何年か前にこの曲がヒットしました。
メロディーが好きでしたし、この歌詞なので何回か聴いて思索をしたものでした。

「正義」って、改めて考えてみて、何でしょう?

正義と正義がぶつかった場合、大抵争いになるでしょう。
争いになり負けたほうは犠牲になると言えるでしょう。
犠牲が出ることが正義と言えるのでしょうか?

過去の権力者が使ってきた正義という概念の呪縛から、我々一般大衆は解き放たれて
いないのではないか?

だから、「神様、人類を滅ぼしてください」と「神様、私たちの世界に平和を」という
二つの願いを同時に持つことになるのではないだろうか?

A 回答 (17件中11~17件)

民度が低い国だと、正義とファシズムは紙一重になってしまいがちだ、とマルクス主義者たちは指摘しているようです。


この意味で言えば、動画が提起する問題の出発点は、古くからある問題だということもできるでしょう。「虚偽意識」なんていう言葉もあります。とある集団間で認められているが、根拠の乏しい偏見のことです。
ファシズムにおいて、虚偽意識は正当化され、もはや普通のことに思われているのだそうです。
おっしゃる問題提起はわかるつもりです。

しかし一方で私には「神様、人類を滅ぼしてください」と口にするメンタリティが、今ひとつわからないのです。
客観的な正しさを追求していけば、人間など生きるに値しないという結論に到達するだろうというお話かもしれません。しかし下劣であろうと生きていくことを選ぶのが、人ではないのか、という疑問もあります。
私には、この歌詞がヴァーチャルな感じがするのです。
地に足がついておらず、頭でっかちな感じがするのです。そして根底には、少しでもケチがつくならば、全部を放り出してしまっていいという論理があるような気がするのです。

こうした全てを放りだそうとする発想に、テロの動機になりうるものを感じるのであり、それが昨今の世界情勢だと、杞憂と笑ってもいられないと私には感じられるのです。こういうことを言う相手には、「青臭いなあ」と冷笑することを持って、さらなる熟慮を促すことが必要ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

現在の日本という国家を「民度の低い国」とすることには問題が
あるかもしれませんが、「ファシズム」を生み出す土壌は整って
いると考えます。

保身的な人があまりにも多いからです。こういう世相では、実質
的独裁政治が成り立つでしょう。いや、着々と完成に近づいてい
るのかも知れません。

このバンドが売れているのは(売れたのは?)現代の若者の代弁者で
あるからに違いなく、そのヴァーチャル性は何といっても現実を、
パソコンとかスマホの画面を通して感じ取っているということが、
最大の因でしょう。

結局、「哲学」の有無という点に行き着くと思います。
古臭い言い方かもしれませんが、人間って、人との触れ合いの中で
(書物もあり)感激があり、そこに自分の哲学を決定できるものだと
思うのです。

その経験が希薄な場合、その人の人生哲学が作られず、その上に膨
大な情報・論理が積まれることになる。

そうすると、結局その人はどこへ向かうのかといえば、本能的欲望
に向かわざるをえないのではないか?
そして、それを虚しいと感じ始めた時に、ニヒリズム場合によって
はテロリズムに堕ちることも考えられると思います。

昭和生まれの我々世代よりも、今の若い世代はその傾向がとても強
いのだろうと思います。

お礼日時:2017/07/17 12:00

すみません、おどろしくなっちゃって、もっとサッパリした回答をし直して見たいと思います。



正義ってのは、掲げるもんじゃなくて、心の背後に潜ませるものじゃないかなと。
どけどけ、正義様のお通りだっ!てやってるようじゃ、反発は必至ですから。
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この回答へのお礼

そうですね、こういったものは、上から与えられるものではなくて、
個人個人が自主的に持つものですね。

お礼日時:2017/07/17 10:13

>二つの願いを同時に持つことになるのではないだろうか?



そうです。本質ですね。

やりたいけど、やりたくない。
YESでもあるしNOでもある。
優しいと同時に残酷。 そのままにしておけばいいかも。

世界平和を声高に望まなければ、戦争は起こらない。
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この回答へのお礼

>世界平和を声高に望まなければ、戦争は起こらない。

これは、賛成できませんね。

お礼日時:2017/07/17 10:10

正義と言う言葉を私はあまり扱わないのですが、回答して見ます。



正義が人道に基づくものであるならば、人を人として扱わなくなった時に正義は失われる。人を見下しては暴言や暴力を用いて正義を紛失し、道を踏み外す。鬼畜米兵、イエローモンキー、だから殺せ。道を踏み外したならそこは外道である。外道の通じる先は決まっている。

