天気というのは もちろん 人びとの心やその行ないのことですが

たとえふつうに自然に好ましく望ましいことを言っている〔だけだ〕としても 

この同じ問いを問いつづけそれへの相づちを求めつづけることは 

好ましい人間性をむしろ貶めており または

ふつうにのぞまれる公序良俗についての人びとの思いを見下している。

このたぐいの問いの積み重ねは 哲学の冒涜ではないでしょうか?

その重ねての問い続けを みとめ ゆるしていることは 

やはり哲学の放棄ではないですか?

A 回答 (16件中11~16件)

そもそも哲学的な対話をしたいと考えてはいない一般人に対して、言説の哲学性をアレコレ思索するのは、ナンセンスだと思います。

哲学的な姿勢だとは思えません。
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この回答へのお礼

ところが ほとんど哲学ということに無縁な人びとは――その
ような人びとこそがと言ってよいほどに―― 自分が・そして
世の中の人びとが それぞれふつうに自然に人間であることを 
ねがっているし のぞんでいるし いつも思っている。・・・

――と言ってよいのではないでしょうか?


★ 哲学的な姿勢
☆ は われわれ日本人のあいだに――哲学としては意識して
いないとしても―― じゅうぶん見受けられるのではないでし
ょうか?

そのまま当てはまる人びとはほんの一割くらいだとしても こ
の姿は 多くの人びとの基礎と成っていると見てよいのではな
いか。

この姿勢は つねにそこから逸れる別の姿勢とせめぎ合ってい
る。といった情況が考えられます。

という見方に立って 問い求めています。(質問を挙げていま
す)。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/06/20 12:25

勘違いは、あなたの方ではないんですか?



哲学カテだろうが、何処だろうが、あなたは、一般人の天候に対する言説のことを話してるんですよね。

一般人には冒涜してる意識はありませんよ、ということを伝えたかっただけです。

無意識や、無視こそ冒涜だと主張したいのならば、それもけっこうですが、哲学的な議論だとは思われません。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 勘違いは、あなたの方ではないんですか?
☆ そのこころは:
★ 哲学カテだろうが、何処だろうが、あなたは、一般人の天候に対する
言説のことを話してるんですよね。
☆ 趣旨説明で《問い》と言っているのは ここ・哲学カテでの質問のこ
とです。

ですが あいまいな表現でしたので このカテやあるいは質疑応答の場に
限らず 《一般の人びとの天候をめぐる話し合い》として言っているとみ
とめます。


★ 一般人には冒涜してる意識はありませんよ、ということを伝えたかっ
ただけです。
☆ ううーん。どうですかね。

《きょうもどこそこで戦争が起きている。
きのうも あちこちで起きていた。
きのうのことも それは問題だと言い あなたに問いかけましたが 
きょうの出来事についてもやはり同じく話題に挙げ 
あなたの思いと考えをしっかりと表明して欲しいと思っています。
どうですか?》
――というふうに引っ切り無しにしゃべり続ける。

こういう行為は 事件にかかわっていない人間は そのような事件として
の戦争の悲惨に遭い続けている人間をないがしろにしているのではないか? 

と あたかも決めつけて質問を投げかけている。何もしない・何も出来な
いからと言って その人たちの人間であることを単純に言って 冒涜して
いる。

のではないですか?

その《意識が無い》としてもです。


★ 無意識や、無視こそ冒涜だと主張したいのならば、それもけっこうで
すが、哲学的な議論だとは思われません。
☆ ぢゃあ 哲学の定義が互いに異なっているのでしょう。仕方がありま
せん。




★★(回答№4) そのとおりです。
☆ と趣旨説明に対して 賛成してもらっていることを――感謝もうしあ
げましたが―― 無視する傾きのある応答であったとしたら それは本意
ではありませんでした。ごめんなさい。

