
自然科学では、言い分が対立した場合、“実験をやろう”、“予測をしよう”、“論理の精密な積み上げをやろう”ということになり、正解が独りでに決まってしまいます。
哲学では、何が正解なのか分りません。各人が、勝手に言っていうだけ、と感じます。
百家繚乱とは言えず、百家争鳴のような気がします。
以下質問です。
哲学では、何が正解なのですか?
どうやって、正解を求めるのですか?
声が大きい(多い)方が正解なのですか?
そもそも、正解はないのですか?
No.24ベストアンサー
- 回答日時:
科学哲学が参考になります。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。no.2
「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。
テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
(0)観察をする。
(1)仮説を立てる。
(2)仮説から演繹される予想を立てる。
(3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
(4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
める。
(5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
(5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
のかもしれない。
ということですが、(0)(1)(2)(3)までで終わればまだ「科学」の
体をなしていない。
(0)(1)(2)(3)(4)まででもまだ中途半端。
(0)(1)(2)(4)(5b)というのは、しばしば勘違いの誤謬を含む。
(0)(1)(2)(3)(4)(5a)となれば、これは立派な「科学」で、失敗報
告という論文が書けます。既にある理論に対立する理論を構築
し、検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。
(0)(1)(2)(3)(4)(5b)の場合、形而上学的に(1)を認めちゃうという
短絡をやらかすと「科学」ではなくなるし、哲学としてもお遊
びレベル。この場合(1)は「一応の仮説」として提言されるべき
で、何度も(2)~(5b)のサイクルを回った上でようやく「一応最
もらしい学説」に昇格する。でも反例が一つ出たら瓦解します
。だから、哲学としては(0)を追加するなり、(1)を精密化するな
り、(2)のバリエーションを作るなりして一層深い研究を進める
べきです。
かくて、(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間と
コストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築すると
ころまでは間違いなく哲学で、ことに(5a)(5b)の次のサイクルを
方向付ける、(0)(1)(2)(3)こそ哲学の仕事です。その指針として(
検証不可能であるところの)形而上学があったって、それは構わ
ない。どの仮説から手を付けようかサイコロ振って決めるというの
よりも、人間の洞察力を信じたいですね。(しかし何度か旨く行
った形而上学が、だからといって信仰に化けてしまうのは感心いた
しません。)
まとめ。科学は哲学の一分野である。テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べる。
(0)観察をする。
(1)仮説を立てる。
(2)仮説から演繹される予想を立てる。
(3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
(4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
める。
(5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
(5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
のかもしれない。
科学は(0)(1)(2)(3)(4)(5a)と(0)(1)(2)(3)(4)(5b)をたくさん集める。(5a)のとき失敗報告という論文が書ける。既にある理論に対立する理論を構築し検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。(5b)のとき、類似したたくさんの(5a)とあわせて科学。でも反例が一つ出たら瓦解する。
哲学は(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間とコストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築するところまで。次のサイクルを方向付ける。指針として検証不可能である部分を持つ。
リンク先の質問とno.1~no.83を読んでみると、哲学で意見が対立する場合、範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名、現象から推測される予測が異なってくるのだと思う。予測が否定されると、自身の信条が否定されたと強く感じてしまうと、自身の予測に矛盾があるのが自身で認められなかったり、自身の予測の反例となる現象が認められなかったりする。範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名が同意できなくなる。論争になる。正解が見つからない感じになる。
声が大きい(多い)方が正解というのは誤り。リンク先のno.2の説明が良い説明だというのはno.20の直感。どうして良いのかは説明できない。✕百家繚乱〇百花繚乱。
ご回答ありがとうござました。
引用先を眺めましたら、83もの回答が出揃っていました。哲学者(哲学愛好家)に、特に哲学のことを語らせたら、お互いに納得する(不満のない)ものは形成されないのですね。その理由は、
<範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名、現象から推測される予測が異なってくる>
に起因するのですね。確固たる正解は、ほとんど期待しない方がよさそう、ですね。
No.26
- 回答日時:
哲学の話になると難しい言語を並べ立てる専門家がいます。
哲学とは「人間の生き方」の説明書です。
誰にもわかる言語で説明しなければ意味はありません。
>哲学では、何が正解なのですか?