相手を対等な人間と見て、戦うならばそこには次善の正義が認められると思われる。
なぜ次善なのか。戦いの原因と言うものが、自分の地位や立場、誇りをかけたもの、領土や民、資源をかけたもの、である場合、これらはつまり、プリミティブな物言いをすれば、餌場や群れ、住処の奪い合いである。これらは人間特有のものではない故に、次善のものとなる。

人間は次善のもの無くしては生きられないが、次善のものだけで生きている間は特に人間として生きたことにはならない。最善を求めたならば、争いを超えることができる。
ここで言う最善が何かを考えることが、正義論に繋がって行くのではないだろうか。

一個のおにぎりがある。腹を空かせた人が二人いる。これを奪い合ってどちらか一人が生き残るか、共倒れになるか。或いは分け合って、半分ずつの人生を生きるのか。
正義がどちらに宿るのか、簡単に分かるが、このたとえを実行するのは難しい。
飢渇は生物の本能を大きく支配していて、中々克服出来るものではない。それは肉体だけでなく精神も支配している。
空腹をどれだけの人が我慢できるだろうか?無理な話かもしれない。正義はこのようにとても難しいことを要求する。極論すれば、人として死ぬか、獣として生きるかの選択もあり得る。そして、獣として生きることを選んだ人を誰も非難できない。
飢渇はそらほどに苦しく、全人類を屈服させている。
現代日本人は肉体的には飢渇を感じる事なく満たされているが、精神においてはそうでは無い。常に飢渇に襲われないように恐怖している。そのため、得たものは手放したくなく、分かち合うと言うことが難しい。ものを保持したくなり、その日暮らしは出来なくなっている。だから、ものが増えても豊かになることが出来ない。飢渇を超えていないからです。
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この回答へのお礼

人類は有史以前から戦争を繰り返してきたと思われます。

戦争を起こせること自体が、私は食料の余剰があったことを示すものだと思います。
兵器というものは高価なものであり、また、兵士を闘いに専業させることも余剰がな
ければできないことでしょう。

つまり、戦争とは他を侵略するために行われたものであると断じて良いのではないか
と思います。
他民族の生活習慣も考え方も、何もかも無視をして否定をして従属させようとしたこ
とに一片の正義もないでしょう。

その、人類のやってきたことに対し、何らかの正義を見ようとすることが私には納得が
できないのです。
人類といってもその一部の特殊な「権力者」のやったことです。「権力者」の特質を我
々はもっと見据えなければならないと考えています。

日本でも飢饉があり、子供を「間引き」したとか「食べた」とか、悲劇があったようで
すが、そのような状態の時には、正義を行えなくても、一往、道義的には責めることは
できないだろうと考えています。
また、飢饉・疫病などと悪政との関連に興味を持っています。

お礼日時:2017/07/17 10:09

「正義」の基準は沢山あるとは思いますが、私は国際法や戦時国際法を基準に考えています。




国際法や戦時国際法が絶対的に信じれる正義かどうかの審議はおいといて、
誰かが一方的に決めた「正義」や、一部の国の国民が勝手に決めた「正義」の物差しよりかは遥かにマシかと思います。
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この回答へのお礼

国際法の詳しい内容は知りませんが、国家と国家の関係性において、普遍的公正の
精神に貫かれているのであろうと思います。

これは、全部ではないにしろ各国の憲法などの国内法にも言えることでしょう。

問題は、その精神を理解できているかということと、遵守しようという意識がどれ
だけあるのかということだと思います。

お礼日時:2017/07/16 14:54

「正義」って、改めて考えてみて、何でしょう?


   ↑
正義についての考え方には二つあります。

第一は、人間と人間の関係で考える立場です。
これによれば、正義とは時や立ち位置によって
変化するものだ、ということなります。

第二は、キリスト教文化圏で行われている立場で、
時や立ち位置によって変化しない正義が存在する
という立場です。
これは定義が難しいので、数百年に渡って議論していますが
結論は出ていません。
現在ではロールズの正義論が有力です。



正義と正義がぶつかった場合、大抵争いになるでしょう。
争いになり負けたほうは犠牲になると言えるでしょう。
犠牲が出ることが正義と言えるのでしょうか?
  ↑
第一の立場からは、お互いに正義があるから
犠牲が出ようが正義だ、ということなります。
第二の立場からは困ることになります。
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この回答へのお礼

昔から一般大衆の中で言われてきた「人に迷惑をかけない」とか
「礼儀正しく」とか「恩を忘れない」などは立派な正義だと思い
ます。

哲学者の考えることは難しいです。勉強はすべきですが、中途半
端がいけないと思います。
例えば、学問的に結論が出ていないから、だから正義なんてものは
はなっから「ないもの」なんだとかいうこととか。

