プラトンの「イデア」について教えて下さい

A 回答 (2件)

たとえば綺麗なお姉さんがいたとします(笑)。


何も知らない人から見ればそのお姉さんはただ綺麗なだけですが、実は心にドス黒いモノを持っているかもしれない。
また、気のおけない家族や友人は、そのお姉さんが抱えている内面的な問題や葛藤をいろいろ知ってたりもするでしょう。
さらに、審美観が異なる人から見れば、「あんなのどこが綺麗なのかわからない」となるかもしれません。
つまり実世界の具体的事物は、見方を変えれば(お互いに矛盾する)色々な姿を持っているわけです(多姿性という)。
それに対しイデアは、そういう感覚事物のある特定の属性を取り出し、普遍化したものです(単姿性という)。
たとえば「綺麗」とか「優しい」とか「好き」とかいう抽象概念ですね。
これはある単一の、矛盾しない属性しか持たない観念的な存在です。
たとえば「美」という概念がじつは心にドス黒いモノを持っていたり(笑)、人目を盗んで鼻毛を抜いてたりする、ということはあり得ません。
このように、プラトンは私たちが実際に目で触れる事物の裏側には、普遍的で抽象的な純粋概念があるのではないか、と考えました。
それがイデアです。
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Qプラトン『国家』

プラトンの『国家』における、魂の捉え方について知りたいのですが、レポートの課題でして、国家全部を読む時間がありません。
『国家』についての新書などを探しているのですが、先生からの参考資料他、当たってみたものの、見つかりません。なにかよいものはありませんでしょうか?
サイトでもいいので、教えていただけませんか。

Aベストアンサー

ANO1さん回答のリンク先のエピソードは面白いですね。(笑)
心の狭い教授なのか、悪ふざけが過ぎたのか、、、。

それはさておき、プラトンの『国家』の主命題は『正義とは何か』です。
私も、まだ読破したことがないので明確な回答は避けますが、「プラトン・国家・正義論」などで検索してみてください。
結構、ヒットしますよ。

最後に、分かりやすく纏められたページを見つけたので参考URLに貼っておきますね。

参考URL:http://www.nagaitosiya.com/a/politeia.html

Qプラトンのイデア論の根拠について

プラトンが所謂現実世界に対して、それを支える超越的な世界をイデア
界として想定してしていますが、そもそもイデアの論拠とはどこにある
のでしょうか。
同じ超越的な対象を求めるにしてもキリスト教であれば、人間や自然に
対して「神」を唯一絶対の根拠としており、アリストテレスでさえ「第
一起動者」なるものを想定しています。
現実の根拠はイデア。では、イデアの根拠は?
皆様、よろしく御教示ください。

Aベストアンサー

> イデアは誰が何処に造った

という問題の立て方はちょっとちがうかな、と思います。そんなふうに考えていくと「イデア」の理解から遠ざかるような気がします。
なにものかがそこにある、という根拠は、誰がいつどこで作ったという証明以外にもあります、というか、イデアのように、そこにあることはわかっていても、感覚器官で知覚することのできないものは、そのようなやり方で根拠づけることはできません。

簡単に整理してみましょう。
イデア論の成立には、大きく言うと、三つの要素があります。

1.ソクラテスの「アレテー(徳)」の探求を受け継いだ、「徳の原型」としてのイデア
プラトンはこれを「正義のイデア」「美のイデア」として立てていきます。

現実の世界においてわたしたちが経験する美や正義は、いずれも「完全無欠」のかたちではありません。にもかかわらず、わたしたちは不正の要素の混入した正義から「正義」の存在をうかがい知ることができる。汚れた要素の入り交じった美のなかに、純粋な「美」を見て取るのはなぜか。

それはこれら現実の世界にあるものが「正義そのもの」「美そのもの」を分かちもっているのではないか。わたしたちの経験の根底には「完全な美」「完全な正義」というものがあって、それらのものは、そうしたものをおぼろげに想起させるのではないか。

