80年代パンク、ヘビメタ、その他もろもろのサブカルチャーにハマっていた熱い世代の方々は現在何処で何をしていらっしゃるのでしょうか。名乗りでるも良し。友達を例に出すも良し。社会学的立場からじっくり検証するもよし。あの時代あってこその今という事で皆様の多様多種な回答お待ちしております。

A 回答 (3件)

80年代といえばニューロマンティックやニューウェイブと、はまトラ、ニュートラや『なんとなくクリスタル』を思い出します、カフェバーなんてのも流行りましたね。


うすっぺらくて大して何もない時代ですけど私にとってはもちろん感慨深い時代です、「デュランデュラン」と聞いただけでうるうるきますね。
80'sは「音楽はもう終わったな」なんて言われてましたけど90'sよりはよっぽどましでした。

同世代にはのんきなで軽い人が多いように思います。
「熱くなる」「考える」と言うことが非常に軽視された時代「ネクラ」の私には辛い時代でした(笑)。あんな時代ももう一回経験したいなぁ。
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サブカルチャーというのがどんなものかは


わかりませんが、
'80年代といえば私にとっては
「アイドルの時代」でした。
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60年代、70年代に比べるとちょっと成熟したのが


80年代かなあと。。
なーんにも新しいものが生まれていなかった気がします。
パンクとかヘビメタとかっていってもルーツはかなり
昔だし・・あくまで亜流くらいにしか思えないんです。
反対意見もおおいにあるとは思いますが・・
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Q80年代の曲でオススメは??

よく、洋楽は80年代のころが良いと聞きます。自分も聞いていて良い曲は結構80年代が多いなあと思います。そこで、他にも80年代の曲を聞いてみたいと思いました。そこで、なにか80年代のオススメの曲はありませんか??よろしくお願いします

Aベストアンサー

私も
>'80年代の音楽は中身がない
派で御座います。

#10がIQ低めで攻めているので
私はあえてIQ高め?に挑戦してみます。
■トーキング・ヘッズ「リメイン・イン・ライト」
■ピーター・ガブリエル「4」
ともに1980年のアルバムだったと思います。
アフロビートを取り入れた最初のロックアルバムとして
誉れ高い2枚ですね。
80年代は、一方でMTVの時代であった訳ですが
もう一方でリズムが多様化した時代であったと思います。

IQ高めだと私には無理があるので
あとは、個人的に80年代にドップリ浸かっていた
U2とXTCを挙げておきます。
■U2「WAR」
■XTC「ENGLISH SETTLEMENT」

蛇足ですが
下の回答では、70年代の曲がたくさん交じってないかい?
よって、どうせ遡るなら70年代から
いや、せっかくならビートルズまで戻るのはどうでしょう?

Q創価学会にハマれる人とハマれない人

 以前、創価学会の人が近くにいて、学会活動などを見学させてもらいました

 私自身が「人生なんんもおもしろいことがない、自分だけ」みたいに思っていた時期だったので、仮にマインドコントロールであったとしても、ああポジティブに生きれるのがうらやましいなぁと思い、信心してみましたが、「信心の勝利」とか「池田先生」という言葉が自然と出る気持ちにはなれませんでした

 私に学会を紹介した方がちょっと遠い場所に住んでいたので、学会の鉄則である、師弟の関係から会合にはちょっと遠い場所まで足を運んでいました。
 学会の方には、明日仕事があるのにもかかわらず、車で1時間くらいかかる自宅まで送ってもらったりと、いろいろお世話になり、アクの強い方もいましたが、良い人もたくさんいました。いろんな方の信心の体験談も聞きました。以前は、私と同じようなやる気のない人間だったという話も聞きました。だったら、自分もやってみようと思って自分も信心を試しにしてみて、そのとおりに現実の結果が出たこともあったんですが、どうも信心のおかげという気持ちにはなりませんでした。
 
 結局、信心と結果の因果は本人の捕らえ方であって、本人が宗教体質であるかどうかが、ハマる方なんでしょうか?