我々が生きている、この目の前の現実を基準に「正義」というもの
も考えてゆけばよいのかと思います。

お礼日時:2017/07/16 14:47

考察せずに先入観として「正義」を持ち込む時に、答えはない。



1.生存単位が個体ないし血縁である時、その生存競争が
  進化として選択される(それに抗う動きは淘汰される)。

2.分業や組織化によって、個体の生存が社会に依存する
  ようになると、その社会集団(集落→都市国家→国家→
  グローバル化)の中で、抗争を避け協調性を促すための
  アメ(お金、出世)やムチ(法規、宗教)が発達した。

3.個人の意識は、肉体に付属した感覚器官に依存して生じる
  以上、自己中心的に流される傾向にある。
  本来、自己の生命性の社会的拡張をフォローできるだけの
  認識の深まりによって、自律的に社会行動(他我化=愛)
  をとるべきところ、それを怠って自己チューな意識のまま
  「アメやムチ」による他律的な生(他人と競合、イヤイヤ
  働かされる)に流されたため、実質的には助け合いながら
  意識としては弱肉強食の疑似ジャングルと化してしまった。

4.「自律的生+社会生命的自覚+充分な分業化+相互依存と
  相互扶助のグローバルな制度化」によって戦争はなくなる。
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この回答へのお礼

>考察せずに先入観として「正義」を持ち込んでいる

のであろうとしてしまうことは、独善的態度として世の中に蔓延していることです。

自己中心的に流されがち、というよりも、それを正当化しはじめている時代だと思い
ます。

人々に社会生命的自覚をなさしめ、自律的生へと誘いえるものが存在しているのかど
うか?あるいは、どう創造してゆくのか?

お礼日時:2017/07/14 13:02

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  ↑
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>また、広く教育についてのお考えをお聞かせ願えれば幸いです。

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動物と人間の違いについて哲学的に教えてください

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やがて この神を知れと言って他人(ひと)におしえる商売が興った。

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ときには おそらく

動物たちの行動に変化が起きる。

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――とか。どうかなぁ。

Q哲学では、何が正解なのですか? どうやって、正解を求めるのですか? そもそも、正解はないのですか?

自然科学では、言い分が対立した場合、“実験をやろう”、“予測をしよう”、“論理の精密な積み上げをやろう”ということになり、正解が独りでに決まってしまいます。
哲学では、何が正解なのか分りません。各人が、勝手に言っていうだけ、と感じます。
百家繚乱とは言えず、百家争鳴のような気がします。

以下質問です。
哲学では、何が正解なのですか?
どうやって、正解を求めるのですか?
声が大きい(多い)方が正解なのですか?
そもそも、正解はないのですか?

Aベストアンサー

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
 (4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
   める。
 (5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
 (5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
   のかもしれない。
 ということですが、(0)(1)(2)(3)までで終わればまだ「科学」の
 体をなしていない。
 (0)(1)(2)(3)(4)まででもまだ中途半端。
 (0)(1)(2)(4)(5b)というのは、しばしば勘違いの誤謬を含む。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5a)となれば、これは立派な「科学」で、失敗報
 告という論文が書けます。既にある理論に対立する理論を構築
 し、検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。
 (0)(1)(2)(3)(4)(5b)の場合、形而上学的に(1)を認めちゃうという
 短絡をやらかすと「科学」ではなくなるし、哲学としてもお遊
 びレベル。この場合(1)は「一応の仮説」として提言されるべき
 で、何度も(2)~(5b)のサイクルを回った上でようやく「一応最
 もらしい学説」に昇格する。でも反例が一つ出たら瓦解します
 。だから、哲学としては(0)を追加するなり、(1)を精密化するな
 り、(2)のバリエーションを作るなりして一層深い研究を進める
 べきです。
 かくて、(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間と
 コストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築すると
 ころまでは間違いなく哲学で、ことに(5a)(5b)の次のサイクルを
 方向付ける、(0)(1)(2)(3)こそ哲学の仕事です。その指針として(
 検証不可能であるところの)形而上学があったって、それは構わ
 ない。どの仮説から手を付けようかサイコロ振って決めるというの
 よりも、人間の洞察力を信じたいですね。(しかし何度か旨く行
 った形而上学が、だからといって信仰に化けてしまうのは感心いた
 しません。)

