主観という言葉について、どのように解釈をすれば良いのか悩んでおります。
辞書いわく「その人ひとりのものの見方。」とありますが、これだけでは解釈の仕方に次のパターンが生まれてきます。

1・他には同じ見方の人はおらず、その人のみしかその見方をする人がいない。
2・他にも同じ見方の人がいることもあるが、ひとまずは1人の見方を参照しただけである。
3・上記どちらの意味も兼ねている。
4・そこまで明確な定義はない。
5・そもそも語学的な定義と呼べるものは存在しない。個人の解釈による。辞書はその一端を記しているだけである。

この5パターン。
私としましては、この場合「の」=所有を表す格助詞であり、何も「1人しかいない物の見方」と限定されているわけではないため1番上は無いのかなあと思いました。
ですが、あくまでウェブ辞書の『goo辞書』さんの説明を見ての考えですので、goo辞書が表記を誤っているかもしれないし、私がトンチンカンな思い違いをしているのかもと考えるとイマイチ自信がないので皆さんに協力を仰がせていただきました。


※補足
・もしも明確な答えがわからない場合はあなたがどのように解釈しているのか教えていただけると助かります。
・パターン「5」について。たとえ定義があろうとなかろうと、「個人の解釈による」ことには変わりがないのでその点はスルーしていただいて、語学的、文法的、法律的に定義づけがどのようになされているのか、そもそも定義づけがされているのかという観点からご意見ください。
・質問文に不備があればご指摘ください。

A 回答 (6件)

「その人ひとりのものの見方。


この語釈表現が曖昧ですね。
辞書編纂者としては、「ひとり」は限定ではなく「複数ではない」ことを意図するために使われたのでしょう。
個人的には、
「ある人ひとりのものの見方。」
のようにすることを推奨したいところ。
「その」が、ある特定の人物を想起しやすい連体詞であるため「その人ひとりだけのものの見方」という表現を連想させやすいのに対し、「ある」は不特定の人物を表わすため「ある人ひとりだけのものの見方。」という限定表現が連想しづらいように思うから。

いずれにせよ、
2・他にも同じ見方の人がいることもあるが、ひとまずは1人の見方を参照しただけである。
このパターンになると思います。
従って、必然的に他の解釈にもならない。
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この回答へのお礼

こちらの方の回答が最も要点を押さえた回答でしたのでベストアンサーに選ばせていただきました。みなさんもありがとうございました。
確かにその表現の方が明確に伝わりやすいですね。
「その人1人で考えた見方」という表記もいいのかも。


今回はこちらのサイトとYahoo!知恵袋の両方で質問をしたのですが、回答にばらつきがありましたので、簡単に回答の割合をまとめてみます。今回の質問の回答としては少し離れている回答は除外しています。

その人しかその考えを持つ者がいない。 の意味…0

1人だけの見方しか参照していない事。 の意味…1

上記どちらの意味も兼ねている。 の意味…3

という結果に。

辞書で言葉を調べると、1つの言葉が複数の意味を持っていることがよくあります。
その他の回答として哲学的な「主観の捉え方」についての回答がありましたが、これについては辞書にもすでに「その人1人のものの見方」という説明とは別に解説がされていますので、こちらに関する回答については申し訳ありませんが触れませんでした。
今回は辞書にあった「その人1人のものの見方」という説明についてどのような解釈をするのが良いのだろうかとの観点からの質問でした。
結果から見るに、質問であげた解釈パターンについては「明確に判断できるような定義はされていない」のだと思います。
ですが、回答として多かったのが「どちらの意味も兼ねている」です。
ある方は「一般的には"その人しかその考えを持つ者がいない"の意で用いられることが多い」との意見もいただきました。

まとめると
辞書以上の明確な定義がされている物はなく、「その人しかその考えを持つ者がいない」の意味で用いられる場面は多いが、「1人だけの見方しか参照していない」場合にも使っても良い。
という事でしょうか。