 以前、創価学会の人が近くにいて、学会活動などを見学させてもらいました

 私自身が「人生なんんもおもしろいことがない、自分だけ」みたいに思っていた時期だったので、仮にマインドコントロールであったとしても、ああポジティブに生きれるのがうらやましいなぁと思い、信心してみましたが、「信心の勝利」とか「池田先生」という言葉が自然と出る気持ちにはなれませんでした

 私に学会を紹介した方がちょっと遠い場所に住んでいたので、学会の鉄則である、師弟の関係から会合にはちょっと遠い場所ま...続きを読む

Aベストアンサー

これは学会大幹部の言葉です。「幹部になればお金になるからやっているだけのことだよ。功徳とか成仏なんてあるわけないでしょ!!」

まあ、呆れたものですが、知り合いの学会員に病気、貧乏、家庭不和、犯罪、DV、会員同士の金銭トラブル、悪臨終が多いことが物語っています。
下の会員は、金儲けの幹部に踊らされているだけです。何に対する信仰なのか?また何を本尊にすべきなのか?根本的なところを見つめ直しては如何でしょうか

ちなみに本尊とは、根本として尊敬するものを指します。どう考えても池田大作じゃない気がします。

Qあなたの好きな80年代の音楽を教えてください

「80年代の音楽は苦手で・・・」と書いちゃうことがあるんですが、好きなアーティストが80年代に出したのならきいてます。
80年代の音楽の特色や、その特徴を顕著に表している曲も挙げていただけるとうれしいです。
このころの音楽が大嫌いな方、大好きな方、みなさん。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは
>80年代の音楽の特色や、その特徴を顕著に表している曲も挙げていただけると

私が80'sで衝撃を受けたのは
JAPAN、DuranDuan,スクリティポリティ、バグルス、パワーステーションそしてフィルコリンズのドラムの音ですね。

大きな特徴としてこの時代の音楽には「空気感が無い」と言う事だと感じます。
それまでのイナタイ「演奏の空気感や、グルーブを見せつけられるもの」から「アイデア重視」のバンドが目立って活躍したと思います。

そしてそれまでのチープでクリアで無い(当時はそう感じ始めていた)70'sの音よりもっとスタジオの設備を駆使し、各楽器が完全に分離されて低域の輪郭はクリアになり音圧も増し、ハイエンドがスーッと伸びた感じのサウンドはこの頃から始まりました。
実際ドラムキットをそれぞれかぶらないよう別々のチャンネルに録音する手法が定着し始まったのはこの頃です。
言うまでもなくシンセ、やサンプリング、うち込みと言った、今では当たり前のことがすっかり定着したのもこの時代。
ハードロックもこの時代からサウンドがタイトになりました。

打込みが入ってきた事によりドラムのフレーズもこの時代は非常にシンプルで音に隙間がありますね、演奏そのもののかっこよさで曲を成り立たせる必要がなくなったのです。
『マテリアルガール』等のようにバンドの演奏に混じって一番主要で肝心なフレーズだけをシンセが弾く、というのも当時結構流行り始めました。

それとDuranDuranの『リフレックス』やポリスの『見つめていたい』などの衝撃的、非現実的なビデオクリップも目立ちました。

そういった事により演奏者の顔が浮かんだり、雰囲気を再現するこよりももっと、非現実的で抽象的なサウンドイメージを創る事が可能になりました。
スクリティなど、実際に人間が演奏するのはあまりに不自然なフレーズの連続で曲がしっかり成り立ってます。

