日本語が乱れているという人がいます。

言葉に限らず、多くのものが時間変化するのは
珍しくないと思うのですが。

・言葉が変化することは悪いことなのでしょうか。(大昔の言葉を今も使うのがいいこと?)
・変化を許すとして、変化の傾向に「この変化はいい変化」「この変化は悪い変化」などあるのでしょうか。
・起点となるべき時代があるのでしょうか(1980年の日本語が一番正しい、とか)。
・新しい言葉を作る人はだれ?(若者、社会人、言語学者などの専門家?)
・言葉の使い方が変わるのは不愉快なものでしょうか。

A 回答 (18件中11~18件)

言葉の変化はやむを得ない現象であると同時に、歓迎したり推奨したりすべき現象です。

どうしようも無いことですが日々新しい状況が生まれ、そのこと及びそのことから生じる人間の心情を言葉で表現する必要を人間は感じるからです。
そうした必要性を満たす変化は良いもので、そうで無いものはくだらないものです。後者はまもなく淘汰されます。
心情的規範としての起点はあると思います。人間生活に必須な基本語や用法は崩れませんし、たとえ現実に機能はしなくても、日本人の民族意識などの骨格となっています。
言語学者は蒐集分析分類が仕事です。しかし個人としての側面があります。最近はマスコミやネット上で盛んに新語やその用法が生み出されていますが、それは生むのは恐らく個人ですがそれを認め選別するのは社会だと思います。社会は個人の集合ですから、結局多くの人々だと言うことになります。
個人の感覚や時代に合わなければ不愉快でしょうし、そこに的中した言葉は、「わたしが探していたのはその言葉だ」という具合に歓迎されると思います。
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この回答へのお礼

「人間の感情を表すための必要から生じる変化は良い変化」
「そうでないものはくだらない物」
ということですね。

科学の世界とか政治の世界とか工業的な新製品とか、未来を切り開くためにはどうしても、
新しい言葉がでてきますが、人間の感情と無関係なので、あまり良いことではないですね。

お礼日時:2017/07/14 16:41

言葉の変化と言葉の乱れは必ずしも同じものではありません。


言葉には「意味」と「ニュアンス」があります。
言葉の乱れの多くは、この中の、特に、「ニュアンス」を無視した使い万から始まります。
例えば、単に「甚だしい」のニュアンスだけで使われている「~すぎる」
状況によつては、「とても~だ」の替わりにに、「~すぎる」が使われていたりします。
こういう乱れは、「~すぎる」が本来持つていた、「程度が臺だしくて不適切なほとだ」というニュアンスを失わせます。
そして、言葉の表現域を狭くします。

たとえば、本来、連用形(または、副詞)として使われるべきところで使われる、「すごい」
「すごいおいしい」という使い万は、言葉のリズムを壊します。

よく、「常識を越える」ことと「非常誠」の違いが言われます。
「常識を越える」のは、人々がどういうことを常識だと捉えているかを知っていて、その上で、これまでにない、よりよい物を模索した結果。
「非常詞」は、そもそも何が常識かを意識していないこと。
言葉の(良い)変化とは、今の言葉で表現できなかつた物を、よりよく表現しようとすること。
言葉の乱れとは、その言葉が何物かを知らずに、勝手に使い方を変えること。
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この回答へのお礼

「ニュアンスを無視した変化」
「背景や本来の意味を十分に考慮しない変化」
が悪い変化ということです。

抜本的な変化でなく「過去の経緯を尊重する」「新しいけどスムーズに理解できる」ということですね。
(つまり「変化しない」に近いような・・・)

お礼日時:2017/07/14 16:37

・言葉が変化することは悪いことなのでしょうか。

(大昔の言葉を今も使うのがいいこと?)
悪いことではありませんが、いいことなのかも疑問があります。とにかく言葉は変化するもの、なのです。

・変化を許すとして、変化の傾向に「この変化はいい変化」「この変化は悪い変化」などあるのでしょうか。
それは「誰を基準にするか」「何を基準にするか」によって異なるでしょう。私は40代ですが、私が20歳の頃、親の世代には「言葉が乱れている。最近の若者は敬語が使えない」と言われたものですが、今40代になって同じことを20代の若者に行っている人もたくさんいるわけです。

基本的に「言葉の乱れ」というのは「自分が慣れ親しんでいる言葉」が基準ですので、世代ごとに基準が異なります。

・起点となるべき時代があるのでしょうか(1980年の日本語が一番正しい、とか)。
ありません。

そもそも江戸時代までは「標準語」すらなかったのです。そのため各地から人々が集まる都会では、武士は能、庶民は浄瑠璃言葉を意識して、お互いの意思疎通をしていました。
もし江戸時代を基準にするなら、各地でそれぞれの方言を話すが正しい、ということになります。


・新しい言葉を作る人はだれ?(若者、社会人、言語学者などの専門家?)
基本的には若者ですが、他に役所、政治家など発言力のある人々、雑誌やコラムニストなどの言葉に携わる人々が作りだしています。また、新しい技術や外国語などからもどんどん流入します。

動画で1970年ぐらいのドラマを見てもらうといいのですが、彼らの言葉には外来語がほとんどありません。


・言葉の使い方が変わるのは不愉快なものでしょうか。

先ほど書いたように「自分が慣れている言葉」が基準ですから、その基準に反すれば不愉快だと感じるでしょう。一般的に、年を取れば取るほど、慣れ親しんだ言葉がなくなり、新しい言葉が増えますから、どんどん不愉快になっていくわけです。
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この回答へのお礼