お礼日時:2017/07/26 15:57

見る、目で見るを例にとれば、その人の脳がそれをどの様に認識するか。


それを他人が、抽象的なままで表現したのが主観(実態は本しかわかりません、いや本にも気づいていないかも)。
外部に表現された、言葉等をもって、その人の主観ではないだろうか、と推測はあり得ます。
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主観とは脳の機能です。

これに対立するのが客観で、現実の世界は主観とは無関係に存在します。

主観の成立により、それとの関係において客観という規定を受けとることになります。現実の世界それ自体が主観との関係において客観とよばれるので、これを客観的実在と理解することになります。

主観と客観とは不可分関係にあると同時に、現実の世界それ自体は主観から独立して存在しているという矛盾した関係にあります。

これは、子供をもたない夫婦を親とは呼べないように、子供を持つことにより初めて親という規定を受けとるので、親と子の関係は不可分です。しかし、この不可分関係は、子供が生まれたときそれと同時に親と呼ばれる人間それ自体が無から現れてきたことを意味するものではありません。

主観と客観の関係も論理的にこれと同じです。

「その人ひとりのものの見方。」というのは、主観的な見方ということで、主観事体の定義、説明ではありません。

言語表現は話者の認識の表現で当然主観的なもので、その内容が主観的か客観的かは事実との関係によります。

言語事体は話者の表現で客観的存在です。

格助詞「の」は関係認識の表現で、その対象のあり方により、所有・所在・所属・行為者などの関係となります。■
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大きく別けて、2通りかと思います。



一つは、客観性を排除した、ものの見方が主観。
もう一つは、あらゆるものの見方も、主観と言えます。

たとえば、「最も高い山は?」と言う質問に対して。

まず客観性を排除すれば、「個人的には、北アルプスの槍ヶ岳。なぜなら、富士山は何度も登頂したが、槍ヶ岳は一度も登頂に成功したことがなく、登頂難易度で言えば、富士山より高いと言える。」みたいな話です。

これに対し、「それはキミの主観に過ぎない。日本で最高峰と言えば富士山に決まっている!」と言うのが、日本人と言う立ち位置からの主観で、「日本で最高峰」と言う客観性も備えています。

ただ、これがなぜ主観か?と言いますと、別の客観性を備えた主観もあるから。
すなわち「何を言ってるの?『質問は最も高い山』なんだから、エベレストだろう?」と言う、日本人の枠を超えた主観であり、同時に客観性も増します。

更には、「おいおい、質問は海抜からの高さじゃないだろ?地殻からの高さで言えば、マウナケア山の方がエベレストより高いよ。」とか。
「いやいや、地球の山とは言ってない。現在、確認されている中では、火星のオリンポス山が宇宙一高い山だ!」まで。

一方では、登山家の中では、最初の「槍ヶ岳」に「ナルホド!」と言う人だっているでしょうから、これでも完全な主観とは言い切れませんし。
また学術的な客観性があるとは言え、マウナケアとかオリンポスまで挙げたところで、「そんなことを言い出せばキリがない」など、反論も受けやすく、「最も客観的なものの見方」は、恐らくエベレストでしょう。

言い換えますと、主観の中にも客観性が混じっている場合も多く、逆に客観も、客観性を広げれば良いと言うものではなくて、結局のところ多数決的な共感とか、中立性なども求められます。

さすがに「出不精のオレにとっては、近所の〇〇山が一番高い!」くらいになると、かなり主観的と言えるでしょうけど・・。
マウナケアとかオリンポスも、「それはキミの主観が強すぎる!」と言われかねませんし。
逆にそれらを主張する立場からは、「エベレストでも客観性が乏しい」と言われかないので、エベレストと言う回答でさえ、まずは主観とも言えるワケです。

余談ながら、そう言う意味では、最も客観的なものの見方は、「『最も高い山は?』と言う質問が、抽象的だ。」と言うことになるかも知れません。
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言葉の意味としては3ですが、実際には1の意味として使われます。