2.認識の成立根拠としてのイデア

もしもこの世界が流動変化のうちにあって、恒常不変の要素を何一つ持たなかったとしたら、わたしたちはいったい何を認識することができるのか。たとえば「空が青い」というときに、「空」「青」という恒常的要素がなければ、わたしたちは空の青さを認識することもできないでしょう。

3.存在者の存在構造としてのイデア

すべて存在するものは、無秩序に、混沌として存在しているわけではありません。
どんなイヌもイヌという特性を持っている。かならずしも肉体の目で見られる形態や色とは関係なく、その「本質」、精神の目でみる形を備えている。そうしてその形が存在者の存在構造としての形相、イデアである。

つまり、人間はあることを定義することによって、概念規定を明瞭にすることができ、そのかぎりでイデアを思うことができる。すなわち正確な定義とイデアは一致する、とプラトンは考えたのです。
ここでプラトンはソクラテスの「徳」を一歩進めて、価値だけでなく、自然界をイデアの世界に論理的に結びつけていきました。

この回答は『西洋思想のあゆみ―ロゴスの諸相』(岩田・坂口他 有斐閣)を参考にしています。質問者さんの助けになるかと思いますので、ぜひご一読をお薦めします。

> イデアは誰が何処に造った

という問題の立て方はちょっとちがうかな、と思います。そんなふうに考えていくと「イデア」の理解から遠ざかるような気がします。
なにものかがそこにある、という根拠は、誰がいつどこで作ったという証明以外にもあります、というか、イデアのように、そこにあることはわかっていても、感覚器官で知覚することのできないものは、そのようなやり方で根拠づけることはできません。

簡単に整理してみましょう。
イデア論の成立には、大きく言うと、三つの要素があります。

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Qプラトンが描いたソクラテスは史実の姿???

プラトンが描いたソクラテスは史実の姿???

プラトンの国家、ソクラテスの弁明を読んで、ソクラテスの史実の姿に興味を持ちました。

国家やソクラテスの弁明に描かれるソクラテスの姿は、大体、史実、ありのままと考えていいのでしょうか。
それとも、プラトンが描くソクラテスというものは、大部分が、史実とはかけ離れた空想の産物なのでしょうか。

Aベストアンサー

史実という考え方自体が、近代的考えです。

古典時代の人々が、食べていた食べ物を「今の目線で」
「まずい」とか「料理の仕方が洗練されていない」とかと評価できないのと同じで、歴史的に「それはそれ」とまず、さらっと読むことが大事です。

史実という事で言うと
ヘロドトスとトゥキディデスの比較がよく話題となります。
ヘロドトスは、「物語」の作家
トゥキディデスは「史学」の著者とされます。

さて
「伝記」は、「歴史書」なのでしょうかそれとも「読み物」なのでしょうか?どちらかというと「奇跡をつづるといった側面が強いと思います。少なくとも「記述するにふさわしい数奇な内容」のはずです。

この時代に書かれた書籍は
基本的には、「伝説的読み物」といったほうがいいと思います。

トゥキディデス=史実重視の見方・政治的意図で書かれた文章=プログラムは、例外中の例外です。

比較の対象として「クセノフォン」のソクラテス伝をよんでみるのもよいのかもしれませんが、「思想」としては、プラトンのほうが優れています。人から人へ伝えていくといった視点からも明らかに勝っています。

また、「弁明」のほうは、史実に比較的近いということも出来ます。ソクラテスの弟子=プラトンが書いたことですから、内容(こんな感じだったんだろうなというイメージ)だけ
持っていけば
いいと思いますが、

でも、全てが夢物語ではありません。

「聖書のでたらめ」を信じている人たちが、党派的に「哲学全般に対して批判・弾圧を繰り返してきた」という歴史的事実にも着目してください。肩の力を抜いて取り組んでください。

プラトンは、自分に対して「辛口」になることが出来る思想のヒトツです。キリスト教はその逆。

史実という考え方自体が、近代的考えです。

古典時代の人々が、食べていた食べ物を「今の目線で」
「まずい」とか「料理の仕方が洗練されていない」とかと評価できないのと同じで、歴史的に「それはそれ」とまず、さらっと読むことが大事です。

史実という事で言うと
ヘロドトスとトゥキディデスの比較がよく話題となります。
ヘロドトスは、「物語」の作家
トゥキディデスは「史学」の著者とされます。

さて
「伝記」は、「歴史書」なのでしょうかそれとも「読み物」なのでしょうか?どちらかとい...続きを読む

Qプラトンのイデア論

プラトンのイデア論っ何ですか?
教えてください
それを理解するために、何の入門書お勧めですか?