そんな空気感排除全盛時代にあってパワーステーションやフィルコリンズの空気感をギミックで強調した『あの』ドラムの音は腰が抜けそうにビックリしました(今でも)。

そんな事が90'sに入ってから急速に飽きられてまた自然で空気感のある汚れたサウンドに戻っていったわけです。
すみません長くなりました。

こんにちは
>80年代の音楽の特色や、その特徴を顕著に表している曲も挙げていただけると

私が80'sで衝撃を受けたのは
JAPAN、DuranDuan,スクリティポリティ、バグルス、パワーステーションそしてフィルコリンズのドラムの音ですね。

大きな特徴としてこの時代の音楽には「空気感が無い」と言う事だと感じます。
それまでのイナタイ「演奏の空気感や、グルーブを見せつけられるもの」から「アイデア重視」のバンドが目立って活躍したと思います。

そしてそれまでのチープでクリアで無い(当時はそう感...続きを読む

Q販売員の立場。お客の立場。

私はとある、某有名量販店に勤めていました。
ある日レジに立っていた時、サラリーマン風の男性が、既に並んで待っている人と逆の方向に並んできていきなり「今の会計は俺の番じゃないのか?」と因縁をつけてきました。並んで待っているお客様がいるのに随分非常識な事を言うもんだと思いつつ、「申し訳ございませんが、レジの順番はこちらからなのでお願いします」と、丁重にお断り申し上げました。
するとその男性は順番は自分が先と主張して譲らず、かといって、本来の位置で
順番通り並んで待っているお客様を無視してまでその男性の会計を済ませる訳にもいかず、完全な言いがかり故に最終的に口論する段階までに発展してしまいました。

その後の推移を簡単に説明しますと、
(1)責任者(店長)がでてきたが、その男性は急に態度を変え、いかにも自分が被害者の様に責任者に訴えた。こっちは(販売員の立場なので)立場が弱く完全に私に非があるとされてしまった。
(2)しかもご丁寧に、後日その男性がその量販店の本部に電話までして、事実を相当捻じ曲げて私の対応(状況)を訴えた。
(3)そしてその結果、私は退職に追い込まれた。問答無用でした。

ここで問いたいのは、世の中あまりにもサービス業にかかわっている人達に対する人格が無視されすぎている様に思うのです。

この場合がこちらが我慢すれば済むのでしょうが、お客の立場を利用して、常識外れな理不尽さを突きつけられ、今回の様に退職に追い込まれてしまう事もあると、こっちの言い分も言えないなんて私はおかしいとおもうのです。
私の場合など世間ではほんの一部分の事だと思います。それゆえにいかにも大した事ではないと片付けられると思うと、いてもたってもいられないです。他にサービス業で働いている方、もしくはお客の立場からでもかまいませんので、何か意見があれば聞きてみたい気持ちでいっぱいです。。。。。

私はとある、某有名量販店に勤めていました。
ある日レジに立っていた時、サラリーマン風の男性が、既に並んで待っている人と逆の方向に並んできていきなり「今の会計は俺の番じゃないのか?」と因縁をつけてきました。並んで待っているお客様がいるのに随分非常識な事を言うもんだと思いつつ、「申し訳ございませんが、レジの順番はこちらからなのでお願いします」と、丁重にお断り申し上げました。
するとその男性は順番は自分が先と主張して譲らず、かといって、本来の位置で
順番通り並んで待っているお客...続きを読む

Aベストアンサー

 なんてひどい!!!その客も、上司たちも!問答無用なんて論外じゃない
ですか!!サービス業としてはお客様は神様として、お客の言い分を「はいはい」
と聞くと思うんですよ、確かに。お客とそのまま対決しちゃうことって
ないですよね。東芝のクレーマー事件はかなり珍しい対応だと思うし。
大抵、店頭で怒鳴れば客の意思が通るのが常のようですね・・。
店員さんの対応がまずかった場合などは言って当然だと思いますが
世の中には信じられない馬鹿っていますからそういう馬鹿の言うことを
真剣に受け止めてしまう会社もヤバイですよね。