主観というのは、そもそも1の「他には同じ見方の人はおらず、その人のみしかその見方をする人がいない」ということを意味します。しかし、世間を見回してみれば、同じ見方・考えを持つ人もいる可能性はあります。

そういう人を見つければこれは主観だけではなく、他人の意見も含めた客観性を有することにもつながっていきます。ですから3の意味も含まれるわけです。

しかし「主観的」とか「それはあなたの主観だよね」と発言する場合、基本的に「その見方はあなたしかしない」ということをニュアンスとして伝えることになります。ですから、言葉として使われる場合にはほとんど1の意味であることが多いです。

では「客観」というのはどういうことを言うのでしょう。その見方を主張する人が一人でも「客観的」ということはありえるのでしょうか。

ありえます。なぜなら、その主張の裏側にデータや論文などの情報が含まれているときには、個人の見方を超えた、普遍的なもののあり方がそこにある可能性があるからです。

ですから「あなたの意見は主観的」と言っている人のほうが主観的にそれを判断していて、データを読んでいないとか読み取る能力がない、ということもありえるわけです。

ということで、主観、と言う言葉そのものの概念が、実は「主観的」であるということもいえるでしょう。この言葉は非常に相対的なのです。

法律的な定義はありませんが、語学というか語用としては1の意味がほとんどで、実際には3も含まれる、というところでしょう。
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語学的な点はお調べになったようですので、法律的には


http://blog.goo.ne.jp/higaishablog/e/9ff9f0692d2 …

>この場合「の」=所有を表す格助詞であり、
主格と考えて見てはどうですか。動詞的な名詞「見方->見る」ですので。

主観客観は左右などと同様、相対的です。左が無い世界で右は存在しません。そのことも考えてみる必要があると思います。
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Q「敬語、もうやめたら」と思った瞬間。

先日、スーパーでのことです。
背後のカウンターで、商品について尋ねたお客に店員さん、
「担当の者がいらっしゃいますので、しばらくお待ちください」

お客さんは年配の方、一瞬怪訝な顔をして聞き返したのは、聞き取れなかったからではない、と思います。
「者」と「いらっしゃる」という聞きなれない組み合わせに戸惑ったのだと思います。
が、店員さん、もう一度、声を張り上げて「担当の者がいらっしゃいますので、・・・」

テレビで、父親が経営していた葬儀社を自分が継いだということを説明するのに、
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なんか、もうここまでワケも解らずに「いらっしゃる」とか「させていただいて」とか使うなら、いっそもう、敬語なんか廃止してしまっていいんじゃないか、
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ダメでしょうか?
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先日、スーパーでのことです。
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Aベストアンサー

>なんかもう絶望的気分になってしまいました。
 無理もありません。敬語を使い慣れている人と、そうでない人との格差が大きすぎますね。
 No.6の方があげられた「携帯電話の電源はお切りして下さい」は、「して」を取れば通用するわけです。こういう場面で「お切りする」という謙譲語を使う人が増えていると、「敬語」(講談社学術文庫)の著者、菊地康人氏は警告されています。

Q接続詞の用法について

閲覧ありがとうございます。
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Q次の問題の回答は「3」ですが、どうしてその回答が導き出されるのでしょうか。

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#7です。

>しかし、「これを・・・に基づいて積み重ねる。その後、・・・」がすんなりとは理解できません。
別の説明をするとしたらどうなるでしょうか。

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Q子供の頃にやったなぞなぞについて質問です

子供の頃に「朝は四足歩行、昼はニ足歩行、夜は三足歩行の動物はなんだ」というなぞなぞがあったのですが
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説明下手ですみません!!どうがよろしくお願いします!!

