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こんにちは。日本語を勉強している外国人です。
武者小路実篤の言葉について質問します。

《死んでゆくものの生き残る人々への愛は美しいものである。死んでしまった者にたいして、生きた人間が、その功を感謝するのは当然なことであり、又自然なことである。死んだものはどうせそれを知ることは出来ないが、しかし死んでのち人々が自分に冷淡でないことを考えることは気持ちの悪いものではない》(『人生論・愛について』)

「死んでゆくものの生き残る人々への愛」というところがわかりません。
これの意味については、
①「死んでいく人」の「生き残る人々」への愛
もしくは
②「死んでいくが生き残る人々」への愛
どれが正しいですか。

また、「死んでしまった者にたいして、生きた人間が、その功を感謝する」というところもわかりません。
「死んでしまった者」=「死者」ですね。
でも、「生きた人間」はどういう意味ですか。「生きている人間」ならわかりますが、「生きた人間」では「???」という感じです。

最後に、もうひとつの質問です。
この文章の続きについて私の理解は、
①生きている人間が死者の功を感謝する。
②死者は「生きている人間が自分を感謝する」ということを知らない。
つまり、これは「生きている人間」の「死者」への愛ですね。
でも、前の「死んでゆくものの生き残る人々への愛」=「死者の生きている人への愛」とすれば、「生きている人間の死者への愛」とは正反対じゃないですか。

この文章をどう理解すればいいですか。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

>「死んでゆくものの生き残る人々への愛」



(自分は年老いて)死んでしまう者であるが、生きて残される者たち(家族というより人類)への愛は美しい・・・・死者としての観念です。

>死んでしまった者にたいして、生きた人間が、その功を感謝する

一方、生きている人間が死者の功績に感謝する。生きた人間=生きている人間、死んでいない人間、

愛とは日本人に定義が困難な言葉。愛=愛着、愛おしい心、大切に思う、
愛は直江兼続の兜飾りにあるくらいで日本人になじみがない。LOVEとは違う。日本人である私にはLOVEは理解不能。

死んでいくんだから死んだ後のことは分からないが、残った人間が死者の功績を評価し感謝するのは当然だ。自然でしょ。そうでしょ。自己評価として死後自分に冷淡でないと思うことはいくばくかの安心だ。

昔の人の文章はまどろっこしい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/22 15:40

死んでゆく者の、残される人たちへの愛



死んでしまった者にたいして、生きている人間が、その功を感謝する

「死んでゆくものの生き残る人々への愛」=「死者の生きている人への愛」は生きているあいだにお互い愛し合っていたからではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2017/07/22 15:39

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