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なぜ難関私立大学は都会にしかないんですか?

A 回答 (7件)

元々都会にあったので難関になったのです。

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都会にないと定員割れするからです。

要は何でも便利なところに人は集まる、ってことです。
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大概、地域一番手は、国立大学でしょう。


場合によっては二番手も国公立大学。
私立大学はそのお零れを拾うことになります。
すると、人口が少ない地域で国立大学や国公立大学の合格者を確保して、その残りがなお難関大学レベル、となると、人口が多い地域以外には成立しえないのです。
また、国立難関大学組だって滑り止めは欲しいでしょうから、そのニーズに応えられるような私立大学ができるかもしれないわけです。
人口が多い地域であれば、上位6000~8000人が上位国立大学に抜けても、その次の層も難関大学レベルだろうし、分母が大きいためにその開きは小さいです。
ところが、人口が少ない地域だと、上位2000人が上位国立大学に抜けてしまうと、その次の層はもう学力的に随分見劣りする、分母が小さいために開きが大きくなるのです。
すると、それなら滑り止めは頑張って都会の私立大学に、なんて連中が増えて、ますますギャップが開く、勿論国立組だって、成績上位者はその地域の国立大学には行かず、旧帝大に行くかもしれないわけで、実は最上位のレベルだって下がっている。
勿論反対に、都会の大学は、地域人口以上に上がることになります。
より上位の層が抜けていくと、その地域の大学のレベルは、ますます下がる、大学のレベルというか、合格ラインが下がってくるわけです。
するとますます都会の大学に、と。

というわけで、例外はありますが、概ね、地域人口がその地域の大学のレベルを支えるのです。
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難関大や名門大は、基本的に歴史の長い大学であることがその立つ所です。


基本的には明治期に出来た大学。
帝国大学(現東大)や慶應や同志社英学校等です。
それらの学校が、新首都である東京市とそれまでの都である京都市に設置されたのは当然の事です。

>なぜ難関私立大学は都会にしかないんですか?

これは質問すべき事が全く逆で、
「なぜ難関国立大(旧帝大)は田舎にもあるのですか?」
と聞くべき事です。

国策で地方にも帝大が設置されました。
京城・台北にも設置されました。
しかし当時、田舎にあった帝国大学は、受験者が集まらず、今で言うFラン大でした。
とはいえ、戦後、国策によって全国に駅弁大が設置されるにいたって、地方の旧帝大へも、都会から受験者が集うようになり、
難関大学へと成長していきました。
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全ての学部が難関な私立大ということであれば間違いなく都会にしかありません。



ただ、私立医学部医学科は地方でもそこそこ難しいでしょう。
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それはどんな難関大学だって学生は遊びたいんです。

国立ですが田んぼの真ん中で売れるのは筑波大だけ、みんな軽からドイツ車まで色々持っていて授業には自転車だけど週末は盛り場。
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NO4さんもあるように、ある程度政府とか利権と結びついてるからですよ。


そして当時は電話もネットもないですし、国内の移動にはたっぷり1週間はかかるわけですから、単純に人やモノやカネが集まるところの近くにいること(つまり東京や京都や大坂の近く)が有利でした。
ですから特に戦勝国の人間(薩長土肥の軍人や官僚、商人、思想家、学者)は今の東京やNYがそうであるように首都である京都や文化・政治の中心地である江戸(東京)に集結していたんです。

例えば
最古の私大である慶応大学の福沢諭吉は内戦(戊辰戦争)の戦勝国である薩長土肥とも親しく、
何より幕臣の木村芥舟と繋がりがありました(慶応義塾のキャンパスも木村芥舟の寄付によるものです)。
早稲田の大隈重信は良く知られているように総理大臣経験者であり、若くはやはり薩長土肥に近い佐賀藩の出身で、有名若手官僚として
名を馳せてました。
立命館の西園寺公望は名前の通り幕末に活躍した公家であり、総理大臣経験者でした。地元の京都に広大なキャンパスを用意することは苦ではなかったはずです。
同志社の新島襄は安中藩(群馬県)出身で嫁は大河ドラマにもなった会津藩出身の新島八重です。珍しく内戦(戊辰戦争)の負け組の出ですが八重の兄の山本覚馬(会津藩の砲術師範)が大変博学な上に盲目でカリスマ的な人物だったらしく、やはり戦勝国でカリスマ的な人物だった西郷隆盛は敗戦国の捕虜だった山本になんと京都の薩摩藩邸を寄贈してしまいます。山本は妹婿の新島襄のキリスト教に触れキリスト教徒となりそれを同志社のキャンパスとしたのです。
日本では3%程度しかいないキリスト教徒ですが有名私大の約50%はキリスト教主義の学校です(有名女子大はもっと多い)。
例えばカンカンドウリツ4校のうちの関学と同志社、
早慶上智ICU4校のうちの上智とICU、
MARCH5校のうち青学と立教の2校がキリスト教主義の学校です。
別に当時の政府首脳はキリスト教を薦めたかったわけではないと思いますが当時の1流の学問は欧米ですから、当然国内の1流の思想家や学者は外国に目を向けます。結果的にエリートのキリスト教徒化は進んだのだと思います。
そして既存の神道や仏教からの攻撃をキリスト教徒が受けやすかったことを考えると、こういった有名大学関係者が薩長土肥の特権階級のそばに寄って行ったのは自然の摂理だったと思いますね。
ちなみに神道や仏教の学校も作られましたが、しがらみがあって地元(地方)に作っちゃったり、元々ある程度の知名度やバックボーンがあったからか情熱がイマイチ足りなかったような気がします。
結果として今ではいわゆるFラン化してる神道・仏教系の大学は多くありますね。ここではあえて名前を出して書きませんが。
ともかく私大全部が都心にあるってわけじゃなく、特権階級にすり寄ってでも良い大学を作りたい、大学を存続させたいって情熱を持っていたところがいま有名だいとして生き残っている、そんな感じですね。
だから難関私立自体がもともと都心にあるというより、戦略とか情熱とかを持った私大が結果として都心を目指した、って感じがしますね。


逆にですね、欧米、特にイギリスの大学は当時猛威を振るっていたキリスト教(進学)に反発する形で始まりました。もっと宗教の制約のない状態での学問がしたい人有志が集まって非合法にやっていたのです。いわば違法行為で見つかれば死刑も有り得ることですからロンドンでなくオックスフォードやケンブリッジのような田舎の方が都合が良かったんです設立年度があやふやなのもその辺が理由です(あんまり記録に残っていないのです、バレたら大変ですから)。この辺が日本の大学との違いですね。
ただ一部の学部はオックスブリッジをロンドン大学が抜いちゃってますし、アメリカでも新興のカルテックやスタンフォードがアイビーの一部の大学を抜いちゃってます。つまり欧米でも都心の大学の人気が進んでます。
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