私は自分の弱さを感じます。具体的には、
みんなは頑張って勉強しているのに私は「自分を律して」勉強をしていない、
といったものです。他にも肉体的な弱さメンタル面での打たれ弱さなども感じています。
弱さと自己否定感(?)について調べたら「自分の弱さを知る人は強い」というような結果が得られました。
私はまだ高校生なので思春期なのかもしれません。しかしそれとは別に、その理屈が納得できません。私にはその強さは感じられません。私は自分が弱いのを知っていますがそれを克服しようと律しもせず弱さを他人のせいにしています。しかし本当はすべて自分の責任だということは理解しています。それでいて心のどこか、もしくは心の底では「どうでもいい」という考えが定着していると思いますし、その考え方自体がすなわち私の弱さだと思います。それは弱さを認めている訳ではないのはよくわかっています。
私と違って弱さを認められるほどに強い人間は、自分は強いと思えているでしょう。しかし私は自分のことを本当に弱く、弱さを認めもせずただ逃げているだけの「弱い」以下だと認識しています。もしその事を「弱さを知る強さ」だというならなぜ私はまだ自分は弱いと思っているのですか?先に述べた「弱さを知る強さ」がいわゆる綺麗事のようで、理解ができません。

文章がおかしくて読みにくかったらすみません。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    具体的に質問を投稿したつもりでしたが、自分で読み返してみてもあまりにも漠然としていて私の理解ができません。
    もう何がしたかったのかもわからなくなりました。

    全てのご回答は拝見しましたが、生意気ですが、そのほとんどは頭では解っていることです。わかっているが故に何も実行できていない自分に混乱しているのだと思います。全ては言い訳なのもわかっています。だから行動すればいいこともわかっています。しかしその実行ができない弱さがあります。悔しくもなければこのままでいい思っている訳でもないです。ただただ自分が弱く情けないです。どれだけの人の期待を裏切ってきたか。これからも期待されるだけ荷が重いです。

      補足日時:2017/07/15 16:59

A 回答 (10件)

補足コメント読みました。


あまぞいさんの言う「弱い」とは「不器用」ということに似ている?と感じます。

行動できない人間が弱いのならば、世の中 弱い人間ばかりです。私もその一人。

あまぞいさんの考えていることは答えが在りそうで無いものかもしれません。

ひとまず、目の前の幾つかの行動しなければいけない事柄の1つから行動してみては。

不器用な生き方しか出来ない人間が弱い訳ではないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

どのご回答をベストアンサーにしようか迷っていましたが、おっしゃる通り、答えは無いのかもしれません。自分で何かを信じたものが答えなのかもしれません。回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/16 18:11

どれだけの人の期待を裏切ってきたか。

これからも期待されるだけ荷が重いです→それだけの思考「ご自身にすごく素直な性格=竹のしなり等々=メンタルの強さ」をお持ちなのだから、なにも特別な生き方をしなくてもよいのではとおもいます。

ごくごく、「普通に」生きていかれてゆくのが「もっとも」大切なのではありませんかね

それが、しいては、不特定多数の方々に対して「恩に報いる」ことになるのではと、思いました。

大いに悩むなら「今でしょう」

質問者様のように、真剣に生きようとされておられる姿を文字を通して見せていただきまして

誠に、ありがとうございます。
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この回答へのお礼

ありがとう

私は特別ではない、特別ではないことが特別なことのように思えてきます。
たまには、はめをはずしても自分を許すことが必要なんですね。
回答ありがとうございます

お礼日時:2017/07/16 18:06

>全てのご回答は拝見しましたが、そのほとんどは頭では解っていることです。


質問文章を拝見しましたが、IQは高いようですがコントロールが出来ていないようです。
物事を難しく考える傾向がありますね。
理解力があるが表現力にちょっと欠ける傾向があります。
行動力に欠けるようにも思います。行動しないから経験による吸収力が足りない。
年齢がいくつかわかりませんが、成長する過程で集中できるものが見つからなかった
ように思います。
将棋の藤井さんのように集中できるものと出会えなければ、脳の有効活用が出来ません。
先が何となく読めるので何にも興味がわかない。 虚無感を感じる。
今からでも遅くありません。いろいろなものにチャレンジして集中できるものを探しましょう。
意外と身近にあるかもしれませんよ。
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この回答へのお礼