Aベストアンサー

簡単に説明しますね。

好きなアイドルや俳優の写真を持ってますか?
持ってなくても持ってると思ってくださいな。
(テレビ番組でも映画でもドラマでも何でも構いませんが写真で考えましょう)

でもその写真は本物のアイドル(俳優)ではないですよね。
写真のもととなってるアイドル(俳優)が真実で、
逆にその写真に写ってるアイドルは言ってみたら偽物です。

真実であるそのアイドル(俳優)本人がイデアなんです。
(イデアは真実。イデア界は真実の世界)
そして真実である本人の姿を見たことがないのに・・・
僕達はいつもその偽物(写真)を見て恋し焦がれる。
それでもその真実のアイドル(俳優)に憧れて、もっと知りたいと思う。
これがエロース。

つまりイデアは現象界(僕達が住む世界)における物のカタ。
アイドル(俳優)そのものがカタで、
現象界に住む僕達はカタで作った偽物(写真や映像など)しか見れないのです。。

簡単に言えばこれがイデア論です。
かなり省きましたが・・・。

※エロース:イデアを恋し慕う事
※ちなみに人間も一人一人名前が違うように十人十色。
つまりイデアに真実の唯一の人間がいて、そのカタを元に現象界でたくさんの人間が創られた。


参考URLも分かり易いと思います。
NO.4さんがお勧めのソフィーの世界もかなりイイと思います。
では哲学頑張ってください。

参考URL:http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html

簡単に説明しますね。

好きなアイドルや俳優の写真を持ってますか?
持ってなくても持ってると思ってくださいな。
(テレビ番組でも映画でもドラマでも何でも構いませんが写真で考えましょう)

でもその写真は本物のアイドル(俳優)ではないですよね。
写真のもととなってるアイドル(俳優)が真実で、
逆にその写真に写ってるアイドルは言ってみたら偽物です。

真実であるそのアイドル(俳優)本人がイデアなんです。
(イデアは真実。イデア界は真実の世界)
そして真実である本人の姿を見たこ...続きを読む

Qプラトンとアリストテレス

プラトンは「理想国家から芸術家を追い出すべきである」としたのに対しアリストテレスは美の独自の価値を認めたとある本にかいてあったのですが、二人の思想の違いは何なのでしょうか??よろしくお願いします

Aベストアンサー

こんにちは。

>プラトンは「理想国家から芸術家を追い出すべきである」とした~

>アリストテレスは美の独自の価値を認めた~

このふたつの文章がどのような文脈で語られたのか
わからないので、類推になってしまいますが……。

プラトンとアリストテレスの最大のちがいは「イデア論」についてです。

プラトンの提唱したイデア論は、美しさなら美しさの原型、理想型はイデア界にある、
としました。
つまり、私たちがたとえば銅像を見て「素晴らしい
銅像だ」と思えるのは、
理想的に素晴らしい銅像がイデア界にあり、それを
想起して素晴らしい、と思えるといいます。

一方、アリストテレスはイデアは別世界にあるのではなく、銅像なら銅像に内在する、
としました。その形が形相であり、材料を質料と呼びました。

そういうことですから、プラトンにとっての究極の芸術はこの世にないのであり、
追い求めても意味がありません。

一方、アリストテレスは「創られたものに内在する」
のだから、意味があります。

この両者の根本的な思想のちがいが、
発言のちがいにあらわれたものと思います。

こんにちは。

>プラトンは「理想国家から芸術家を追い出すべきである」とした~

>アリストテレスは美の独自の価値を認めた~

このふたつの文章がどのような文脈で語られたのか
わからないので、類推になってしまいますが……。

プラトンとアリストテレスの最大のちがいは「イデア論」についてです。

プラトンの提唱したイデア論は、美しさなら美しさの原型、理想型はイデア界にある、
としました。
つまり、私たちがたとえば銅像を見て「素晴らしい
銅像だ」と思えるのは、
理想的に素晴らし...続きを読む

Q【哲学思想・構造主義】今の主流は何主義ですか?古代ギリシャのプラトン(イデア)→ニーチェ(ニヒリ

【哲学思想・構造主義】今の主流は何主義ですか?