 わたしが一時サービス業で店頭に立っていた時、やっぱり頭おかしい人って
くるんです。頭おかしいとか馬鹿っていうのは自分の都合のいいように話を
代えて、口頭や電話のように証拠の残らない会話を捏造してやってくる人の
ことをいいます。まさにsaiyajinさんが遭遇した客のことです。
 でもわたしが恵まれていたことは上司が部下を信頼してくれていたこと
なんです。クレームが発生するとすぐ人を代えて謝るっていうのが鉄則ですよね。
結局上司の世話になってしまうのですが、クレームが収まった後、事情を
店員から聞きながら、非はこちらにはないと決着つけてくれました。
 本来、そういうべきものなんじゃないの?!と、怒ってしまいました。
立場上サービス業の人は弱いです。でも、会社や仲間のフォローがあって、
それで成り立つものじゃないですか・・。saiyajinさんを解雇なんて・・。
問答無用って・・。

 今はわたしは消費者です。saiyajinさんの事件を読んで、自分が
もしその場に居合わせた列に並ぶ客だったらyuyupapaさんも言っている
ように冷たい客にはなるまい!!と思ったのでした。

 なんてひどい!!!その客も、上司たちも!問答無用なんて論外じゃない
ですか!!サービス業としてはお客様は神様として、お客の言い分を「はいはい」
と聞くと思うんですよ、確かに。お客とそのまま対決しちゃうことって
ないですよね。東芝のクレーマー事件はかなり珍しい対応だと思うし。
大抵、店頭で怒鳴れば客の意思が通るのが常のようですね・・。
店員さんの対応がまずかった場合などは言って当然だと思いますが
世の中には信じられない馬鹿っていますからそういう馬鹿の言うことを
真剣に受け...続きを読む

Q80年代ファッション、本格的に火がつかないのは何故?

2000年あたりから、80年代ファッションのリバイバルがきていますが、いまだに静かなブームという感じで大ブームにはなっていない感じですよね。
90年代の70年代ブームも、本格的に火がつくまでにだいぶ時間はかかりましたが、いまいち80年代のリバイバルって波にのらない感じがしますね。
個人的には70年代のダサさも80年代のダサさもいい勝負だと思っているので、そういう「ダサいもののリバイバル」という点では70年代のリバイバルだけが盛んというのも変だなあと、思います。
単にファッション的なノスタルジーや懐古趣味という点の他に、バブル経済の反省から80年代というものが忌み嫌われているのでしょうか。

Aベストアンサー

80年代ファッションって、下手すると、
物持ちの良い40代50代のご婦人が、
久しぶりのお呼ばれのときなんかに
タンスの奥から引っ張り出して着ていたりします。

つまり、一部で現役のファッションなんです。

必然的に、見るからに流行に疎そうな人々が
80年代ファッションを身につけているイメージが
植え付けられてしまうために、オシャレにこだわる人にとっては
「ださい」を通り越して「恥ずかしい」代物になってしまって
いるのではないでしょうか。

80年代に放送されたドラマの再放送を見ると
女性は皆、アメフトの選手かと見間違えるほどに
分厚い肩パットの入った服を着ています。
今、あれを着るのは、かなりの勇気がいりそうです。

Qサブカルチャーをどう定義しますか

このカテゴリーでよいのかわかりませんが、
質問させてください。
大学時代に芸術関係の勉強をしていて、
いわゆるサブカルチャーと言うものに興味を持っていました。
いまでも、テクノ、新興宗教、精神系、オカルト、
アニメ、、、、そういったものに首を突っ込んで
いろいろ見たり聴いたり読んだりしています。
けれど、いざサブカルチャーって
どう説明するのって考えたときに、
うまく言えないのです。。
どなたかカウンターカルチャーについて質問され、
サブカルチャーと似ているような回答を読みましたが、わたしの未熟な脳では理解できませぬ。。。
だれかわかりやすく教えていただけませんでしょうか。そして、なぜわたしが上に挙げたような事柄も
サブカルチャーの範疇にふくまれるのでしょうか。
よろしくおねがいいたします。

Aベストアンサー

 大学の社会学史という授業でこう定義されていました。

 Subculture(下位文化)…支配的文化より下位にあって、これに従属したり準じたりする副次的な文化現象やその領域。

 難しい文章で訳わかんないですね(^^;)