Aベストアンサー

朝 = 赤ちゃん     = 誕生(生誕),出生,生育
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Q続 なかったらなかったで

先日、下記の質問がありました。

【なかったらなかったで ていう文型の で はどういう意味ですか?答えていただけると幸いです】  
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9819278.html 

 質問に関して考えているうちに迷路に入りました。
「~たら~で」で似た形に、
「~れば~で」
「~なら~で」などもあります。

 それぞれの違いを考えるために時制のパターンを考えたら……何がなんだかわかりません(泣)。
 なんで下記のようなことになるのでしょう。

 
 本題であるデの働きは、そうむずかしくない。問題は、この文型に入る言葉。 
 品詞は、動詞、形容詞、形容動詞だろう。 
 時制?は、現在(未来)と過去?かな。 
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 とりあえず「ない」「なかった」で考える。動詞的な性質をもつ形容詞は特殊なんでちょっと危険かなぁ。 
1)なかったらなかったで 
 1)’なかったらないで 
2)なければないで 
 2)’なければなかったで 
3)ないならないで 
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 1)2)3)と、仮定条件の四天王?のうち3つが並ぶ。「と」がない理由はわかりません。
【「~たら」と「~れば」をめぐって〈2〉&〈3〉 「ば」「と」「たら」「なら」】 
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1624.html 

 1)~3)は、ほぼ同義と考えていいだろう。微妙なニュアンスの違いは……当方にはわかりません。 
 1)は、四天王のなかでイチバン守備範囲が広いと言われる「たら」。 
 なぜか前半は過去形(と書いておく)限定。後半は、1)’の形にできなくはないけど、ちょっと不自然だろうな。 
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 ただ、「ある」にしてみると妙なことに気づく。 

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 5)’あればあったで 
6)あるならあるで 
 6)’あるならあったで 

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 理由は……わからんって。 
  
 この時制の制約は、品詞によって違ってくるようだ。 
 形容詞は、「ない」タイプ。 
 動詞は、「ある」タイプ。 
 形容動詞はまた妙なことに。 
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 7)’静かだったら静かで 
8)静かであれば静かで 
 8)’静かであれば静かだったで 
9)静かなら静かで 
 9)’静かなら静かだったで 

 7)が自然なのは、形容詞、動詞と同様。 
 8)より8)’のほうが自然に感じるのは、「ある」タイプ。 
 9)’より9)のほうが自然に感じると言うより、9)’はほとんどアウトだろう。

先日、下記の質問がありました。

【なかったらなかったで ていう文型の で はどういう意味ですか?答えていただけると幸いです】  
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9819278.html 

 質問に関して考えているうちに迷路に入りました。
「~たら~で」で似た形に、
「~れば~で」
「~なら~で」などもあります。

 それぞれの違いを考えるために時制のパターンを考えたら……何がなんだかわかりません(泣)。
 なんで下記のようなことになるのでしょう。

 
 本題であるデの働きは、そうむずかしく...続きを読む

Aベストアンサー

本来、この質問は尻切れトンボの文「なかったらなかったで」で終わっていて、どういう言葉が後に続くのか明示されていません。そういう「で」がどういう意味を表しているのか分からないのです。たとえば「なかったらなかったで(構わない・問題ない・その時のことだ)のように補うとすれば、やはり『断定の助動詞「だ」の連用形』と考えられます。その点では、アスナロウさんに同感です。(その他の説明にはついていけませんが)
 天下の京大の学位論文と、その審査員(多分、教授)の意見を一刀両断式に酷評されているのは、ちょっとした驚きではあります。
 ただ、この「だ」の接続の仕方については、改めて問題を感じます。
>終止形の場合、「なかったらなかっただ」になります。
 「なかった<だ>」のような接続、「た」という助動詞に直接付く「だ」は「言っただ」「よかっただ」のように東北方言に似た響きがあります。このような「だ」の使い方については思うところがありますので、いずれ改めて述べてみたいと思います。

Q日本語文法 「は」と「が」の違いについて

みなさんこんばんは、質問させてください。
下記リンクの8ページ目の問題です。
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4.は が答えですが、正直「は」と「が」の違いが分かりません。

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よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

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>ナンシーが来ます。
ケンとメリーは来ませんが、ナンシーは来ます、もあります。

Q「嬉しく思います。」って?