古代ギリシャのプラトン(イデア)→ニーチェ(ニヒリズム=虚無主義)→サルトル(実存主義)→構造主義→?

今は構造主義の時代?

もう構造主義は古い?

構造主義ってどういう思想なのか簡単に分かりやすく教えてください。

今の主流主流思想も教えてください。

どういう思想の流れですか?

思想の歴史の流れも簡単に分かりやすく教えてください。

Aベストアンサー

OKWaveのマルチポストの質問にも回答がついてゐましたとほり、流行を追ふことではなく、自分で考へること、それが哲学です。特別変つたことが述べられてゐるわけでもなく、部分にこだはるなとか、主体性を持てとか、生きる意味はむづかしいとか、現実ではつかめないすばらしい世界があるとか、そんな常識的に考へられることがいかにも高尚な思想であるかのやうに、もてはやされてゐるだけなのかもしれません。

Qマキャベリとプラトン

プラトンの政治哲学は理想的だと言われます。
それに対し、マキャベリの手段を選ばぬ政治の行い方は批判されることが多いようです。
仮に、プラトンが「君主論」を読んだらどのような反論をするでしょうか?又、評価するところもあるでしょうか?

Aベストアンサー

 はじめに、マキャベリの君主論について簡単に言うと以下のようなことなんです。
 例えばよいと悪いで評価される5個の項目のうちで、勿論ALL5項目良いと評価されたいと思いますよね。しかし人間完璧によくあることはできないんです、時と場合によって。でも「よい」は1項目より3項目、3項目より4項目のほうがいい。人の行いも完璧ではありえないけどできるだけ「良い」方がいいということを君主のあるべきすがたとしてとらえたのです。なぜならすべて「よい」であろうとしても周りに敵は大勢いますからそのようなことも言ってられないのです。実際的な君主のありかた-敷いては人の実際的見地からのあり方をマキャベリは説いたのです。

 一方プラトンのZeroFightさんも仰られている通り理想主義〈イデアリズム〉です。彼は実際の政治の場に失望していました。しかし理想的な世界における政治にはユートピアを信じていたのです。プラトンは、哲人王説を説き、現実の政治を理想どおりにまで変革可能だと信じていたのです。

 以上から、プラトンが「君主論」を読んだらどのような反論をするか?について、(言葉は乱暴ですが)プラトンは現実的政治からユートピア的政治の場にいうなればぶっとび、かつそこから現実世界に哲人王の政治を理想としていたのですから、マキャベリの君主像に悲観し、哲人である王でなければ国は完璧には治まらないと文句を言うのではないでしょうか?

 結構手荒なまとめです。実際そう簡単に比べられるものではありません。慎重に議論をしないといけません。ちなみに私は某大学哲学科でドイツ現象学の勉強をするために大学院を目指しています。

 はじめに、マキャベリの君主論について簡単に言うと以下のようなことなんです。
 例えばよいと悪いで評価される5個の項目のうちで、勿論ALL5項目良いと評価されたいと思いますよね。しかし人間完璧によくあることはできないんです、時と場合によって。でも「よい」は1項目より3項目、3項目より4項目のほうがいい。人の行いも完璧ではありえないけどできるだけ「良い」方がいいということを君主のあるべきすがたとしてとらえたのです。なぜならすべて「よい」であろうとしても周りに敵は大勢いますからそ...続きを読む

Qプラトンの「教育と無教育」

プラトンの「教育と無教育」についてできるだけ詳しく教えて頂けないでしょうか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 及ばずながら書いてみます。これで良いのかどうか…

