親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

ここで1つ白黒はっきりさせよーではありませんか。
肉食妻帯蓄髪は仏教の本質とは無縁である故、坊主が肉食妻帯蓄髪しよーがしまいが坊主の自由でありこれについて咎めを受ける理由は一切ございませんというのが坊主の言い分でありまする。
果たして肉食妻帯蓄髪は仏教の本質とは無縁であると言えましょーか。

A 回答 (4件)

仏教の禁を破って、何をしようと言うのか?



ただの葬儀場運営なら、寺院の土地に固定資産税を掛けるぞ!

と言っておやり。
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仏教は結局我欲を捨てろ、というのが


その教えです。
我欲があるから、辛苦、煩悩が生じるのだ。
だから我欲を捨てれば幸せになれる、てのが
仏教です。

肉は美味しいです。
女性も魅力的です。
こうした本能にもとづく欲望は強烈です。
だから、我欲の代表として、肉は食うな、女も
諦めろ、ということにしたのです。

剃髪は、欲望の世界つまり俗世間と縁を切るための
表象です。
その覚悟を著したものです。

だから、仏教の本質と無縁だ、とは言えません。
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解釈の仕方によるものではないでしょうか?



戒めとして不殺生を唱えておりますが、肉食をしてはダメとか、妻をめとってはいけないとはないように思います。
スリランカ上座部仏教では、肉を食べておりますし。

伝来された各地域で、それぞれそのように解釈されたのでしょう
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仏教に限定してしまうとわかりませんが、宗教の本質とは無縁では?


なぜなら、宗教によって戒律が違うからです。
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Qknowledge, inteliigence and wisdom の違いは?

knowledge, inteliigence and wisdom の違いは何でしょうか?

日本語の訳はそれぞれ、

knowledge:知識
intelligence:知性
wisdom:叡智

ということのようですが、訳語のイメージに惑わらされずに、英語の単語の意味を正確に理解したいと思っています。

[質問1]
まず、knowledgeとintelligenceの違いはなんでしょうか。私はknowledgeに帰納法とか演繹推論などのlogicを付加したもがintelligenceかなと思うのですが、いかがでしょうか。
また、intelligenceはknowledgeを包摂する上位概念で、knowledgeはintelliegnceの「部分」と思っていますが、包含関係が成立し、真の部分集合になっていると思ってよいでしょうか。 K ⊂ I


[質問2]
次に、wisdomはintelligenceに価値判断を追加したものかと思うのですが、いかがでしょうか? 
「生命は貴重だ」とか「男女の価値の差はない」とか、「人生は苦である」など、
包含関係以外で「subject is predicate」という価値判断が含まれるのがwisdom、それは含まないのがintelligenceと考えて、よろしいでしょうか?
また、wisdomはintelligenceを包摂する上位概念で、intelligenceはwisdomの「部分」と思っていますが、包含関係が成立し、真の部分集合と思ってよいでしょうか。 I ⊂ W


K ⊂ I ⊂ W

英語の語彙に詳しい哲学関係の専門家からのアドバイスを頂けるとありがたいです。

どうぞよろしくお願いします。

knowledge, inteliigence and wisdom の違いは何でしょうか?

日本語の訳はそれぞれ、

knowledge:知識
intelligence:知性
wisdom:叡智

ということのようですが、訳語のイメージに惑わらされずに、英語の単語の意味を正確に理解したいと思っています。

[質問1]
まず、knowledgeとintelligenceの違いはなんでしょうか。私はknowledgeに帰納法とか演繹推論などのlogicを付加したもがintelligenceかなと思うのですが、いかがでしょうか。
また、intelligenceはknowledgeを包摂する上位概念で、kno...続きを読む