正解は無いと思います。研究者の「主観」ですから。
名の知れた専門家の出版物が世に知れ客観的にみられ評価され
多くの同調者が集まります。
正解に近いものもあるかもしれませんが、私のように素人研究者の
意見が評価されることはありません。
正解は多くの意見から「今、自分の納得するもの」でしょうね。
これも次の知識を得ることで変わる可能性があります。
>どうやって、正解を求めるのですか?
本を読むと洗脳されます。 正解は知識と行動結果にあります。
知識が正しいと評価できるのは、自分の実体験と比較するからです。
正解を求め実践する姿勢が大事です。いろいろな生き方がありますからね。
ご回答ありがとうございます。
まず、<哲学とは「人間の生き方」>ですね。
次に、<正解は多くの意見から「今、自分の納得するもの」>ですね。
そして、<知識が正しいと評価できるのは、自分の実体験と比較するから>
なのですね。明確な順番のとれる説明は、よくわかりました。

No.23
- 回答日時:
自然科学も正解は得られません。
ゲーデルじゃありませんが、科学の場合、おのずと条件が限定されるのでその範囲で正解になるにすぎません。
また、科学は、主観を排除して、いわゆる客観を扱うので誰が観測しても同じ結果が出ることも正解を出しやすいのです。
一方で哲学は倫理、正義、善、美、意識、精神などを扱うわけですから、どうしても自分の主観に軸足を置くことになるので、正解が出しにくいということです。私が思う善とあなたが思う善は、違うでしょうからね。
その正解とやらを求めて、好きなだけその思いを語り合い、けなし合い続けることが哲学であって、正解が出てしまったら哲学は終わってしまいます。
ご回答ありがとうございます。
哲学は、
<自分の主観に軸足を置くこと>
が特徴なのですね。自分の主観(だけ)を手掛かりに
<好きなだけその思いを語り合い>
自分の主観(だけ)を武器に
<けなし合い続けること>
が、哲学なのですね。
No.22
- 回答日時:
解答が得られた哲学的問題に関しては、科学として哲学から分離していったわけですから、残された問題は形而上学(それから派生する倫理学も含みます)と言う事ですよね?
基本的には、形而上学については、解答は得られない可能性の方が高いとは言えますが、それが問題として残っている以上、考えられる解答候補については、検証を行うと言う立場を哲学者は取るでしょう。
もちろん、これが理性の範囲内では、検証不能であるのは、確かです。
形而上学が難しいのは、これが形而下に無い為に検証自体が出来ない事にあります。
ただし、何らかの前提を元に、その分析手法を考える事ができる可能性は残っていると言う事です。
現代においては、ほとんどの哲学者は、形而上の問題解決に対する情熱は失っているとは言えると思います。
ご回答ありがとうございました。
昔の哲学から、検証のできる分野が諸科学として次々と分離してゆき、残された哲学は、検証の困難な分野なのですね。(これが、哲学の存在価値になるのでしょうが)。この検証のできる科学は(形而下学)は、正解が求めやすが、哲学(形而上学)は逆に正解が求めにくいのですね。
No.21
- 回答日時:
あなたは歩く時に、目をつぶっていても平気ですか?