最近、時々「嬉しく思います」という表現を見聞きします。
口頭でも、ネット上の記述でもあります。

私はこれにちょっと違和感を持ちます。
というのは、この表現は、これまで天皇の「お言葉」などで聞くことはあっても、皇室の人以外で聞いた記憶がないような気がするのです。

たとえば、入学式の校長挨拶で「本日、新入生の皆さんをお迎えしたことを嬉しく思います。」というのは聞いた記憶がありません。

じゃ、その代りになんて言うんだ、と言われるとちょっと困るのですが、「嬉しく思います」には、なんか違和感があります。

私の感覚がおかしいですか?

Aベストアンサー

ひと昔前なら、「嬉しゅうございます」が正しいということになったのかもしれません。
 あるいは近い将来「嬉しいです」で何が問題……ということになるのかも。一部を除いて辞書も文法書も許容しているのですから、Xにする理由は〝ないです〟(やっぱりヘンです)。
 ちゃんと書くと長くなるので、最後に少し引用するだけにしますが、「嬉しいです」「嬉しかったです」に異和感のある人は多いようです。
 校長先生が「うれしいです」と言ったら、クレームをつける人が出るでしょうね。まして……。

 ただ、「嬉しく思います」は、なんだかもって回った感じなのはたしかで、質問者の感覚はおかしくないでしょう。
「嬉しゅうございます」が古いなら、少し言い回しを工夫するべきでしょう。
「嬉しい限りです」とか「これほど嬉しいことは{ありません/ございません}」とかなら、おかしくないでしょう。

 これとちょっと似ていて、近年槍玉にあげられるのは、「頑張りたいと思います」です。
 こちらは「頑張ります」と断言するのは気が引けて、「頑張りたい」にしたところ、「頑張りたいです」だと小学生みたいです。同様の理屈で「〜たいと思います」も批判されることがあります。
 困ったことに「頑張りたい限りです」も「これほど頑張りたいことはありません」もヘンです。だったら、「頑張りたいと思います」は大目にみてあげて、と思います。
 詳しくは下記をご参照ください。
【「~して行きたい」「~して行きたいと思う……】
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12131579487

【「形容詞終止形」+「です」 うれしいです うれしかったです】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2417.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 Web辞書『大辞林』の記述です。
 これはすばらしい〝です〟。
 以前ひいたときには、こんな記述はなかったような……。
 ついでに書いておくと、終助詞の「か」がつく形もアリでしょう。

http://kotobank.jp/word/%E3%81%A7%E3%81%99?dic=daijisen&oid=12697100
================引用開始
(3) 形容詞の終止形に付く「楽しいです」「おもしろいです」は現在かなり広がっているが,多少ぎこちなさも感じられる。一方,それに終助詞を伴う「楽しいですね」「おもしろいですよ」などは普通に用いられる〕
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ひと昔前なら、「嬉しゅうございます」が正しいということになったのかもしれません。
 あるいは近い将来「嬉しいです」で何が問題……ということになるのかも。一部を除いて辞書も文法書も許容しているのですから、Xにする理由は〝ないです〟(やっぱりヘンです)。
 ちゃんと書くと長くなるので、最後に少し引用するだけにしますが、「嬉しいです」「嬉しかったです」に異和感のある人は多いようです。
 校長先生が「うれしいです」と言ったら、クレームをつける人が出るでしょうね。まして……。

 ただ、「嬉...続きを読む

Q大器晩成の本当の意味は晩成だと大成出来ないという意味って本当ですか? 大器というのは出来ないという意

大器晩成の本当の意味は晩成だと大成出来ないという意味って本当ですか?

大器というのは出来ないという意味があって、やはり先に抜きん出た者が世界を征するっていう意味だったそうだ。

本当かな?