お礼日時:2017/06/20 12:15

そのとおりです。



一般人は哲学を放棄しています。

語彙の用法を少し間違ってますよ。冒涜は別にしていません。哲学を無視してるのです。

あなたにとって、哲学が大事なのは文面から、ある程度推察されます。しかし、一般人にとっては、哲学はそんなに大事なものではないんです。残念ながら。

なので、普通は哲学を無視しています。つまり放棄してるんです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

あなたは間違ってますよ。勘違いですかね。

ここは 哲学カテなんです。

お礼日時:2017/06/20 11:45

好ましい人間を〜見下してる、あたりのくだりがよく分からない。


それがなんで哲学への冒涜なのかも不明。

そんな、論理性のない議論で哲学を語る方が哲学への冒涜かもしれませんぜ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 好ましい人間を〜見下してる、あたりのくだりがよく分からない。
それがなんで哲学への冒涜なのかも不明。
☆☆ ~~~~~~
この同じ問いを問いつづけそれへの相づちを求めつづけることは 

好ましい人間性をむしろ貶めており または

ふつうにのぞまれる公序良俗についての人びとの思いを見下している。
~~~~~~
☆ 好ましい人間性であるなら いちいち重ねて 心の天気がよいわるいを
問い続けることは ないのではないか?

あの人びともこの人びとも 心の天気が 早く晴れて欲しいですねといつま
で掛け合い漫才をつづけるのでしょう?

――こういう趣旨ですが 説明になりませんか?




あるいは こうも考えられます。

つまり 世界には心の晴れない問題や文字通り悲惨な出来事が 次から次へ
とと言うまでに起きている。

ところが このわたしは それらについてそのつど確認しその非人間性を指
摘し何とかならんのか みなさん何とかしましょうとうったえ続けている。

だから きみたちも わたしに従って少なくとも同じうったえを合唱すべき
ではないか?

――という質問とそこでのやり取り。

これは 果たして人間性に見合った志向であり 思想でしょうか?

もし見合ったことであるとしたら どうすればよいかを考えて行くはずです。
何も出来ないと認めざるを得ないとしたら そのように いまとしては 確
認してはいるのですが・・・と言って話をすすめるのが ふつうです。

お礼日時:2017/06/20 11:43

今日は、月が見えませんな。

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この回答へのお礼

ん? つまり きょう11時11分の時点でですか?

昼間にも月が見えることがありますが きょうは見えないという
意味でもないでしょうし。


あすは うちの地域では 雨らしいです。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/06/20 11:27

誰もそんな難しいこと考えていないかと・・・。

(-_-;)
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この回答へのお礼

そうですか。

わたしは 考えて欲しいです。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2017/06/20 11:24

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Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Qこの世界の行き詰まりを 三点突破だ!

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど推し進める。

5. いくらでも色んなよいアイディアを出し合ってこれを実行して行く。

6. 経済は それぞれのムラがインタナショナルなインタムライズムの場(市
場)へと企業それぞれを巻き込む必要がある。(連携でしょうが)。



B 《普遍神》論によって宗教という宗教の揚棄を!

7. 宗教にかんして オシへは二の次であって 個人の《わが固有の時》とし
ての信仰について それを一般論として知っておく。神は 普遍神だということ
だ。
  
8. すなわち わが固有の時に憩う《わが非思考の庭》なる信仰は類型として
だれにとっても 同じひとつであるということ。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:シューニャター(空)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(超自然および自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

9. このあたかも霊のつるぎによって世界をリセットしよう。




C やっぱし《アース役はつらいよ》の全国的・世界的大合唱で ハラスメント
について本人に自省させるのがよいのでは?

10. 何気なく ♪あぁ アース役はつらいよ♪ とつぶやけばよい。

11. パワハラ・セクハラ・あるいはイヂメに際して みんなで合唱へと持
って行くとよい。

12. 半分は 減るのではないか?
    半分は あたまも気持ちもすっきりするのではないか?
    世界へも広げよう。

13. 無理をせずに 生産性が上がるのでは?
    社会保障費が省けて 財政再建に寄与するのでは?
    つまり 健康年齢(健康寿命)が上がるのでは?

14. その情況にあって いま横になっている人たちの半分は やおら起き
上がって来るのでは?


☆ ご見解をおしえて ぐー。

A 国連に代わる――あるいは 並存してもよいはずですが――村際連合(インタ