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
wisdomの難しい所は、intelligenceによらずに、正しい選択と言うか、正しい行いが出来る人がいる事です。
日本語の知恵も同じような概念ですが、知によらない賢さがあると言うニュアンスが、英語ネイティブでも、年齢によらないと言う回答を生んでいるような気がします。
intelligenceは、合理的な思考により、smartに通じますが、それが決してwiseとはならない場合もあります。
また、intelligenceは、他から学ぶ事が可能であると言うか、学ぶ事が出来る能力と言うニュアンスもあるようです。
それに反して、wisdomは、一種の判断能力であり、学習で身につくものでは無いと言うニュアンスが強いようです。

Q惨めです。

底辺ユーチューバの惨め(みじめ)です。

ゲーム実況をしようとしたら、盗まれました。
サイレントヒル(静岡)というゲームです。
しかも成りすまされました。

弁護士も盗人の味方らしく、逆に嫌みを言われました。

トップユーチューバのみなさんはもうすぐ上場して
株でお金を持てるようです。

社長は48億円らしいです。


私は、ユーチューバをやめたら
どうやって生きるのでしょうか?

Aベストアンサー

就職ですね。

Q哲学・思想よりも笑顔が世界を救うと言う話もありますが 本当でしょうか?

あんまり考えない方がいい 思想なんかないほうがいい 笑顔が世界を救う

だからもう難しい事は考えまいという人も最近多いようですが

これは笑顔念仏でしょうか?

ただ笑顔でいれば救われる。南無阿弥陀仏の代わりに笑顔がいい と言うのはどうでしょう?

現に人々は哲学なんて考えません、仕事が出来て今の時代に乗り遅れなければいいのです。

そうすれば自民党がいい様にしてくれる。笑顔念仏は世界を救うのでしょうか?

Aベストアンサー

「笑顔が世界を救う」は良いことですね。
仏教は南無阿弥陀仏で低迷し、哲学も難解な言葉を並べて反感を持たれる。
「笑顔」が他人の幸せを望んで行動している優しい人が醸し出す笑顔なら
世界は救えると思う。
作り笑いはダメですね。

Q坊主の坊主たる所以とは

坊主とは一体何でしょう。
何をもって坊主と言えるのでしょーか。
仏の教えを探求し、実践する者が坊主なのでしょーか。
ほんらいであれば坊主とはこれのことに違いなかったはずでありましょー。
肉食(にくじき)をせず、妻帯をせず、蓄髪をせずしてお経を読む者が坊主なのでしょーか。
ほんらいであればこれもまた坊主が坊主たるしるしの1つであったのではないかと思いまする。
しかしながら巷を見渡せば分かるとおり、今の世の中に見いだせます坊主はほぼ全て肉喰妻帯蓄髪の者ばかりである故、坊主の世界に上記のよーな者はほぼ皆無でありまする。
では坊主とは何かと考えたとき間違いなくこれだけは当てはまるものが1つございまする。
それと言うは坊主は袈裟を着ていると言うことでございまする。
その通り、坊主の実態は袈裟を着た者のことなのでございまする。
それ故、誰であれ袈裟を着ればそれはもー立派な坊主なのでございまする。

Aベストアンサー

最近の人の道さんは、中々ですね。

白衣を着ても、医者にはなれませんが、
袈裟を着れば誰でも坊主になれるのが
現代の堕落した坊主、というわけですね。

同感です。

Q一神教の精神・信仰が、よく解らない日本人です。

万物を創造した唯一絶対の神、主に従う、
とか

すべては神の御心のままに、

とかいうのは、
日本人の言葉で言うと

人事を尽くして天命を待つ、

という感じかな?と思ったのですが、どうでしょうか?
ほぼ当たりと思っていいでしょうか?
それとも、全然見当違いですか?

