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明治維新後、西洋から数多くの技術者や教師が日本に来て、当時最先端だった技術や制度を教えに来て、彼らはお雇い外国人と呼ばれました。

当時の世界情勢を見ると、西洋人はアジアやアフリカの国に対してはアヘンを売ったり奴隷を買ったりという悪いことか、せいぜいキリスト教を布教するというありがた迷惑なことしかしていないように見えますが、日本に対してはなぜか例外で、日本の科学技術の進歩や近代国家としての制度の構築に力を尽くしてくれた人が大勢いた理由は何でしょうか?

他の国・地域と違い、日本人には特別サービスしたい気持ちにさせる何かがあったのでしょうか?
日本が近代化して、西洋のライバルとして台頭してくるのが怖くなかったのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 回答ありがとうございます。。


    が、回答が質問の趣旨とかなりズレているように思いますけど・・・

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/22 21:17
  • お雇いと言いますけど、日本に来た西洋人は報酬以上に熱意を持って日本人を教育していたようですね。

    一流の人は来なかったと言われますが、研究者として一流の人間は来なかったものの、教育者としては間違いなく一流の人が来ていましたよ。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/23 12:38
  • 物理的支配の前に、文化的支配をしておくというのが、彼等の常套手段です
    → 近代国家となるのに必要な技術や制度を教えることの、どこが文化支配になるのでしょうか。

    お雇い外国人は、母国政府の文化的侵略という方針の下、所詮は高収入に釣られてやってきただけです。
    → 母国の文化的侵略と言われますが証拠はあるのですか?商人と違い、指導者や教育者はお金に釣られてやるものではないですよ。非常な熱意をもって指導した外国人が多かったことがその証拠です。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/23 19:43
  • クラーク博士をはじめとして、アメリカ人のお雇い外国人も結構いますよ。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/23 22:46
  • タイトルの通り、明治時代の話をしているのですが。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/23 23:21
  • そりゃ、当時は移動手段が船だけでしたから、地球の裏側にある日本に行こうとする人はよほど教育に熱意を持った人だけだったでしょう。

    当時名声を得ていた人は、その場所で働いたら大金を得られますから、その機会を失ってまで日本に来ようと思わないのは当たり前のことです。

    日本で名声を得ているB'zやMr.Childrenだって海外に出ようとしないですよね?それと同じことです。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/06/24 08:17

A 回答 (9件)

もう少し、西洋人側に贔屓した回答をします。



何故だか分かりませんが、欧米人というか白人は「とにかく外に出て行こう」とする特性があります。
大航海時代もそうですし、アメリカの西部開拓もそうです。イギリスのインド支配もそうなら、南蛮人が日本まで通商にやってきたのもそうです。

もっとも、白人側からすれば経済的な動機も大きなものです。ほとんどの人が誤解していますが、実はヨーロッパというのは元々「貧しい地域」でした。そのため豊かだとされている、アジア地域と通商して利益を得たいと考えたのが大航海時代のはじまりです。

同時期にアジアの各国も船は持っていましたし、東南アジアから日本までの航路などもあったのに、なぜかアジアやアラブ諸国の人々は大航海をしませんでした。理由は「経済的に豊かなので地域貿易だけで潤った」からです。

この大航海時代の成功が白人の価値観を決めたように思いますが、その後植民地支配やアメリカの開拓に臨んだのは白人が主体です。面白いのは、アメリカの開拓には中国人やインド人なども参加しているのですが、彼らは華僑や印僑となり、一部の地域に集団で生活することで満足してしまったことです。白人がアメリカ西海岸に到達したようなバイタリティはアジア人にはなかったのです。

これの外交的な性格が悪いほうにでると、植民地支配や宣教になっていくわけですが、中にはキリスト教的な博愛精神から「困っているなら助けに行こう」という人もいたのです。

それが日本に来た外国人技師、教師たちの主な動機です。もちろん自国では得られないような高給も魅力だったでしょうが、それでも「断る人は断る」わけで、白人のほうが「断らない」ボランティア精神にあふれていた、ということでしょう。

これらの白人たちは日本に来て驚きます。何を驚いたかというと「生徒になる人たちは、みな勤勉で、物覚えが早く、習得する意欲に満ちていた」ことです。これにより、白人側も「教える喜び」を覚え、結果として日本に長く滞在し、すべての技術を教えてしまうようなことになります。

この時代のエピソードに「フランス人の箱」というものがあります。
日本は電力設備の技術をフランスから習い、フランス人技師たちが帰国する前に「この箱だけは君たちの技術では無理だから、なにかあったら呼んでね」と言い残して去り、実際にはなにもしていない「ただの箱」だった、それを日本人たちは独学で気がつき、それを外したことで日本の電力技術は一人前になった、という話です。

また、 咸臨丸のエピソードもあります。 咸臨丸は「日本人が自分たちで初めて太平洋をアメリカまで渡った」とされていますが、実際にはほとんどをアメリカ人たちにやってもらっていたようです。でも、アメリカ人は到着した現地新聞に「日本人たちは自分たちでこの航海を成し遂げた」と説明して、日本人のプライドを守ってくれました。

キリスト教の慈愛の精神からなのか、こういうイノセントな白人はそれなりにいたのです。彼らのような人々が最初は「志」をもって日本に来てくれ、日本人の生徒たちも心から感謝したのがいい影響を及ぼし、その後の外国人招聘につながっていったのでしょう。