ムライズム)によって世界を主導するシステムを!

1. 国家のレベルの国民政府による主導方式は もうふるい。
   ムラ(市町村)の市民政府がそれぞれ主役である。

2. ムラムラのネットワークが 世界をあたらしくつくりなおす。

3. 世界のムラどうしでムラ議会議員を互選する。

4. 世界中のムラムラのあいだで市民が互いに互いを知るようにする。
   つまり ひとの交流をすべてのムラビトがというほど...続きを読む

Aベストアンサー

Aについてです。
国と言うのはいつ頃できたのでしょうね。
現代は、インターネットによる横のつながりによって、新しい共同体や経済の形が現れて来ているように思います。
それがインタムライズムというものの具体的な現れになるのかなと、ふと思いました。一人一人の意見や意思をダイレクトに吸い上げ、ビッグデータとしてそれを人工知能が処理すれば、一人一人が持つ小さな望みを、全体に反映する事も無理ではありません。今まで切り捨てられたり矮小化されたりと不当な扱いを受けて来た市井の人々に、力を復権させられるかもしれません。

Q不可知を 未知と分けて――哲学なら――用いなければいけない

不可知も まだ知られていないこととしては 未知でしょう。

では わざわざ不可知と言うのは どうしてでしょうか?

定義してください。

Aベストアンサー

#76です。

1.
>☆☆ 非知
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそうだと言おうとしています。

了解しました。

>でも 哲学する人は ぶらじゅ何とかというどこの馬の骨とも分からないや
つが 非知を言い始めたと知って ほかの方法を考えようとするでしょうね。

いえいえ、そうとは限りませんよ。
☆ 非知
に関しては、
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそう
といった謙虚なるご見解は不要で、
むしろ、それしかないと言えるほど稀有の視点ですよ。
少なくともわたしはそう認めています。
ただし、人間存在の最終原因とか、神とか、摂理とかいったように、その思考の対象がすでに定まったものに対して適用するのは妥当とは思われない。
つまり、
『 過去、人間は、未知・既知といった経験事象としての概念の他、知り得ないと判断する思考現象としての不可知という概念を操ってきた。しかし世界には、知り得るか知り得ないかが知り得ない、と言わざるを得ないような [ 何か ] は常に存在しているのであり、それは 非知 とでも呼ぶべき対象なのである。』
といった脈絡で採用されるべき視点ではないか、と思う次第。

2.
そのあとの記述も精査しましたが、
>★ つまり、連続説の場合も、(ⅲ)の内容については大いに同意するものです
が、
 ☆’《とはいえ、経験事象が そうしたナゾの影響を受けていることもまた事実
 である》
★ といった続きがあるわけです。
☆ この《続き》は 一たん非連続(つまり 淵があって超えねばならなかった)
を認めたあとの《手続き》としてなのです。さもなければ 《無限》が 有限世
界と地続きだとなります。

☆超えねばならなかった
ものではなく、あくまで、当初から並立しているもの です。
こういった内容に象徴されるように、すべてが 非知を大前提にした論理展開 となっていますよね。
なぜ、非知でなければならないのか?
ここが示されない以上、弱いのではありませんか?

3.[ おまけ ]
>☆ というのは 《絶対の隔たりが 〈無限〉と人知とのあいだに ある》と認
めた上でそのあと それでも わたしは連続説に立つのだという宣言なのです。

違います。
あくまで「宇宙の摂理の象徴としての神」の場合にはですが、
☆絶対の隔たり
は当初から認めていません。
よって、
>★ ここで〔☆ こそ〕また連続・非連続の論議に舞い戻ってしまうわけで〔☆
それに関しては〕やはり見解の相違と判定するのが妥当じゃないですかね。

といった甘言に篭絡されるいわれもありません、ということになりそうです。

>★ むろん、この場合の「直接」は、一般の経験事象同士における直接とは意味
が異なることは、128回ほど申し上げているので、すでにご承知のはずでしょ
うけど。
☆ 鯉の滝登りではありませんが 一たん有限から無限の夢幻境へと論理で駆け
上ったからには その《精神の軌跡》を抜きにして この《直接》の意味内容を
考えるわけには行きません。でしょう?

★原因が分かったとしても、その原因に対する原因が永遠に付きまとうので、最終原因は永遠に不可知と言わざるを得ません。
という言及に関して、
・原因=有限での経験事象
・最終原因=無限の夢幻境での事象
のように分けてお考えなのだと思います。
しかし、
★原因が分かったとしても
という表現は、
「あ、これだ!」のように
★原因が分かったとしても
といった意味ではありません。
★原因に対する原因が永遠に付きまとう
というのは、論理的合理性に基づいて、つまり、これだけで成立している命題なわけです。
説明上、例として挙げることはありますが、経験事象としての原因を必須の要素として必要としているわけではない、という点にご留意いただければと思います。

#76です。

1.
>☆☆ 非知
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそうだと言おうとしています。

了解しました。

>でも 哲学する人は ぶらじゅ何とかというどこの馬の骨とも分からないや
つが 非知を言い始めたと知って ほかの方法を考えようとするでしょうね。

いえいえ、そうとは限りませんよ。
☆ 非知
に関しては、
☆ のほうが だいたいほかの方法よりよさそう
といった謙虚なるご見解は不要で、
むしろ、それしかないと言えるほど稀有の視点ですよ。
少なくともわたしはそう認めていま...続きを読む

Q悪人の願い

ご存知の方もおられるかもしれません。
ドラゴンボールと言う漫画があります。