神の御心と人間の主体性についてあれこれと考えています。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
儒教的概念の天も、最初は人格を持った存在として認識されましたが、最終的には一種の法則(理)として捉えられました。
したがって、天の理は全てに平等で、分け隔ては無い事になります。
アブラハムの宗教の「神」は、人格神ですから、「神」の御心と言う物が想定されます。(つまり、「神」には意志があるわけです)
「神」は、絶対的な選択者と想定されますが、全てにおいて平等と言う事は想定されていません。
人間から、見れば、天の理がわからなければ、結果がどうなるかはわからないです。
ただし、天の理にかなった結果が平等におきる事は想定されます。
アブラハムの宗教の「神」は、意志を持っているので、御心で結果は変わります。
したがって、同じ事でも、結果が変わる可能性はあります。
ただし、「神」を絶対的善として想定する人の場合は、善を成す結果が起きると想定する場合がありえます。(この場合は、天の理とそれほどの差はありません)
実を言えば、この世で不合理と思われる結果(運命)がある場合の説明の方法が難しいわけです。
仮に、天の理があるとすれば、人間が不合理と思っても、それは天の理にかなった事と捉えられるでしょう。
「神」の御心によると考えれば、これは「神」の意志によるので、人間が不合理と思っても、それは「神」の意志です。
どちらにしろ、人間が予測できないと言う事では同じと言えば同じです。
両方は、何らかの原因により、運命が決定されていると言う、決定論的世界観を生み出します。
したがって、定められた運命に対しての、人間の自由意志はかなわないと言う結論に到達します。(人間が完全に自由な意思決定をできる余地が無いと言う事です)
これを天命にまかせるとか、「神」の御心と表現するならば、実際の現象としては同じ事にはなります。

お礼ありがとうございます。
儒教的概念の天も、最初は人格を持った存在として認識されましたが、最終的には一種の法則(理)として捉えられました。
したがって、天の理は全てに平等で、分け隔ては無い事になります。
アブラハムの宗教の「神」は、人格神ですから、「神」の御心と言う物が想定されます。(つまり、「神」には意志があるわけです)
「神」は、絶対的な選択者と想定されますが、全てにおいて平等と言う事は想定されていません。
人間から、見れば、天の理がわからなければ、結果がどうなるかはわか...続きを読む

Q非戦論という一つのベクトルをも おもてに出してよいのではないだろうか

主戦論を前提とした常識ないし定説で 国際関係論が考えられている
ように見受けられます。

その一色というあり方を修正し さらに補強する手も 考えられるの
ではないか。

《非常識》な市民としては 実際のところ 非戦論が優勢なのではな
いか。

――真夏の夜の夢。

Aベストアンサー

非戦論や戦闘否定論は、特に
真新しいわけではありません。

日本の旧左翼の中にも時折、
主張を聞いたことがあります。

個人的には同意する部分も多々
あるのですが、主戦論者から、
「あなたは自分の家族が危害
を被る可能性がある際も闘わない

Q仏とは土のことでありまする

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9867447.html

ところで多くの方々が仏について甚だ勘違いをしていますゆえ、念のためにゆーておきます。
仏とは土のことでありまする。
人は死ぬと土に帰りまする。
これを成仏すると言ったりするのでありまする。
成仏するとは仏に成ると書いて、土に成る、あるいは土に帰るとゆー意味でありまする。
つまり仏とは土のことなのでありまする。
土は食べ物の源、生命の源であり、この上なく有り難いものなのでありまする。
それゆえ土は仏、仏は土なのでございまする。
仏は土なのであり、天空の何処かにいるものなどではありませぬ。
これについてくれぐれも勘違いせぬよーお願い致しまする。

Aベストアンサー

「土は仏」なら、地球全体が仏ですね。
あえて「仏」と呼ぶ必要はありません。
単なる物質循環です。

Qこころのきずがなほらないことがあるか

▲ (アウグスティヌス:《心の欠けなる傷》について) ~~~
 かの全能者は 
 最初の人(アダムとエワ)からであれ 
 その後に加えられたわたしたちの意志からであれ
 わたしたちに起こっている悪を
 その満ちあふれる恩恵によって
 滅ぼしている。
    (『ユリアヌス駁論』1・5 金子晴勇訳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ のではないか? 