 青少年が形成することが多いものらしく、一人前の大人たちが形成した文化から見ると、時として嫌悪感や道徳的危機感をあおることがあるようです。
 いわゆる「大人が見たアタリマエ」でない文化一般をさす言葉なのではないでしょうか?
 たとえば「最近の若いもんは…」って言われちゃうような事柄とか。
 (先生はTVのお笑い文化などもサブカルチャーだと話していました)
 
 よければ参考にしてください。

Q80年代は特殊な時代なのだろうか?

音楽やファッションにおける最近の80年代ブームも、
そろそろ定着してきた感があり、以前のように
「80年代=暗黒の時代」というような風潮もなくなりつつ
ありますが、しかし80年代って他の時代に比べて異様な感じがしますよね。
かっこいいものはかっこいいんだけど、ダサいものはすさまじくダサいという風に。
ブームにはなったものの、やはりダサさは否めないという風な盛り上がりだったような気がします。
一体、80年代の異様さというのはどこからくるものなのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
あなたが80年代を特殊な時代だと感じる理由、ダサさが否めないと思える
理由についていっぺんにお答えします。
ただし私なりの考えですが・・・。

いま私たちが継承している流行音楽の中には、80年代に基礎を作ったものがかなり
たくさんあります。それはホントに異様なほどです。
まずは、シンセサイザーという楽器によって始まった打ち込み系音楽。
MTVによってもたらされたビジュアル的音楽鑑賞。
ウォークマンで聴く個人主義スタイル。CDによる全面デジタル化。
ラップミュージックの台頭とサンプリング手法の発明。
まだまだありますが、これらはほとんどがテクノロジーの進化によって
もたらされたものですよね。
それ以前の時代にはこんなものありませんでした。
つまり、元祖で始めた人たちの作品の中には、すさまじくダサいものがあっても
仕方がないと思うのです。いま私がパソコンを使って「こんなことできるよ」と
自慢してみても、20年後の人が見たら笑い出すかも知れませんよね。(笑)
おそらくダサいものほど、最新テクに翻弄されてた可能性があるんじゃないでし
ょうか。

さて、60年代や70年代までの若者文化は、一言で言うなら"ANGRY YOUNG MEN" の
時代だったと思います。
それが80年代に入って突如、個人バラバラの自己主張を楽しむ時代に変貌します。
「オタク」という言葉も、この時代に生まれました。もちろんそれ以前の時代にも
「マニア」と呼ばれる人たちは存在しました。でもそれはむしろ特権階級として
憧れられる呼び名だったと思います。
そして若者は反体制よりは体制の側に棲み、コンサバやトラディッショナルといった
格式にも美点を見い出すようになります。それがブランドブームに発展し、やがては
信仰とさえ呼ばれるようになります。

そう見るとなんだか金まみれ欲まみれの時代のようにも見えますが、じゃあ今と
何が違うかと聞くと、あんまり違わないような気もします。
どうでしょう?私から見ると、80年代が特別浮いてるような感じってないんです。
確かにそれ以前とは一線を画すものがあるとは思いますが、今あるものの始まりの
時代だったんじゃないかというのが、私の見方です。
ただ、私は評論家でも社会学者でもありませんので、あくまでも一個人の意見と
して受け取っていただけるとありがたいです。
長くなりましたが、こんへんで・・・。

こんにちは。
あなたが80年代を特殊な時代だと感じる理由、ダサさが否めないと思える
理由についていっぺんにお答えします。
ただし私なりの考えですが・・・。

いま私たちが継承している流行音楽の中には、80年代に基礎を作ったものがかなり
たくさんあります。それはホントに異様なほどです。
まずは、シンセサイザーという楽器によって始まった打ち込み系音楽。
MTVによってもたらされたビジュアル的音楽鑑賞。
ウォークマンで聴く個人主義スタイル。CDによる全面デジタル化。
ラップミュージックの...続きを読む

Q多様化した日本社会におけるコミュニケーションとは?