孫悟空が、なんでも願いを一つ叶えてくれるという龍を呼び出す七つの玉を集めるために、世界を旅するという冒険譚です。
この物語に登場する悪の親玉に、ピッコロ大魔王というのがおりまして、この悪人の願いが、「永遠の若さを手に入れる」と言うものでした。
私は、この、生存に固く執着する欲望、願いを悪人の親玉が抱くことについて、とても合点が行くのですが、これ系の願いを自分がかつてまったく抱かなかったか?と言われると、素直にうなづけません。
さすがに永遠に生きたいとまでは思いませんが、長く若くいたいくらいには思います。
この、生存の執著は誰しも持っているであろうものですが、これが昂じて悪人の願うところの様になってしまった時、彼は何かを見失っている様にも思えます。生にかじりつくあまり、人として大切な何かを見失ってるのではないか?
逆に言えば、老いや死がもたらす大切なものは何か?
と言う事でもあります。

この悪人の願いとその盲点について、思うところがあればどうぞよろしくお願いします。
お気軽にどうぞ。

ご存知の方もおられるかもしれません。
ドラゴンボールと言う漫画があります。
孫悟空が、なんでも願いを一つ叶えてくれるという龍を呼び出す七つの玉を集めるために、世界を旅するという冒険譚です。
この物語に登場する悪の親玉に、ピッコロ大魔王というのがおりまして、この悪人の願いが、「永遠の若さを手に入れる」と言うものでした。
私は、この、生存に固く執着する欲望、願いを悪人の親玉が抱くことについて、とても合点が行くのですが、これ系の願いを自分がかつてまったく抱かなかったか?と言われ...続きを読む

Aベストアンサー

永遠の命をさずかったら
たぶんだれも勉強をしないだろう
恋愛というものもなくなるだろう
食料もいらなくなり、地には木も植えなくなるだろう
貿易もする必要もなくなり、海の外への興味もなくなるだろう
現在のような世界ではなくなるだろう
なにもない世界になるだろう

永遠の命のなかで
人は今、なにかをしようとは思わないだろう
なにかをしなければとは思わないだろう

今日が終わるという感覚もなくなるだろう

Q哲学では、何が正解なのですか? どうやって、正解を求めるのですか? そもそも、正解はないのですか?

自然科学では、言い分が対立した場合、“実験をやろう”、“予測をしよう”、“論理の精密な積み上げをやろう”ということになり、正解が独りでに決まってしまいます。
哲学では、何が正解なのか分りません。各人が、勝手に言っていうだけ、と感じます。
百家繚乱とは言えず、百家争鳴のような気がします。

以下質問です。
哲学では、何が正解なのですか?
どうやって、正解を求めるのですか?
声が大きい(多い)方が正解なのですか?
そもそも、正解はないのですか?

Aベストアンサー

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
 (4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
   める。
 (5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
 (5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
   のかもしれない。
 ということですが、(0)(1)(2)(3)までで終わればまだ「科学」の
 体をなしていない。
 (0)(1)(2)(3)(4)まででもまだ中途半端。
 (0)(1)(2)(4)(5b)というのは、しばしば勘違いの誤謬を含む。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5a)となれば、これは立派な「科学」で、失敗報
 告という論文が書けます。既にある理論に対立する理論を構築
 し、検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5b)の場合、形而上学的に(1)を認めちゃうという
 短絡をやらかすと「科学」ではなくなるし、哲学としてもお遊
 びレベル。この場合(1)は「一応の仮説」として提言されるべき
 で、何度も(2)~(5b)のサイクルを回った上でようやく「一応最
 もらしい学説」に昇格する。でも反例が一つ出たら瓦解します
 。だから、哲学としては(0)を追加するなり、(1)を精密化するな
 り、(2)のバリエーションを作るなりして一層深い研究を進める
 べきです。
 かくて、(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間と
 コストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築すると
 ころまでは間違いなく哲学で、ことに(5a)(5b)の次のサイクルを
 方向付ける、(0)(1)(2)(3)こそ哲学の仕事です。その指針として(
 検証不可能であるところの)形而上学があったって、それは構わ
 ない。どの仮説から手を付けようかサイコロ振って決めるというの
 よりも、人間の洞察力を信じたいですね。(しかし何度か旨く行
 った形而上学が、だからといって信仰に化けてしまうのは感心いた
 しません。)

まとめ。科学は哲学の一分野である。テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べる。
(0)観察をする。
(1)仮説を立てる。
(2)仮説から演繹される予想を立てる。
(3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
(4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
  める。
(5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