ありがとう

虚無感、まさしくそうです。すっかり見透かされていて驚きです。
IQが高い ちょっと嬉しいです笑
回答ありがとうございます

お礼日時:2017/07/16 18:02

「弱さを知る人は強い」は正しいかもしれませんが、説明がずいぶん省略されているように感じます。


何のために「弱さを知る」か?と言えばそれは、弱さを認めて、克服しようと行動するためということでしょう。
本当に「どうでもいい」と思っている人は、自分と向き合って弱いと気づいたり、そのことを悩んでみたりもしないと思うので、たとえ「自分を律する」ところまでいってはいなくても、知ろうとし始めたところで、強さへの第一歩は始まっていると思います。
自分の弱い点を分析して知ることができたなら、それに勝てるよう助けを求めたり、闘う方法を探したりという行動をすることが強さへの道です。それでも、その時点でも「自分は強い」とは思うことは難しいでしょう。弱さと闘うのは、継続的な努力が必要だからです。知恵の書と言われる聖書を書いた人もこんなふうに言っています。
「わたしは自分のうちに、良いものが何も宿っていないことを知っているのです。願う能力はわたしにあるのですが、りっぱな事柄を生み出す能力はないからです。 自分の願う良い事柄は行なわず、自分の願わない悪い事柄、それが自分の常に行なうところとなっているのです。そこでわたしは、自分の場合にこの法則を見いだします。自分では正しいことをしたいと願うのに、悪が自分にあるということです。 わたしは、内なる人にしたがえば神の律法をほんとうに喜んでいますが、 自分の肢体の中では別の律法がわたしの思いの律法と戦い、わたしをとりこにして肢体の中にある罪の律法へと引いて行くのを見ます。わたしは実に惨めな人間です!」
わたしも、自分の弱さを痛感する時、いつもこの言葉を思い出し、無力感を感じます。しかしこの筆者はのちにこうも言っています、「わたしの走り方は目標の不確かなものではありません。わたしの打撃の仕方は空を打つようなものではありません。 むしろ、自分の体を打ちたたき、奴隷として引いて行くのです。」きっと、自分の弱さに屈するままにはせず、闘い続けたのでしょう。そうしている人をはたから見たとき、何もしない人は「あの人は強いから」と言うのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとう

良いことをする、よりも、悪いことをしない、という考えを忘れてました。
回答ありがとうございます

お礼日時:2017/07/16 18:00

自分の弱さを認めることにこだわるより、自分の弱さにとことん向き合って、強くなる努力をした方がいいのではないでしょうか?



勉強が、集中して出来ない、それはなぜか、寝不足からか、早寝早起きが出来ていないからか、栄養不足からか、運動不足からか、それらの事は、努力できないことに非常に関係していると思います。

または、冷房の当たりすぎから来る冷えが原因もあるかもしれません。

基本的生活を正すことが、努力できない自分を変えるひとつのきっかけになるかもしれないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
強くなる努力、強さを知るところから始めようと思います。

お礼日時:2017/07/16 17:57

あまぞいさんは、自分の弱さをよく分かっているじゃないですか?



他人のせいにしていることにすら、「どうでもいい」と思っていることにすら、気付いていない人間、逃げている人間はそこそこいると思いますよ。

あまぞいさんみたいに、自分で自覚しているのって充分すごい事だと思いません?

