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東アジア、東南アジアの国旗で三色旗が少ないのは、なぜですか。

A 回答 (3件)

三色旗は元々オランダの国旗が原型とされています。



オランダの国旗が三色旗になったのは、80年戦争(オランダ独立戦争)の際に、独立軍側が三色旗を旗印に戦ったことに由来します。つまり「独立のマーク」だったわけです。1568年からの戦争で三色旗が使われ、16世紀末までに色の順番が決まり、1630年には現在の色に変化しました(色あせなどが原因だと言われています)

次に三色旗を採用したのは1789年に採用されたフランスの国旗、1789年はバスティーユ監獄襲撃事件があった年で、数年前から始まっていた貴族たちの反乱が一気に市民革命に変化した年でもあります。
 この時に「市民革命の旗印」として登場したのが現在のフランスの国旗で、明らかに「オランダ独立運動」の流れを汲んでいるといえます。

これと同様にナポレオンとドイツのライン地方の諸侯たちが神聖ローマ帝国からの離反を画策した「ライン同盟」の旗印も縦縞でしたが三色旗を使っていました。

つまり、三色旗は「体制の変化」を象徴するヨーロッパでの流行であったわけです。ほかにもドイツの国旗は1813年ナポレオン軍と戦ったドイツのリュッツォウ義勇軍の軍服などから制定されたとしていますが、ドイツから離反しようとしたライン同盟も三色旗なら、神聖ローマ帝国からドイツ連邦→帝政ドイツに至る過程でもドイツの三色旗は変えませんでしたから、この時代「三色旗」といえば「民衆による改革の旗」というイメージが強かったのだと思います。

その証拠にルクセンブルグは、1830年のベルギー革命に参加し、結果としてベルギーとオランダに分割統治されながら、差周囲の政治的な動向から1890年に大公国として中立国となったと言う経緯があり、ベルギー革命の時から三色旗を使って大公国となってもこれを継続したのは、やはり「独立を勝ち取った」という意識が旗に込められているからだと思います。

三色旗は「革命など自国の運命を民衆が決めた」というオランダ独立戦争やフランス革命に代表される、啓蒙主義的自由の表れといえます。

翻って、アジアの国を見た時に「独立運動による啓蒙的自由の確保」というのはすでに時代遅れになっていました。彼らが望むのは宗主国からの自立であり「民族自決」だったわけです。ですから、独立後に制定された旗は「民族の誇りや伝統」が表現されることになりました。

でも、意外に三色旗やそれの発展形も多いですね。イラクやイラン・イエメン・シリアなどは明らかに三色旗を使って、そこに民族的デザインが付加されているものですし、インドも三色旗にマークがある形、三色旗ではありませんがマレーシアの国旗は明らかにアメリカの影響を受けているといえるでしょう。

アジアの旗で赤色が目立つのは二つの意味があります。ひとつは「自国を守るために戦争で流れた血の色」もうひとつは「共産主義の赤」です。タイの旗の赤は「国家」・アメリカの旗の赤は「勇気」を表してるとされますが、事実上「戦場で流す血の色」の別の表現であるといえるでしょう。

これらに対して、明らかに民族的なモチーフになっているのは、カンボジア・サウジアラビア・ブルネイ・ブータンなどでしょう。面白いのはネパールで、世界で唯一四角じゃない国旗です。

そういうように民族的なモチーフがあるのがアジアの旗の特徴だといえるでしょう。
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そうですかね。

三色旗は欧州と欧州とかかわりのアフリカや中南米だけのイメージですが。
世界の国旗一覧
http://www.abysse.co.jp/world/flag/
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3色の場合、国土や国に対する愛情などが示されている例が多いが、東南アジアだけでなく、過去に色々と揉めた国は配色が多い傾向。

色々な意味を込めた結果、そうなった的に。
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この回答へのお礼

ありがとうごさいます。

お礼日時:2017/06/23 19:22

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