(5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
  のかもしれない。
科学は(0)(1)(2)(3)(4)(5a)と(0)(1)(2)(3)(4)(5b)をたくさん集める。(5a)のとき失敗報告という論文が書ける。既にある理論に対立する理論を構築し検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。(5b)のとき、類似したたくさんの(5a)とあわせて科学。でも反例が一つ出たら瓦解する。
哲学は(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間とコストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築するところまで。次のサイクルを方向付ける。指針として検証不可能である部分を持つ。

リンク先の質問とno.1~no.83を読んでみると、哲学で意見が対立する場合、範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名、現象から推測される予測が異なってくるのだと思う。予測が否定されると、自身の信条が否定されたと強く感じてしまうと、自身の予測に矛盾があるのが自身で認められなかったり、自身の予測の反例となる現象が認められなかったりする。範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名が同意できなくなる。論争になる。正解が見つからない感じになる。

声が大きい(多い)方が正解というのは誤り。リンク先のno.2の説明が良い説明だというのはno.20の直感。どうして良いのかは説明できない。✕百家繚乱〇百花繚乱。

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。...続きを読む

Q同じような内容について、何回も執拗に質問される方は、どのような性格や心理なのでしょうか?

このカテを興味深く眺めています。
ところで、同じような内容について、何回も執拗に質問される方がいらっしゃいます。
その方は、どのような性格や心理なのでしょうか?

Aベストアンサー

>その方は、どのような性格や心理なのでしょうか?

回答を読む気が無い、あるいは回答を理解する能力を欠いているのでしょう。

その人は、回答から学ぶ姿勢は無く、自分の投稿および、回答へのお礼欄を使って自己主張を繰り返すのが目的だと思います。
きっと、実社会で相手にされないので、サイバー空間で憂さを晴らしているのだと解釈できます。

Qもし和を以って貴しと為せと言われなかったなら わたしは 和を乱すことを知らなかった。

(α) もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・
・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。 

☆ この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。



☆ 参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。
つるぎを投じることになるひとつの視点です。

     *

・ 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ

▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一に曰(い)わく、
(あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、
忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

(い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、
また隣里(りんり)に違(たが)う。

(う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、
事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
すなわち事理おのずから通ず。
何事か成らざらん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 これを 
基礎とすると言っています。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いまし
た。

▲ (五箇条の御誓文)  一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ

 
(2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが:

▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて

☆ これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で 
ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわ
れは次のような歴史を経て来ています:

◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~~~~~~~~~~
【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことの
り)に

   《このころ聞く 諸国の役民 造都に労れ 
   奔亡するものなほ多し。
   禁ずと雖も止まず》。

とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 