信仰の有る無しにかかわらず。

それでこそ普遍神である。

Aベストアンサー

生まれつき備わっているもの。それは、神が無条件で与えた必要最小限の、<命>としての資質と意力。資質とは理性と感性。意力とは文字通り生きようというエネルギー。これらの能力が芽を出すのは、置かれた環境次第による。

人の場合、親がその環境を整えなければ<命>は生命、とは成り得ない。
心の傷が生まれつきのものなら、神でさえ直せない。言い換えればその傷は神が与えたのだ。

生きることで生じる傷は他者から受けたものであるはず。ただ、自身に因がある場合もあるか、とは思う。

☆ ブラジュロンヌさんの云わんとすることは、何となく分かっているつもりですが、それがいまだにうまく言葉にできないでいます。

Q相対性原理

真っ直ぐなものから曲がったものを見ると曲がって見える。
曲がったものから真っ直ぐなものを見ても曲がって見える。
では曲がったものから見て真っ直ぐに見えるものとは何か?
それは同じく曲がったものである。
だからもともと曲がったものには曲がった世の中が一番いいってことだろ。

Aベストアンサー

実に気の利いた台詞です。実際そうですね。
・個人の倫理観
・組織の倫理観
・社会の倫理観

どれも曲がっていてぐにゃぐにゃですが、組織や社会が曲がっていると「思えば」、不安で仕方がありません。実際に曲がっているかどうかはともかく、曲がっていると思えば、嫌な気持ちになります。

>だからもともと曲がったものには曲がった世の中が一番いいってことだろ。

そう思って納得することがいいですね。

Q一般に宗教と呼ばれている仏教は、「信じる」ものでなく、「学ぶ」ものなのですか?

まず、私は仏教については、門外漢です。
先日、このカテにて、「哲学の心身問題を解決する方法はありますか?」という質問がありました。
この、回答の一つに、
<仏教に学ぶことです。>
があり、興味深く考えています。
教えてもらいたいことは、一般に宗教と呼ばれている仏教は、「信じる」ものでなく、「学ぶ」ものなのですか?

Aベストアンサー

うーん…これは人によってとらえ方、見方が違うものだと思いますね。
私は「両方の側面を持っているもの」だと認識していますので、学ぶべきものであり、また、信じるものでもあるのかな?と思います。

仏教は、他の宗教との違いとして「哲学」として理解していくことが出来ます。
キリスト教も似たところがありますが、どちらかというと仏教のほうがより哲学的です。
ただ、仏教は一番最初の形(原始仏教・大乗仏教)から、広く細かく「枝分かれ」をし、その土地や、そこに住む人々…ことに「仏教家」によって、違う解釈があり、それらが広まっても来たという歴史があります。
日本でも真言宗とか、臨済宗とかありますよね?。
「南無阿弥陀仏と唱えていれば往生ができる」というように、まずもとになる「仏教」があって、その解釈の繰り返しから、最終的にただ真言を唱えれば、などとなっていきました。

しかしこれは「変質」というものではないのです。
元になるべき「教え」についての解釈・深化の過程によって、生み出されてきたものです。
ともすれば「信ずるものは救われる」で、手放しで信じることが信心である、と捉えられがちですが、実際はそこに至るまでの沢山の過程があったわけです。

そこが仏教の特徴的なところだと思うのです。
「学び、問い、実践する」という要素がある。
その中で、自分が見つけ出したい「ひとこと」に出会うということもあるかもしれない。
盲目的な信仰というものを、仏教の中では好ましいとは捉えないわけです。

答えを導き出すための「ツール」として、仏教は大きな厚みのある「本」のようなものではないかと思います。
また「生活の知恵」というか、生きていくための「ノウハウ本」みたいな側面も持っています。

うーん…これは人によってとらえ方、見方が違うものだと思いますね。
私は「両方の側面を持っているもの」だと認識していますので、学ぶべきものであり、また、信じるものでもあるのかな?と思います。

仏教は、他の宗教との違いとして「哲学」として理解していくことが出来ます。
キリスト教も似たところがありますが、どちらかというと仏教のほうがより哲学的です。
ただ、仏教は一番最初の形(原始仏教・大乗仏教)から、広く細かく「枝分かれ」をし、その土地や、そこに住む人々…ことに「仏教家」によって、違...続きを読む


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