 魂と四徳については別に書きましたので、そちらを。
 プラトン中期の最初期に書かれた著述に『パイドン』がありますが、
その中では、魂の不滅とそれに絡めてもう一つ、「想起説」が出てきます。

 魂が永久不滅であるならば、我々の魂は真実をすでに知っていて、肉体
へと落ちた時にそれが忘却されてしまったとプラトンは考えます。しかし、
プラトンの言う対話によってかつて知っていた知識を想い出し、我々は
その善し悪しを答える事ができるとしたものですが、プラトンの「教育」
はこの「想い出し」を指します。

 そして「無教育」とは、真実の想起が正しい仕方(対話)によって齎され
る「想起」とは異なり、真実を「教える」事ができるとした当時の弁論術者を
指して述べられた言葉です。つまり、真実は教えられるものではなく(無教育)
、魂の中に知識されているので、本当の教育とはそれを「想起」させる(教育)
事だと言った訳です。

Qプラトンの妻子の共有とは、何を意味のでしょうか?

プラトンについて質問です。

プラトンの妻子の共有とは、何を意味のでしょうか?

妻子を誰と共有するのでしょうか?

社会全体と共有するという意味でしょうか?

今一、まだイメージがわきません。というのも、誰とでも共有したら、家族という概念自体がなくなるということになりませんか?

Aベストアンサー

妻子の共有とは、乳母・乳父を複数もたせて狭い世界を世界観を持たせないこと。
社会が親であること、
凡俗な社会から隔離して低劣な気質、気性を持たせないこと。真似をさせないこと。毛嫌いさせること。
この2点である。

エリート選出の観念。
エリートを注意深く育ててもいずれ、宇宙の人間には分からない運行によって、
哲人国家は破綻する、とプラトンは述べている。

Qプラトンのパイドンでの「大きさ」についての解釈

パイドンで、

あるものAがBよりも頭一つ大きいというのは、Bが頭一つAより小さいということであるから、
”頭一つ”というのは同時に大きくし、小さくすることになり、AがBよりも高い原因としては矛盾する。
その後に、”頭一つ”自体は小さいのに、大きいものがより大きくなる原因が小さいもの、というのは変だ。
というような内容が続くのですが、
どのように解釈して良いのか分かりません。。
最初の論点はまぁ、分からなくはないですが、
次の大きいものが大きくなる原因が小さいもの、であるのが何故変なのか分かりません。。
そもそも訳自体が間違っているのかもしれませんが、
どなたか分かる方よろしくお願いします。

後出来れば、何故
10が8よりも大きいのは10は8を2で足したものだから、と言う解釈をソクラテスは避けたのかも教えて頂けると嬉しいです!

Aベストアンサー

【Translated by Benjamin Jowett 1817–1893】
In like manner you would be afraid to say that ten exceeded eight by, and by reason of, two; but would say by, and by reason of, number; or you would say that two cubits exceed one cubit not by a half, but by magnitude?-for there is the same liability to error in all these cases.
http://www.gutenberg.org/files/1658/1658-h/1658-h.htm
同じくきみは「10は8を、2だけ、そして2を理由として超えている」と言うことを恐れるが「数だけ、あるいは数を理由として」とは言うだろう。あるいは「2キュビトは1キュビトより(半分のためにではなく)大きさを理由として超えている」と言うだろうね?─なぜなら、これらの総ての場合には同じ誤りの責任があるからだ。


【translated by Harold North Fowler 1966】
“Then,” he continued, “you would be afraid to say that ten is more than eight by two and that this is the reason it is more. You would say it is more by number and by reason of number; and a two cubit measure is greater than a one-cubit measure not by half but by magnitude, would you not? For you would have the same fear.”
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0170%3Atext%3DPhaedo%3Asection%3D101b
「そして、」彼は続けました、「きみこう言うことも恐れるだろう、『10は2によって8より大きい、これがより多いという理由である。』きみは(むしろこう)言うだろう、『それは数によってまた数の原因によってより多いのである』と。そして『2キュビトの尺度が1キュビトの尺度より大きいのは、半分によってではなく、大きさによってである』。きみそうは言わないかね?というのもきみは同じ恐怖を持っているだろうから」