道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出
す者が多い。禁止しても止まない。・・・

【上田正昭】 その翌年の正月にも 

   《諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 
   食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。
   溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの 
   その類少なからず》。

というのが出ていますね。

【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけです
ね。
【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。

   《草枕旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 
    国忘れたる 家待たまくに》  (万葉集 巻三・426番)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(3) その(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣き
の歌を見てみれば分かります。

▲ (万葉集 三・415) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる
人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首

    家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ
    草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりな
さい ふるさとを思い出し 帰ってゆっくり休みなさいと声をかけていますが 
聖徳太子の歌では ああ かわいそうにとだけ言っています。

(4) たとえば:

▲ 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。

と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮ら
していた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》う
んぬんと言いだした。
 
口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人び
とよ自分たちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよ
いことだけを言っているとしか聞こえません。

(5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と
排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋らを亡きものにする
ことにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》
と言っちゃってもらってもねぇ。
 
権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっ
しゃいます。

(6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――あるいはつまり お二階
からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちと
ともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きた
と いまいちど起き上がって言って欲しい。

(7) しかも・しかも 聖徳太子の場合には そのウタに《旅人》として歌
われたみまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることにな
ります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。
――ちゃんちゃらおかしいわい。

(8) 人麻呂スサノヲの心意気なら 先の(α)の命題を飲みますか?


        *


 われらがふるさとを取り戻したい。
 なにが おおごとなのでしょう?
 どこが エラーなのでしょう?

(α) もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・
・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。 

☆ この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。



☆ 参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。
つるぎを投じることになるひとつの視点です。

     *

・ 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ

▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一に曰(い)わく、
(あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし...続きを読む

Aベストアンサー

水平ではなく、二階から、、ということか!

ありがとうございます。
成る程です。

Q人びとは 自由を持て余しているのか

