道徳律を批判する前に、道徳律と法律の関係性を考えるべきかと。

> 全ての人にその考えを強要する現代人の姿勢

むしろ正反対で、「道徳律」なんてのは廃れる一方では?
私自身、他人を自分の道徳や常識で縛る気もなけりゃ、他人のそれに縛られる気など、毛頭ありません。

では、何で縛ったり、何に縛られたりするか?と言えば「法律」です。
これに関しては、強要しても構わないし、強要されても受け入れざるを得ない。
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