まとめ。科学は哲学の一分野である。テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べる。
(0)観察をする。
(1)仮説を立てる。
(2)仮説から演繹される予想を立てる。
(3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。
(4)予想を実験で検証する。繰り返し実験を行って再現性を確か
  める。
(5a) 実験が予想に反するなら仮説を棄却する。あるいは
(5b) 実験が予想に良く合うなら、ひょっとしたら仮説は正しい
  のかもしれない。
科学は(0)(1)(2)(3)(4)(5a)と(0)(1)(2)(3)(4)(5b)をたくさん集める。(5a)のとき失敗報告という論文が書ける。既にある理論に対立する理論を構築し検証したが否定された。これは重要な価値を持っている。(5b)のとき、類似したたくさんの(5a)とあわせて科学。でも反例が一つ出たら瓦解する。
哲学は(0)(1)(2)(3)ぐらいのレベルをいろいろ検討して(手間とコストを掛けて実験してみる価値のある)良い仮説を構築するところまで。次のサイクルを方向付ける。指針として検証不可能である部分を持つ。

リンク先の質問とno.1~no.83を読んでみると、哲学で意見が対立する場合、範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名、現象から推測される予測が異なってくるのだと思う。予測が否定されると、自身の信条が否定されたと強く感じてしまうと、自身の予測に矛盾があるのが自身で認められなかったり、自身の予測の反例となる現象が認められなかったりする。範囲の設定、現象の特定、現象の呼び名が同意できなくなる。論争になる。正解が見つからない感じになる。

声が大きい(多い)方が正解というのは誤り。リンク先のno.2の説明が良い説明だというのはno.20の直感。どうして良いのかは説明できない。✕百家繚乱〇百花繚乱。

科学哲学が参考になります。https://oshiete.goo.ne.jp/qa/53553.html左記質問のno.2による科学と哲学の違いが良い説明。
 no.2
 「科学哲学」をどういう意味で仰ってるのか、ちと見当が付き
 ませんが、科学が哲学の一分野であるという認識を持っていら
 っしゃるのなら、さほど難しい話ではないと思います。

 テーマが何であれ科学のプロセスを簡単に並べてみると、
 (0)観察をする。
 (1)仮説を立てる。
 (2)仮説から演繹される予想を立てる。
 (3)予想が既知の事実と矛盾しないか先ずチェックする。...続きを読む

Q人間は、失敗作だと思いますか。

人間は、失敗作だと思いますか。

Aベストアンサー

人間は70億人を突破して世界で一番強い動物になりました。生態系の頂点です

万物の霊長かどうかは分かりませんが 問題は未来に理想的な存在状態を作り上げる事ができるかどうかです。

それが出来れば成功作です 人間はよくやって来ました。その営為は大変なものです。

しかし未来に廃墟を作ってしまったら失敗作です。何の為に繁栄したのか分からなくなります。

Aベストアンサー

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているとは言えない」ということになります。(もちろん、その例が荒唐無稽なら別ですが。)
逆に、貴方の質問の回答として「賛同した」と言うには、「全ての『しかるべき反論や批判を行わなかった人』が賛同しているという根拠を示す必要がある」のです。もしくは、「賛同していない例は存在しない」ということを示すのでも良いでしょう。

また、あくまでも「可能性」であって、事実とは限らない、というご指摘かと思いますが、何しろ、私は「しかるべき反論や批判を行わなかった人」本人ではありませんので、可能性以外を指摘しようがありません。
「事実」以外不要、とのことでしたら、ご質問文に「私の過去質問に回答をした人、または、回答しないまでも見たことのある人限定で」と書くべきでしたね。

貴方の求める回答は何でしょうか?
互いに意見を戦わせ、議論をしたいのだと受け取りましたが、貴方の態度はそれと正反対に感じられます。
もしも、過去質問においてもそのようなやり取りしかないのであれば、回答者様たちは、それを不毛に感じて「しかるべき反論や批判」をする意欲を失ったのでは・・・と思いました。
まあ、過去質問を拝見してませんので、単なる感想です。

この回答にどのような返信をいただいても、私はもう回答はいたしません。
さすがに少々疲れました。
ご了承ください。

No.25です。
前回でもう終わりにするつもりでしたが・・・

> ☆ この回答は 残念ながら 回答には成っていないと申し上げなければ
> なりません。
>
> ただの可能性を――そしてそのひとつのみを――言い当てた。だけのもの
> だからです。

それはおかしいですね。
貴方のご質問は
「同じような内容で何度質問しても しかるべき反論や批判が出ないのは 賛同したということでしょうか」
です。
ですので、「賛同してない例」を上げました。
1件でも賛同してないという例が挙がれば、「全ての『しかるべき反論や批判...続きを読む

Q勇気を与える思想

真の思想は、叡智よりも勇気を与える思想。

このような事を聞いた事があります。


勇気を与える思想というと能動的ニヒリズムが思いつきます。

他に何かありますか。

Aベストアンサー

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世界をより深く知り、そこに自らの行く途を描く事が思想だ。
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