1. どういう自由か? ―― 一連の歴史をつうじて明らかになった次の
ような自由である。

2. アダムとエワは 善と悪とを知る木から採って食べた。そうするのは 
ヤマシサ反応があったにもかかわらず。

3. これは 自由意志のおこないでありその自由度は 人間の思いや考え
や想像力の行き着くところまで行き着くらしい。

4. アーリア民族の高貴な血を守るためには 或る異民族の血をことごと
く抹殺するというところまでも。

5. あるいは アダムらの子のカインは 弟のアベルが気に喰わないので 
抹殺した。

6. かれらは楽園を追放されたし 人殺しのシルシを額につけられた。が 
自由意志のハタラキについては神にとっては織り込み済みなのであって 人
間はゆるされている。

7. カインを殺す者は七倍の復讐をしてやろうと神自身が言ったという。

8. アブラハムはこの神を心に どういうわけか 受け容れた。

9. 百歳でやっとさづかった嫡男のイサクをも神にささげるというほどの
《自由意志におけるその意志の神へのゆだね》をよしとした。

10. イサクを屠ろうとしたとき神が止めた。《わたしが望むのは愛であ
って いけにえではない》と。

11. モーセは 社会における人びとの間の秩序のためにこれを《なんぢ 
殺すなかれ》という倫理規範かつ法律とした(罰則がある)。

12. イエスはこのいわゆる律法を・そして民族の神をも揚げて棄てた。

13. 律法はその倫理規範に背いたヤマシサ(罪)をおしえるだけのもの
であるゆえ このオシへ(宗教である)による自己経営を棄てた。

14. 石に書かれた十戒ではなく 心の胸板に書かれているものであるこ
とを指し示した。

15. ヤハヱ―神についてはそれを 民族の外に開くことによって棄て 
じんるいにとっての普遍神へと〔イエスが〕揚げた。

16. 揚棄される前の神についても 《わたし(神)は憐れもうと思う者
を憐れみ 慈しもうと思う者を慈しむ》とか《わたし(神)は双子の兄弟の
兄エサウを――母の胎内にあるときから――憎み 弟のヤコブを愛した》と
言う場合がある。

17. エコヒイキはある。《風は気ままに吹く》。

18. 義人ヨブもが艱難に遭う。神などはオサラバしてしまえと言われる
までに成り得る。因果応報説は 人間の知恵どまりである。

19. 原罪は 人間がウソをつきイツハリをおこなうということだ。ウソ
とはヤマシサ反応に逆らうこと。その自由度が われわれの自由意志にはそ
なわっている。というのみ。

20. 原罪説(オシヘ)が――あるいは 不殺生戒や不邪淫戒が―― 人
びとの意志の自由を抑えて秩序が保たれるという社会と時代は去った。その
自由を 人びとは持て余している。

21. 人びとは オシヘ(つまりシュウキョウ――それは 信じるもので
はなく 考えるためのものである――)を 心の主人としてその奴隷に成り
下がっている時代が過ぎたというのに ただただ慣性の法則に従ったままで
ある。――のだろうか?

22. あたまとたましいが――シュウキョウとつるんだマツリゴトによっ
て――腐ってしまったのだろうか。

1. どういう自由か? ―― 一連の歴史をつうじて明らかになった次の
ような自由である。

2. アダムとエワは 善と悪とを知る木から採って食べた。そうするのは 
ヤマシサ反応があったにもかかわらず。

3. これは 自由意志のおこないでありその自由度は 人間の思いや考え
や想像力の行き着くところまで行き着くらしい。

4. アーリア民族の高貴な血を守るためには 或る異民族の血をことごと
く抹殺するというところまでも。

5. あるいは アダムらの子のカインは 弟のアベルが...続きを読む

Aベストアンサー

自由を恐れている人が多いな。

そこに商人達が目をつけるんやね。

Q哲学に オッカムの剃刀は 要らないか

1. 必要だ。格調高いケチの原則でよい。

2. クリスマスツリーのカザリは要らぬが 樅の木は生きている。香りを放つ。
格調高いと言うが その言い方ではあいまいだ。生きた香りが必要である。それ
までを剃り落とすと言うなら 間違っている。

3. ~~~~~~~~~~~~~~~~
いやいや 何ごとも かたちから入るのだ。郷に入れば その思考形式が成り立
っている。それこそ生きている。相手を思いやり相手に合わせると言うではない
か。これをないがしろにして 何を伝えんとするのか。

そりゃあ かたちだけではダメだろう。中身がともなわなくっちゃ。

だけれど 近ごろでは――ひょんなことで告別式に出る機会があったのだが―― 
坊主が 漢文のお経を詠んでから 日本語でも説教するではないか。中身が分か
るように努力している。

そういうもんだ。飾りは 伊達にあるもんぢゃない。ぶっきらぼうで成功する確
率は みみずが論文を書くようなものだ。

せいぜい これくらいの長さで 話は するもんだ。剃刀というような物騒なも
のは要らない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


☆ 哲学に オッカムの剃刀は 要らないか。

1. 必要だ。格調高いケチの原則でよい。

2. クリスマスツリーのカザリは要らぬが 樅の木は生きている。香りを放つ。
格調高いと言うが その言い方ではあいまいだ。生きた香りが必要である。それ
までを剃り落とすと言うなら 間違っている。

3. ~~~~~~~~~~~~~~~~
いやいや 何ごとも かたちから入るのだ。郷に入れば その思考形式が成り立
っている。それこそ生きている。相手を思いやり相手に合わせると言うではない
か。これをないがしろにして 何を伝えんとするのか...続きを読む

Aベストアンサー

#2です。

>☆ 取りあえずは 趣旨説明における(3)の文章例で考えてみて

まず、繰り返しになりますが確認するなら、
「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」
のですから、
