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【皇室】が あり 総理がいる。
昔から どの時代も 戦時があり 勝ったものが政権を握る。

豊臣秀吉 織田信長 徳川家康 等の天下時代に 皇室は 別格の神様みたいな立場だったの?

gooドクター

A 回答 (3件)

豊臣秀吉 織田信長 徳川家康 等の天下時代に 皇室は


別格の神様みたいな立場だったの?
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皇室というのは、ローマ法王みたいな存在でして、
神と人間世界を結びつける役割を果たしています。

西洋では、王様の権威は、教会を通して神に由来
していました。
これを王権神授説といいます。

日本では、将軍などの権威は天皇に由来したわけで
天皇の先には神様がいたわけです。

だから、征夷大将軍の地位は、天皇が授けました。

現代でも、総理大臣や最高裁長官を任命する
権限を持っているのは天皇です。
(憲法6条)
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この回答へのお礼

神だと どをな武将も 認めてた訳ね?

お礼日時:2017/07/21 20:21

皇室は「島国であるこの国で初めて統一国家を作った家系」ということです。



もし、元寇などの異民族が日本を支配したら、天皇家は皆殺し、そして元王朝の総督か誰かが日本を支配したでしょう。日本人は被支配民族、2級民族に成り下がって、支配民族にこき使われてしまうわけです。

隣の国に、迎恩門という屈辱的なものがありましたが、そうなってしまうわけです。

また、科学が発達していない時代「王=神」だったのです。日本に限らず、アラブとかヨーロッパでも古代の王は神と同等だったのです。だから現代のように「神と人間は同じではない」というのは意味がなく、天皇はまさに「現人神」だったわけです。


日本の天皇も、3世紀から5世紀ぐらいの間に、各地を併合して統一国家を作っていたときには、各地のクニの支配者である豪族たちから見れば、異民族と同等だったでしょう。それまでの豪族同士の争いでも、負ければ支配されて、こき使われたり奴隷として売り飛ばされたりしたわけです。
 そして負けた側は、勝った側の神様を信仰することを強要されます。勝った側の神の神殿に祈らない、ということは「現人神である天皇(または勝った側の豪族の王)」を神として認めない=服従しない、ということだったからです。

しかし、天皇家は「それでは各地を統一するのは難しい」と考えて、豪族たちと約束を交わしました。それは「天皇家がみんなの神様たちを祈るから、どこの国も部族もみんな大和の一員として対等になれるよ」ということです。つまり、負けて天皇家の下についても、天皇が代行して自分たちの神に祈りをささげてくれるので、天皇を現人神と認めても、自分たちの神様を祈ることができる、ということなのです。ですから、大和に合流すればみんな大和民族として対等になれた、ということです。

天皇を王(現人神)として認め、服従すれば「でも天皇は私たちの神に祈っているのだから、私たちの神のほうが天皇より上だ」と考えることができたのです。

なぜ日本が大和といわれるかというと、こういう方法で各地の豪族の「和」を保って統一国家を作っていったからです。

ただ、出雲民族だけはこれに従わなかったようですね。だから天皇家と戦って、負けを認め、冥界の王の座に着くことで、出雲家配下の民族は大和に合流できるようにしたのだと思います。その代り、天皇家は出雲家を最大に尊重し、だからこそ10月はすべての神々が出雲に集まって、冥界の王である大国主命の元で会議を行うのです。

豊臣であろうが、徳川であろうが、鎌倉幕府を開いた源であろうが、みんな「天皇が祈ってくれている神様の土地に源流を持つ人」です。ですから「天皇を廃止する」ということは「自分たちの約束を破って、自分たちの先祖や神様たちを滅ぼすこと」につながるから、しなかったのです。

唯一信長だけは、天皇を廃止して自分が新しい天皇になろうとした、ともいわれていますが、だからこそ部下に殺されたのかもしれません。明智光秀は清和源氏を出自としますので、その辺の事情を熟知していたのかもしれません。

逆に秀吉や家康は、天皇の威光を最大限利用しています。特に秀吉は水のみ百姓出身ともうわさされましたから(実際にはそこまで低くはなかったらしいです)、自分が天下を動かすのに天皇の威光は最大限に利用しました。

天皇のほうとしても、鎌倉幕府の時に「政治は武士に任せて、おいらは祈りに専念するわ」というやり方をしていましたし、戦国時代は相変わらず武家が強かったですから、秀吉の申出を問題なく受けて関白にしたわけです。

もっとも、家康はもっと周到でした。そもそも戦国時代の始まりは、南北朝時代の混乱に伴う応仁の乱が発端になっています。南北朝は天皇家が分裂して、武士たちがそれぞれの天皇を担いだことにより混乱が長引き、結果として戦国時代に突入したのです。

ですから、家康は天皇の権限をかなり限定的にして本当に「祈っているだけ」の立場にしてしまいました。それまでは天皇が官位を自由に授けたのですが、それすらも「幕府の許可を必要」としてしまったのです。

しかし、同時に天皇が「この人(秀吉とか家康とか)に政治の実権を任せます」と勅許を出せば、日本中の人々は「統一時代の約束」にしたがって、幕府を許容するのです。

実を言うと、これは今でも同じで内閣総理大臣は天皇が任命していますよね。実質的には民主的に選ばれたり、徳川家の事情で後継者が決まったりするわけですが、天皇はそれを追認して任命することで「日本の約束として、統一国家の運営は天皇、または天皇が任命した人が行う」という正当性を維持しているのです。

ですから、天皇を廃止してしまうと「日本国の約束がなくなったのだから、今の日本の枠組みである必要はないよね」という人がでてくるかもしれません。最近はそうでもありませんが、米ソの冷戦時気だったら「北海道は共産政府の指揮下になります」ということが実際にあったかもしれないわけです。

日本人はなんとなく「この国が分裂したり、バラバラになって違う国になるはずがない」と思っていますが、実際には「バラバラにならないようにつなぎとめている」のが天皇家の大きな役割の一つなのです。
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昔から どの時代も 戦時があり 勝ったものが政権を握る」←それを変えればイイだけ・・



誰も 変える事を しなかった・・と 言うか 変えようと した者は 次々に殺されただけ・・
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