プロが教えるわが家の防犯対策術!

冗談が通じません。20歳です。性格は真面目です。高校のカウンセリングの先生に「あなたは、冗談が通じない人です。」と言われました。私は、冗談が通じないので本気にしていました。それに悪口を言う人もいます。(LINEでも同じようなことがありました。)そのようなことがあると腹がたって無視してしまうことがあります。
冗談はふざけてる意味ですが、悪口は冗談だっと言えますか?冗談が通じるまで時間がかりますか?

A 回答 (4件)

・冗談=ふざけている意味 とは、必ずしもそうともいえないかと思います。


・悪口=冗談だった とは、ケースバイ・ケースですかね。
・冗談が通じるまで時間がかかるかについては、受け止める人によるかと思います。
冗談は、ウイット(機知)に富んだものだと思います。発する方は、相手にわかりやすいように、うまく云う知能が必要です。相手がわからないのは、云い手が下手なのです。
また、受け手は、あらゆる知識・情報を駆使して相手が言う言葉を分解し、あてはめ、いろいろ解釈します。柔軟な発想が必要ですね。
 早い話、互いが同レベルでないと、冗談も通じないですね。
※座布団1枚のようなうまい冗談、冗談じゃ済まされない冗談などありますが、あなたは、あなたなりに広い心で受け止めればいいのだと思います。
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少し気になりました。


発達障害で検索してみてください。
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性格が真面目なのは、素晴らしいことですよ。



不真面目な部分を冗談で誤魔化す方が多く、これらは卑怯に値すると思っています。

ただし、カウンセリングの先生が言った事は、

貴方の心を助けるため、

貴方の憤りを静めるためであって(成功していなくても)、

解釈を変えて、意味を汲み取って、感謝をすべきことです。

「全部でなくて良いので、相手を許しなさい。」

と言う意味です。

相手の人が正しいと言ったわけではないのです。



発言をした人の本意は、他の人にはわかりませんよね。

聞いていた周囲の人でも、先生でも分らないはずです。

冗談でも、悪口に取られることは言ってはいけないのがルールでしょう?

こういうものは失言であって、正しいはずがありません。

それでも、許すという気持ちを持つのが暗黙のルールでもあります。

冗談を言い合うというのは、

「このルール(許せる範囲の失言で抑えられるか?)が上手に使えるかどうか?」

を練習するという意味合いがあります。

練習をしませんと、大事なときに”本当に許されない”発言をしてしまうからです。

政治家が公の場で不適切な発言をすることがありますよね?

こうなってしまうわけです。

練習が足りていないわけです。



この練習は親しい仲でやらないといけません。

その親しい仲でも、礼儀に反したことを言った場合は、窘めないといけません。

これを許せば、練習ではなくなりますよね?

先ほどの例で挙げた政治家の様な人間が出来上がってしまいます。

親しい仲でも礼儀に反したり、他人の名誉を傷つけるような発言は厳しく注意をする。

そういう習慣が無いと、悪い慣習になってしまいます。


冗談と言うのは、発言する人が意識をして使い、即座に訂正して始めて成立します。

相手が誤解をしたら冗談とは言いません。

相手が誤解をした後に、冗談だといって言い逃れることは出来ないんです。

誤解をされたら、冗談を使おうとした人が失敗をしたのであり、責を追うのが普通です。

そうでなければ、不穏当な発言をした政治家すべてが、冗談だったと言うでしょう。



私にも質問者さんと同じところがあります。

自分で気がついたのは中学くらいでしょうか。

いつの間にか、周囲の人は私に冗談を言わなくなっていました。

今でもあまり変わりませんが(笑)

私の周囲の人は立派な人が多く、人間が出来ていたんだとおもいます。

そのため、私に冗談が通じないと思ってくれたのか、気を使ってくれています。

相手に合わせてやり方を変えてくれる人は沢山います。

(しかし、そうでない人のほうが多いでしょうね)


いつの間にか、私の周囲には相手にあわせてくれる人が沢山集まりました。

そうした人達に嫌われても不思議ではなかったんですけど。

一緒にいてくれるようになりました。

どうも、

「冗談が通じない。冗談で済まさない。」

そういう生き方を見て面白がっていたようです。

自分には無い部分を互いに見て、参考にしていたようです。

多くの魅力的な友人たちのおかげで、私も寛容になりました。


自分では中々変えられない部分があります。

それは誰でもあると思います。

そこで、相手に合わせて、自分が譲るわけです。

これを思いやりと言います。


また、自分が正しいだけでは孤立をします。

独りになるのは、

プライベートで何かを楽しむ時間以外は、好ましいことじゃないでしょう。



例えば、貴方と親友になる運命を背負った人がいたとしましょう。

あることで腹を立てて、貴方の独断で孤立することを選んだとしましょう。

しかしそれで運命が変わってしまい、

まだ出会わぬ未来の親友が貴方と知り合うチャンスを失うかもしれません。

すると、未来の親友も親友を得られない人生を歩むんですよ。


親友ではなくとも、友人になる運命の人が沢山いたとしましょう。

自分が孤立をしようと決めたことで、彼らの人生を痩せさせたことになります。

まだ出会わぬ友人達に迷惑をかけてはいけません。

ましてや、友達が少ないと言って嘆くのは全く反対の解釈でしょう。

「いいから、早くこいよ。お前が来ないと、俺も一人なんだぞ。」

と言われますよね。


自分の人生については、どんなに辛い事あっても勝手に決めてはいけませんよ。

未来で自分を必要としている人が必ずいるからです。


では今度は、質問者さんへ逆の質問になります。

悪口をいわれたら腹は立ちます。

ここで(腹を立てても)、

無視をせず、仕返しをしない様に頑張る事は出来ますよね?


真面目なだけでは、まだ足りないんですよ。

ここを乗り越えて、はじめて立派な姿と他人にみえるはずです。

どうして立派に成る必要があるかと言うと、

まだ出会わぬ、自分の大切な人に、自分をプレゼントするためです。

今このときが練習なんです。


冒頭で私が、冗談で済ますのは卑怯に値するといいました。

どうしてかお分かりになりましたね?


その卑怯なことに慣れてしまうと、

未来の大切な人に、冗談で済ます自分をプレゼントすることになります。

このときはもう遅いでしょう。

真面目である事がどうして素晴らしいかわかりましたか?


あとは、腹を立てずに相手を許すこと。

(相手が正しいとか、悪いは関係なく、怒りを抑える自力をつけること)

これが出来れば完成だからですよ。


真面目であることから逃げてしまうと、人生そのものが無駄になります。

どう頑張っても、素敵な人物に(自分で自分を評価しても)見えないからです。

卑怯を隠す卑怯を繰り返すだけでしょう。


相手の主張や態度、やったこと、それに納得できるかも含め、

それらと無関係に相手を許し、怒りを抑える練習をしてください。

そうやって出来上がった自分を、未来の大切な人にプレゼントしましょう。

完成半ばであっても、普通の人よりは素敵に見えるはずです。


以上、ご参考になれば。
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悪口と冗談は、区別が難しいです。


相手をネタにすると、誤解される可能性が高くなるので、
自分の失敗をネタにして、人を笑わせるのが、いちばんです。
他人をネタにするのは、質の悪い冗談だと思います。
お笑いの番組を見たり、落語の本を読んだりして、ユーモアのセンスをみがけば、
冗談も通じるようになってくると思います。
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