「多様化」した日本社会における,コミュニケーションの「あり方」

1990年代より,日本社会は急速な多様化の時代に突入しました。

労働力の確保として来日した外国出身者,日本人配偶者として来日した外国出身者,さらには,彼ら彼女らの子供たちである,外国につながる子供たち,また,難民として受けいれた人々など,日本社会にはさまざまな「バックグラウンド」をもつ人々がいます。

さらには,それまでに日本社会のなかにおいて可視化されなかった「多様性」についても,しだいに理解がされるようになりました。たとえば,同和地区出身者,同和地区につながりをもつ人々,アイヌ,沖縄出身者,沖縄につながりをもつ人々,障碍者,ホームレス,ハンセン病患者,エイズ患者,おたく,ニートなど,「内なる多様性」が再評価されるようになりました。

日本社会は「単一民族の社会」ではなく,「同質性の社会」でもなく,そして,「均質性の社会」ではありません。ひとりひとりが,「違っている」こと,さらには,「違っている」ひとりひとりが,「“WA”になって踊ること」のできる<社会>こそ,これからの日本社会において必要とされている,目指すべき社会像であると,わたしは考えます。

「多様化」した日本社会においては,そのコミュニケーションの「あり方」が,たびたび問われています。ひとりひとりの「多様性」が「尊重」されることの重要さが強調される一方で,日本社会における<多様性>とは,「上っ面だけの<多様性>であり,社会の構成員にたいしては,“同化が強制”される」ことも指摘されています。(たとえば,テッサ・モリス‐スズキらによる日本批判。)

皆さんにとって,「多様化」した日本社会における,コミュニケーションの「あり方」とは,どのようなものでしょうか? わたし自身は,ひとりの「外国につながる日本人」という立場から,「ホンネ」と「タテマエ」に頼らない<コミュニケーション>の「可能性」を問うことが,いまの日本社会にとって必要であると考えます。

「多様化」した日本社会における,コミュニケーションの「あり方」

1990年代より,日本社会は急速な多様化の時代に突入しました。

労働力の確保として来日した外国出身者,日本人配偶者として来日した外国出身者,さらには,彼ら彼女らの子供たちである,外国につながる子供たち,また,難民として受けいれた人々など,日本社会にはさまざまな「バックグラウンド」をもつ人々がいます。

さらには,それまでに日本社会のなかにおいて可視化されなかった「多様性」についても,しだいに理解がされるようにな...続きを読む

Aベストアンサー

>皆さんにとって,「多様化」した日本社会における,コミュニケーションの「あり方」とは,
>どのようなものでしょうか? わたし自身は,ひとりの「外国につながる日本人」という
>立場から,「ホンネ」と「タテマエ」に頼らない<コミュニケーション>の「可能性」を問う
>ことが,いまの日本社会にとって必要であると考えます。

コミュニケーションが「パブリックな場でのコミュニケーション」と言う意味であれば、おっしゃる通り、西洋のように「タテマエ」だけで完結するコミュニケーションが必要となるのでしょうね。民族同士の軋轢の長い歴史を持つ西洋の場合、プライベートは「同質の者が集まる場」で、パブリックは「異質の者が集まる場」と言う位置づけにそもそもなってます。ホンネを全く介在させず、タテマエ(=ロジック)のみで社会を動かし、結婚や宗教まで「契約」の概念でくくって来る彼らの価値観はそれなりに大したもので、「プライベート」が「パブリック」にダダ漏れしてしまう普通の日本人にはなかなかついていけない面があります。

とは言え、本当に、タテマエだけで社会を動かす西洋的手法が、これからの多様性維持のための主流となっていくのか、私個人は疑問を感じています。最近のEUの移民問題の状況等を見ていると、理念と現実のギャップがもはや抜き差しならぬ所まで迫ってきており、日本がこれからの社会のあるべき姿として、本当に目標とするべきなのか、やや危なさも見えてきているように思えます。

