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「知勇兼備」こそが阿呆の考えではないでしょうか?

しかし、「文武両道」は立派な考えで良いと思います。
運動、スポーツや武道や筋トレ等は、忍耐力や集中力をも身に付けたり、好奇心が湧い
たり、ストレス解消にも良くて、学業や読書を頑張る事にも繋がると思うので。

知恵と勇気こそが両立不可能ではないですか?

いつでも、

知恵を働かせた人は「臆病者」と謗られてますし、
勇気ある人は「頭使えよ」と謗られてますね。


「男なら勇気出せ」と

「男なら将来の為に生きる知恵を身に付けて、良い本を読んだり学問に勤しんだりして解決する力を付けておけ。パソコンにも強くなれ」

との両方を言うのならそれは、どうして欲しい訳ですか?

勇気を出さなくてはいけないのも男、
知恵とか論理的な頭脳が得意なのも、またそれを身に付けなくてはならないのも、主には男。

男に

「分身の術でも使えるようになれ。」とか、
「双頭龍か、キングギドラになれ。」

って言うのと同じではないですかね?

A 回答 (2件)

>知恵を働かせた人は「臆病者」と謗られてますし、勇気ある人は「頭使えよ」と謗られてますね。



ごく当たり前の話だと思います。
例えば知無き勇気なんて愚鈍以外の何者でもありません。
己を知らない無謀者とも言えます。

そもそもが、「頭使えよ」と言う場合に、「勇気を捨てて」とは言っていないのではないでしょうか?
両方もてという事です。

例えば、女性がチンピラに絡まれていました。
何も考えず勇気だけで「やめろ!」と女性の救出に向かって女性もろともボコボコ。

己が相手をねじ伏せるだけの腕力等を持っていないことに気付かず、仮に気付いていたとしても、他のやりようがいくらでもあったのにそれをしなかったのか、考えなかったのか。

そう言った「知」の部分が欠落していたがために、「勇気ある人」は「愚鈍な人」「無謀な人」に成り下がります。つまり、結果の出ている「勇気ある人」とされる人は同時に「知もある人」であることがわかると思います。前者は単に「勇気があるように見えるだけの人」ということ。

「勇無き知」の方で例を挙げると、目の前の川でおぼれている人に出くわした際の行動などでわかります。

知識として、おぼれている人を迂闊に助けに行くと、とんでもない力でしがみつかれて共倒れということを知っている。「だからスルー」とするような場合です。リスクを冒してまで人を助けようという気概や勇気は持っていないという事になります。先ほどの「勇気だけはある人」は突っ込んで共倒れですけどね。

この場面を打開するのは「キングギドラ」しかいませんか?
私はちょっとの勇気と、いくらかの知恵・知識がある人ならできると思います。
知恵の中には「周りの人に力を借りる」「警察・消防に連絡する」等も含まれます。

「文武両道」も同じ意味です。
あなたが例に挙げられている「繋がり」とは意味が異なります。
運動する時にも頭使い(例えば先のことを考えて今日は控えめにするなど)、頭使うのがメインの時も時としては武や体力を用いるとよりということです。逆にそうでなければ生きて行くのは困難です。

他にも「剛柔一体」などもありますね。
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誰もそんなことは言ってませんぜ。

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