どこかの国のように、外国人を馬鹿にし、学ぶ態度を見せなければ、彼らも「実利」だけ受け取って帰ったわけです。
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>お雇いと言いますけど、日本に来た西洋人は報酬以上に熱意を持って日本人を教育していたようですね。


>一流の人は来なかったと言われますが、研究者として一流の人間は来なかったものの、教育者としては間違いなく一流の人が来ていましたよ。

「一流の人は来なかった」を正確に表現するなら、当時名声を得ていた人は多少金を積まれようとも、オリエンタル趣味が高じている人を除き、日本になんて来ようとも思わなかった、ということです。

自分の名を上げるために熱心だったのか、未開の地に呼ばれて来てみれば、意外と素地がある国民なので熱心になったのか、雇った政府も馬鹿じゃないから、それなりに評価して駄目な輩は早めに切ったのか、そんなものの複合結果だったように思えます。
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クラーク博士は、明治政府が、召喚しました。

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クラーク博士は、その後です。

蝦夷地開拓の為日本政府が高給与で、呼びました。
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英国「エゲレス」は、日本の近代化。

フランスは芸術、フランスではアールヌーボーとか逆に日本の芸術を受け入れました。フランス国籍第一号は、確かにレオナールフジタでは?
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特に興味を持ったのは、フランスと英国、アメリカは、捕鯨船の補給基地としか興味が無かった!

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日本に対してはなぜか例外で、日本の科学技術の進歩や近代国家としての


制度の構築に力を尽くしてくれた人が大勢いた理由は何でしょうか?
   ↑
物理的支配の前に、文化的支配をしておく
というのが、彼等の常套手段です。
だから日本だけが例外ではありません。

日本が西洋文明を積極的に取り入れたから
そういう政策を採ったからにすぎません。

中国などは中華文明に絶対的自信がありましたから、
西洋文明などバカにしていた面がありました。
だから、西洋文明を取り入れるのには抵抗が
あったわけです。

しかし、日本にはそんなメンツはありません。
長いこと、中国から学んできた日本です。
学ぶ相手が中国から西洋に代わっただけです。

素直に取り入れ、中国に大差をつけました。
お雇い外国人は、母国政府の文化的侵略という方針の下、
所詮は高収入に釣られて
やってきただけです。





せいぜいキリスト教を布教するというありがた迷惑なこと
  ↑
キリスト教は侵略の先兵ですよ。
キリスト教で宣撫しておいてから、軍隊が
乗り込む、という手段です。
それを察した徳川幕府は、キリスト教を弾圧しました。




日本が近代化して、西洋のライバルとして台頭してくるのが
怖くなかったのでしょうか?
  ↑
アーネストサトウなどはそれを指摘していました。

しかし、多くの西洋人は東洋人などバカにして
いましたので、そんなことは念頭に無かったのだと
思われます。

インドなども、英国は、留学生を英国に送り込むように
させ、文化的侵略を意図しましたが、その留学生が独立運動の立役者に
なっています。
ガンジーなどはその代表です。
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>お雇い



分かっているじゃないですか。日本政府が金を払ったからですよ。それでも、一流と称される人は来ませんでしたけどね。日本にとって運が良かったのは、自国で一流という評価は得ていないにせよ、結果的にはしれなりに技術、制度に明るい人が得られたことです。もちろん、政府、幕府なんかでも盲目的ではなく、複数の国と比較商談したりしていますから、そういう点では外国の技術、制度、製品に盲目的に信奉していた訳ではないのでしょう。

>アヘンを売ったり奴隷を買ったりという悪いことか、せいぜいキリスト教を布教するという

奴隷取引は相手国に奴隷を集めて売り渡す者がいたから成り立つのです。阿片などの売り込みも似たようなもので、取引に応じる商人がいてそれを国内で流通させる販路を持っているからです。
日本の江戸時代は、幕府が外国との貿易場所、相手などを制限した管理貿易だったので、弱肉強食の論理から距離を置けました。維新前から軍事物資を買っていたので、維新後に貿易が割りと自由(江戸時代と比べて、というレベルですが)になったときには、それなりの軍備も備えていました。

>日本が近代化して、西洋のライバルとして台頭してくるのが怖くなかったのでしょうか?

欧米諸国からは遠いので、更に言えば欧米諸国のアジア植民地からも遠いので、直接的な脅威とはなりえないと思ったのではないでしょうか。多分、商売っ気が先に立ったのではないかと思います。
日本が一目置かれたのは、日清、日露の戦争に勝利し、ロシア出兵などで存在感を誇示できたからです。
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江戸幕府倒幕後の明治維新の時代ですよね。


日本は、江戸時代の武士の時代、鎖国など過去の文化を捨てて、西洋主義に走ります。
政治も経済も文化も西洋から取り入れ、真似をします。
当時の(今もそうですが)中国やインド、東アジアの国々とは大きく違った政策を行います。
西洋諸国から見れば、実に都合の良い国になりました。
貿易も西洋の自由貿易を取り入れますので活性化します。
その結果、国民を奴隷として輸出する様な事はせず、軍隊に投入します。
アジアで西洋文化を率先して受け入れたのが日本です。
西洋諸国が日本に力を入れたというより日本の方から西洋かぶれし近代国家へいち早く成長しました。
中国の外交と日本の外交との大きな違いです。
アジアの大国、中国とインドは早めにつぶしておくべき存在に見えたと思います。
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