理想論かもしれませんが、私は、これからの日本社会には、プライベートとパブリックを峻別する西洋流の手法ではなく、「ホンネベースでの共有化」と言う、ある意味正面突破の正攻法で、多様性を達成してほしいなあと思っています。単一神の西欧キリスト教社会に真っ向から対立する概念として、八百万の神を数千年間信仰してきた日本ならではのアプローチがある筈です。神様の多様性ならこちらの方が上手です。

世界同時多発テロが起こった時、日本も当初当然親米国としてテロの対象になっていたのですが、実際には日本国内でテロは発生しませんでした。その理由として、逮捕されたテロリストの一人がこう語っていたのを覚えています。
「日本国内のイスラム教徒の中に、テロに協力してくれる者が現れなかった。」

多くの日本人は、さもありなんと実感すると共に、そのような日本社会を誇らしいと感じるでしょう。日本人は確かに排他的で村社会で勝手に自分達を単一民族だと思っている傾向はあり、少数派をいじめたりからかったりする悪い面も見られますが、一方で、自らの価値観を決して絶対視せず、異なる宗教や異なる文化を、論理ではなく感覚ベースで受け入れる柔軟性・寛容性も併せ持っています。少なくとも宗教の違いを理由として殺し合いをするような感覚は持ち合わせていません。この点は、日本人の(おそらく自分たちが想像している以上に遥かに大きな)美徳だと思います。

と言うことで、「あなたと私とはだいぶ違っていますけど、そのことを一向に私は気にしませんよ。」と皆が思うような社会は、実は西洋よりも日本の方に潜在的な可能性があると私は思っています。ご質問の「コミュニケーションのあり方」から、少し話が広がってしまいましたが、倫理や理念で多様性を受け入れるのではなく、感覚で受け入れることがこれからの日本社会には必要だし、またそれができるポテンシャルも持っているのではないでしょうか。

>皆さんにとって,「多様化」した日本社会における,コミュニケーションの「あり方」とは,
>どのようなものでしょうか? わたし自身は,ひとりの「外国につながる日本人」という
>立場から,「ホンネ」と「タテマエ」に頼らない<コミュニケーション>の「可能性」を問う
>ことが,いまの日本社会にとって必要であると考えます。

コミュニケーションが「パブリックな場でのコミュニケーション」と言う意味であれば、おっしゃる通り、西洋のように「タテマエ」だけで完結するコミュニケーションが必要となるので...続きを読む

Q1990年は90年代なのでしょうか?80年代なのでしょうか?

普通、1990年は90年代なのでしょうか?80年代なのでしょうか?
20世紀は2000年の12月31日までだから1990年も80年代の最後の年になるのかと思いますが、どうなんでしょうか?

Aベストアンサー

西欧では初め『零』と言う概念は有りませんでしたので、数字の始まり
は『1』からに成ります。
世紀としては1から0まで(1901-2000)
90年代と言う場合は当然90年から99年ですね。
(日本は数字の初めは零から)
今でも西欧ではカウントダウン等の時『0』は言わないんです。
(ロケットのカウントダウンを見ると分かります)

Q「同化の強制」VS「多様性の尊重」

ひとりのマイノリティとして,わたしは日本社会のなかで生活をしています。わたし自身は,さまざまな事情があったものの,日本社会の一員として,日本社会のなかで生活をしています。スポーツにたとえるのならば,いろいろな「努力」をして,それが認められて,ようやく,スタメン,あるいは,レギュラー入りした,ということになるでしょう。

多くの日本社会に活きる人々,とりわけ,マジョリティである,純日本人とされる人々にとっては,現代の日本社会はひとつの大きな「分岐点」にさしかかっていると受けとめていることでしょう。