『ある事柄を説明するために、必要な(と思う)範囲では多くを仮定すべきである』
と言ってることになる。
☆日本語でも説教
したのも、坊さんが必要だと思ったからこそであり、「オッカムの剃刀」の範疇だという理屈になる。
というわけでオッカムさんは別にして、という条件で申し上げざるを得ませんが、
少なくとも、闇雲に剃刀を旗印にするのは単なる自己満足でしょう。
「これ以上の説明が必要なのはお前であって俺ではないのだから、わざわざ答えてやる気はない」と言ってるわけでもあり、その意味では、愛に欠ける、とも言えそうです。
ただ、リビドーとしての愛を他者へ放出するのはエネルギーを消耗するところから、個々の裁量の範囲、と言わざるを得ず、「愛に欠ける」と目くじらを立ててもしかたない。
論議するなら当然の条件だろうとおっしゃるでしょうが、この場合もやはり、論議すること自体がリビドーの放出になりますので、不当な要求をされたと逆恨みされるのが関の山。
シンプルイズベストではあるのですが、そのこと自体がシンプルに成立するわけではない、という気もする次第。

#2です。

>☆ 取りあえずは 趣旨説明における(3)の文章例で考えてみて

まず、繰り返しになりますが確認するなら、
「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない」
のですから、
『ある事柄を説明するために、必要な(と思う)範囲では多くを仮定すべきである』
と言ってることになる。
☆日本語でも説教
したのも、坊さんが必要だと思ったからこそであり、「オッカムの剃刀」の範疇だという理屈になる。
というわけでオッカムさんは別にして、という条件で申し上げざるを得ません...続きを読む

Q日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。
 
5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意
味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。
 
6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまる
と いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。

7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうと
ばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っ
ている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろう
と最後まで奔走する。


いまは:
8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。
 
9. 相手の粗さがしを考えている。
 
10. 道は相手がゆづるものと思っている。
 
11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。
 
12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないこ
とをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。
 
13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・

14. (11)と(12)の《誘導作戦》についてパタンが決まっている。能
書きをしゃべくりからかす。これが マジックである。しかもすでに 思考回路
が 人びとのあたまには刷り込まれている。条件反射のごとく右へ倣えに従う。

15. 能書きは かしこまるような有り難い言葉でなければならないが 内容
はないものでなければならない。中身があっては 聞いている人たちが 優越感
に浸れない。

16. すなわち 人びとのあたまの中に 互いに地続きの《観念の運河》が築
かれている。ここに 《パタンとなったマジック》ではない言葉でしゃべる分子
が現われる。その独自のゴンドラを漕いでいると 寄ってたかって恒例の足引っ
張りなるイヴェントを始める。・・・のではないか?

ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらというこ
とです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。
――これを問います。


昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:
1. きわめて話し下手である。
2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。
3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら 
むしろ何のためらいも無く声をかける。
 
4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りに...続きを読む

Aベストアンサー

難しい質問を多くしておられますね。
物事を追求する姿勢は尊敬に値します。
あなたの質問は日本人の昔と今の比較でしょうか?
鎖国で築き上げた文化と明治以降の外国からの情報、モラル等の流入、
戦後の混乱、超高度発展を遂げた結果・・・
日本人の多くの豊かなこころが失われていったと思っています。
賢い人は難しい言葉を使いたがる。 悩む人は行動しない。
自己中の人は他人を傷つける。
人とのふれ合いは同じ目線でわかりやすくしないと反感を持たれます。
日本の良さは更に失われていくでしょう。


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