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江戸幕府は江戸なのですが、それが今東京になっているのですが、なぜ江戸を拠点にしようと考えたのでしょうか?

地理的に何か有利なことがあったのでしょうか?

A 回答 (5件)

北条氏の拠点であった小田原にする、という


案もありましたが、なるべく京都から距離が
あるところ、ということで、徳川家の拠点である
江戸に決めました。

京都から距離を置きたかったのは、天皇を
初めとする公家達の、政治への干渉を
嫌ったためだと言われています。

また、将来、天皇を担いだ薩長などの
攻撃を想定していたため、とも言われています。
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豊臣秀吉が北条征伐後、徳川家康を加増の名目ではあるが、家康が力を入れて開発した東海地方の本拠から引き離し、不慣れで反勢力も多く治めにくい旧北条領の関東に転封させた。


この時家康は新しい領地の本拠を鎌倉幕府の武士の都 鎌倉、北条氏の本拠であった小田原に構えることも出来たが、江戸に本拠を置いた。
当時の江戸は湿地帯で寒村があるのみの土地だったが、豊臣の本拠大坂の様に、平野が広がり東京湾があって港を築け、内陸まで水運が出来るように町を作れ、発展の可能性の大きい理由で江戸を選んだ。
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65歳主婦です。



大久保利通が、天皇を表に出すことで、江戸幕府のイメージを一新させようと、

隠れた天皇のイメージを作ってる京都から天皇を引き離し、

繁栄を続けてる江戸を「東の京」として、天皇を住まわせて

新政府のイメージアップを図ったためです。

勿論、江戸は、経済面などの発展も他より抜きん出て、そして、京都からも近い

ということで、天皇を江戸に住まわせ、天皇を使ってイメージアップを

図ったことから「東の京」にしたのです。
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織田信長が徳川家康を当時へき地だった江戸へ飛ばした。

徳川家康は鷹狩りと称して関東地方をしばらく歩き回り、この土地を活かす方法を考えたと言います。河川の方向を変えて江戸への水路にしたり、流域に農耕地を整備したり。。その結果、徳川家康の天下以降江戸は繁栄を極め、今の首都になった訳です。
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家康が秀吉によって飛ばされたからです。

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