その主な理由は複数ありますが,「社会の多様化」がその理由のひとつに挙げられます。

「多様化」した現代の日本社会の「将来像」については,さまざまな意見があると思います。このような課題にかんしては,マイノリティ集団にたいする社会的包摂の「あり方」が問われることが少なくありません。

1.マイノリティ集団にたいしては,個人のアイデンティティを尊重すると同時に,ホスト社会への包摂に向けた努力を,社会規模で実践する。

2.マイノリティ集団にたいしては,ホスト社会に「同化」してもらうことを前提とし,ホスト社会に「同化」することを,包摂のための「条件」とする。

これからの日本社会は,「同化の強制」なのでしょうか,あるいは,「多様性の尊重」なのでしょうか? これは,マイノリティ集団にたいする課題だけではなく,これからの日本社会を活きる,すべての人々のための質問になります。

ひとりのマイノリティとして,わたしは日本社会のなかで生活をしています。わたし自身は,さまざまな事情があったものの,日本社会の一員として,日本社会のなかで生活をしています。スポーツにたとえるのならば,いろいろな「努力」をして,それが認められて,ようやく,スタメン,あるいは,レギュラー入りした,ということになるでしょう。

多くの日本社会に活きる人々,とりわけ,マジョリティである,純日本人とされる人々にとっては,現代の日本社会はひとつの大きな「分岐点」にさしかかっていると受けと...続きを読む

Aベストアンサー

 日本語のネットの中のこのようなサイトと、実際の日本社会の動向は、かなり違います。

 ネット内の発言は、本人に責任が及ぶことが少ないことと、現実の行動を取ることとは別なので、かなり過激なことを発言する例も見られます。


 世界的な視野に立てば、経済の世界的一体化による必然的なグローバリズムの流れの中にあります。

・グローバリズムの進展は、「世界的な同質化」を進めます。
 多民族国家の場合、枝葉的要素の多様性を残しながら、本質部分の同質化に向かうのではないでしょうか。

 それに対して、日本のような単一民族国家の場合、「世界的な同質化」の着地点に向かって、民族全体として変化していくことになるかと思います。
 ネット社会を利用したり、外国人との婚姻・交友関係の濃密化などで、それぞれが無意識のうちに、世代交代の中で自然と着地点に向かって変貌していく一方で、国連人権理事会などの指摘による外からの着地点へ向けた社会変革の要求(その要求自体は、日本が条約調印によって受容する約束をした結果ですが・・・)には、意識的な抵抗を示す傾向があるようです。

 また、極東と言う地域性・歴史性の影響として、隣国『中国』・『韓国』(歴史的経緯などで潜在的に民族主義が強く、分断国家であることなどにより、現時点では国家として見ても、民族主義がある程度国益に合致する。)の経済的な力の伸長によるナショナリズム・民族主義傾向が強まったことによって、日本の民族主義が感情的に強まる傾向にあります。

 さて、回答ですが・・・
 感情的に強まっている日本の民族主義の部分では、『同化の強制』傾向が強まる可能性があります。
 一方で、経済的グローバリズムの中で、「世界的な同質化」に向かうために、「多様性」を取りこもうとする動きが存在しており、「日本企業」の経営方針には特に顕著です。

 従って、個人の感情の部分では、「同化の強制」欲求が見られながらも、日本社会全体としては、マイノリティの多様性を吸収しながら、またマイノリティを同化吸収することによって、元々存在していた日本社会の同質性は「世界的な同質性」の着地点へ近づいていくのではないでしょうか。

 日本語のネットの中のこのようなサイトと、実際の日本社会の動向は、かなり違います。

 ネット内の発言は、本人に責任が及ぶことが少ないことと、現実の行動を取ることとは別なので、かなり過激なことを発言する例も見られます。


 世界的な視野に立てば、経済の世界的一体化による必然的なグローバリズムの流れの中にあります。

・グローバリズムの進展は、「世界的な同質化」を進めます。
 多民族国家の場合、枝葉的要素の多様性を残しながら、本質部分の同質化に向かうのではないでしょうか。

 それ...続きを読む


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