Aベストアンサー

出典が明らかな熟語です。よく読むならば御説は後人の後付けであることは明らかでしょう。この熟語は往々、目の出ない人を慰めるときに使いますが、それをさらにねじ曲げて、どうせ駄目だからもう諦めろ、の意味にも使えるのでは、と付会したのではと推測します。

出典[編集]
『老子道徳経』
(白文)大方無隅、大器晩成、大音希聲、大象無形。
(訓読文)大方には隅無く、大器は晩成し、大音は声希(な)く、大象は形無し。
(現代語訳)大きな四角形には隅がないようであり、大きな器は完成が遅く、あまりに大きな音は聞き取ることができず、大きな現象は形を認識することはない。
https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%99%A8%E6%99%A9%E6%88%90

Qかつては一年「と」生きられなかった

外国人に日本語を教えているものです。

「30年前には大腸がんのステージ4の方は1年と生きられなかった。」

という文章の「と」は文法的にどのように解釈すればよいのでしょうか。
「一年も」「一年しか」などと言い換えられるのでしょうか。
辞書にはこのような助詞「と」の使い方はありますでしょうか。

教えていただけませんでしょうか。

Aベストアンサー

助詞の話はむずかしくて、辞書をひいてもわからない特殊な用法も多いようです。
 ただ、ご質問の「ト」は比較的一般的なので、フツーの国語辞典に出ていると思いますが。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%A8-579147
===========引用開始
デジタル大辞泉の解説
と[格助・接助・並助]
6 (数量を表す語に付き、打消しの表現を伴って)その範囲以上には出ない意を表す。…までも。「全部で一〇〇円―かからない」「一〇〇キロ―走らなかった」 
===========引用終了

===========引用開始
大辞林 第三版の解説


( 格助 )
⑥量的な限度を表す。少ない量をあげて、打ち消しの形をとる。 「この食料では三日-もつまい」 「五分-待てない」 
===========引用終了

 ちなみに当方がトの特殊用法と考えているのは下記あたりです。
【助詞の話10「ト」の特殊用法── 小学校中学校と 十五、十六、十七と】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1488.html

 トかニか迷うのは下記のようなケースです。
【日本語アレコレ──「自然に」と「自然と」の違い1】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-305.html

【自然に、と 自然と、 の違い】
【「意外に」「意外と」】
【○○{ト/ニ}似ている】

 スッキリとした説明があったら教えてください。

助詞の話はむずかしくて、辞書をひいてもわからない特殊な用法も多いようです。
 ただ、ご質問の「ト」は比較的一般的なので、フツーの国語辞典に出ていると思いますが。
https://kotobank.jp/word/%E3%81%A8-579147
===========引用開始
デジタル大辞泉の解説
と[格助・接助・並助]
6 (数量を表す語に付き、打消しの表現を伴って)その範囲以上には出ない意を表す。…までも。「全部で一〇〇円―かからない」「一〇〇キロ―走らなかった」 
===========引用終了

==========...続きを読む

Q「のぼり」と「くだり」

日本語を勉強中の中国人です。交通状況を知らせるラジオ番組に言う「のぼりは…くだりは…」の「のぼり」と「くだり」は前者が都心に近づいてくる線路であるのに対して、後者は都心から離れていく線路のことを言っているのでしょうか。

また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

鉄道の場合は東京駅が起点なので「東京駅(方向)」に向かうものを上り、「東京駅」から離れていくものを下りと言います。
東京駅を通らない場合、例えば小田急線なら「新宿方向」へ行くものが上りです。

道路の場合は「日本橋」が起点となりますので、日本橋方向へ向かうものを上りと言います。



でも色々と例外もあります。
京浜東北線のように東京駅を通過してしまうものや山手線のように環状のものもあります。
そのような時は「北行き、南行き」とか「内回り、外回り」と言ったりします。
地下鉄では「A線、B線」と言っているようです。

道路も同様で、首都高湾岸線は「西行き、東行き」と言います。


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