【菊池慧一郎訳 1924】
また君は、十が八より二に因って多い、つまりその原因によって優れているのであって多に因ってではない、つまりその原因は多ではない、また二尺は一尺より半分に因って大であって、大を原因としない、と主張することをも恐れるであろう。これも同じ恐れだ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970905
(コマ番号73)


【岩田靖夫訳 岩波文庫】
それでは、十は八よりも二つだけ(二によって)より多く、この二という原因によって超過している、ということも君は恐れるだろうね、それは、『多』によってであり、『多』を原因としてである、とは言わずにね。また二尺が一尺よりも大きいのは『大』によってではなく半分によってであると言うのもね。なぜなら、それは恐らく同じであるからだ。


 この部分の前に、ソクラテスの、アナクサゴラス説への期待と失望の体験談がありますが、解釈の上ではここが重要だと思います。 アナクサゴラスの一説に、万物はヌース(精神(菊池)、理性(岩崎)、mind(英訳))によって秩序立てられる、というのがあってソクラテスは大いに期待しました。
 仮にアナクサゴラスを万物の原因の師として教えてもらったとしたらと設定し、師はどう説明するだろうかと自問自答するところが独創的に思えます。そして、ヌースが万物を秩序立てるのであれば、「それがそれであることを最善にあるようにするだろう」という構想を立てました。

 「10は8より2(だけ)多い」と判断するのが、これが算術の判断ならば、これが算術の判断にとって最善ですね。算術的知性を働かせればそういうことになります。
 2は算術的知性によって判断の構成要素として選ばれた数に過ぎませんから、2が原因だというのではなく、算術的知性が原因だというのがいいでしょう。

 たとえば、「あるものが他のものより大きい場合はすべて他ならぬ『大』によって大きいのであり、この『大』がより大きいことの原因である」とソクラテスが主張するとき、また主張すべきと人にすすめるとき、判断の構成要素の大とは別に『大』を原因として構想しているはずです。

 ですからこの『大』をプラトン流にイデアと呼ぶにしても、カント流にアプリオリな悟性形式と呼ぶにしても、能動的に自らの形式を表出する能力原因に重点を置くなり、もともとその概念がなければ追加して捉えるべきでしょう。それを機能させる能動主体(精神)を『大』は指していると解釈すべきでしょう。そういう『大』でなければなりません。

 もう一つ解釈を補強する根拠になるものがあります。『ピレボス』に存在論的基礎考察があって、万物を次のように区分しています。

 第一クラス 無限 more and less の類 限度がない。
 第二クラス 有限 等しさ、二倍、数量 限度がある。
 第三クラス 第一のクラスに第二のクラスを交ぜたもの
   (以上は認識の対象になるものです)
 第四クラス 混合の原因

 人間に文字を教える神の話がある。もともと人間の発する声は無限だった。神は有限な数の母音や子音をおしえた。要するに無限に限度を与えて秩序付けた。
 太古の人の思索の方法として、一をまず二ないし有限な数に分割しその一つ一つを調べる、そしてまたそれぞれを有限な数に分解し、同じことを繰り返す。分割が適当なところで終わったら、今度は逆にそれを一つにまとめあげる。
 こういう話につづいての、存在の区分でした。これにあてはめれば、『パイドン』の例題の内容は、より大きいとか、10や2の数量ですから、第一のクラスと第二のクラスに属すものです。とすれば、原因は明らかにそれらではありません。

【Translated by Benjamin Jowett 1817–1893】
In like manner you would be afraid to say that ten exceeded eight by, and by reason of, two; but would say by, and by reason of, number; or you would say that two cubits exceed one cubit not by a half, but by magnitude?-for there is the same liability to error in all these cases.
http://www.gutenberg.org/files/1658/1658-h/1658-h.htm
同じくきみは「10は8を、2だけ、そして2を理由として超えている」と言うことを恐れるが「数だけ、あるい...続きを読む


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