そうですね。
「言葉が乱れている、けしからん」
っていう若い人はあまり見かけたことが無いですね。

社会に取り残されていると恐怖を感じている老人の叫びかもしれません。

お礼日時:2017/07/14 16:05

>言葉に限らず、多くのものが時間変化するのは珍しくないと思うのですが。


時代と共に言葉が変化するのは日本だけでなく外国もそうですが、
今の日本の問題はゲーム、ネット、メール等で一般社会との実会話が喪失された
影響を受けています。
だから、今の日本語の変化は退化であり悪い変化と言えます。
新しい言葉を作っているのは乱れた若者(?)から発生しているからです。
気持ちの良い日本語で話しかけられた経験をすると、日本語の本来の良さを理解
できると思いますよ。
まずは体験して評価しましょう。
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この回答へのお礼

「実際の会話から派生していない日本語の変化は悪い変化」
ということですね。

気持ちのいい日本語というのは、「ただ各個人が慣れ親しんだ言葉」という意味ですか。
確かに、慣れ親しんだ言葉や、自分が理想とする言葉遣いは気持ちがいいと思います。

それとも、
世代や各個人の背景とは無関係に良いと思えるような「絶対的に気持ちのいい日本語」が存在する、
という意味ですか。

お礼日時:2017/07/14 16:01

そう思います。

言語は変化していきますから
うるせーこというなとも思います。

ただある程度お互いが不快にならないために「正しい」とされている基準もあったりはしますよね
一つは教育のための指標
もう一つはいわゆる、ビジネスマナーとか、礼儀作法とかの世界で言われているもの。

個人的には「ら抜きことば」とかはそろそろ認めろよ、なんて思っていますが。

問題はTPOになるでしょうね。

それから、悪い変化というとやはり
一部でしか通用しないようなものをその他の場で当たり前に使ってしまう
ということですかね。
お互い不愉快にしかならないし
意志をやりとりするための言語の意味を為さなくなってしまいますから。

たとえば「ゲンをかつぐ」のゲンは、江戸時代に言葉をひっくり返すのが流行して
「縁起」を「ギエン」といったのが始まりだとか…

「新しい」を「あらたしい」という人は今はいませんしね。

それでも例えば学校の作文では学校で正しいと習った言葉
仕事の上では、ある程度これが正しいと世間で同意を得ている言葉をつかうほうがいいでしょうし

若者同士で新しい言葉を作りどんどん使ってもらってもいいけど
違う世代や、きちんとした場ではやはり正しいとされている言葉を使うほうがいいでしょうねぇ。

接客で使う「○○のほうでよろしかったでしょうか」もそろそろ認めたらいいのに。
個人的には、直接的じゃない表現でなんとなく日本らしいし、このニュアンスは好きなのですが。
ら抜き言葉も、受け身と可能の判別がしやすくてよろしいじゃないですかね。

新しい言葉を作る人はそれぞれの人でしょう。
それが定着して、それを「これは新しい言語として定着した」ということを
客観的に結論づけるのは学者でしょうけど。

たとえば「携帯」もいつのまにか携帯電話を指す言葉として
当たり前になっていたり、そういった生活のなかでという部分もありますね
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この回答へのお礼

>一部でしか通用しないようなものをその他の場で当たり前に使ってしまう
まあ、これは言葉の乱れとかとはちょっと違う気もしますが、
・ネット住民や地方住民は東京に出てくる人はちゃんと標準語を使うべき
ということですよね。

東北地方のなまりとかも勘弁してほしいですもんね。

お礼日時:2017/07/14 15:57

個人的な意見ですが、


時代とともに言葉が変化していくのは当然ですが、
言葉遣いは、時と場合によって区別するべきだと思います。

日本語の乱れとは、その場に適した言葉遣いが出来ない人が増えていることを言うのだと思います。
しかし、大昔の人も「最近の若い奴らは、言葉遣いがなっていない」って言っていたらしいので、(文献にある)
実際、現代人の日本語が乱れているかは、未来になってみないとわからないと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。

お礼日時:2017/07/14 15:55

>言葉が変化することは悪いことなのでしょうか


悪いことではないでしょう

>変化の傾向に「この変化はいい変化」「この変化は悪い変化」などあるのでしょうか。
新しい言葉が出てきて
それがいいものだと受け入れられたから変化するのだと私は思うので
悪い変化というのはそうそう無いと思います

>起点となるべき時代があるのでしょうか
新しい言葉が出てきた時点での辞書等が起点では?

>新しい言葉を作る人はだれ?
様々な人だと思います

>言葉の使い方が変わるのは不愉快なものでしょうか
不愉快ではないと思います


言葉の乱れと言葉の変化は別だと思っています
言葉の乱れというのは
「だー」とか「りょ」とか
明らかに頭の悪そうな言葉というか省略とかのことを言うのだと私は思っています
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この回答へのお礼

なるほど、一般論として言葉の変化は悪いことではないけど、
「頭の悪そうな言葉への変化」
は悪いこと、というわけですね。

お礼日時:2017/07/14 15:53

良い悪いでは無く、若者や社会人と言った垣根もなく、言葉はドンドン変化し、新しい言い方が生まれます。



「日本語が乱れている」と言ってる人の言葉を、飛鳥・奈良・平安時代の人が聞いたら、乱れまくっていて、意味がわからず、チンプンカンプンでしょう。
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この回答へのお礼

そうですね。

お礼日時:2017/07/14 15:52

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