逃げちゃいけない時もあるけど、
私は常に自分と向き合っているなんてことをしたら、パンクしちゃいますよ。
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「私は自分の弱さを感じます」


⇒言う言わないは別にして、ほとんどの人がそう考えていると思いますよ。

「弱さと自己否定感(?)について調べたら「自分の弱さを知る人は強い」というような結果が得られました」
⇒それはその通りだと思います。

「私にはその強さは感じられません。私は自分が弱いのを知っていますがそれを克服しようと律しもせず弱さを他人のせいにしています」
⇒なるほど、それは強いとはいえませんね。

「どうでもいいという考えが定着していると思いますし、その考え方自体がすなわち私の弱さだと思います」
⇒その通りですね。

「もしその事を「弱さを知る強さ」だというならなぜ私はまだ自分は弱いと思っているのですか?先に述べた「弱さを知る強さ」がいわゆる綺麗事のようで、理解ができません」
⇒綺麗ごとではありませんね。
自分の弱さを知っていれば、他人の弱みに付け込むような卑怯なことはしないということです。
それはとても信頼されることで立派です。
つまり、それは強いということです。

例えば、チンピラや中高校生が弱そうな子供たちに強がって見せ、恫喝することがありますね。
それは弱さの典型です。
何故ならば、相手に自分の弱みを知られることを恐れ、恫喝という先制攻撃をするからです。

もちろん、そのような連中は人々に尊敬されることはありません。
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この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
弱さは見えるものでも、強さは見えないものだということでしょうか、そして自分ではわからないものだと。
正しい判断ができるようがんばります

お礼日時:2017/07/16 17:56

私の例を上げます。

私は、てんかん性障害持っています。ですが、福祉ボランティアやっています。
弱さから強さが得られるのです。雨が降るから晴れた日がうれしいのです。
悲しいからうれしさが分かるのです。夜(闇)があるから、昼(光)の意味が分かります。
要するに、プラス思考ばっかりだと、落ちたときに挫折感が大きいですね!!
ある程度、天狗にならずに、五分五分でいることです。
皆さん人間、十人十色ですから、お互いの弱さ強さを認め合えればいいのですが・・・
何が言いたいかわかりますか?
お互いの弱さ強さを認め合うことを分からない弱さを持っている方がいるのです。
それが、人間関係です。
コブクロの「桜」を聴いてください。花は咲くから散るのではなく、散るから咲くのです。
「桜の花びら散るたびに、届かぬ想いがまた一つ、涙と笑顔に消されてく、そして大人になった・・・・」の通りです。
ゆずの「栄光の架橋」を聴いてください。
「誰にも見せない涙があった。人知れず流した涙があった。・・・・いくつもの時を超えて、たどり着いた今がある。だからこそ迷わずに進めばいい、栄光の架橋へと。終わらないその旅へと、君の心へ続く架橋へと」です。
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この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます。
弱さを知っても強さを知らなかったんだと思います。そして弱さを知ることは強さの中の一つに過ぎないということでしょうか。がんばります

お礼日時:2017/07/16 17:52

あなたの場合、弱いと思っているだけ。


つまりは「どうでもいい」と居直っていることになります。
精進しない言い訳をしているとも言えます。

逆に強いと思えば慢心となります。

居直ることなく、慢心することもなく、精進する。
それが「弱さを知った上での強さ」であると思います。

「辿り来て未だ山麓」という言葉があります。
ある棋士が言った言葉なんですが、そういう心持の事になります。
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この回答へのお礼

ありがとう

辿り来て未だ山麓 という言葉、考えさせられます。
回答ありがとうございます

お礼日時:2017/07/16 17:49

弱さを知る、というのを「弱さと向き合う」と言い換えてみたらどうでしょう。



ただ「おれって弱いもんねー」と知識として知っているという意味ではなくて、
弱いと知ったうえで、その自分に目をそらすのではなくて、キチンと向き合う。

弱い自分を弱くないと大きく見せるでもなく、
弱い自分を弱いままでいいと強がるでもなく、
弱い自分を弱いと認識したうえでそこから一歩を踏み出していく。

そこではじめて、弱さを弱さと知ったまま、弱さを越えていける可能性があると思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

回答ありがとうございます

お礼日時:2017/07/16 17:46

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