なぜ存在しているのか理解して在り、何のために生きている
のか分かって生きるのが、当然でしょう。
哲学・思想は、他の個々の分野に分かれた生物学や社会学と
異なり、それら全てを含んだ世界観や価値観、生命観と
いった包括概念について洞察する事です。
実際、量子論的世界像において、不完全な認識体による
いい加減な(現象表面的な)観察によって有限な存在性
(宇宙)は生じている事が明らかとなっています(自我
仮説(記憶=時間軸)と環境仮説(予測=空間軸)の相補分化)。
つまり、「無いとは分からないことが有」であるならば、
物理とは、そうした仮想的時空への無の射影(=光量子)
であり、哲学・思想とは、そうした『何かあるんじゃ?』
という疑問(予測)としての環境認識を、「ホントは無い
んだけどね」と無へと還元するプロセスです。
正解はありますが、その正解は「無い」です。

ご回答ありがとうございました。
私が理解(誤解の方が相応しいのですが)したことを、綴ります。
ご説明にあった量子論世界観によると、この世はすべて波でできており、実体はない(波で表現されるだけで)、ことになるのですね。
物理などは、この実体を解明しようとしているが、
<哲学・思想とは、そうした『何かあるんじゃ?』という疑問(予測)>を、
<「ホントは無いんだ)>
と、認識することなのですね。したがって、哲学の正解はあり、内容は“ない”になるのですね。
以上、読み返してみると、分けもわからず、単に、言葉を並べたよう、と反省しています。
No.20
- 回答日時:
私見です。
哲学というのは、その時代、特定の地域を映す、鏡のようなものだと思います。従って、ある時代にはもてはやされた思想でも、二百年後には、完全に時代遅れになる部分が出てきます。人類は、進歩し続けることによって、自己を証明し続けてきた存在です。哲学は、自然科学で掬いきれなかった部分を、何とか明文化しようとした努力であるといえるでしょう。文学と、良い、対比になると思います。
哲学も、自然科学と同じように、恒久的な真理をとらえようとしますが、アプローチが異なるので、正解かどうかは、”はっきりわからない”のが、特徴と言えます。
私は、各国のテレビのコマーシャルに、ある種の哲学を見ますが、流動的で移ろいやすいところが似ているのかもしれませんね。
早速のご回答ありがとうございます。
<哲学は、自然科学で掬いきれなかった部分を、何とか明文化しようとした>
<アプローチが異なる>
よって
<哲学というのは、その時代、特定の地域を映す、鏡のようなものだ>
<正解かどうかは、”はっきりわからない”>
以上のように、読み解きました。
No.13
- 回答日時:
最後まで付き合ってくれるかな
結論・・・・「汝自信を知れ」 です
哲学と一言で言うと ギリシャのソクラテスやプラトンが始まりの西洋哲学を指しますが
文学 詩歌 芸術 宗教まで幅広く 輪じる事もできますし
様々な人生観や生き方 考え方をもって 哲学とも言います
哲学のない人は 徘徊するボケ老人と同じです
哲学にない文学 芸術 価値ありません
哲学のない 政治家 人を見下します
正しい哲学を持つ事は 歓喜の人生です
人間として 一番大事な事 哲学を持つ事です
哲学を持つ事で 動物ではなく 人間になれるのです
自我 理性 生命 存在 価値
現代 大量の情報の中
いかに正しく自分を主張するかは 哲学を持つしかないのです
哲学のない 主張は 浅い 空しい 裏付けがない 弱い のです
理論好きな 知ったかぶりには 批判意見はあるでしょうが
私は 分かり易くいいます
「汝自信を知れ」
哲学者 文学者 詩人 芸術家 宗教家達が 生涯をかけて追い求めた結論です
人間の最終的に求める 最も重要な結論は我の中に
とでも言っておきます
くしくも 哲学者達は文学者達は 同じ方向をむいています
彼等の悟り(仏教みたいが)を紹介します
シラー ・・(汝の運命の星は汝の胸中にあり)
ソクラテス・・(汝自身を知れ)
デカルト・・(我思うゆえに我あり)
釈迦・・・(汝自身を省みたずねるが良い)
カント・・(・・・我が上なる星と 我が内なる道徳法則とである)
ユゴー・・(・・・空よりも大きな眺めがある それは魂の内部である)
ルソー・・(私が語らなければならないのは人間についてである)
カーライル・・(理想は我々自身の中にある)
すなわち 自分以外に 真実や理想や幸福を求めても はかない
と言う事と結論します
自分は 何処から来て 何処絵行くのか 何のために
この答えが 最高の哲学です
何のため が分からないと 自分の役割が存在が分からないのです
自分(我)の存在を知るとは
何のため を知る事(存在
生きる 死ぬを知る事(生命
最高の幸福を知る事(価値
「自我」「存在」「生命」等を知る事です
お分かりでしょうか 長くなるので一応おわる
ソクラテス http://rokusann.sakura.ne.jp/newpag27.htm
参考 私の哲学
法則 http://rokusann.sakura.ne.jp/newpage17.htm
再度のご回答ありがとうございました。
折角ご丁寧に説明して頂きましたが、追い駆けて行くことができませんでした。
馬の耳に念仏、になっています。出直さなければなりませんね。
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